13-71 英雄のいない街
寂れきった街並み。
石造りの古びた建物が建ち並ぶ景色は、どこもかしこも、風化してボロボロになっていた。
少女は飢えて乾き、骨と皮だけも同然に窶れていた。着る服はなく、ぼろ布を1枚、羽織っているだけである。暑い日差しが降り注ぐ中、崩れかけた建物の影で涼みながら、ただ膝をかかえてジッと座っていた。ピクリとも動かず、座ったまま死んでいると勘違いされそうなくらいに、その姿は弱々しい。
それでも少女はまだ、しぶとくこの街で生きていた。
何者をも信用せず、未来さえも信じていない眼差しは、卑屈そうに細められている。そんな少女から少し離れた位置では、身なりの良さそうな市民の男が、ならず者に銃で撃たれて処刑されていた。そして同行者と思われる女は、白昼堂々、男たちに強姦されている最中である。
銃殺とレイプ。この貧民街では、日常的に見かける光景だ。
その残酷な一部始終を眺めていても、今さら少女の心は、少しも揺り動かない。
空を鳥が飛んでいるという、当たり前の様子を見ているように平静である。
膝を抱えて座っている少女に、近づいてくる足音が聞こえた。
誰なのかは、いちいち見なくても察しがついた。
少女に声をかける他人など、この街にはもはや、1人しかいないのだ。
「見なよ、あの“慈善活動のボランティア”とかいう連中」
案の定。知っている声だった。
少女より、少し年上。
ボーイッシュな格好をした、猫っぽい目つきの、青髪の少女だ。
「話し合いで、食料をがめてるチンピラどもを説得できるなんて考えてたらしい。結果、あのザマ」
一部始終を見ていたのだから、教えてもらわずとも知っている。
膝を抱えた少女は、表情1つ変えずに応えた。
「……バカだね」
「ああ。バカだ」
強姦されている女を、哀れんで見やりながら、2人は会話を続けた。
「正論だとか、言論だとか。そういう市民階級連中の間でしか通じないような、きれい事のあやとりなんかで、この街の不公平を是正できるなんて考えてたんだろうさ。バカな連中だよ。チンピラどもに、食料をがめるのをやめて、みんなに配ってくれだなんてね。2人くらい撃ち殺して脅さなきゃ、無理だろうに。言葉を武器にするヤツなんて、怖くもなんともなんだから」
武器を持っていない者の言葉など、恐れるに足りない。
そんなことは、貧民街で生きている者にとっては常識である。
いくら相手の意見や理屈が正しかったところで、銃で頭を撃ち抜いてやれば、誰もが黙り込む。
話を聞かない連中だろうと、頭をレンガで殴ってやれば耳を傾けるのだ。
言葉よりも暴力の方が、この街での交渉ごとは上手くいくだろう。
「ねえ」
強姦された女が、最後に眉間を銃弾で撃ち抜かれる光景を眺めながら、青髪の少女が語りかけてきた。
「ヤク中のハンスはヤクをやめられないし、ビッチのローリーは、売春をやめられない。騎士どもはチンピラやマフィアの悪行を止められないし、逆に撃たれて殺されたりもしてるよね。おまけに、企業国や貴族連中、強いては市民たちは、アタシたちみたいな飢えた底辺の生き死にになんて興味を持ってないし、自分たちが汚い手段で金儲けすることばかり考えている。つまり世の中には悪徳がはびこっていて、人間はどいつもこいつも、知らない他人のことなんか気にせず、お互いのことを無価値なゴミ同然に考えて、好き勝手に生きてるのさ。……それって、なぜだと思う?」
その場を去って行くチンピラたちを見つめながら、膝を抱えた少女は考えた。
結論は、すぐに出る。
「……人間は、どいつもこいつもバカだから?」
「まあ、アンタくらいに賢ければ、そういう意見もあるか。それもあると思うけど、本質的なところは、もうちょっと違うんじゃないかと、アタシは思う」
「……何なの?」
鬱陶しくなってきた。
膝を抱えた少女は、少し苛立ちながら、隣に立つ青髪の少女を見上げた。
視線を向けられ、青髪の少女はニヤリと笑む。
「――――悪徳を“やめさせられるヤツ”がいないからさ」
「……」
「誰も逆らえなくて、誰もかなわない。そんなヤツがもしもいて、王様にでもなってくれたら、世の中の悪徳っていうのは、全部消えてなくなってくれるのかな」
「……それって、企業国王のこととか?」
「違う違う。そんな私欲にまみれた、薄汚いジジババ連中じゃないって。うーん。そうだなー。言うなら”正義の企業国王”とか?」
「……バカらしい。そんなの、いるわけないよ」
「ああ。いないだろうね。だからアタシたちの世界は、こんななんだから」
「……」
お互いの否定の言葉が、お互いを空しい気持ちにさせた。
少し気まずい沈黙が流れた後、ポツリと、膝を抱えた少女が言った。
「……この前、ケネスと会った」
「ケネスって、一昨日、飢え死にしてるのが見つかった、あのケネス?」
「うん。あの人が死ぬ前、本をくれた」
「へえ。アンタ、賢いとは思ってたけど、字も読めたんだ」
「うん」
膝を抱えた少女は、少し寂しげに目を細めた。
「本に書いてあった。英雄のいない時代は不幸だけど、それを必要とする時代は、もっと不幸だって」
「あはは。なら、アタシたちは今、最高に不幸な時代に生きてるってことじゃん」
青髪の少女は、その皮肉にケラケラと笑った。
そうしてやがて、ポンポンと、膝を抱えた少女の頭を撫でてやった。
「なら、アンタが英雄になって、世界を救いなよ。アンタなら、それができるかもしれないよ、アル」
そう言って、青髪の少女は元来た方角へ去って行く。
その背を見送りながら、膝を抱えた少女はぼやいた。
「……やめさせられるヤツ、か」