13-75 英雄のいる時代
空戦艦ザハル。その上部甲板にあるガラスドーム。
不滅の炎で燃えさかる脆い足場の上で、狂気の2人は斬り結ぶ。
一方は剣で。
一方は刀で。
互いに守ることをやめ、どちらかの命が尽きるまで、殺し合っていた。
その攻防は、端から見れば、果たして人の身で到達できるものなのかと、疑わしくなるほどの超高速。文字通り、常人の目には止まらぬ素早さで刃を交え、火花を散らし、生じたかすり傷からは、血の飛沫を飛ばし合う。時を重ねるほどに、互いの身体に刻まれる切り傷は増えていった。
ケイは、自らの手の甲に刻まれた刀傷に視線を配り、疑問を感じていた。
以心伝心。相手の心を読んだかのように、アルテミアが不敵に笑んで言った。
「異能装具“獣討ち”。この刃によってつけられた傷は、塞がらぬであろう?」
聞いてすぐに、ケイは理解する。
「そうか。オレの“再生能力”への対策ってことか?」
「帝国へ刃向かう、厄介な獣人どもを始末するためと、以前に下々から献上された刀じゃ。獣の血が混じるソナタに対しても、やはり効果はあるようじゃな」
「構わない。お互い、斬られれば死ぬってことだろ? 再生能力ってズルが、できなくなっただけだ」
「クク」
アルテミアの武器を前にしては、肉体の再生能力は機能しない。それがわかってもなお、ケイは表情1つ変えず、動じた様子もなかった。たとえ四肢を飛ばされて失おうが、戦いをやめるつもりはない。その覚悟が見て取れる反応だった。
ケイの強烈な覚悟と勇気。
それをもって挑まれていることが、アルテミアには嬉しかった。
つばぜり合いの最中、ケイは唐突に発言した。
「……天才的なカリスマ独裁者がいて、そいつが振るう“正義の暴力”が、法治の上にある社会か」
そのまま刃を何度か交えながら、ケイは続ける。
「世の中には、法律で裁けない悪人や、正義とも悪とも割り切れない、曖昧な問題が数多くある。その曖昧によって傷つけられる人たちが生じるのは、きっと人間社会が完璧ではない証拠なんだろう。お前がやろうとしていることは、その曖昧な部分を、お前のふるう暴力によって解決できるようにしようってことなんだろ。それこそがベルセリア帝国の目指している未来。剣聖サイラスの心を掴んだ理想だ。……悪くないように思える」
ケイは、アルテミアの成そうとしていることを認めていたのである。
「社会の不完全を、いるはずもない“完璧な人間”ってヤツが補おうとする。そんなバカなアイディアさ。けれど、あながちそれが実現できるかもしれないと思わせてくれるのが、お前のすごいところだよ。真王の統治が失われた今の世界を、お前なら上手く統治できるのかもしれない。お前の才覚と人望に惹かれ、慕うヤツは多い。まるで“正義の企業国王”だ。実際、オレがただの一般人だったなら、今頃は他の連中と同じように、お前の理想に惹かれて、ベルセリア帝国の旗の下で戦う、騎士の1人になっていたかもな」
「ならばソナタも、軍門に降るか? 天狼の騎士よ」
「いいや。そうはしない」
アルテミアの刃を弾き返し、そのまま間合いを開けて、ケイは留まる。
呼吸を整えながら、真剣な眼差しでアルテミアへ訴えた。
「オレは、お前の野望を否定しに来たんじゃない。お前のことを悪人だと決めつけて、裁きたいわけでもない。この戦争は止めて、共通の敵に立ち向かうべきだと警告しにきただけだ」
「共通の敵? 元より妾には敵ばかりしかおらぬ。今さらそれが1つや2つ増えたところで、今さらどうということもない。そもそも、強者と相対するために力を合わせようなどというのは、負け犬の理論じゃ。自力では勝ち筋も用意できず、他力に頼るしかない。その弱さは、どう取り繕うとも誤魔化せぬ。そんな弱々しい者は、妾や皆が目指す“理想の王”の姿からは、かけ離れておるであろう」
アルテミアは刀を肩に担ぎ、邪悪に笑んだ。
「何人も逆らえず、何人もねじ伏せられる。それになるのが、妾の望みよ。真王や設計者などという有象無象ごときに怯え、退くことなどありえぬ。正面からひねり潰してやろうとも」
傲慢。無謀。普通の人間が言ったのであれば、そう感じるかもしれない。だが、アルテミアという希代の天才がそれを口にすると、不思議と現実味を帯びてくる。もしかしたら本当に、アルテミアは単独でも真王や設計者を、どうにかできてしまうのかもしれないだろう。何か、途方もない秘策を用意して。
「すでに賽は投げられておる。これは、妾の理想を叶えるために、始めた戦争なのじゃ。中途半端にやめるわけがなかろう。そこを理解し合えず、相容れぬ故に、こうして殺し合っておるのじゃろう?」
「……本当に相容れないのか?」
それでもケイは、アルテミアの言い分に納得できていなかった。
晴れない疑念を、正面から言い放った。
