13-53 ロゴス聖団
ベルセリア帝国ローシルト領――――。
敵国、エレンディア企業国の騎士団が、銀氷平原を抜けて軍事拠点を作ってからというもの、ベルセリアの各都市への攻撃が一斉に開始されていた。エレンディアとベルセリアの戦線が、ローシルト領内で拡大していく中、戦闘の舞台となってしまった地の住人たちは、戦火を逃れるべく、避難を余儀なくされている。
ベルセリア市民のおよそ半数は、いち早く行動を始め、内地の大都市へ疎開した。だが、なかなか故郷を棄てる決心がつかなかった人々は、避難が遅れてしまったのである。その結果として、今さらこうして、銃弾が飛び交う戦地の近くを通り、最寄りの非戦闘地域へ逃れることで精一杯だ。
バックパックを背負い、列を成して歩く市民たち。
その中に混じり、フードローブをかぶった峰御トウゴは、溜息と共にぼやいてしまう。
「……辛気くさい行列だぜ」
誰も彼もが俯いて、足下を見ながら歩いている。たしかに、積雪した針葉樹の森の中を進んでいるのだから、転ばないようにそうするのは、やむをえないことだろう。だがおそらく、理由はそれだけではないだろう。意気消沈した態度や、気力のない眼差し。怪我の手当を受けて、包帯だらけになっている者もいる。鬱屈した雰囲気の行列のあちこちからは、すすりなく女子供の声も聞こえてきていて、中には悲痛な嗚咽を漏らして、その場で崩れ落ちる者もいた。
着の身着のまま。家も財産も捨てて、逃げてきたという姿の者ばかりだ。右を向いても、左を向いても。家族や恋人を失った人々や、自身の暗い未来を憂いている者ばかりが目に止まる。それを見ていれば、気の毒に思えて、重苦しい気持ちになってくるのだ。
「これが、戦争難民ってヤツか」
「こういう行列は、初めて見るのか?」
隣を歩いているレオが、白い吐息をこぼしながら、トウゴへ尋ねてきた。
頭を掻きながら、それに答える。
「まあな。怪我人や死体なら、年中見かける商売をやってるが、こうやって、生き延びちまった境遇の連中が大挙している光景は、よくあるもんじゃねえだろ。見てると実感させられるぜ……世界大戦が始まってんだなってよ」
レオは苦笑した。
「戦争なんてものは、権力者同士のイザコザだ。巻き込まれるのはいつも、何の罪もない大勢の一般人たちばかりだ。いっそのこと、権力者同士のタイマンで決着をつければ良い」
「なんだか、経験者は語るって感じに聞こえるな。そっちはこういうのを見たことがあるのか?」
「……ああ。何度となくな。魔人の国の歴史は、人間の帝国よりも長い。しかも真王のような独裁者が統治しているわけでもなかった。拮抗した力を有した、権力者同士の争いが常だったんだ。これまでに内戦が何度も起きているのさ」
「意外と血なまぐさい歴史を持ってんだな。お前や、ザリウスのオッサンが“追放者”として国を追われたのも、そんな権力者同士の争いが原因ってか? 争っている相手は、たしかオッサンの弟だったか」
「……」
レオは黙り込んだ。
あまり話したい話題ではないのだろう。
「ワリィ……。細かい話は現地でって、ことだったよな」
トウゴは嘆息を漏らした。
「しっかし。この避難民たちの行き先は、あの“ロゴス聖団”の聖都だったか?」
「ああ。これまで聖都は永世中立をうたって、企業国同士の争いに干渉することはしてこなかったが……どうやらアルテミアには、そんな口だけは無力だったらしい。すでに陥落させられ、聖団七星であるルシア・クリストを人質に取られたことで、ベルセリア帝国の言いなりになっているらしい。背景事情は色々あるが、この難民たちにとっては、自国内の避難先の1つでしかない」
「ロゴス聖団ね……。中立ってだけあって、争い事には顔を出さない連中だから、商売柄、俺とは接点が少なくてよ。どんな連中なのか、実は詳しく知らねえんだよな」
「お前の仲間。ジェシカとエマが、たしか聖団の一員だと聞いているが?」
レオに言われて、トウゴの背後を歩いていた赤髪の少女が、話に割り込んできた。
「……まあね。アタシとエマは、一応は聖団の所属よ」
「お? そうだったのか」
「まあ、ケイには話したことがあったけど、たしかにトウゴには、今まで言ったことがなかったかも。っていうか、なんでそこの魔弾密売人は私のこと知ってんのよ、キモ!」
「この俺が……キモい……?」
『お姉ちゃん。レオさんは真面目な人なんだから、トウゴさんと違って、キモいなんて言ったら傷つくよ。かわいそうだよ』
「俺は真面目だと思われてねえのかよ……」
レオを軽くへこませた後に、ジェシカは腰に手を当てて語った。
「ロゴス聖団は、帝国社会で唯一、真王から直々に“治外法権”が認められてきた巨大宗教結社よ。どこの企業国にも所属してないし、だからこそ干渉されないことで、自分たちの信仰を守ってきた歴史があるわ。魔術の現象理論構築に使われている“制御言語”を神聖視する教義で、つまりは魔術の力を奇跡として崇め、その恩寵をアーク全体に行き渡らせようとしているわけよ。宣教兵とかいう連中を、各都市の教会で見たことくらいあるんじゃない? 聖団は各地へ宣教兵を派遣し、各地に安寧をもたらすことで、世界を最適化していこうとしているわ。そうして死後に魂が還る天国、ようするにEDENを良い場所へ変えていけると信じてるの」
