13-68 氷獄の王都
星の寿命が尽きるまで、永久に溶けることがないであろう水底の氷。その分厚い氷塊の中には、赤銅色の金属でできた、球体が埋まっていた。その見た目は、まるで氷に閉ざされた惑星である。地上にある人間の都市が、丸ごと格納できるであろう大きさだ。
北極海の海底に伸びたトンネルは、その球体の底の部分につながっていた。
かつて魔人族の旧き王が彫り始め、陸地まで達したとされるトンネルは、いつしか舗装整備され、今では立派な道路になっていた。王族や要人たちの、秘密の避難路として運用されているそこを、トウゴたちを乗せたトラックは通り抜けていく。
トンネルの途中には、仕掛けられた設置爆弾を、いくつも見かけた。
それらを見れば、魔人軍の戦略が、だいたい想像できるように思えた。
万が一、前線が破られた時……魔人たちはトンネルを爆破して、ここを水の底へ沈めることも、選択肢として考えているのだろう。ただその戦術が、果たして異常存在たちを相手にどの程度、有効であるのかが未知数なのである。もしも進軍してきている異常存在たちに、氷点下の海中を“泳げる能力”があったのなら……魔人たちの王国は、海底を渡ってきた怪物たちによって、四方八方から攻撃されることになるかもしれない。そのリスクを考えた結果、このトンネルをまだ残しているのではないかと思えた。敵軍にトンネルを使わせることで、移動経路を限定することができるからだ。
トンネルを残しつつ、海を渡らせる前に、なんとか敵軍を叩く。その判断の結果、前線はダンジョンの130階層になってしまったのだろう。いずれにしても、このトンネルはいつまでも保たない可能性が高い。長居することはせず、早々に抜けてしまうことに専念する。
やがてトラックがたどり着いた先で、予想通り、魔人軍の検問所に行き当たる。
検問所と呼ぶよりも、歩哨たちの装備や人数からしても、軍事防衛拠点と呼ぶべきだろう。陸地の方からトンネルを通じて、今にも異常存在の群れが押し寄せようとしているのだ。展開しているのが後方部隊とは言え、すでに臨戦態勢。ピリピリとした雰囲気の兵士たちが、怖い形相でトウゴたちのトラックを出迎えてきた。
最初は、厳しく積み荷をチェックされるのかと身構えていた。だが、どうやら前線の指揮官からの事前連絡があったらしく、歩み寄ってきた兵からすぐに、「話は聞いている、行け」と言われた。幸運なことに、トウゴたちを乗せたトラックは、そのまま素通りさせてもらうことができたのである。
トラックは無事に、北極の底にある巨大都市の中へ潜入することができた。
ある程度だけ走って、トラックが魔人たちの拠点から離れた頃。タイミングを見計らって、運転手のレオはエンジンを止める。車両の動きが止まったことに気づき、コンテナ内のトウゴたちは、ようやく降車できるのであろうことを察した。手荷物を拾い上げて、静かに立ち上がった。
コンテナのハッチが開くと、レオが「もう出ても良いぞ」と言ってくる。
指示された通りに、荷台から飛び降りると、そこはもう目的地だ。
周囲の景色を見て、最初に口を開いたのはトウゴだった。
「ここが……そうなのか?」」
「ああ。その通りだ。また、この景色を見られるとは……正直なところ、思っていなかった」
腕組みをしたレオが、いつもの仏頂面で肯定する。
「魔人族の国――――氷獄の王都“レルムガルズ”だ」
「氷獄?」
「この場所は、北極の氷の中。海底に近い場所に存在している。知っての通り、人間たちの衛星からは見つけられない。存在を隠したまま、数万年の時を氷に閉ざされている秘密都市だ。見ようによっては、氷の牢獄のようなものだろう」
「……皮肉屋だな」
おそらく、部外者が目撃するのは、史上初めてなのであろう魔人族の国。
トラックを降りたトウゴたちは、物珍しそうに周囲をキョロキョロと見渡してしまう。
そうして――――間もなく“困惑”してしまう。
「…………なんだよ、こりゃ!?」
王都。その呼ばれ方からして、イメージされるものは華々しくて美しい大都会だ。だが、トラックのコンテナから降りて、トウゴたちが目撃したものは、そうした想像とはかけ離れている。
まず最初に感じたのは「暗い」ということだった。
ここが北海の底にあることを考えれば、日が差さないのは当たり前だろう。それでも人工太陽といった類いのものは頭上になく、周囲の建物が放っているネオンのような薄光で、うっすらと景色が見えると言った程度の明るさだ。真っ暗闇だったダンジョンにいた時よりは視界良好だが、まだダンジョンの中にいるのではないかと、錯覚してしまうほどに薄暗かった。
「この周りの建物……何……?」
少し怯えたような態度で、リーゼが後じさりながらぼやいた。
トウゴたちが立っている現在地は、舗装された路上だ。その周囲には、高い建造物が無数にそびえている。高層の建造物と言っても、それらはビルではない。SF映画で見たことがあるような、バスタブサイズの睡眠カプセル。それらが無数にズラリと並んでいて、頭上高くまで積み上げられるように設置されているのだ。パイプとケーブルが複雑に繋げられたカプセルの1つ1つに、魔人が入っていて、眠りについている。まるで地面から、発光する巨大なブドウの房が生え出ているようにも見える。そうした房が、球体状の王都の内壁の各所から、おびただしい数で実っているのだから、圧巻の光景だった。
「どこもかしこも、睡眠カプセルだらけ…なの?」
「冗談じゃねえ。映画のマトリックスで見たことあるような景色だぞ。まさか、こいつら全員が“寝ている”のか?」
