4-6 東京管理区説
登録した電話番号を選択し、呼び出してみる。
スマートフォンの受話口を耳に当て、相手が出るのをじっと待った。
だが、いくら呼び出しても通話は始まらない。
何度目かわからないコールを切って、ケイは怒りを口にした。
「ああもう! なんで電話に出ないんだよ、アイツは!」
「落ち着きたまえよ、雨宮くん」
そう窘めてくるのは、隣の座席に座っているイリアだった。
「アデルに与えたスマートフォンは追跡が可能なようにしてある。電話に出なくても、身につけているなら居場所は特定できるよ。今こうして向かっているところなんだ。もうしばらくの辛抱さ」
イリアが外出する時に使っている、自家用のセダン車。ケイはその後部座席に乗せてもらい、アデルの居場所まで、連れて行ってもらうところだった。車を運転しているのは、黒スーツの屈強そうな男だ。しかも、その助手席に座っている男もまた、黒スーツの格好である。なんでも、イリアが雇ったボディガードであるらしい。
車両前後の席は、防音の壁で遮られているため、後部シートの会話の秘密は保たれている。ボディガードたちに気兼ねなく、ケイは苛立ちを露わに、イリアへの苦言を口にした。
「お前もお前だ。何やってたんだよ。どうしてアデルが店を出て行こうとするのを止めなかったんだ。おかげでこうして見失って……たぶん今頃、アイツは迷子になってるぞ」
「当たらないでくれたまえ。とてもじゃないが、引き留められるような雰囲気じゃなかったのさ。そもそも、アデルが出ていった理由は、君にあったんだと思うよ?」
「オレに? 何でだ? オレは藤野の注意を引きつけてただけだろ」
「それはボクの口から言うべきことじゃないと思うね。とにかく、早くアデルを見つけて、連れ帰ってあげよう」
「くっ……!」
ケイは焦燥にかられ、歯噛みする。
アデルはまだ、人間になって間もない。
人間社会について何も知らない、まるで無知な子供なのだ。
もしも元から人間だったとしても、この世に生まれたのは、ほんの5年ほど前のこと。言うなれば5歳児のようなものだ。そんな子供が大都会で迷子になったなら、きっと今頃は、不安でいっぱいな気持ちになっていることだろう。それを思うと心配で、いても立ってもいられない気持ちになってくる。
「オレは保護者かよ……!」
今の心持ちは、子を想う、親のそれに近いのではないかと思えた。
唐突に、ケイのスマートフォンに着信が入る。
もしかしてアデルだろうか。
誰からの着信なのか、ろくに見ることも忘れ、ケイは急いで電話をとる。
「アデルか……?!」
『アデル? アデルがどうかしたのかよ』
受話口から聞こえた声は、男のものだった。
聞き覚えのある、その声の主は、上級生の峰御トウゴのものである。
少し意気消沈した態度で、ケイは謝った。
「あ。……先輩でしたか。すいません」
『おお、別に構わねえが。どうしたよ、雨宮。なんだか浮かない声してんぞ』
「いえ……何でもありません」
トウゴたち2年生は今、修学旅行中である。楽しい旅先で、余計な心配をさせたくなかったため、アデルが行方不明であることを敢えて伝えることはしなかった。
ケイは通話をスピーカーモードにして、イリアにも会話が聞こえるようにしてやった。
「こっちには今、イリアもいます」
「やあ、トウゴ。この時間帯だと、そっちはもう旅館で寛ぎ中かな? どうだい、京都旅行は」
イリアが声をかけると、トウゴの意気揚々とした返事が返ってきた。
『そりゃあ最高に決まってんだろ! ……まあ、アトラスから偽装フィルターをもらえてなかったら、今頃は、こんな風に旅行を楽しむどころじゃなかったかもだがよ。たとえ見えてるのが偽物の風景だとしても、立派な寺とか庭園とか見物してると、日本人で良かったって思うばかりだぜ!』
『ん? あれ。ちょっとトウゴ。あんた雨宮くんたちと話しをしてるの?』
