4-7 少女合法誘拐
追跡していたスマートフォンは、新宿区のビル建設現場で発見された。周囲に持ち主の姿は見当たらず、置き去りにされた端末には、ケイからの着信履歴が、山のように残されていた。
砂地の上に、無数の足跡が残っていることに、ケイは気付いた。その場でアデルが、“集団”によって取り囲まれていた状況を推察する。状況から見て、うっかりスマートフォンを落としたわけではなさそうだった。現場へ着く前に、何者かから、不吉な矢文まで送りつけられているのだ。
アデルの身に何かあったのだと、2人はすぐに察知する。
ケイとイリアは、アデルの行方を探すため、都内のあちこちを隈なく回り続けた。捜索は夜遅くまで続いたが、結局、何の痕跡すら見つけられなかった。唯一、手がかりになるのは、受け取った手紙の内容くらいである。
――アデルを取り戻したいのなら、学校へ行くしかない。
わけのわからない要求だったが、ケイたちには、その選択肢を選ぶ以外に道はなかった。やむなく昨夜は解散し、自宅へ帰ったものの……アデルが心配で、ケイは一睡もできなかった。
どこで、どのような状況になっているのかもわからない。
今頃、どれほど孤独で不安な思いをしているのか。
それを考えただけでも、胸を掻きむしりたくなるような思いだった。
「どうしたの、雨宮くん。目が真っ赤だよ?」
「……?」
朝のホームルーム前。ケイは自席でボンヤリと、教室の天井を見上げていた。そうしているといつの間にか、前の席の藤野ユカが、ケイを振り返り、心配そうに見つめてきている。ケイは、下まぶたに薄らと隈を作っていた。誰から見ても、寝不足であることは一目瞭然だっただろう。
察したユカが、尋ねてきた。
「昨日は、何か眠れないことでもあった?」
「……ああ。まあな」
言いながら、ケイはアクビをする。
「夜遅くまで人捜しをしていて、そいつが見つからなくて……すごく心配でさ」
「人捜しって、ご家族か誰か?」
頭が回っていなかったせいか、ケイはうっかりと、いらないことを話してしまった。その場を取り繕うべく、慌てて言い直した。
「あ、いや。家族というか、ペットかな。そう、猫だよ。昨日は猫が帰ってこなくてさ」
「え? でもさっきは人捜しって言ってたよ?」
「すまん。言い間違い。猫だよ」
「ふーん。雨宮くん、猫を飼ってたんだ。知らなかった」
何とか誤魔化せたのだろうか。ユカは普段通りに、人懐っこい微笑みを浮かべている。そうしてユカと話しをしていると、隣の席で話しを聞いていた住倉ソウヤが、面白がってケイに声をかけてきた。
「なんだよー、ケイ。お前も寝不足?」
「お前もって?」
「イリアクラウスちゃんも、さっき眠そうな顔してたよー」
「ああ……」
言われて、教室の前の方の席に座っている、イリアを見やった。
ケイのように顔色は悪くないが、口を手で隠しつつ、上品にアクビをしている様子である。何だかんだ、イリアも昨日は、遅くまでアデルの捜索に付き合ってくれたのだ。自己中な狂人だとばかり思われていたイリアだったが、意外と面倒見が良いところもあるようだ。
ケイは苦笑して呟いた。
「あいつも昨日は大変だったんだろうさ」
「んー? それってどういう意味よ」
「何でもないよ」
不思議そうな顔をしているソウヤ。
それには構わず、ケイは昨夜、イリアと打ち合わせた内容を思い出す。
罠の可能性があるのだ――――。
だからこそ、いつまでもボヤボヤしてなどいられない。
「これからいったい、誰がいつ……何を仕掛けてくるつもりなんだ?」
矢文の内容を額面通りに受け取るなら、アデルは何者かによって攫われたのだと考えるべきだろう。アデルの失踪現場と思わしき建設現場には、複数の足跡が見受けられた。おそらく組織だって動いている、何者かによる仕業だ。
考えられる犯人は……人攫いを組織的に行っていると、コトリが疑っていた、フローランスの配下の者だろう。それが最有力候補だ。フローランスのスカウトマンに、アデルが接触した数時間後、忽然とアデルは姿を消したのだ。犯人だと疑わない方がどうかしている。
