13-40 風と雷と炎
「先制攻撃ってなあ!」
先陣を切って飛び出したのは、勇者パーティーの斬り込み隊長、雷斧のエリオットである。バチバチと放電している自慢の戦斧を高らかに掲げ、跳躍すると、それを氷上へ叩きつけた。直後、エリオットの位置からケイの足下へ伸びるように、湖面を覆う氷が、大きくひび割れる。足場を砕かれ、バランスを崩しかけたケイを追撃するように、雷斧から放たれ電撃の衝撃までもが襲いかかる。
だがそれを、ケイは剣の薙ぎ払いで、難なく拡散させる。
実体のない雷を、斬り裂いて見せたのだ。
さすがのエリオットも、目を疑った。
「俺の雷を、いなしただと!?」
初撃を退けたのも束の間。崩れた氷の足場から離れようと、ケイが後退しているところを、横からクリスが襲撃する。エリオットに注意が向いていたケイの死角から、回り込んできていたのである。滑る氷の上でも、得意の風の魔術であれば、クリスは移動に苦労しないのだろう。地面の上にいる時よりも早く、加速しながら鋭い突きを繰り出そうとしていた。
後退中の、無防備なケイの脇腹をめがけて突撃するクリス。
その剣先に、ローラが炎の魔術を上乗せした。
「炎と風の連携ならどうです!」
ローラは、クリスの武器に火属性を与えた。火炎をまとって燃え盛る剣を手に、クリスはケイへ衝突する。ケイは自身の剣で受け止め、ガードしようとする。そうして互いの刃が接触した途端、クリスの剣先から、マグマが噴き出すように、激しい紅蓮の火炎が吹き上がった。
まるで剣から放たれた、ドラゴンの吐き出す火炎の息。
それがケイの姿を呑み込み、消し去る。
クリスの風の魔術が、ローラの炎を煽り、火柱のようにケイへ吹き付けたのだ。炎の勢いは凄まじく、ケイどころか、周囲一帯を焼き尽くして炎の海にしていく。氷上であるため、火の点くような草木はないが、溶解した氷が蒸気を発し始めた。
「!?」
クリスの剣先から迸る炎。その紅蓮の中から、ケイの剣先が突き出して見えた。その剣先が、天に円を描くような動きを見せたかと思った次の瞬間、炎がかき消された。つい今しがたまで、至近距離から炎を浴びせかけられていたはずのケイは、火だるまになることもなく、涼しい顔である。衣服が焼けた形跡もなく、動じた態度すらない。まったくの無傷であるケイを目撃したローラが、驚愕して声を上げてしまう。
「そんな! ありえません!」
この程度でケイを倒せるとは思っていなかったのだろう。クリスだけは、冷めた眼差しでケイを睨み続けていた。今の渾身の突きで、相手を殺傷できなかったことを悟ると、即座にそのまま連撃を繰り出し、クリスはケイと切り結び始める。剣聖に劣らぬ攻撃速度で、鋭い剣を繰り出してくるクリス。エリオットとローラの魔術よりも、クリスの剣技の方が、ケイにとっては驚異に感じられた。
達人の域にある2人の攻防を傍から見ていて、エリオットが背筋を冷たくしながらぼやいた。
「雷で足を止めてからの、灼熱地獄。俺たちの得意な連携攻撃は通用しないってか」
「並みの相手なら、今ので勝負はついています……!」
「クリスと互角に斬り合ってんだ、ザコや異常存在どもみたいに、簡単にはいかねえってことだ!」
勇者に加勢するべく、エリオットは氷上を駆ける。
火花を散らして剣をぶつけ合う、ケイとクリス。2人ほどの手数を出すスピードはないが、エリオットには持ち前の膂力と、身体の頑丈さがある。クリスの隙を突いて繰り出された、ケイの危険な一撃。それを横から戦斧で叩き伏せる。
「……っ!」
クリスが後退し、ケイとの間合いを開けて立て直そうとしている間、選手交代で、一時的にエリオットが前衛を受け持つ。
エリオットからすれば、ケイは小柄で、非力そうな見た目の少年である。重たい戦斧を振り回している、筋骨隆々の男の一撃を受ければ、剣ごと両断して、力任せに殺せるだろう。だが、そんな常識的な見立てが、アルトローゼ王国の死の騎士には通用しない。
エリオットの渾身の振り下ろしを、ケイは容易く剣で受け止める。しかも片手持ちの剣で、である。そのまま反撃に転じ、エリオットと同様に、上段からの鋭く早い振り下ろしを繰り出してきた。かろうじて防御が間に合い、エリオットはケイの攻撃を戦斧で受ける。途端、身体を地に引き寄せられるような、重々しい負荷が全身にかかった。
「くぅ……! なんて重い一撃を出しやがる!」
ケイの一撃の威力を受け止めきれず、エリオットは片膝を氷上に突いてしまった。体勢を整え終えたクリスが、すかさず前衛に出てきて、ケイの相手をする。
「少し下がれ、エリオット! 1人で前に出すぎると危険だ!」
「へっ。勇者パーティーの突撃隊長に、下がれってかよ……!」
