4-11 ミストドラゴン
目覚めた時、最初に見えたのは眩い光だった。
意識が覚醒したアデルは、思わず目を細めてしまう。
「……?」
青い空。その中央に、直視することができないほどに眩しい光の塊が見える。太陽だ。真王によって生み出された虚構の世界で、昼間に地上を照らす巨大な恒星である。
だがおかしい。
今は、偽装フィルターを切っているのだ。
なら、空に太陽など見えるはずがない。
見えるべきは、黒い霧に覆われた、暗黒の空のはずだ。
異変を察したアデルは身を起こし、周囲を見渡してみる。
「……!?」
見渡す限り、真っ白だった。
巨大な壁と、平らな床。それ以外には何もない、無機質で広大な空間だ。ケイたちの学校くらいの敷地であれば、丸ごと収まって、余りあるほどに広い。そこは、屋根の面だけがない、巨大な正方形の箱の中と言える。空から注ぐ太陽光によって、隅々まで照らし出されていた。明るい場所である。
「ここは……どこなのですか……?」
疑問は、それ以外にもある。
周囲には、さっきまでのアデルと同様に眠っている、数え切れない人々がいた。
いずれも若く、美しい顔立ちの少女たちだ。
全員、布きれ同然の、白い検体服1枚の姿である。等間隔に距離を取った位置で眠っていて、頭の向きは同じ方向である。まるで整然と並べて置かれたような光景だ。自身の姿を見下ろしたアデルも、同様に検体服を着せられていることに気が付いた。手首には「21」という、数字のタグ付きバンドが巻かれている。
アデルに遅れ、周りの少女たちもゆっくりと目覚めたようだ。
1人、2人と身を起こし、寝ぼけ眼で、辺りの様子に目を配っている。
周囲の少女たちに倣って、アデルも立ち上がり、キョロキョロとし始めた。
「――もしかして、アデルちゃん?」
「?」
急に呼び止められ、アデルは振り返った。
少し離れた後方に、見覚えのある顔を見つける。
藤野ユカ。ケイやアデルと同じクラスの、同級生の少女である。
ユカはアデルに駆け寄ると、その手を取って話しかけてきた。
「びっくりした! アデルちゃんも、ここへ連れて来られてたんだね!」
「……ここは、何なのですか?」
「わかんない」
アデルの問いかけに、ユカは笑顔で応える。
知らない場所で目覚めたことを、まるで不安に思ってなどいない。ユカの態度は、そんな様子である。ユカ以外の、他の少女たちも、それは同様のようだった。混乱した様子の者もいなければ、怯えている者もいない。全員が笑顔。ボンヤリとした様子で、その場に立っているだけだ。
「ユカたちの様子が変です……」
人間の情緒に疎いアデルでも、さすがに察することができた。
理解不能な事態に置かれた時、人間が恐怖するものであることを知っているからだ。
アデルはユカへ尋ねた。
「ここには、どうやってやって来たのですか?」
「どうだったかな……。学校にいたら、バスに乗るように言われて。そうだ。バス。バスで来たんだよ。そこまでは憶えてる」
学校からバスに乗ったのだと言う、ユカ。
だが、その後の細かい経緯については、記憶が曖昧な様子である。ハッキリとした話しを聞き出せない。アデル自身も、自分がどのようにしてこの場所へ運ばれたのか。まるで憶えていないのだ。ユカの様子を見るに、この場にいる少女たち全員が同じなのではないだろうか。
帝国を名乗る部隊。
アデルは、それに攫われてきたのだ。
なら、ユカたちをここに連れてきたのも、帝国の部隊なのだろうか。
学校でバスに乗ったということは、学校にも帝国が来たのかもしれない。
「ユカ。学校でケイは……無事だったのですか?」
それが気がかりで仕方がない。
「雨宮くん? うん。別に普通だったよ? あ、でも……」
「でも?」
「なんか眠そうだった。昨日は夜遅くまで、ずっと誰かを探してて眠れなかったんだって言ってた。飼ってる猫ちゃんがいなくなったんだって言ってたけど……たぶんウソだと思う。きっと誰か、人を探してたんだよ。無愛想な雨宮くんが、あそこまで心配するような人って、一緒に住んでるって言う、おじいちゃんのことだったのかな。深夜徘徊しちゃってたとか? きっと大切な家族を探してたんだよね」
「……」
おそらく、ケイが探していたと言うのは、アデルのことだろう。
心配して、夜遅くまでアデルのことを探してくれていたらしい。
それを思うと……なんだか気恥ずかしい思いがして、頬が熱くなる。