だがそうだとして、わからないのはケイたちへ矢文を送りつけてきた理由である。
フローランスの連中に、アデルとケイたちの関係性が気付かれていたとは考えにくい。なのに、なぜアデルを誘拐したことを、わざわざケイたちに仄めかす必要があったのか。もしかしたら、矢文を送りつけてきたのは、フローランスの関係者ではないのかもしれない。だとしたら、それは誰なのか。なぜ学校へ登校することで、ケイたちがアデルを取り返せると言うのだろう。意味のわからないことだらけである。
何が起きるかわからないため、念のためケイもイリアも、通学鞄の中に自動拳銃を隠し持って来ている。学校の周囲には、武装し、私服姿で潜伏しているイリアのボディガードたちも配置されていると言う。イリアの話では、狙撃手も手配し、この教室内なら、どこであろうと狙撃可能なように待機させているらしい。それなりに迎撃する準備はできている。
予鈴が鳴った。
生徒たちは自席について、担当教員がやって来るのを待つ。
今のところ普段通りの日常。
いつも通りに、朝のホームルームが始まりそうだった。
教室の戸が開き、教員が入ってくる。
「……?」
思わず、ケイは怪訝に眉をひそめた。
教室へやって来たのは、担当教員ではなかった。
中世の騎士が着る、プレートメイルのような、見たこともないミリタリースーツ。マントを羽織った出で立ち。出で立ちと同様に、見たこともない種別の突撃自動小銃を、腰に提げている。
最初は、コスプレをした不審人物が、校内に侵入してきたのではないかと考えた。だが奇妙なことに、その男に注目している他のクラスメイトたちの顔には、まるで驚いた様子がない。教室に、担当教員ではない見知らぬ男が現れたというのにだ。それを誰1人として、疑問に思っていない様子である。騒ぎ立てる者すらいなかった。
敵――――。
直感でそう判断したケイは、反射的に、通学鞄の中の銃に手を伸ばそうとする。だが直前、スマートフォンが、メッセージの着信で振動した。それに気付き、手が止まる。メッセージを送信してきたのはイリアである。「様子を見よう」とだけ、短い意見が書かれていた。
「……」
教壇に立つ、仮面の男。
それと相対し、静かに着席している生徒たち。
異様な光景。その沈黙の後、男は声を発した。
「……さてと。さっさと“収穫作業”を済ませるとしようか」
そう言うと、男はタブレット端末を取り出し、教室内を歩き始めた。
「どれどれ」
男は教室の端から、1人ずつ生徒たちの顔を覗き込んでいく。
生徒たちと言っても、女子だけを見て回っている様子だ。
男はケイの前の席。
ユカの前で立ち止まると、タブレットとユカの顔を見比べる。
「ふむ。名前は藤野ユカか。なかなか悪くない容姿だ。注文書の内容にも合致するな。良し、お前は合格だ」
咳払いをした後、男は命じる。
「藤野ユカ、学校の外にバスが待機しているから、それに乗り込め」
「……わかりました」
ユカは席を立ち、荷物も持たずに、教室を出て行ってしまう。
どういうわけか、男に言われた通りに従ったようだ。
明らかに教師ですらない部外者の指示に、どうして疑問もなく従うのか。そしてなぜ、教室内の誰1人として、それを疑問視している様子さえないのか。何が起きているのか理解できず、ケイはただ、表情をしかめてしまう。
その後も男は女子生徒たちを物色した後、イリアの前で立ち止まった。タブレットには名簿のような個人情報が表示されているのだろう。それとイリアを見比べて、呟いた。
「ほお。お前の美貌は、かなりのものだな。ただどういうわけか、個体管理情報が抹消されてるようだ。こんなことは初めてだが……名前を言え」
「……イリアクラウスです」
「イリアクラウスか。お前は“性奴隷”として、かなりの高値が付きそうだ」
「!?」
ケイは耳を疑った。
仮面の男は、今なんと言ったのか。
イリアが性奴隷? 高値が付きそう?
男は人身売買の販売人ということになるのか。
では、先ほど教室を出て行ったユカの行方は……!
