13-44 ダークホース
アルトローゼ王国領、デスラ大森林――――。
かつて、ヒトの王アデルの反乱軍と、暗愁卿の軍が激戦を繰り広げた森林地帯である。広大な緑の森は、今は深い霧に覆われてしまっている。
それはただの霧ではなかった。
遠方から眺めなければ、全貌がわからないほどに巨大な“生物”である。衛星から撮影されたその姿は、体長が5キロメートル近い、4枚の翼を背負ったドラゴンである。実体を持たず、霧の集合体としてのみ存在する。霧でできた竜種だ。
デスラ大森林を見渡せる、高い丘。そこに野営地を設けていたアルトローゼ王国騎士団は、遠方から津波のように迫り来る白い霧を見やり、肝を冷やしていた。指揮官用テントの下に、軍議のために集まった各隊の隊長たち。皆一様に暗い表情である。軍用AIVで、視界にホログラム表示されている衛星動画を見ながら、騎士団長のエイデンも、苦虫を噛んだ顔をしていた。
「古代文明が製造したとされる兵器、聖遺物。発見されている中でも、特に強力な力を秘めたものは至宝と呼ばれ、大貴族たちのコレクションになっていた。四条院アキラの有する剣。あれもたしか、その1つだったな。かの剣の名は……“氷剣ヨルゴス”」
エイデンは隊長たちを見渡し、話を続けた。
「剣に適応できた使い手が、四条院アキラであるという話は聞いたことがある。この目で見るのは初めてだが、あれが……剣の中に眠っていたとされる伝説の戦略級生物兵器、“無形氷竜”なのか」
ドラゴン。
または“クラス6”とも呼ばれているとおり、その正体は、野生の異常存在が特異な進化を遂げた生物であると考えられている。100年に1体、発見されるかどうかという希少種であるため、その誕生プロセスや生態について、詳しいことは何もわかっていない。1つとして同じ個体は存在していないが、皆一様に、1キロメートル以上の超巨体であることから、そうした大型個体のことを、ドラゴンと呼称するようになった。
そんなドラゴン種の中でも、聖遺物の中に封じ込められているという特殊な例が、四条院家が所有すると言われていてた、無形氷竜である。
エイデンの部下の1人が、苦々しい表情で肯定した。
「……そのようです。四条院アキラの、意のままに操ることができるケダモノだという噂は、どうやら本当です。敵と味方を区別する知能があるようで、あの霧の中にいる、四条院騎士団や動植物だけは“消化”されず、攻撃されません。食われるのは我々、アルトローゼ王国騎士団の者だけでした……」
他の部下たちも、口々に言う。
「国境の新緑都市グルシラは、瞬く間に壊滅させられました。都市インフラは無傷で、我が国の騎士だけが消失させられるという、完膚なきまでの敗北。そうして四条院騎士団に、領地を奪われたのです。さらに今や見ての通り、デスラ大森林まで攻略されつつあります。敵の快進撃が止まりません……!」
「霧を相手に、どう戦えば良いと言うのだ。ミサイルや光線兵器を試してみたが、あの無形氷竜には、何のダメージも与えられなかった。ただ霧をかき回すだけで、消し去ることができない。いっそのこと、衛星兵器や核兵器級の広域破壊爆弾でも使って、蒸発させるしかないのではないか」
「その案は、アルトローゼ王国議会で否決されただろう。自国の領土を広域にわたって焼き払うなど……」
「首都でふんぞり返っているだけの議会連中に、現場のこの窮状の何がわかるというのか! あの化物を止める手立てなどないのだぞ!」
「それは議会の考えを誤解しておられるぞ。仮に衛星兵器で、無形氷竜を葬ることができたとしても、その後に、森林地帯が更地と化してしまうであろう。森林地帯は敵国の進軍を阻む盾。それがなくなれば、四条院騎士団のみならず、西の海に控えているベルセリア帝国の侵攻を容易にしてしまうであろうが! 四条院を退けたとしても、他国との戦争は続いているのだぞ!」
「なら、あの霧をどうしろというのか、貴公は!」
「よさんか、お前たち。隊長格ともあろう者たちが言い争いなど、みっともない」
