14-14 情報破壊
魔人の王、ローガ・レルムガルズ。
その手にした槍の切っ先が、熱を帯びたように煌々と赤い光を放ち始めた。
ほの暗く、不気味な赤色。
膨大な力が内部に凝縮され、形になろうとしている気配を感じた。
怖気。
強大な何かが、今まさに放たれようとしている。取り返しの付かない、最悪な一撃だ。ザリウスの、生物としての直感が、まともに直撃してはならないのだと警告してきている。冷や水を浴びたように、全身の筋肉はこわばり、脂汗をかいているではないか。
「ローガの馬鹿たれが……!」
毒づき、ザリウスは死ぬ気で魔術の現象理論を構築し始める。
攻撃魔術ではない。小細工を弄する魔術でもない。
全身全霊の防御。他の一切の機能を捨て、ただその一点にのみ集中した構成だ。
「あれはたぶん、かなりマズいぞ! リーゼ! それに、その辺に隠れてる奴等!」
ザリウスは声を荒げて、周囲の人々へ警告する。この近辺にはリーゼ以外にも、まだ物陰に身を潜めて、ローガとザリウスの攻防を見守る、一般の魔人たちが残っていることなら気付いていた。
「みんな俺のところへ集まれ!! たぶん槍の力は、王族の力に反発しねえはずだ! 俺の魔術なら、なんとかしのげるかもしれねえ! それに賭けるしかねえ!」
鬼気迫る必死の呼びかけ。それがただごとではないのだと察した一般人たちは、怯えながらも、慌ててザリウスの元へ駆け寄ろうと身を乗り出した。途中、転んで逃げ遅れそうになった子供を、リーゼが拾って背負う。総勢20人ほど。それだけの人数が、身を寄せ合うようにザリウスの大きな背に隠れた。
その直後、ローガは槍の切っ先をザリウスへ向けた。
「愚かな兄よ、終わるがいい――――」
槍の先端から、赤い閃光が放たれる。炎を思わせる、熱のない、眼球を焼くほどのまばゆい光。直後、ザリウスの周囲の景色が、ほの暗い赤、一色に染まる。戦場を見下ろして俯瞰すれば、ローガの槍の先端から、扇状の赤い光が照射されていた。まるでザリウスは、超高出力の懐中電灯によって照らし出されているような状況だ。槍の先端から拡散して放たれる光は、周囲の建物などに遮られることはなく、貫通する。ザリウスたちもろとも、海浜区画の街の広範囲を赤に染めた。
ザリウスが前方へ展開した、魔術の防御壁。
その陰で光の直撃から逃れながらも、リーゼはまばゆさに目を細めながら声を上げた。
「赤い光の放射!?」
リーゼは機人族、EDENに繋がっていないオフラインの種族だ。
だから何が起きているのか見えておらず、困惑しているのだろう。
ザリウスや、その背に守られている魔人族たちには見えていた。
だから青ざめる。
「こりゃあ、"EDEN構造を破壊する”攻撃かよ……!」
この世のあらゆる生命、物質は、EDENに接続されている。その仕組みを成立させているのは、マナによって形作られた、目に見えない経路の糸による繋がりである。赤い光に飲まれたモノは全て、その経路の糸が千切れて霧散している。つまり赤い光に曝されたモノは、強制的にEDENとの繋がりを”破壊”されているのだ。
EDENとの繋がりを破壊されたものがどうなるのか。
その結末は、周囲の景色が教えてくれた。
全ての建造物が、自身を構成する「形」や「意味」の情報を失い、砂のようにバラバラに崩壊して崩れ落ちる。国に攻め入ってきた魔国パルミラの異常存在兵たちは、情報を失った存在は、赤黒い粉末のようになって、やはり崩壊した。組み立て完成状態から、部品状態へ逆戻りしているのである。
青ざめたリーゼが、悲鳴のように声を上げた。
「ウソ!? 何もかも崩壊してバラバラになっているの?!」
「自身を示す"情報"、生命なら”魂”を破壊されて、形を維持できなくなってんだ!」
「た、魂を破壊する攻撃だってこと!?」
「ああ! これが、カースグリフの槍のヤベえ使い方ってわけだよ!!」
赤い光は、やがて収まる。
景色が、赤以外の色を取り戻していく。
光に飲まれても崩壊しなかったのは、ザリウスと、その魔術によって守られた者たちだけだった。それ以外の全ては砂状崩壊し、ザリウスたちは、色とりどりの砂に覆われた砂漠の上に立っていた。今の一撃で、異常存在の兵士たちのみならず、いったいどれだけ多くの、一般の魔人たちが殺されたのか。想像もできない。ザリウスが守れたのは、周囲にいた数少ない者たちだけだった。
「バカな……!」