「今のでわかっただろう。ケイは少なくとも、お前より実力が上だ」
「……言ってくれるね、ボス。傷つくが、まあ事実みたいだ」
エリオットを後退させたところで、クリスは再びケイとの間合いを開けた。
そうしてケイと対峙し、語りかける。
「さっき、氷を割って見せたのといい。雷や炎をかき消したのといい。もはや間違いなさそうだ。君も“流れ”を利用する域にきているわけだな」
「……流れ?」
「とぼけるな。知っているんだろう? 世界に張り巡らされている見えないマナの繋がり。魔術の世界の言い方に従えば、EDEN。そこにある情報の流れだ。流れというものは運動であり、エネルギーを生じさせる。魔術はEDENへ影響を及ぼそうとする術だが、俺たちのような使い手は、EDENの流れそのものを利用し、それを自身の力へ上乗せして強化する」
クリスの説明を聞いて、ケイは納得する。
「うちの流派だと、星を流れる気と書いて、星気と呼んでるよ」
「呼び方なんて、どうでも良いか。言いたいのは、君にできていることは、俺にもできるってことだ」
「!」
風の魔術で加速するクリス。これまでよりも数段早い速度で、正面からケイへぶつかる。クリスの突撃の勢いを殺すのが間に合わず、ケイは湖畔の森の方まで吹き飛ばされてしまった。遠く向こうで、ケイがぶつかった数本の木が、へし折れて倒れるのが見えた。クリスはフワリと宙へ浮かび上がると、吹き飛ばしたケイの後を追いかけるよう、森の方へ飛んでいった。
クリスが得意なのは、風の魔術を使った空中戦。
地に足を付けず、空間を自由に駆け回りながら攻撃する、エアリアルコンボだ。
それを使い始めたからには、いよいよもって本気である。
飛べないエリオットとローラは、遅れながら駆け足で森の方へ向かった。クリスとケイの攻防は見えないが、行き先からは、すでに激しく刃がぶつかり合う音が聞こえてきていた。
「雨宮ケイ。単独でも剣聖に近しい実力者のクリスさんと、真っ向から戦えるなんて……!」
「この目で見ても信じられんぜ。勇者クリスと、タメを張ってるってのかよ、あのガキは……!」
森の中で斬り結ぶ2人に追いつくと、エリオットとローラは、再びクリスへ加勢しようとする。
だが……あまりにも高速な2人の戦いを目の当たりにして、足が竦んでしまう。
木々の合間を、目にも止まらぬ速度で移動しながら、刃を交えている。それがわかるだけで、もはや肉眼で2人の攻防の全てを捉えることは不可能なレベルであった。
「何だよ、こりゃあ!」
「強さの次元が違います……! これでは、下手に手出しができません……!」
「いつも余裕だったクリスが、ここまで本気で戦っているところ、初めて見るぜ……!」
「私もです……!」
クリスが強いことなら、エリオットとローラはよく知っている。だがクリスは、いつもどこか全力を出しておらず、余力を持っているように見えていた。それは勇者クリスが、全身全霊で挑む必要があるほどの強敵に、遭遇してこなかったことを意味している。
「雨宮ケイは、クリスがここまで本気にならないと勝てない相手ってことかよ……! アルトローゼ王国で最強の使い手。言われるだけのことはあるって、認めてやる。これが本当に、2年前まで剣術の素人だった、あのガキなのか?!」
「企業国王を葬り、あの剣聖と2度も戦って生きているというのは、運や偶然ではないようです……!」
何とかクリスの力になりたくて。支援したくて。エリオットとローラは、直接的にケイを攻撃することはやめ、クリスに有利な“環境”を作り出そうと考えた。
「クリス!」
ケイと交戦中のクリスだったが、エリオットの呼びかけに反応する。
一瞬だけ目が合い、それで互いに意図は伝わった。
ローラは炎の魔術で、森の中に巨大な炎のサークルを作り出す。そのサークルは炎の壁を形成し、自分たちを含めて、ケイを閉じ込める檻のように展開された。一方、エリオットの方は戦斧に雷を蓄積し、これまでにも増した放電現象を発生させる。
「こいつは俺たちのとっておき! 自爆技で痛いから、滅多にやらないが!」
「使わなければ勝てません!」
「やれ、クリス!」
言われるのと同時、クリスは上空高くへ舞い上がると、一気にケイから間合いを取る。そして風の魔術で強風を発生させると、ローラが生み出した炎を激しく煽り出した。煽られた炎は風に巻かれ、炎の竜巻に変貌していく。それによってサークルの中の一帯が業火に包まれると、そこに生えていた木々は、かぶっていた雪の傘を蒸発させ、燃え盛る。息もできないほどの高熱の中、ローラは魔術で防壁を張り、自身とエリオットの身を炎から守りながら、声を上げる。
「この威力の炎なら、先程のように簡単には無力化できないはず!」
「自分たちも含めた無差別攻撃だ!」