「お前のようなツルベタ女でも、ロリコン貴族のじじい共には需要があるからな。金髪ロリとくれば、さぞや人気が出るだろう。良いぞ、合格だ。イリアクラウス、学校の外で待機しているバスに乗り込め」
イリアはすぐさま立ち上がり、男の指示に従う。それを阻止するため、ケイは動きだそうとする。だがそんなケイを制止するためか、イリアは小さくウインクをして見せた。わざと従って様子を見ようとしている。「自分なら平気だ」と、視線で告げていた。イリアのその意図は伝わった。
イリアが教室を去って出て言った後、仮面の男は再び教壇に立った。
そうして生徒達を見渡し、宣告する。
「よし。では諸君、これから俺の言う命令をよく聞け。今後の人生において、藤野ユカと、イリアクラウスのことは忘れろ。2度と思い出すな」
生徒たちは口々に「わかりました」と返事をする。
その異様な光景を目の当たりにし、ケイはようやく確信する。
クラスの全員が――――知覚を操作されている。
おそらく仮面の男は、“何らかの方法”で人々の知覚制限を利用している。生徒たちは、男の存在を「受け入れ」、「絶対服従する」ことが当然だと思い込まされているのではないだろうか。ケイやイリアは、知覚制限が取り払われている。だから、ケイたちだけが、この状況の異常さに気づけているのだ。この様子では、外にいるイリアのボディガードたちも、仮面の男の存在を認知できずにいるだろう。迎撃不可能である。
「普段の学校生活に戻って良いぞ」
仮面の男たちと入れ違いで、担任教師が教室へ入ってくる。
まるで何事もなかったように、いつもの朝のホームルームを始めようとしていた。
ユカとイリアが、教室を出て行ったままだと言うのに。
「ふざけるなよ……!」
様子を見ようとしているイリアの思惑など、知ったことではない。
このまま見過ごせない。
ケイは通学鞄を手に取り、席を立って廊下へ飛びだした。ホームルーム中にいきなり教室を出て行くケイに、担任教師が怒りの声を上げていた。そんなことは気にもとめない。
廊下を駆け抜け、階段を降り、校舎前のロータリーに出る。
そこには、大型の観光バスが3台ほど停車していた。
バスの1台の窓際に、ユカが座っているのが見受けられた。
よく見れば……ユカ以外にも、他のクラスの女子たちも乗っている。それどころか、他の学校の制服を着た生徒たちまで、乗り合わせている有様だ。いずれも容姿端麗な者ばかり。どうやらこの近辺の学校をあちこち巡り、高く売れそうな生徒たちを誘拐してきたのだと見られた。ケイの教室にやってきた仮面の男の他にも、同様の格好をした仲間の姿が、バスの周辺に10人以上は見受けられた。
白昼堂々。教室に乗り込んで攫っていくのだ。
アデルも、この男たちに連れ去られたのだろうか。
仮面の男に先導され、バスに連れて行かれようとしているイリア。
背後から駆け寄り、その手を掴んで、無理矢理にでも連れ去る。
「なっ! 雨宮くん!?」
予期せず現れたケイに、イリアは驚いた顔をした。
「考えがあるのか知らないがな。危険だってわかってるのに、黙ってお前を連れて行かせられるか!」
「!」
珍しくイリアが赤面しているようだったが、構っていられない。
仮面の男たちは、イリアをその場から逃げ去ろうとするケイに気付く。
「なんだ、このガキは!」
仮面の軍勢は、腰に提げていた突撃自動小銃を抜き放ち、ケイへ銃口を向けようとする。だがケイは――――イリアを盾にする。
途端に男たちは銃口を下ろし、「商品に傷を付けるな」と互いに警告し合っている。
「悪いな、イリア。あいつら、お前のことは撃てないはずなんだ」
「……だからボクを盾代わりにするわけか。やるね、雨宮くん」
なぜだか不服そうに、イリアはそれを言う。
ケイは通学鞄から自動拳銃を取り出し、構えた。ただの高校生が銃を持っていることなど想定していなかったのだろう。仮面の男たちはどよめいた。
「――――止まれ、雨宮ケイ」
「!」
だが、割り込んできた男のその一言で、ケイはたちまち、身動きが取れなくなってしまう。銃を手にしたまま、その場で硬直してしまったケイを奇妙に思い、イリアが恐る恐る尋ねた。
「どうしたんだい、雨宮くん……?」
「動けない……!」
「?!」
一言、命じられただけで、ケイは身動きを封じられた。自分の脳が身体に命令するよりも、さらに強い権限の命令を受けたような、そんな違和感があった。まるで自分の身体を、外側から誰かにコントロールされているような異物感だ。
