13-30 過去への旅
寝室の扉が、ノックされる。
返事を待ってくれていることから、少なくとも来訪者がトウゴでないことはわかった。
「どうぞ」
ケイが応えると、姿を見せたのは、アトラスだった。
意外な人物が顔を見せたことには、少し驚いた。
「具合はどうだ、雨宮殿」
礼儀的に、それを尋ねてくるアトラス。相変わらずのムッツリ顔を見ていると、人になったばかりの頃のアデルを彷彿とさせた。だからだろうか。ケイは苦笑して返した。
「何とかまた、生き延びられたらしい。砕かれたとは言え、原死の剣が、オレを守ってくれたおかげだ。けれど真王にやられた傷は治りが遅くて……ハンナからは、もう1日だけで良いから、ここで安静にしていろって、言われてるよ。心臓の治癒状況が、あまり芳しくないらしい」
「そうか。それでも治らないよりは、快復に向かっていることだけでも幸いと考えられる。つい昨日までは、話をすることも辛そうだったと聞いている。それを考えれば、雨宮殿の再生能力は凄まじい」
「……オレと話ができるようになるのを待っていた、ってことか?」
「さすがに察しが良いな」
アトラスは肯定した。
そのまま、ベッドの隣の丸椅子に腰を下ろす。
少し間を置いてから、語り始めた。
「機人の女王は……自らの知りうる知識を、我等に与えてくれた。その返礼として、我は知りうる情報を、彼女へ渡す約束をしていた。だが真王たちの襲撃によって、そうしている時間はなかった。本来であれば、あの時に、皆の前で何もかもを打ち明けるつもりであったが、予定が変わってしまったな」
「……そうだったな」
ラプラスは、2500万年間にアークで起きた出来事について語ってくれた。その見返りとして、アトラスは原初の時代に何が起きたのか。世界がこうなってしまった“原因”についてを語る約束だった。自分が約束を果たせていないことを、気にしていたのだろう。アトラスは少し、残念そうな顔をしている。
「我が語ろうと思っていたのは、真王の誕生について。コアプログラムたちの暴走について。そして我や、アデルの過去についてだ。今は、その語りそびれてしまった話を、伝えねばならないという、使命感のようなものを感じている。なればこそ今ここで、雨宮殿に伝えておきたいと考えているのだ」
アトラスは、自分の持つ情報を伝えたがっている。
ならばと思い、ケイは尋ねた。
「……みんなを集めて、一緒に話を聞いてもらった方が良いんじゃないのか?」
「いや。その役目は、雨宮殿に譲ろう」
「……?」
「雨宮殿たちと旅をして、よくわかった。皆、アデルのことを心底から、家族同然に、大切に想ってくれているのだと。それは我にとって、とても嬉しいことだ。だが、だからこそ、これから我が渡す情報は、皆にとってツライものであり、深く傷つけかねないものであると考えた。……我は知っての通り、口下手だ。まずは雨宮殿に知ってもらい、雨宮殿からうまく、他の皆へ伝えて欲しいと希望している」
「……」
「それに雨宮殿には、誰よりも先に知っておく権利があると考えている。今のアデルに、最も近しい存在として」
そう言われたケイは、複雑な心境だった。
アデルのことをないがしろにして、傷つけてしまった自分。それを猛烈に自覚し、悔恨の念に囚われている。果たしてそんな自分が、アデルに最も近しい存在だなどと自負して良いのか。話を聞く資格があるのか、わからなかった。
だが……。
「教えてくれ。オレはアデルのことを、知りたい」
知りたいと願った。
アデルについて、自分が何も知らなかったことを、今ひどく痛感している。
少しでもアデルのことを理解したいという、強い想いが生まれていたのだ。
そうしなければきっと、ケイはまた、アデルを傷つけてしまうだろう。
真王からアデルを取り戻せる自信はない。
だが、あの2人の関係を知らなければ、絶対に取り戻せなくなるという確信がある。
アデルのことを理解しなければ、ケイの言葉は、アデルに届かないはずだ。
希望にすがるような思いで、悲痛な顔のケイは、アトラスへ懇願した。
「良いだろう」
アトラスは言うなり、片手のひらを、ケイの額へ押しつけてきた。
「……何をしているんだ?」
「我の口から聞くよりも、見た方が早い。今から雨宮殿に、我の記憶データを流し込む」
「流し込むって」
「記憶データの共有だ。体感では少し長く感じるかもしれないが、安心して良い。現実世界では数瞬の出来事だ」