おぞましい情報破壊の光景を見渡し、ザリウスは青ざめる。
「カースグリフの槍は未完成! なのに、これだけの出力を引き出せるなんざ、理屈に合わねえ! 未完の槍が周囲に及ぼす時空の歪みに巻き込まれて、急速に老化して死んじまうはずだぞ!」
「……そうは、なっていないように見えるよ」
槍を手にしたまま平然と立っているローガを見やり、リーゼは苦々しく応えた。
理にかなわない現実に戸惑いながらも、ザリウスには思い当たることがあった。
「まさかこれは……ローガの中の”設計者”の力なのか……!」
圧倒的な殺戮を成し遂げ、魔人の王は嘲笑を浮かべていた。
「――――ザリウス。お前の考えていることくらいわかっているよ」
浅はかな兄の思考を、ローガは看破していた。
「今の未完のこの槍は、中途半端な攻撃力と、使用者を死に至らしめるという最悪な欠点を持っている。だからこそ、峰御トウゴという、あの人間が持つ時の魔眼。それと組み合わせることで、槍のハッキング攻撃能力を飛躍的に高め、欠点である"使用者の老化”が生じないようにすることができるようにしたいんだろう? その力を使えば、設計者を脅かすことができると考えている」
「……」
「考えが甘いんだ」
ローガは、ザリウスを馬鹿にした。
「設計者、イアコフ様。私は、あの方に忠誠を誓った。この槍も、この肉体も、全てあの方に捧げたんだ。今の私は、イアコフ様が現世で活動するための肉体容器であり、この槍も、あの方の力を借りて使用している」
リーゼが、驚愕の声を上げる。
「うそ、肉体を肉体容器として捧げたって……!」
「ああ。残念ながら、それが今のローガ・レルムガルズなんだよ……!」
苦々しい口調で、ザリウスが認めた。
「アイツの肉体は、基本的にはもう、設計者のものだ。今のローガの人格は、設計者が寝ている間に目覚めている、肉体の守護者。ハードウェアの管理人みたいなもんだ。どうやら、イアコフとかいうヤツは怠け者らしく、裏方でローガへ指示を出すだけで、滅多に表には出ちゃこない。それが俺たちにとって、救いでもあるんだがよ」
ローガは続けた。
「普段、イアコフ様の意識は、私の中でお休みいただいている。その間、私はこの肉体の管理を仰せつかっている管理人だ。故に、この身に宿した設計者の力の一部をお借りして、発揮することだってできる。今の私は、この槍が使用者を老いさせるという理を無視して、その力を最大出力まで使うことだってたやすいのさ。この槍が未完成と言われるのは、人の手で扱えないからだ。だが設計者の依代となった私が使えば、そんな欠点など、もはや関係がない。そして私がこの槍を持つということは、この槍の使い手はイアコフ様であるということ。つまり、もはや魔人に、設計者を打ち破る術などなくなった」
ザリウスは吐き捨てるように言った。
「文字通り、設計者に完全降伏したってか。魂を売り渡して、忠犬になりやがって……!」
「かの方たちは、今のこの世界の創造主。敵対したところで、勝ち目などない。ならば友好的にするべきだ。槍とこの身の献上によって、我々には刃向かう意思がないことを納得していただけたのだ」
「友好と服従を間違えてやがんぞ、ローガ。奴等は俺たちのことなんざ、虫けら同然にしか思ってねえ! 虫けらとの友好なんか、奴等が気にするもんかよ! 設計者は、この星で生きる者すべての敵だろうが! 魔人の王ともあろう者が、そんな奴等に尻尾を振りやがって! お前は魔人を、完全に真王の配下にするつもりなのかよ!」
怒り心頭の様子のザリウスを見て、ローガは少し黙り込む。
そうして、心底から理解できないという表情で、尋ねた。
「……なぜそうまでして、設計者を敵視する」
嫌みではなく、本心からそれを問いていた。
「彼等が地上で行っている文明実験は、たしかに目を覆うような残忍なものかもしれない。だが、それは人間種に対してのみ行われているもの。異種族である私たちには関係がないことじゃないか。それを問題視すること自体がわからないよ。なにより設計者とは――――私たち"魔人族の理想の姿を体現した存在”じゃないか」
ローガは槍を肩に担ぎ、続けた。