脂汗を額に浮かべ、歯を食いしばって身をよじろうとするケイ。
だが、自分の身体であるというのに、ピクリとも動かせない。
「あー、そういう抵抗はムダムダ。領域暗示ならまだしも、真名を呼ばれて命じられたら、支配権限には抗えんよ。俺たち人類は、生まれた時からそういうふうにできてんの」
リーダー格と思わしき長身の男が、アクビをしながら面倒そうに歩み寄ってきた。
1人だけ仮面を付けていない。無精髭を生やした、ボサボサな黒髪の男である。左の頬には、痛々しい切り傷の痕が残っている。顔に傷がある男だ。
男はケイの目の前までやってくると、品定めするようにマジマジと顔を見てきた。
「たまーに。いるんだよなあ。透明人間であるはずの俺たちのこと、知覚できちまうヤツ。いわゆる“霊感が強い”とか言われてる、知覚制限のかかりが緩いヤツかな? ただ、君みたいに銃を持ってて、しかも俺たちを殺そうとする威勢の良いヤツは、さすがに初めてお目に掛かるがなあ」
「レイヴン隊長、コイツどうしますか」
部下の1人が、男のことをレイヴンと呼んだ。
「どうするも何も、決まってんだろ。この世界の仕組みに感づくヤツは始末される。それが不変のルールってやつでしょうが?」
レイヴンは腰に提げていた突撃自動小銃を手に取り、その銃口をケイの額へ押し当ててくる。ゾッとするような冷ややかな眼差しで、ケイへ告げた。
「まあどうせ、知りすぎた連中はみんな、掃除係の異常存在にぶっ殺される運命だ。放っておいても構わんのだが、一応は見つけたら殺すルールになってんのさ。俺はルールってヤツを大事にするタイプでね。つーわけで。わりいんだが――死んでくれや?」
「くっ……!」
唐突に空から――――“光の矢”が降り注ぐ。
青白い光の軌跡を虚空へ刻み、矢は雨のように、仮面の軍勢へ降り注いだ。
「ぐあっ!」
「ぎゃああ!」
光の矢に射貫かれた何人かが、その場に倒れ伏し、地面に血溜まりを作り上げる。いきなり矢に撃たれて絶命した仮面の軍勢の死体を目撃し、ケイとイリアは驚愕した。誰も予想すらしていなかったであろう、“奇襲”である。
「バカな! 白石塔内で“エルフの矢”だと!?」
矢が飛んできた方角。校舎の屋上を見上げて、レイヴンは喚いた。
急いで物陰に身を隠すよう、部下たちに警告する。
屋上に人影が1つ。立っているのが見えた。フードマントを目深にかぶって、顔を隠している。ケイたちに矢文を送りつけてきた人物で、ほぼ間違いないだろう。謎の味方だ。
「誰なんだ……!」
謎の味方は、立て続けに矢を放ち、レイヴンたちを牽制し続ける。物陰に隠れた仮面の軍勢。そのまま、身動きが取れない状態を維持してくれていた。
レイヴンの気が逸れたためか、ケイの身体の拘束が解かれている。イリアの手を引いて、ケイも物陰の隠れた。
レイヴンたちは発砲を始め、屋上とロータリーの間で、銃弾と矢の応酬が始まった。
仮面の軍勢が、屋上の刺客に気を取られている隙をつき、校門の向こうから近づいてくるワゴン車が見えた。車は瞬く間に、ケイとイリアの傍までやって来る。運転席に座った女性は窓を開け、鬼気迫る顔でケイたちへ指示した。
「乗って!」
「!」
「急いで!」
その顔には見覚えがある。フローランスのスカウトマン。その助手として、一緒にアデルの取材をしていた女性である。セミロングの黒髪。目付きが鋭いクールビューティーだ。グレーのレディースーツを着込んだ、オフィスレディ然とした格好である。
迷っている暇はない。
ケイとイリアは、女のワゴン車のドアを開けて飛び乗った。
女はアクセルを全開に吹かすと、一目散に戦場から離脱する。途中、流れ弾が車体に当たって火花を散らしたが、構わず校門を抜けて市街地へ出た。見る見る間に、車は第三東高校の校舎から遠ざかり、戦線からの脱出に成功する。
「ふぅー。なんとか救出できたみたいですね。私の仲間が、敵の注意を惹きつけてくれたおかげです」
女性は額の汗を拭い、ルームミラー越しに後部座席のケイとイリアを見る。
ケイは確信を持って、その女の名を口にした。
「……“コトリ”だな」
呼ばれた女は、苦笑を浮かべた。
「佐渡先生と一緒に行動していた高校生たち。雨宮ケイくんと、イリアクラウスさんですね。お初にお目にかかります」
スーツの懐から手帳を取り出し、それを後部座席のケイたちへ見えるようにかざした。
「内閣情報捜査局に所属、葉山サトミ。コードネームは“コトリ”です」