『おうよ』
『なーによ! 連絡するなら、私にも一声かけなさいよね!』
『お前は今、そっちでUNO中だろうが! 気ぃ遣ったんだよ!』
何やら電話の向こうで、サキとトウゴが言い争っているのが聞こえてきた。受話口の向こうから漏れ聞こえてくるやり取りによれば、同級生がトウゴの部屋に集まって、ワイワイと遊んでいるところのようだ。トウゴは少し離れた場所で、こっそりとケイたちに電話をしている状況らしい。
『ワリィな、こっちは色々と騒がしくて。それで、急に電話した理由なんだがよ。お前に頼まれてた件について、色々とわかったことがあるから、早く教えておきたいと思ってよ』
「……“県外”の様子がどうなってるか、ですか」
『そうだ。言われた通り、新幹線に乗ってる間、偽装フィルターを切って外の景色を観察してみたぜ』
全人類が真王によって見せられられているのは、偽の世界だ。
実際の世界には、知覚制限されている一般人では認識できない、知覚不可領域が数多く存在している。おそらくだが世界地図は、ケイたちがこれまでに学校で習った全体像とは、大きくかけ離れたものになっているだろう。
そこで1つ、わからなくなることがある。
もしも世界の実際の地形が、地図と大きく異なっているのなら。
なぜ知覚制限された人々は“地図通りに各地を移動できているのか”という疑問である。
人々が、無意識に知覚不可領域へ近寄らないようにしているとしても、つじつまが合わなくなることはある。たとえば自分の家と、隣の家の間に知覚不可領域が挟まって存在していたとしたら、隣の家へ行くためには、何時間もかけて知覚不可領域の外周を迂回しなければ辿り着けない。本来なら1分以内に辿り着ける場所へ行くのに、何時間もかかっていたら、認知を操作されていても、さすがに異常を感じるだろう。
トウゴは嘆息を漏らしつつ、その答えを口にした。
『まったく、ガチで驚いたぜ……。“白い光の壁”があった』
「光の壁?」
『ああ。東京都は、外周をバカみたいにでかい“白い光の壁”に囲まれてやがった。空まで届いてそうな、本当にでかい壁だった。……まるで東京全体が、そのクソでかい壁に囲まれた“監獄”みたいに見えたぜ。そんで、新幹線がその壁に突っ込んだと思ったら、次の瞬間には、もう壁の向こう側に出てたとでも言やあ良いのか? すり抜けたんだ』
「すり抜け、ですか」
『だと思う。壁に突撃しても何ともなかったんだよ。まるで幻影だったみたいにさ。そんで、京都へ着くまでの間、途中の静岡県とかにも、そういう壁がいくつか関所みたいに設けてあってよ。数えただけでも10回以上は、壁を通過してから京都まで辿り着いたな』
「……」
ケイは考え込み、予想を口にする。
「なるほど……。たぶん“ワープ”ですね」
『は? ワープ?』
「はい。地図通りの地形になっていない世界なのに、白い光の壁を通過することで、地図通りに移動できている。つまり地図通りになっていない場所を“ワープ”してスキップした。そう言えませんか?」
『……それ、マジにあり得ることなのか?』
「真王は、全人類をEDENと呼ばれる無形のネットワークで支配しているような相手ですよ? それくらいのことで、今さら驚きませんよ。その白い光の壁というのは、おそらくワープゲートのようなものでしょうね」
『ワープだなんて、SFすぎる技術だろ……。俺たちもしかして、割とガチめな荒廃世界に住んでたりするのか?』
「認めたくないし、だとしたら嫌なんですけどね」
気乗りはしなかったが、ケイは考察を口にした。
「先輩の話を聞くに、東京都を囲うように設置されているということは、おそらく……光の壁によって、各地がいくつかの区画に分けられて分散管理されたような統治形態になっているんじゃないでしょうか。たとえばオレたちの住んでる関東なら、“東京管理区”みたいな感じです。各管理区は、たぶん四方をワープゲートの壁によって囲まれてるんです。その内部にいるオレたちからすれば、管理区同士は、地続きでスムーズに繋がっているように思えてしまう。普通の人は知覚制限で、そんな光の壁なんて認識できませんから」