次の瞬間、ケイの視界が眩い光で溢れた。
◇◇◇
視界いっぱいの眩い輝きに目を細めていたが、いつしか光は収束している。
景色が鮮明になる頃には、ケイは自分が、見知らぬ場所にいることに気が付いた。
つい今しがたまで、自室のベッドの上に横たわっていたというのに、違う場所に立っている。どこかの公園だろうか。床は芝生になっており、新緑の木々に囲まれた、広場の中央だ。自国は昼下がりだろう。太陽が空に輝き、爽やかな風が吹き抜けていくのを感じた。
もっと俯瞰した視点に立てば、おそらくそこは、郊外の丘の上にある公園だ。
遠くには見知らぬ、大都市のような景色が一望できる。
「なんだ、あれは……!」
思わず声を漏らして驚いてしまう。
遠くに見える建物は、ビルディングに似たシルエットをしているが、よく見ればそれらが、乳白色の大樹であることがわかる。窓のようなものが無数についており、巨木の中をくり抜いて建造されたのだろうか。木でできたビルが無数に並び立ち、複雑に絡まり合って、天高く聳えていた。天辺付近には鮮やかな緑の葉が生え揃い、巨大な傘を形成している。周囲は色とりどりの花で彩られた、美しい景観の都市だ。どことなく、白石塔を思わせる形状の建造物が多いが、ケイの知る白石塔とは、色々と違っている。別物だろう。
人と自然が調和した理想郷。
そんな印象を受けていた。
「……?」
それとは別に、ケイは自分の体感に、強烈な違和感を抱えていた。
地面の上に立っているというのに、上下の感覚がないのだ。
ついこの前に体験した、無重力空間を漂う感覚に似ている。
「どこかに空間転移してきたのか? 無重力空間にいるみたいに、自分の身体の重さを感じないし……いったいここはどこだ?」
「――――雨宮殿の時代から、およそ2500万年前」
「!?」
「我が生まれた時代の景色だ。そしてあれが、我の故郷でもある」
「アトラス!?」
いつの間にか、ケイのすぐ隣に立っていた。
驚いているケイに構わず、アトラスは淡々と語った。
「空間転移したわけでも、タイムスリップしたわけでもない。これは、我の記憶データに残っている像を再現した景色。それを雨宮殿に共有しているのだ。見ることはできても、干渉することができない、鏡の世界だ。そう考えれば良い。我が知っている遠い過去の出来事を、見せているにすぎない」
それを聞いて、ケイは納得した。
「……見た方が早いっていうのは、こういうことか。まさか、こんなことができるなんて」
「雨宮殿たちのことわざで言えば、百聞は一見にしかず、だったか? 話を聞いてイメージするよりも、真実を見た方が、より深い理解を得られるだろう」
いつものように小難しく語り、そうしてからアトラスは続けた。
「我の時代において……政府と言える機関は“アーク連邦管制司令府”と呼ばれていた。文字通り、この人工惑星アークの管制権を有し、星の航路決定や、内部に住まう人々を統治する組織だ。そしてここは、その司令府の中枢たる首都。我の“勤め先”があった都市だ」
2人並んで、遠くの都市を見やる。
何となく、ケイは尋ねた。
「ならつまり、あれが人工惑星を統治していた政府機関のある場所。アークの中枢都市だってことか。アトラスは、あそこで役人をやっていたのか?」
「役人か……。雨宮殿たちの社会に、当時の我の地位に相当する役職はない。我等の時代には民間企業がなく、仕事とは、個々の適正に応じて司令府から割り振られるタスクのみであった。公業と民業の区別がないのだ。人は皆、同じ星に住まう同居人であり、同じ宇宙船に同乗している乗組員も同然だったからな。だが、そうだな。便宜上、我は役人であり“研究者”であったのだと考えてもらえばわかりやすいだろう」
「研究者?」
「我が勤めていた先は、司令府の組織の中に組み込まれた、研究開発セクション。人工惑星内に住まう人類の生活向上や、文明発展に対する責務を担う、部門であった。星内の社会を、よりよくするための発明をすることが仕事だった。現代には“公益資本主義”という概念が存在するが、我の時代の価値観は、それに近い。全ての人々に、高水準の衣食住が完全に保証されている社会においては、それを得るために働くのではなく、人々は純粋に、社会をより良い場所にするため。社会に貢献するために働いていたのだ」
「アトラスは、研究開発の仕事によって、人工惑星内の社会を、より良くしようと働いていた1人だったってことか」