「摩耗や破損。老朽化。欠陥だらけの肉体というハードウェアを捨て、EDENの中で生きる永遠の知性体となる。それこそが魔人族の教義。理想であり、本懐だろう。私たちの種族は、その教義を実現できぬまま、いったいどれほどの時を生きながらえてきた? それに比べ、設計者の方たちは、生まれながらに我等が理想を体現した生態をしておられる。自らよりも優れた存在に学び、教えを請い、付き従うことに、なんの矛盾がある。私たちにとって設計者とは、“神”と呼び、崇めるに相応しい存在じゃないか」
ローガの言い分に腹を立て、言い返そうとするザリウス。
だが、それよりも先に口を開いたのは、リーゼだった。
「……人間たちが真王から受けている仕打ちを、本当に"他人事”だと思っているの?」
我慢ならず、リーゼは歯を剥き、ローガを睨みつけた。
「私は、大切な仲間たちと一緒に、戦争が始まる前の帝国社会を旅していたことがある。その時に、嫌というほど見てきたよ。自分が、別の誰かに“支配される”ということの恐ろしさを」
かつて、雨宮ケイたちと共に、東京都民の生存を賭けて挑んだ危険な旅路。
その中で見たのだ。
虐げられる下民や、奴隷。そして虐殺される獣人たち。
恐ろしい景色の数々が、思い出されていく。
「支配者が間違っていたら、その統治によって、社会は狂ってしまう。そこに生きる人たちは、お互いに優劣をつけて、見下した他人を、平気で傷つけられるようになる。命じられれば、どんな悪逆非道なことだってやるようになる。それをおかしいと思ったり、やめたいと思っても、誰も逆らえない。気がついた時には、みんな、牙も爪も奪われて、自分が無力になっていることに気付くの。そうなったら手遅れ。あなたたち魔人は今、人間たちの帝国と、同じ道を辿ろうとしているように見える。“正しいことをする自由”を、永遠に手放そうとしているんだよ」
ローガは黙って聞いていた。
相手の態度に構わず、リーゼは思ったことを口にし続ける。
「人のことは言えないけど……。私たち機人も、設計者たちが地上で行っている文明実験を、他人事として扱ってきた。長い間、地上で虐殺され、命をもてあそばれている人間たちを見捨てて、自分たちがそれに関わらないように“傍観者”の立場を貫いてきた。でも私も、お母さんも、代々のラプラスも、ずっとそれを心苦しく思ってきた。虐殺を見て見ぬ振りをするのは、それに加担していることと変わらないから。自分が間違ったことに手を貸していると、心の中では、良心が認めていたから」
過去を振り返り、それを改めて心苦しく感じた。
だからリーゼの表情は、苦しそうに歪む。
「でも怖くて、逆らえなくて……。だから設計者たちの目を盗んで、機人は、彼等へ対抗する準備だけは進めてきた。いつか、何かの気まぐれで、自分たちがターゲットにされて、人間たちと同じ目に遭わされることを、恐れてもいたから。その備えは、ついに設計者たちに気付かれてしまった。けれど、逆らったわけじゃないんだよ? ほんの少しだけ……逆らう素振りを見せただけ。それなのに……私の故郷は破壊され、大勢の仲間たちが殺された」
「……」
「設計者たちが私たちを抹殺するのなんて、“ほんの些細な理由があれば十分だった”ってこと。私たちは、支配者の気まぐれで生かされていたにすぎない。私たちを恐怖で無力化しておいて、自分たちがやっている酷いことに加担することを望んでいたんだよ。だから、それがわかった今、私はハッキリと断言できる。設計者は“間違った支配者”。このままだったら――――魔人は機人と同じ運命を辿る」
力強く断言するリーゼの隣りで、ザリウスが苦笑して言った。
「……へっ。俺が言いてえことは、全部言われちまったみてーだぜ」
実体験を含めたリーゼの主張は、少なからずローガの内心を揺るがすものがあった。
だが、それで態度を改めるつもりなどない。
すでに魔人の王は、行く末を選択したのだ。
設計者に服従するという、自身と同胞たちの未来を。
「言いたいことはそれだけか? 元より、互いを説得できるなどと思っていないだろう。決着は、互いの生死でのみ決まる」
ローガはカースグリフの槍を構える。
矛先が赤黒く光り始めているのを見るに、先ほどの情報攻撃を、再び放つつもりだろう。
「リーゼ! ローガが、あの情報攻撃をぶっ放す時、ワリィが、俺の魔術は防御一辺倒になっちまう! そうしなけりゃ、背後の一般人たちもろとも全員が死ぬ! こっちの攻撃手段は、防御壁の内側から撃てる、お前の弓矢しかねえ!」
「わかってる!」
「なんとかなるか!?」
「するしかないでしょ!」
言いながらリーゼは、弓を構えた。