『なんだか人類を騙すために、ずいぶんと大がかりな仕掛けを作ってんだな……』
「なぜ、真王はそこまでするんでしょうかね」
ケイの推察を聞いていたイリアは、感心した。
「なるほど、雨宮くんの言う“管理区画説”は面白いね。たとえば管理区の内側であっても、先日の無人都市のような、いくつかの知覚不可領域は存在する。だが、概ねは地図通りの地形になっているから、ああいう場所は、人々の知覚制限で誤魔化せるレベルだろう。けれど問題になるのは、地図とは大きくかけ離れた地形になっている場合。それは誤魔化せないね。そういう場所は、おそらく管理区の“外側”に隠されてるんじゃないのかな。管理区と言うより、ここは東京という名の“牢獄”と呼ぶ方がしっくりくるかもしれない」
「それも、可能性の話しだけどな」
『マジかよ……。じゃあ俺たちはつまり、ワープゲートで取り囲まれてる、管理区画の“外側”の世界には、行けないってことだよな。外にはいったい、何があるんだ……?』
「謎だね。ボクたち人類には見せられない、何か秘密があるのは間違いないだろうけど」
簡単に情報交換を行った後、ケイはトウゴとの通話を終えた。通話を終えた後は、イリアはご満悦な顔をしていた。
「実に興味深い話しだった。トウゴたちも役に立つじゃないか」
「今はそのことよりも、アデルのことが優先だ。まだ着かないのか?」
イリアとは対照的に、ケイはアデルの心配ばかりしている様子だった。いつも寡黙で冷静なケイらしくない、落ち着かない態度である。
それを見ていて、イリアはますます面白がった。
「フフ。人間と、謎の花のカップリングか。君たちは本当に、見ていて飽きないね」
「……? 今なにか言ったか?」
「何でもないよ」
意味ありげに、イリアはニヤけている。
からかわれていることだけはわかり、ケイはムッとして一言を口にしようとした。
だがその時――――頭上から大きな音がした。
「!?」
ドガン。
そんな音と共に、車の天井に何かがぶつかった。
運転していたボディガードは、慌てて急ブレーキを踏む。幸い、都内の渋滞に引っかかっていたため、車はそれほど速度を出していなかった。だが、路上の真ん中で車を止めたため、後続車からはクラクションを鳴らされてしまっている。
「車から出ないで!」
ボディーガードは、後部座席と繋がる小窓を開け、警告してきた。そうして自動拳銃をホルスターから抜き、車の外へ出て、周囲の警戒を始める。
ケイとイリアの中間。
つまり、後部座席の中央に――――“矢”が突き立っていた。
天井を突き破り、空から降ってきて刺さったとしか思えない。その矢は不思議なことに、青白い光で出来ているようで、発光している。ケイは驚きの声を漏らした。
「なんだコレは……光の矢?! この車、防弾なのに貫通されたのか?!」
「また、この矢か……」
「またって。前にも、こんなのを見たことがあるのか?!」
矢は、見る見る間に形状を崩壊させ、光の砂埃のように、虚空へ解けて消えていく。実体がない。それなのに防弾仕様の車の天井を易々と貫いてくるような、非常識な武器だ。その矢の先には、封筒が括り付けられていた。完全に矢がかき消えた後、ケイはその封筒を手に取った。
「手紙だ……」
開けてみると、中には折りたたまれた小さな手紙が入っている。そこに書かれた短い文章に目を通し、ケイはさらに驚く。
――――銀髪の少女を助けたければ、明日は普通に学校へ登校しろ。
「なんだ、これは……!」
手紙を握りつぶし、ケイは殺気立った目で、頭上を見上げる。車両の天井に開いた穴からは、いつもと変わらぬ、夜空が見えていた。