アデルとユカが話していると、ザザザっと、唐突にノイズが聞こえてきた。
次の瞬間、頭上に巨大な女性のホログラム映像が浮かび上がって見える。
「!」
アデルは驚いたが、他の少女たちはボンヤリしている様子だ。
ホログラムの女性は、スーツにネクタイ姿で、美形だった。
≪――――選ばれし皆様、ようこそいらっしゃいました≫
女性は優しい微笑みを浮かべ、アナウンスする。
≪ここは7人の偉大なる企業国王、淫乱卿が統治する“悦楽の庭園”です≫
聞いたこともない肩書きや、統治者の名。
それが出てきても、誰も驚かなかった。
どこか楽しそうですらある表情で、少女たちはホログラムの話しを聞いている。
≪今年も、3日後に晩餐会が迫ってきています。各国よりおいでになる国賓や、貴族の皆様にご満足いただけるよう、皆様には事前に、入念な準備をしていただく必要があります。健康診断。人格調整。夜伽実習など、やるべきことは山積みですので、係員の指示に従い、最後まで混乱のないよう、ご協力お願いします≫
言うべきことを言い終えたのだろう。
ホログラムは一方的に話すと、姿を消す。
間もなくして、前後左右の各方向から、スピーカーを使った呼びかけ声が聞こえてきた。先ほどの丁寧口調な女性とは打って変わり、ぶっきらぼうな男たちの声である。
『処女じゃないヤツは、こっちの壁側のゲート列に並べ。健康診断の後に、早速、夜伽実習だ』
『142番から280番のタグはこっちへ並べ。処女膜の再生治療を受けてから、人格調整だ』
あまりにも無作法な呼びかけだった。だが少女たちは、何の疑問すら感じた様子もなく、指示に従って列を作り、並び始めている。ユカはアデルの手首の番号を確認し、微笑んだ。
「アデルちゃんは21番みたいだから、私とは逆方向の、あっちの列だね。ここでお別れかー。残念。知ってる子と離ればなれになるのは、ちょっと心細いなあ」
「さっきからアナウンスで言われている“しょじょ”というものは、何でしょうか」
「え?! 知らないの?!」
「はい」
「そっか……アデルちゃん飛び級だし、まだ年齢は私よりも年下だもんね。もしかして知らなくても、そんなに変じゃないのかな。えっとね。処女って言うのは……私たちみたいに男の子とその……したことない女子のことだよ」
「したことがない? 何をですか?」
「…………エッチを」
「?」
ユカの説明は、アデルには理解不能だった。
詳しいことを聞いている暇もなく、ユカとアデルは別の列に並んで別れてしまう。
アデルは、状況に翻弄され続けるだけである。
「……ケイ」
思わずアデルは、その名を呟いてしまっていた。
これから何が起きるのか。不安でたまらない。
耐えるように、検体服の裾を、ギュッと固く握りしめた。
◇◇◇
静かな夜だった。
そこは、医者や政治家など、裕福な人々の邸宅が建ち並ぶ、高級住宅街である。庭付きの大きな家々ばかりの風景に、明かりが灯り始めた。1日の仕事を終えて帰宅した人々が、一家の団欒を楽しむ時間が訪れたのだ。
涼宮家。
その名の表札がかかった豪邸には、プール付きの庭がある。
周囲の家々に比べても、かなり大きく、豪勢な造りの家だろう。
一流トレーダーとして若くして成功した、涼宮コウイチの邸宅であった。
広々とした、暖炉付きのダイニングルーム。
そこには、数々の絵画や彫刻などの、高価な美術品が飾られていた。
涼宮家の人々はテーブルを囲み、夕食を前に腰掛けている。
コウイチの妻。
幼い娘。
息子。
そして祖父。
全員が仲良く――――頭部を切断された姿で座っている。
「ああああああ! どうして! どうしてこんな残酷なことをぉ!」
椅子に縛り付けられ、コウイチは無様に泣き叫んでいた。
頭部を斬り落とされた家族の死体。その首の切断面からは、止めどなく赤い血が噴出していた。着ている衣服を赤く染め上げていく、物言わぬ愛する者たちの死。それを凝視しながら、ただ絶望のどん底を味わっているところだ。
「煩わしいぞ、卑しき下民風情が」
言い捨てたのは、コウイチの家族を、処刑した少年である。
金髪。青い目。顔立ちは整っており、美形だ。
まだ高校生くらいの年齢に見えるが、スーツにネクタイと言った、社会人のような格好をしている。手にしているのは、古風な片手剣だ。見るからに寒々しい青い刃には、コウイチの家族を斬り捨てた時の、赤い返り血がこびりついている。