エリオットは、ケイのいた方角に向かって戦斧を掲げる。
そこから周囲一帯へ、強烈な電撃が迸った。
それは、自分たちが攻撃に巻き込まれることを覚悟した、炎の竜巻と電撃の範囲攻撃。これまで勇者パーティーが、一筋縄ではいかない、強力な異常存在を倒す時に使用してきた自爆技である。これを出して、倒せなかった相手は、これまでに存在してこなかった。
「静剣――――」
涼やかな声。
ケイが呟くのが、かすかに聞こえた。
「……ウソだろ?」
エリオットとローラは、信じられない光景を目の当たりにしていた。
炎の竜巻に巻かれ、雷によって大地が覆われている即死地帯。その中ですら、ケイは無傷で立っている。剣先から炎と雷を吸い取るようにして、自身の後方へ受け流している様子である。いったい、どういう芸当でそんなことを実現しているのか、見当もつかない。
あまりにも、常識から外れすぎている。
炎と雷が収束すると、エリオットとローラは、衣服のあちこちを焦がしており、身体からは湯気を立てていた。その場に膝を突いてしまう2人を、冷ややかな目で見つめているケイは、無言で立ったままだった。今の攻撃は凄まじい火力であったため、さすがにケイも、着ていた服の裾くらいは焦がしている。だが、目立った損傷はその程度で、身体に怪我などは見受けられなかった。
息も絶え絶え。汗だくになりながら、エリオットはケイを睨んで悪態をつく。
「何て野郎だよ、テメエは……。しかもこれで、まだ例の“原死の剣”とかいう赤剣を出してねえ……手を抜かれてるってのは、ムカつくぜ……!」
ケイは苦笑を返して言った。
「……出さないんじゃなくて、出せないんだ」
「……?」
「悪いね」
エリオットは、自分の隣で膝を突いて俯くローラを心配した。
「無事か、ローラ……!」
「エリオットさんこそ……大丈夫なんですか……!?」
「何とか生きちゃいるが、もう一回はできねえな……この小僧には、効いてもいないみたいだし、無駄だろ……」
「……」
完敗を認めている2人の前に、それまで上空で待機していたクリスが降り立つ。
こうなるであろうことを、半ば予測していたのだろう。
ケイと同様に、クリスも冷静な態度で言った。
「やるね、ケイ」
「……」
「見違えたよ。どうやら君の成長は、俺の想定を遙かに超えていたようだ。自分よりも遙かに格上の相手とばかり戦ってきた経験値は、君を武芸者として、途方もない高みに押し上げたと見える。ひょっとしたら、もはや剣聖すら……」
皆まで言おうとして、クリスはやめる。
気を取り直して、話を続けた。
「一流の使い手には、技術以外にも、心の強さが求められる。心技体の言葉通りだ。相手に怯えず、惑わされず、冷静でいられること。そして“負けない”という、相手を上回る情熱。今の君からは、以前に対峙した時と違って、強い“芯”のようなものを感じるよ。それが信念であるのか、闘争心であるのか、俺にはわからない。だが……今はそれを、羨ましく思うよ」
「……羨ましい?」
クリスはケイの問いには答えず、背後で膝を突いている2人へ忠告した。
「エリオット、ローラ。その怪我では、これ以上、ケイと戦うのは危険だ。下がっていてくれ」
「おいおい、クリス! まさかアイツと、たった1人でやろうってのか?!」
「無茶です、クリスさん! いくらあなたでも!」
「心配してくれるのは、ありがたいけれど。俺はまだ、ケイに圧倒されているわけではないだろう?」
クリスはなぜか、場違いに寂しげな笑みを浮かべて、仲間を振り返る。
「頼む……。ケイとは、2人で決着をつけたいんだ」
「……」
「……」
長年、共に戦ってきた仲間の、妙な態度。
エリオットも、ローラも、それに思うところがあったのだろう。
頼み込んでくるクリスを、しばし呆然と見上げた後、エリオットが鼻を鳴らした。
よろめく足取りで立ち上がると、ローラに肩を貸す。
2人並んでクリスへ背を向けると、エリオットが振り返らずに応えた。
「……存分にやってこい。そんで、ちゃんと帰ってこいよ。もう一度、勇者としてな」
それだけ言うと、落ちていた戦斧を拾って雪路を歩いて行く。
離れていく仲間の背を見送りながら、クリスは苦笑を浮かべて呟いた。
「まったく……。俺みたいな根無し草にはもったいない、できた親友だよ、エリオット。ローラ」
クリスは真顔に戻り、再びケイを振り返った。エリオットとローラが撤退するのを、黙って見ていてくれたことには感謝しつつも、クリスは敵に対する殺意を高めていく。
「ここからは一騎打ちだ。お互い、手加減は一切無し。どちらかが死ぬだろう」
「……来いよ、クリス」
ケイは再び剣を構えて宣告した。
「あんたとの因縁は、ここで絶っておく」