「今さらやめられない。本当はただ、それだけのことなんじゃないのかよ。たしかに最初は、お前1人の理想だったのかもしれない。けれど今は、剣聖や騎士団や、他のいろんなヤツの期待も背負った“みんなの理想”になってしまっている。月並みに言えば“しがらみ”ってやつが生まれてるのさ。戦争をやめられないのは、お前に期待している人たちの願いを無碍にできないから。だから……お前の理想こそが、お前に間違った行動を強要する“呪い”に変わってしまっているんじゃないのか?」
ケイは、それを指摘する。
「剣聖が言っていたよ。お前は“優しい”ってな。お前と学院生活を共に過ごしたオレも、その意見には賛成だ。だからこそ、お前に奉仕してくれる人たちを裏切れない。そうした人たちの犠牲で成り立っている今の戦況を、簡単に手放せなくなってしまった。オレは予想してるんだよ。今のお前は、お前のことを信じている多くの人たちの信頼に応え続けなければならなくなったんじゃないのか。暴力で世界を支配するつもりのお前が、いつしか人々から寄せられる希望によって、支配されるようになってるんじゃないかってな。天才カリスマであるお前の、唯一の欠点は“優しさ”なんじゃないのか」
「……」
「お前の理想を叶えるために必要なのは、お前が戦争を続けることじゃない。お前という支配者が“完璧な人間であり続けること”のはずだ。完璧な人間とは、賢く、正しく、判断を間違えない。なら真王や設計者たちの目論みを聞いて、何を成すことがベストなのか。本当はもうわかっているはずだ」
ケイの話を聞き終えたアルテミアは、否定も肯定もしない。
ただ、冷ややかな眼差しを返してくる。
そうしてから、告げた。
「……何度も言うように、妾を従わせたいのなら、妾をねじ伏せて見せよ」
「ああ。やってやるさ!」
「これ以上、言葉は不要!」
再び刃が交わる。
アルテミアの解かれた桃色の髪が風に舞い、火の粉をまとった刀が、ケイの剣腹を叩く。互いに力のある眼差しをぶつけ合い、互いの思いを刃へ託して、何度となく衝突する。不思議なことに、2人は殺し合っているというのに、そこに増悪の感情はなかった。あるのは強者へ挑む挑戦の心と、相手に自分が正しいのだと示したい。その意地である。
渾身の力を込めたアルテミアの一刀が、ケイの体勢を崩した。
よろめいた隙を逃さず、トドメの大振りで、アルテミアは必殺の一撃を振り下ろした。
剣でのガードは間に合わず、刃は、ケイの頭部をかち割る軌道で迫る。
「お前を相手に、犠牲無しで勝てるなんて思ってない!」
「!」
ケイは空いている左手をかざし、その腕で、アルテミアの一撃を受け止めた。だがその腕は、鋼ではない。容赦なく肉と骨が断たれ、ケイの左腕は、肘先から切断されて宙を飛んだ。
獣討ちの刃は、ケイの肉体再生能力を無効化する。
つまり、左腕は永遠に失われたのだ。
そのショックに絶望している暇はない。
左腕を犠牲にしたガードで、ケイは何とか、アルテミアの攻撃をやり過ごすことができた。予想外の方法で一撃を捌かれたアルテミアは、直後に隙を生じさせてしまう。今度はケイが、それを見逃さずに攻め込んだ。
下段からの切り上げ。
ケイの剣は、アルテミアの右腕を、彼女が手にしていた刀ごと切断した。その剣先は、アルテミアの右目をまとめて切り払い、失明させる。
気が狂いそうになるほどの激痛。
互いに傷口から血しぶきを吹いて、よろめいた。
急に片目の視界がなくなったアルテミアは、何が起きたのかを理解しきれず、戸惑った。その時間は刹那であったが、達人であるケイを相手にしては、致命的な“対処の遅れ”となった。突き飛ばされ、アルテミアは溶けかけたガラスドームの上を転げる。
「くっ!」
立ち上がって体勢を立て直そうとする間もなく、その首筋に冷たい刃の感触が押し当てられた。
見上げれば、ケイが手にした剣を、アルテミアの頸部へ押し当ててきているのだ。
「……勝負ありだ」
「……」
苛立ち。悔やみ。歯噛みする。
アルテミアは敗北したのだ。
その現実を思い知らされる。
「……………殺せ」
「……断る。オレはお前を殺しに来たわけじゃない。従わせに来たんだ」
「……」
敗北という生き恥。
それを背負ったまま、生きろと命じてくる宿敵に、アルテミアは屈辱を感じていた。だが……。強者は弱者に従う。敗者は勝者に従う。それこそが、アルテミアが目指した世界の秩序なのだ。その真理をねじ曲げ、自分だけを特例とするわけにはいかない。
屈辱と怒りに満ちようとしていた胸中が、不思議と軽くなっていく――――。
なぜか晴れやかな気持ちになり、アルテミアは嘆息を漏らした。
「そうか……妾は……」
失われた右目から、血の涙を流しながら、アルテミアは苦笑した。
年内の更新は、これで最後の予定です。
皆さん、良いお年を!