いがみ合う者たちまで出る始末だったが、それについてエイデンは、軽く窘める程度で済ませた。エイデン当人としても、無形氷竜を消滅させる手立ては、衛星兵器の広範囲攻撃くらいしかないと考えていたのだ。そのため、部下の考えを否定することはしない。
だが、禁止されてしまったものは仕方がないのだ。
険しい顔で呻くよう、事実を口にするしかない。
「なんと厄介な状況だろうか……。アルトローゼ領の大半を占める密林地帯は、敵にゲリラ戦を仕掛けられる格好の地形。地の利がある我々に、優位に働くはずだった強みが……これでは、台無しだ。あの霧の内部は、無形氷竜の腹の中。森に隠れてでもいたなら、そのまま食われて、溶解させられてしまう」
「ですな。森に潜伏して待ち伏せは不可能になった、ということです。食われますから」
「正直なところ……アルテミアのベルセリア帝国に攻め入られていた方が、まだ戦いようがありました。あのドラゴンは、我が国にとって天敵。進行を止める術がありません」
隊長たちは皆、一斉にエイデンへ視線を集めた。目の前の最悪な状況に対して、騎士団長であれば、何か打開策があるのではないかと、期待しているのだ。まるですがるように、期待を込めた眼差しである。
「いかがいたしましょう、エイデン騎士団長」
「……」
正直に言えば、打開策などない。アルトローゼ王国で最強の騎士と、主要な将たちは、アデル王の意向もあって、罪人の王冠という、実在も不確かな兵器を探す旅に出ているのだ。不要な混乱を避けるためにも、その事実は騎士団の末端には知らされていない。だからこそ、この場に集まっている隊長たちは、知らないのだ。現状の戦力だけで、攻め込んできた企業国王を撃退し、ましてや無形氷竜と正面から戦うことなど、不可能であることを。
アデル王が帰ってくるまでの時間稼ぎ。
それしかできないことを、この場で告白するわけにもいかない。かと言って、黙っていては部下たちに不安を募らせてしまうばかりだろう。レイヴンの代理として騎士団長を引き受けたものの、エイデンは難しい立場に置かれていた。
「どうするもこうするも……決まっている。まずは、あの霧をなんとかしなければならない。その元凶たるは、企業国王となった四条院アキラだ。我々の力だけで倒すことはできなくとも、ヤツの手中から、何とかヨルゴスを奪うことくらいはできるはずだ。いや……それが出来なければ、敵軍の快進撃を止められない。このままアルトローゼ王国は、数日のうちに首都まで攻め入られることになるだろう」
「……こんな時、死の騎士殿がいてくれれば」
「……」
誰かが、呟くのが聞こえた。
アルトローゼ王国で最強の騎士。死の騎士。その男が、いつまでも戦場に現れてくれないことを、隊長たちは不満に思っているのだろう。それが見て取れた。エイデンが忌み嫌っている男へ、誰もが救いを求めているのである。それは癪だったが、やむを得ない状況だろう。
ふと、その場の全員の視界に、緊急の通信を意味するホログラム警告が表示された。発信者は、デスラ大森林の近隣の村に展開していた部隊からである。
「……何事だ」
朗報ではないだろう。その予感は、誰もの胸中にあった。その場の全員で視界映像を共有してから、エイデンが通話を繋ぐ。すると映し出されたのは、村の広場と思しき場所である。
「……?」
奇妙だった。通話者の姿が見当たらない。カメラが映しているのは、広場の風景のみで、緊急の発信を行ったであろう人物の姿がない。隊長の1人が、エイデンへ言った。
「ここは……景色から見て、エルタ村だと思われます。ここから北へ、およそ100キロ。デスラ大森林の内側というよりも、アグニツ川岸にある小さな村。村人たちは疎開済みです。たしか今は、我が国の第73分隊が展開していたはず」
「これはどういうことなのであるか? 通話者どころか、その分隊の者たちが見当たらないではないか。緊急で発信をしてきたのは、いったいどこの誰なのだ?」
隊長たちが疑問を投げかけ合っているが、それに答えられる者はいない。
困惑しながら、しばらく全員で、村の風景を見ていることしかできなかった。
……ドン。
カメラに、何かボールのようなものがぶつかった。
ぶつかったそれが、実際にはボールではなく、人間の“頭”であることはすぐにわかった。生きたまま頭部を切断されたのだろう。その表情は恐怖と痛みで歪んでいる。
