1-2 暗闇1人検証
廃墟ホテルの正面玄関は、ガラス壁が盛大に割られていた。
床一面に、木の枝やガラス片が飛び散っていて、その上から土埃が覆いかぶさっている。長らくこの場に人の手が入らず、放置されてきたことは一目瞭然だ。
吹き抜けの入り口から建物内を覗くと、まるで暗い洞窟の前に立っているような不安を覚える。手持ちの小型ワークライトで周囲を照らし、オカルト研究部は恐る恐る廃墟の中へ歩み入った。
3人は、廃墟探索用に買った、安全靴を履いている。分厚い靴底が、砂利や瓦礫を踏みしめる音だけが、静寂の廃墟内に響いて聞こえた。カメラを構え、曰くのある建物内を、3人は1部屋ずつ回ってレポートしていく。
「うおおああ! また足音が聞こえたぞ! 足音!」
青ざめたトウゴが、素っ頓狂な声を上げて慌てふためいている。
一方、まったく動じた様子もなく、ケイはそれに同意する。
「たしかに聞こえましたね。下の階の方からですか?」
「あっち! さっき上がってきた階段の方からだって!」
「誰かが後からついてきてるような……。オレたち以外に誰もいないですよね」
「静かにして! 音をよく聞いてみようよ!」
サキに言われ、ケイもトウゴも口を噤む。耳が痛くなるほどの静寂の中、ありえない何かの異音をマイクで拾おうと、耳を澄ました。
…………トン トン トン……。
微かに、足音と思しき奇妙な音が、再び聞こえたような気がした。
「また、音がしましたよね」
「風……じゃないと思うけど」
「ヤバすぎるだろ、この廃墟。さっさと帰ろうぜ……!」
しばらく黙っていると、謎の足音は聞こえなくなった。
3人は気を取り直して、廃墟の探索を続けることにする。
未探索の残りの客室を回りながら、サキが眉間にしわを寄せてぼやいた。
「まずいわね……」
その呟きを聞き逃さなかったケイが、意外そうに尋ねた。
「珍しいですね。部長が心霊スポットで怖じ気づいたんですか?」
「ん? いや、そういうんじゃないの。まずいのは撮れ高のことよ」
「……?」
サキは、本日の撮れ高がイマイチだと考えている様子だった。
ケイは不思議そうに言った。
「今日も、得体の知れない不気味なうめき声みたいな音を拾ってますし。先輩がビビり散らして半泣きになってたり。撮れ高は上々だと思いますよ」
「問題なのは、今日“も”ってところよ」
サキは拳を握って力説する。
「誰もいないはずの場所で、声とか足音がする。人の気配がするとか。今まで行ってきた心霊スポットでも散々、経験済みのことじゃない。ぶっちゃけた話、それってもはや“心霊スポットあるある”だわ。私たちは幽霊を撮影に来たのであって、雑音を拾いに来たんじゃないの」
「いやいや。正体不明の怪奇音を、雑音扱いですか……。まあでも、たしかに部長が言う通りかもしれませんね」
「でしょでしょ? 正直なところ、最近のうちの番組は、心霊スポットあるある動画になってて、かなりマンネリ気味なのよね。というか、うち以外の心霊ニューチューバーの番組も、だいたい内容同じ。雑音拾って、声が聞こえただの、キャーキャー騒いでるだけな感じよ」
「なるほど。他の番組と差別化できてない。内容も一辺倒になってる。それが問題ですか。なら、オレがやらせでもしましょうか? 急に憑依されて、おかしくなったフリをするとか」
実のところケイたちは、他の動画チャンネルの人たちが、視聴者数を稼ぐために、やらせをしていることを知っている。過去に、同系統の心霊番組メンバーとコラボ企画を行った際にも、そういう裏事情を聞かされていたからだ。
だがサキは、首を左右に振って否定した。
「ダメ! うちの番組はリアリティ番組! ズルして有名になったら、その一度のズルを、以後もずーっと続けていかなきゃいけなくなるわ! やらせはしないの。これはプライドの問題でもあるんだからね!」