『この道路にも、周りに通行人とかいませんし……うぉんうぉんって、機械音みたいなのが聞こえる以外は、静かすぎますね。もしかして起きているのは、ここを守っている兵士たちくらいしか、いないのかもです』
「何なのよ、これ……こんなのが、国……?!」
周囲の異様な様子に戸惑っているトウゴたちへ、ザリウスが腕組みをしながら得意げに答えた。
「おうよ! これが俺たち魔人族にとっての国。世界で唯一のふるさとだ! ちょっとばかり見てくれはアレだが、ここの“設備”全体を冷却するのに、北極海の底ってのは最適でな! ついでに多種族の目にもつかないっつー具合で、合理的な造りになってるわけだ、わはははは!」
「わははは、じゃないわよ! ここの魔人族は、普段から冬眠でもしてるっての?!」
「ちょっとコレは……予想外の街並みだね。私の住んでた機人族の国も、多種族から見たら変な場所なんだろうなとは思ってるけど、魔人族の国も、なかなか……」
咄嗟に、お世辞が出てこず、リーゼは苦しげに微笑んで見せるだけだ。
それと同様に、他の仲間たちも表情を引きつらせている。
おそらくそうなるだろうと予想していたレオは、嘆息を漏らして肩をすくめてみせる。
「想像とは違ったか?」
『たしかに、北極の氷の下にある国とは聞いてましたから、普通でないとは思ってましたけど……』
「月の裏側に隠されていた、機人族の国にも驚かされたが……。こっちは、ズラリと並んだ、棺桶みたいな睡眠カプセルときた。まるで聖団地下大墓地と同じ、墓場みてえな雰囲気だぜ」
「……墓場か」
その感想を聞いたレオは、思うことがあったのだろう。
寂しげに目を伏せた。
「と、トウゴ! 失礼だよ! ヒトや、私たち機人族の価値観とは、また違った文化形態ということ。それ以上のことはない。これが魔人族にとっては普通の社会なんだよ」
「お、おう。悪かった……」
トウゴは気を取り直し、ザリウスを見やった。
「それで? 時間はかかったが、ようやく目的地には到達できたわけだ。例のハッキング兵器、“カースグリフの槍”とかってのは、どこへ行けば手に入る。ちゃんと案内できるんだろうな」
「おうよ。当然だ」
ザリウスは肯定しながらも、付け足す。
「それにはまず“国に入る”必要があるけどな」
「国に入る? もう入ってるだろ」
妙なことを言うザリウスに、トウゴは怪訝な表情を返した。
だが大仰しく、ザリウスは首を振って否定する。
「いいや。ここはまだ“入り口”にすぎねえんだ」
「入り口? いったい何のことを言ってんだよ」
「う~ん。俺はそういう、細かい説明は苦手でなあ。おい、レオ」
「……まったく」
要領を得ないザリウスに変わって、腕組みをしたままのレオが説明を始める。
「現代の魔人族は、アークの世界で散り散りになって生きている。ほとんどは人目を忍んで、小さな集落を作って暮らしていることが多い。それぞれが各地で、独自の文化と風習を獲得しているが、共通していることもある」
何を言わんとしているのか、察したジェシカが真顔で言った。
「……“肉体と魂の分離”という教義のこと?」
「その通りだ。同族であるジェシカとエマなら、当然知っていることだろうな。肉体を捨てて、EDEN上に存在する高位の情報生命体へと進化する。それこそが、魔人族にとっての悲願だ。このレルムガルズでも、それは変わらない」
『じゃ、じゃあもしかして、このカプセルに入って寝ている人たちは』
「……EDEN上で生活をしている」
「!?」
予想外の話を聞かされたトウゴたちは、一斉に驚いた顔を返した。
レオは淡々と、事実を口にした。
「レルムガルズは“EDEN上に存在する国”だ」
「そりゃあ、いったいどういうことだ……?」
「すでに機人の王から、魔人の思想の始まりについても知らされているはずだろう。元々、魔人とは、設計者たちに奪われた人工惑星アークのEDENを取り戻すため、ハッキング技能を磨いてきた組織だ。それが長い歳月の果てに、高度なEDEN制御能力を生まれながらに持つ“種族”になった」
それまで説明をレオに任せていた、ザリウスが口を開いて、続きを語った。
「まあ、俺たちみたいに、世界の真実に首を突っ込んでるようなヤツしか、もう魔人族の始まりのことなんざ知っちゃいねえがな。なんせそりゃあ、2500万年以上も前の出来事だ。仕方ねえこったよ。そういうわけで、俺たち魔人って種族は、今じゃ最初の目的を忘れて、EDENの中に入り浸るようになってんだ。そうして“最悪なモノ”を生み出しちまったんだよ」
「最悪なモノ?」
「――――説明は、その程度で良いでしょう」
それまで黙っていたセイジの言葉が、説明を遮る。
その直後に、トウゴは背中に熱を感じた。
「…………は?」
熱いと感じた部分に触れた手の平。そこに、おびただしい量の血が付着している。最初にそれを見たときは、すぐに理解できなかった。だが、それほど時間を要さずに、背部に感じる激痛によって、状況を把握できた。
――――刺された?
恐る恐るトウゴが振り返ると、そこには血濡れたナイフを手にする、雨宮セイジの姿があった。それを見てすぐに、トウゴは自分が、セイジに背後から刺されたのだということを確信する。油断していたところへの、不意打ちだった。
「雨宮の……オヤジさん……?!」
「悪いね、トウゴ君」
トウゴの全身から、急速に力が抜けていく。
傷は深く、出血量から見て致死の一撃であったことは、すぐにわかった。
たまらず両膝を突いて、その場で崩れ落ちてしまう。
セイジはただ、悲しげな顔で、苦痛に歪むトウゴの顔を見下ろしていた。
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