まるで汚らわしいものでも見るように、少年はコウイチへ告げた。
「貴様は、帝国から指輪の恩恵を授かっておきながら、帝国への納税を怠った。下賤な身分の分際で、あるまじき不敬だ。一家全員を死罪にして余りある」
「ふざけるな! たったの1000万円! 足りなかっただけじゃないか! 仕事の業績が悪い時だってあるんだよ! 仕方ないじゃないか!」
「ふざけているのは貴様だ。帝国の役に立てぬ下民に、生きている価値などない」
少年は、ハンカチで剣の血を拭う。そしてそれを、腰の鞘に戻した。
すると、剣の柄に描かれた文字のような模様が、赤い光を放ち始めた。
「光栄に思え。貴様は――――僕の“無形氷竜”の餌にしてやる」
「!?」
少年の周囲へ霧が立ちこめていく。
その濃霧は見る見る間に、ダイニングルーム全体へ広がり、コウイチの周りにある何もかもを靄の渦中に隠してしまう。間もなく、どこからともなく獣の唸り声が聞こえてきた。雷の音を思わせる、巨体持つ生物が発するような、獰猛な声だ。
「ひっ……ひいいい! 何なんだ! 何がいるんだ!?」
何も見えない霧の中で、コウイチは獣の声に怯える。
するとコウイチは、自分の四肢の末端に痛みを感じ始めた。
「……へ?」
見下ろした手足。その先端に、霜が降りている。瞬く間に身体が凍り付いていき、急激な凍結の感触に、コウイチの痛覚が激しく刺激される。悲鳴を上げる余裕もなく、堪らず歯を食いしばってしまう。
「うぐあ……あがあっ!」
見開かれたコウイチの両目と口。そこから眼球と舌が、得体の知れない力によって、虚空へ引きずり出された。吹き出る鮮血は、ストローで吸われるかのように、霧の中へ吸い込まれ、霧散して消えていく。
それはまるで――――コウイチが“霧に喰われている”かのような光景だ。
霧が晴れると、椅子に縛り付けられたままのコウイチが、身体の中身のほとんどを吸い出されて息絶えている姿が現れた。無様な死に様を見て、少年はただ、それを鼻で笑う。
パチパチと、ダイニングルームの隅から拍手の音が聞こえた。
帝国騎士団の陸戦アーマーを着込んだ無精髭の男が1人、立っていた。
男は少年へ、恭しくお辞儀をし、その手並みを賞賛する。
「下等民への制裁。お疲れ様です。帝国貴族の一員になるための研修は、どうやら順調なご様子ですね。お見事でした、坊ちゃん」
「もう、坊ちゃん呼ばわりはやめろと言ったはずだぞ? レイヴン」
少年は殺意を含んだ眼差しで、男をギロリと見やる。
それには肝を冷やしたのか、男、レイヴンは言い直す。
「……失礼しました。アキラ様」
「挨拶は良い。僕に何か用か?」
言われたレイヴンは、少年へ歩み寄った。
手にしていたスマートフォンを、少年へ手渡す。
「お父上から、お電話にございます」
「そんなことか。ご苦労、下がれ」
「ハッ」
少年はスマートフォンを受け取ると、レイヴンへ命じる。
会話が聞こえぬうちに、レイヴンは少し小走り気味に部屋を退室した。
受話口を耳に当て、少年は話しかけた。
「私です、父上」
『おお、アキラ! 我が愛しい息子よ! お前の手が空くのを待っていたぞ?』
聞こえてきたのは、父親の声だった。
「お待たせして申し訳ありません。不出来な下等民を始末していたところでした」
『ほほう。それは素晴らしい。その調子なら、お前が貴族の一員になれる日も近そうだ』
息子の成長ぶりを、嬉しく思っているような声色だった。
少年は尋ねた。
「それで。ご用件は何でしょうか」
『フム。そうだった。今年も晩餐会の時節だ。私のところへ顔を見せる約束、忘れていないだろうかと心配になってな。念のために、改めて連絡したのだ」
「忘れておりません。久しぶりに父上にお会いできること、楽しみにしております」
『おお! おお! さすが我が息子だ! それならば良いのだ!』
男は感慨深い思いで、少年の成長を振り返りながら言った。
『早いもので、お前も16歳だ。もはや大人と呼んで差し支えないだろう。そんなお前のために、今年は特別な贈り物を用意してあるのだよ』
「特別な贈り物ですか?」
『ああ。楽しみにして欲しい。私が、厳選に厳選を重ねて選んでいるところだ。高貴なる、我が四条院の血を孕むに相応しい、お前の“花嫁”をな』
受話越しに、淫乱卿は不敵な笑みを浮かべていた。