「なるほどなあ。良い場所だから死後に天国へ行きたいってんじゃなくて、死後に行く天国を、より良い場所に変えていきたいっていう信仰なわけか」
「まあ、そんなところよ。アタシたち姉妹は別に、そういう聖団の信仰心を持ってるわけじゃなくて。拾って育ててくれた人が、たまたま聖団の関係者だったってだけよ。聖団の所属になってるのは、それだけの理由ね」
『シスター。元気にしてるかな。世の中がこんな状況だと、心配だよね』
「……うん」
エマに言われて、ジェシカは悲しそうに目を細めた。
トウゴは、レオに尋ねた。
「それで? この辺で聖都と言えば、たしかにローシルト領の最北端に位置する都市ではあるわけだが、レルムガルズとかいうお前たちの祖国は、北極海の海底にあるってんだろ? 陸地じゃねえ場所だ。まさか聖都に潜水艦でも隠してあって、それを使って海へ潜っていこうってのかよ」
レオは皮肉っぽく肩をすくめて答えた。
「まさか。戦時中なんだぞ。主要な航路はどこもかしこも、誰に監視されているものか、わかったものじゃない。今だって、こうして難民たちの中に紛れて移動でもしなければ、どこぞの勢力に発見されて攻撃されそうな顔ぶれのパーティーなんだぞ。潜水艦なんて持っていないが、仮にそんなもので普通に海を通過しようとしたなら……北海に展開中という噂のベルセリアの連中か、魔国パルミラのバケモノどもに発見されて、撃沈される可能性が高い」
「正論だが……。なら、乗り物で海を渡らずに、海底へ行く方法があるってのか?」
「そういうことだ」
レオは皆まで語らず、黙って歩けと言わんばかりである。
愛想のない態度には慣れたものだが、それでもトウゴは、溜息を漏らしてしまう。
ザリウスと雨宮セイジ。レオとトウゴ。そしてリーゼとジェシカの6人パーティーで、魔人の国を目指している。エマも入れれば7人だろうか。難民たちの行列に紛れ、騎士団の監視の目をかいくぐるようなルートで、ひたすらに雪路を進み続けた。
北の獣人たちの拠点を出発してから、およそ3日後の朝である。
針葉樹の森を抜けた、雪の平原の向こうに、大きな都市のシルエットが見えてきた。
それを指さして、ザリウスが豪快な笑みを浮かべる。
「見ろよ。見えてきたぜ」
トウゴたちは、その荘厳な建物の数々に唖然としてしまう。
ロゴス聖団の拠点は、アーク各地に8つ存在している。それぞれが聖都と呼ばれており、とりわけ真王直轄区にある第一聖都は、聖王都とも呼ばれている。そこには及ばないのだろうが、元ローシルト企業国の領土内に配置された、第四聖都も、相当な規模の大都市に見えた。ビルディングが建ち並ぶ一般的な帝国都市とは異なり、宗教的な施設や教会、神殿といった、歴史的な建造物が多く残されている様子だ。遠くから見えるのは、巨大な聖堂のような建造物ばかりだ。内世界で言えば、ローマ史跡が建ち並ぶ、イタリアの景色に近いだろうか。
「あれが――――第四聖都“ヨーハニス”か」
トウゴは思わず、その名を反芻してしまう。
「すげえ見た目だな、ありゃあ。大宗教の拠点ってだけの貫禄はある。どこもかしこも、教会や聖堂だらけってか。雪の草原の向こうに、いきなり中世ファンタジーな街が現れたみたいじゃねえかよ。つーか、1番でかいあの神殿みたいなのは、もう城って規模に見えるな」
『教会だけじゃなくて、大きな図書館や博物館もあるんですよ!』
「アタシも1度だけ、ちっちゃい頃に連れてこられたことはあったけど。あの都市だけ、何千年も歴史が止まったまま残ってるって感じがするのよね。アルテミアに占領されてるって聞くけど、雰囲気は相変わらずに見えるわけね」
ザリウスは腕組みをして、トウゴたちへ言った。
「さてと。ヨーハニスについたら、まずは宿を取って腹ごしらえだ」
フードローブを目深にかぶって、顔を隠しているリーゼが尋ねた。
「宿を取って腹ごしらえって……ベルセリア占領下の都市で、難民がそんなサービスを受けられる場所があるのかな」
「知らん! 俺は休みたいから休むんだ! まあ賄賂に使える金はあるし、何とかなるだろうさ、ワハハ!」
「何がワハハよ! 計画があるんだかないんだか、よくわからない適当なオッサンね!」
「おい! 王に向かって無礼だぞ!」
「だから、俺は王じゃねえってのによ、レオ……」
「あの……みんな静かにしないと、せっかく難民に紛れているのに、目立ってしまうよ?」
雨宮セイジが、周囲の視線が集まるのを気にして、青い顔で忠告してくる。
ジェシカのツッコミを気にしてか、ザリウスは咳払いをし、気を取り直して言う。
「とにかく俺が言いたいのは、だな。事を始める前に、まずは英気を養う休息が必要だってこった。なんてったって、これから“ダンジョン”へ潜らないといけなくなるんだからな」
「…………ダンジョン?」
ザリウスが漏らした単語に、トウゴが怪訝な顔を返す。
一方で、ジェシカの顔が見る見る間に青ざめていった。
「ちょ、ちょっと待って! 今、ダンジョンって言った?!」
「おお、言ったぞ」
「第四聖都ヨーハニスのダンジョンって言ったら、それってまさか……!」
「ああ。その、まさかだろうなあ」
ザリウスは不敵な笑みと共に肯定した。
「行かなきゃならんのだ。――――“聖団地下大墓地”へ」