13-84 令嬢と捕虜
意識を取り戻した時には、見知らぬ部屋にいた。
イリアクラウスは、ベッドの上に横たわっていた。
身を起こし、まだボンヤリしている頭で、周囲を見渡した。
個室。立派なベッドの上だ。室内には絵画などの美術品が飾られており、粗末ではない。ホテルの高級スイートルームだろうか。そんな印象を受ける内装だった。
「……!」
ようやく思い出し、一気に冷や汗が吹き出る。
たしか自分は……黒塊都市バロールにいたはずである。四条院騎士団の激しい包囲網に晒され、今にも陥落しそうな、アルトローゼ王国の防衛戦の中に身を置いていた。そして……攻め込んできた敵国の兵士たちに連れ去られたのだ。
「ここは……!?」
どこだろうか。
戦時中。敵国兵に身柄を拘束され、拉致された。しかもイリアは、参謀の1人として、アルトローゼ王国騎士団に与していた立場だ。その事実を並べれば、普通に考えて、どのような扱いを受けるかわかったものではないだろう。前線からの報告によれば、四条院騎士団に占領された都市の人々が、いかに残虐な処刑や陵辱、略奪に遭っているのかは聞き及んでいる。慈悲など欠片もない者たちなのだ。
「ボクは四条院に捕まったはず……。まだ生かされているという現実を考えれば“捕虜”にされているということなのか? とはいえ、いずれは公開処刑。あるいは慰み者にされるのが関の山か」
冷静に分析を口にしながらも、背筋が寒くなった。
命を奪われるか、快楽の道具として女の機能を利用されるか。
最悪の想像が脳裏をよぎり、思わず悲鳴を上げたくなる。
自身が、かなりまずい状況にあることの察しはついていた。
だが……捕虜に与えるには相応しくない、豪華な内装の部屋が、困惑を招いていた。
コンコンと、部屋の扉がノックされた。
来訪者。その到来に、イリアは驚いて飛び起きる。何か抵抗するのに使えそうな武器がないか、素早く室内へ視線を巡らせるが、都合良くそんなものが見つかるはずもなかった。ノックをした人物は、イリアの返事を聞く前に、扉を押し開けてくる。
入室してきたのは、1人の少女だ。
その知っている顔を見たイリアは、驚きと共に、少し安堵してしまう。
「……まさか。エリーゼ・シュバルツなのか?」
緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。穏やかに微笑んでいるその顔は、イリアの幼なじみのものだ。以前に会った時のような、いかにも貴族令嬢らしい身なりではなく、漆黒のドレススカート姿だ。胸当てと肩当てを装備した、兵士のような出で立ちである。
「お久しぶりです、イリア様。最後にお会いしたのは、エヴァノフ様がご存命の時でしたでしょうか」
エリーはいつものように、スカートの生地を軽く持ち上げながら、上品に一礼をする。
「イリア様がお目覚めになられたと報告がありましたので、こうしてご挨拶に伺いました」
言いながら、エリーは天井隅に設置された監視カメラを指差した。
そこから監視しているのだと、暗に告げているのである。
「エリー……。君は今、四条院騎士団の一員なのか?」
「はい」
変わらぬ穏やかな笑みで、エリーは即座に返答する。
とても友好的な態度ではあるが、敵国の一員であるのだと名乗られては、気を許すことなどできない。しかも相手は、グレイン企業国の諜報活動を担う、元トラヴァース機関の人間なのだ。会話の主導権を取られないよう、イリアは牽制のため、素早く考察して言った。
「なるほど。君はたしか、グレイン企業国所属のはずだった。しかし雨宮くんの解放に一役買って、アルテミア・グレインを裏切ったせいかな。おおよそ四条院企業国へ亡命でもして生きながらえていた。そんなところか」
「亡命ですか」
エリーは上品に、クスクスと笑って応えた。
「たしかに私は、アルテミア様や、お父様を裏切ってしまいました。そのせいで、祖国から追われる身になっているのは、仰るとおりです。けれど後悔はないのです。たとえ相手が、忠誠を誓った主君であろうと、敬愛するべき父親であろうとも。四条院アキラ様を貶め、傷つけようとするのなら、それは私にとっての敵。守るべき価値などない関係です」
エリーは、イリアが眠っていたベッドへ歩み寄り、そこに腰を下ろした。
そうして、優しい口調でイリアへ語った。