そこは、サキの強いこだわりの部分なのだろう。やらせについて固く禁止してきた。だが悪巧みすることは、やめていないようだ。
サキは邪悪な笑みを浮かべ、言った。
「こうなれば、やっぱりメインディッシュの地下大浴場よ。トウゴの1人検証中に、貞子みたいな怨霊が派手に現れて、なにか、どぎつい霊障を起こすことを祈るしかないわね!」
「そんなの祈んじゃねえ! 頭おかしいのか!」
サキの独り言の声が大きかったのか、聞こえていたトウゴが、すかさず切れる。
そうして何だかんだ、入れる客室は全て回りきることができた。
最後に3人は、地下の大浴場へ向かうべく、階段を降りていく。
地下大浴場は、かなり大きい場所だった。
ケイたちがやって来たのは、女湯の方だったが、そこだけでもテニスコートくらいの広さがある。男湯と女湯の境界だった壁は壊れており、今は吹き抜けになって、繋がってしまっている様子だった。その結果、男湯と女湯を合わせて、テニスコート2つ分くらいのスペースになっている。もはや弱いライトでは、最奥を照らし切れないくらいに広い、闇に支配された空間である。
床に敷き詰められたタイルはひび割れ、ところどころ剥がれていた。
ネズミの糞やゴミなども転がっている。
不潔で汚い場所だ。
「ここ、入ってすぐに寒気がしたぞ……かなり良くねえ雰囲気じゃねえか!」
「変な異臭もしますね。どこの心霊スポットにもある“最も危険な場所”、なんだと思います」
「バリバリに怨念が渦巻いてるって感じで、最高よね!」
「やっぱこの女、頭おかしいわ……!」
よく見れば、女湯の湯船の中央に、何かを燃やしたと思われる、煤けた痕跡が見られた。ここでは、殺された女性の死体が焼かれたという話がある。
「あそこが、例の現場じゃねえのか……マジで何か燃えた痕跡があるぞ」
「この異臭、もしかして人が燃えた時の匂いが、こびりついたままなんですかね」
「怖いこと言うなよ!」
サキの指示で、ケイは持ち込んだ三脚を組み立てて、定点カメラを仕掛け始めた。煤けた湯船と、大浴場を一望できる角位置に置く。そしてこの場で、番組恒例の“1人検証”を行うべく。誰が残るのかを3人で話し合う。
1人検証――。
心霊スポットの、いかにも幽霊が出てきそうな場所に1人で居残りをし、
何分かその場に留まって、心霊現象をカメラに収めようとする試みである。
「クソが……! どうしていつも、俺になるんだあ……!?」
そして、巧みに言いくるめられたトウゴが、残ることになる。
トウゴが血の気の失せた表情で立ち尽くしているのを見て、
サキはニッコリと微笑み、手を振って見せた。
「じゃ、この場での“暗闇1人検証30分”。よろしくね、Tくん!」
「カメラは、夜間撮影モードにしておきましたよ」
「なんで暗くする必要があるんだよ! 今から俺は1人なんだぞ! 明かりくらい点けてても、罰は当たらねえだろ!」
「もしも幽霊が陰キャだったら、明るい場所に出てきにくいでしょ! あなたが暗い場所にいることで、こっちから歩み寄ってあげるのよ! そうすれば、遭遇確率は上がるはず! 視聴者もニッコリよ!」
「おめえは悪魔かよ……!」
「てへ☆ というわけで、私たちは廃墟の外で待ってるから。無事を祈ってるわね」
「何かあったら電話してください。すぐに駆けつけますから」
「こんなとこに置き去りなんて、なんて薄情な奴等だよ。しかも言ってることが、心にもない嘘だってわかってるぞ……!」
露骨に不服そうな顔をしていたトウゴだったが、気合いを入れ直す。
ひたすら何度も「俺はビビりじゃねえ!」と、自分に言い聞かせていた。
ケイとサキの足音が遠ざかって行くのを確認してから、自撮り棒に乗せた自分のスマホに向かい、宣言する。
「えーっと……。じゃあこれから。殺人事件の遺体処理が行われたと言う、地下大浴場での暗闇1人検証、始めたいと思います」
トウゴは、持っていた全ての明かりを落とした。