「なっ!?」
「ひぃっ!」
一気に青ざめる隊長たち。その姿が見えているわけではないだろうが、画面の向こうからは、四条院の騎士たちがバカにして笑う声が聞こえてきた。画面の隅から敵国の騎士たちが現れ、地面に転がった頭を
蹴り合い、そのままサッカーボール同様の遊具であるようにして遊び始めている。その残虐な遊戯を見せつけられた隊長たちは、血の気が失せた表情で言葉を失ってしまう。
「なんとおぞましい……!」
「あの頭はまさか……我が国の騎士の者なのか……!?」
「我が国の軍用AIV通信で、この映像を送りつけてきているということは……展開していた部隊を全滅させ、死体から奪ったのか?」
「こんなことが許されるのか! こんな、人間とは思えぬような仕打ちが!」
仲間の死体を弄ばれている。人の仕業とは思いたくない悪魔の所業を見て、隊長たちは絶句する。そうしていると、遅れて1人の男が画面に現れた。その顔を見て、軍議中の全員が驚いた顔をする。怒りに表情を歪めながら、エイデンが名を呼んだ。
「貴様……四条院アキラ……!」
金髪。青い目。顔立ちは整っており、美形だ。戦用甲冑のようなボディアーマを着込み、その手には、不気味に青黒く発光している、氷剣ヨルゴスを手にしていた。漆黒のマントを羽織った、敵国の企業国王である。以前のような好青年の雰囲気は微塵もなく、冷酷無比な王を思わせる、精悍な顔つきに変わっていた。
『見ているか、アルトローゼ王国の騎士たち。これが、お前たちの未来だ』
アキラの言葉と共に、カメラのアングルが変わる。
するとそこには、広場で山積みにされた死体の山が映し出された。
その手前には、捕獲されたのであろう、まだ生きているアルトローゼ騎士たちが正座させられていた。 だが程なく、処刑人の手によって斬首され、殺害されてしまう。
「……むごい」
四条院騎士団に反抗すれば、恐ろしい目に遭わされて殺される。
この残酷なショーが、アルトローゼ王国騎士団にその考えを根付かせ、士気を下げるためにやって見せているのであろうことは、この場の誰もが理解していた。こうして仲間が処刑されるのを見せつけるやり方は、戦時中の国同士であれば、よく行われている情報戦の一種である。だが、敵の術中にハマるまいと思っていたとしても、見せつけられる衝撃的な映像は、全員の胸中へ抗いがたい恐怖を植え付けてくる。その効力は絶大だった。
『こんなものでは終わらない。俺はこの国を奪いに来たんだ。楯突く奴等は皆、同じ運命を辿ることになる。戦うつもりなら、よくよく覚悟してかかってくることだ』
「……それは、こちらのセリフだ」
臆した隊長たちに代わり、エイデンは勇気を振り絞って応える。
恐怖が表情に出ないよう、賢明にポーカーフェイスを作って、強気に言う。
「四条院騎士団は、アークにおいては、我が国と同等の小国家。そして軍事力においては、これまで常在戦場であった我が国ほどの備えはない。めぼしい戦力は、無形氷竜と、企業国王である貴様だけだろう? 我々が、いずれかを討ち倒せば、この形成はすぐに逆転する。そうなったなら、憶えておけ。今日この時に行った非道を、我々が何倍にもして返してやるからな」
エイデンの発言を聞いて、アキラはクツクツと低く笑った。
『――――ヤツ以外に、この俺が止められると思っているのか?』
「……」
『勿体ぶっていないで、さっさと連れてくることだ。雨宮ケイをな』
見透かされている。
その一言でわかった。
エイデンが言う通り、無形氷竜か、四条院アキラを倒すことが出来れば、アルトローゼ王国の形成が逆転することは間違いないだろう。だが、アルトローゼ王国騎士団に、そんなことを実現できる力がないのは、気付かれているのだ。
『雨宮ケイに伝えろ。貴様が今すぐに出てこなければ、アルトローゼ王国は滅びるとな』
婚約者を奪い去り、アキラへ劣等感を与える男。
それをこの手で殺してやりたいのだと、アキラは願い焦がれていた。
ストック話数がなくなりましたので、しばらく書き溜め休載させていただきます。
連載再開時期は、また別途、発表いたします。