「ご存じの通りアルテミア様は、アデル様の結婚式会場で、新世界秩序の体制を構築するために、各企業国の王たちを取り込もうと画策していました。もしも淫乱卿が軍門に下らない判断をしていたのなら、あの時……。あの場でローシルト様と同様、アキラ様は父君と一緒に斬り伏せられていたことでしょう。私は、アキラ様が殺されるかもしれないとわかっているのに、その作戦へ加担することはできませんでした。こうなってしまったのは、全て私が選んだ決断の結果です」
エリーは愛おしげに、自身の膝へ視線を落とした。
そうして、心底から幸せを感じているのであろう、優しい笑みを浮かべて告げる。
「今はようやく。私はここで、アキラ様のためだけに生きているのです」
「……」
あまりにも、四条院アキラという1人の男に入れ込みすぎている発言。
そのどこかに狂気じみたものを感じながら、イリアは皮肉した。
「……以前に会った時にも、言っていたか。家よりも重要視している、好きになった異性がいるとか。なるほど。それが四条院アキラだったというわけか。理知的で狡猾な君にしては、ずいぶんと情に任せた愚かな行動を採ったものだよ。らしくないな」
「フフ。私を愚かだと思いますか?」
「?」
「今の貴女なら、私の気持ちが、わかってくださるのではないでしょうか」
エリーは再び立ち上がると、イリアへ正面から向き合った。
そうして、まっすぐに目の奥を覗き込んでくる。
「不躾ではありましたが、イリア様の身体調査をさせていただきました。――――“妊娠”しておられるのですね」
「……」
「イリア様にも、愛する人ができたのですね。お相手は、婚約関係にある夫か。それとも――――“別の殿方”でしょうか」
試すような口ぶりで、イリアを見つめてくるエリー。
その投げかけを、イリアは否定しない。ただ何も答えなかった。
事実である――――。
これまで誰にも言わなかった。相手にさえ、まだ伝えていないし、伝えるつもりもなかったことだ。そもそも相手は、厳密に父親と呼んでも良いのかもわからないのだ。なのに事実を打ち明けてしまえば、きっと相手は、自分の全てを投げ捨ててでも、責任をとろうとするだろう。愚直な男なのだ。だから恋をした。イリアは、誰の人生の重荷にもなりたくない。自分が望んだ行為の結果であるのだし、嫌ではない。だから、ただ受け止めるつもりでいた。少なくとも今は、それで良いと思っていた。
イリアは、静かにエリーを見つめ返すだけだ。
構わずにエリーは続けた。
「愛する者が傷つけられてしまう。けれど自分の行いによって、その方を救えるというのなら、きっとイリア様だって、私と同じ選択をするでしょう。どんなに身を落とし、手を汚そうとも、何だってするはずです。自分の犠牲など、取るに足りないもの。違いますか?」
「……ボクをこうして捕まえて、いったいどうするつもりだ」
エリーの問いに答えるつもりはないのだろう。
会話にのってこないイリアの態度に、エリーは苦笑で返した。
「貴女は勇者の妻であり、エレンディア家の娘。戦時中の四条院企業国からすれば、2つの強国に対して切れる、人質のカードとして使えるでしょう。このまま、アキラ様がアルトローゼ王国を攻め落とした後の戦いで、きっと利用価値がある。ですから危害を加えるつもりはありませんよ。私はただ、こうして、安心していただいて結構なのだと、お伝えに来たまでです」
そう告げると、エリーは背を向ける。
どうやら本当にただ、挨拶に来ただけなのだろう。そのまま部屋を出ようと、エリーは扉のノブに手をかけた。だがそこで動きが止まった。
エリーは背を向けたまま、イリアへ言った。
「……アキラ様は、お変わりになりました」
「……?」
「もはや、イリア様やケイ様が知っている、過去のアキラ様とは、別人と呼べます。このまま慈悲はなく、あと1日もあれば、完膚なきまでにアルトローゼ王国を攻め落とすでしょう。あの方の才能を、これまで他国は過小評価してきました。ですから、これから思い知ることになるでしょうね。四条院アキラの秘めていた、本当の恐ろしさを。あの、アルテミア・グレインでさえも」
エリーはイリアを振り返った。
なぜか、少し寂しげに笑んで警告した。
「アキラ様は、捕虜に危害を加えるつもりはありません。貴女には、という話しですが」
意味ありげな態度でそれだけを言うと、エリーは部屋を後にして去っていった。