「然り。そして――――“文明進化研究局”。我はそこの研究員の1人だった」
アトラスの言葉と共に、ケイの視界に機械ノイズが生じる。
次の瞬間、またケイは、知らない場所に立っていた。
先程までいた公園のような、屋外ではない。どこかの建物の内部だろう。乳白色の壁と天井。宝石のように煌めく青い床。いずれもコンクリートなどではなく、材質は不明だった。映画の中で見るような、近未来感の溢れるデザインの、広い部屋にいた。白衣と思わしき外衣を着た人々が、せわしなく周囲を歩きまわり、見たこともない機材を操作している姿がうかがえた。
研究室内――――。
見るもの全てが知らないものばかりであったが、雰囲気から、そうであるのだと感じた。室内の中央には、大きなガラスのケースが置かれており、その中にはポツンと、1輪の赤い花が咲いていた。
「あれは……」
見たことのある花だ。それもそのはずだろう。かつて佐渡の診療所で見た“無死の赤花”であり、アデルの頭から生え出ている花だ。ケースの中に閉じ込められた、その花の根が、土の下へ無数に伸びているのが、透視像として表示されていた。その根の先には、プローブや電極のようなものが取り付けられており、その配線の先を辿れば、得体の知れない機械と、大きなガラスモニターが接続されている。まるで、無死の赤花を、機械へ接続するような配線だ。
物珍しそうに周囲を見ていたケイへ、アトラスが言った。
「ここは、我の勤め先。研究室だ」
「やっぱり、研究室なのか。見た感じ、そんな雰囲気がしてた。……すると、この人たちは?」
「我の同僚たちだ」
アトラスは、ガラスモニターの傍に立っている、1人の研究員を指さした。
「そして、あれが当時の我だ」
「……?」
アトラスが指さした男は、今のアトラスに似てはいても、別人に見える。
不思議そうな顔をしているケイへ、アトラスが苦笑交じりに言った。
「肉体を持っていた当時と、リーゼ殿に復元された今とでは、容姿の一致率は40パーセントほどだが、あれが昔の、我の姿で間違いない」
「なるほど。今の姿が、完全に昔の姿ってわけじゃなかったんだな。……でも今も、昔の面影はあるよ」
「そう言ってもらえると、我も嬉しい。人の姿を棄てて、ずいぶんと長かったからな。かつての自分の姿への執着は、ほとんど残っていないが。それでも自分が昔と変わっていないのだと思うと、救われたような気になる」
昔のアトラスは、先程から隣に立っている男と、親しげに話をしていた。
その横顔が見えた瞬間、ケイは目を丸くして驚き、咄嗟に身構える。
「アイツは!」
「ヴィトスだ」
アトラスは淡々とした口調で宣告する。
真王ヴィトス――――。
機人の国を襲撃し、ケイを殺し、アデルをさらった男。設計者たちの上位に君臨する、正体不明の人物だ。アトラス本人が肯定したことで、昔のアトラスが語らっている相手が真王であることは確定した。だが……ケイが遭遇した時よりも、若い姿であるように見える。
「雨宮殿、落ち着け。これはあくまで過去の記憶データ。干渉できない“映像”でしかない」
「アトラスと真王は、文明進化研究局の“同僚”だったのか?!」
「その通りだ。ただ同僚には違いないが、正確には、ヴィトスの職位の方が、我より上だった」
いきり立っても仕方がないとは言え、目の前に真王がいると思うと、心穏やかではいられなかった。だが何とか我慢し、ケイは落ち着こうとする。それを横目にしながら、アトラスは語った。
「ヴィトス・ローゼンハイト。若くして主管研究員の地位にまで上り詰めた、希代の天才科学者。我の同僚であり、幼い頃からの我の友。そして……“イノセンス計画”の総指揮者であり、自己進化型集合知性の第一人者でもある」
「イノセンス計画?」
「……間もなく、起動試験が始まる」
アトラスは質問に答えず、これから起きることを見ているようにと、ケイを促した。
研究室内が静まり返る――――。
職員が全員、配置についたのだろう。それぞれが機材を操作しながら、状況を口にして報告し合っている。すると、ガラスケースの中の赤花が、ほのかに光を放ち始める。まるで、花に命の火が宿る瞬間を目撃しているような光景。アトラスの言う起動試験とは、花に対して何かを行おうとする実験のようだ。
全ての操作が終わったのだろう。
ガラスモニターには、コンソールの入力待ち受けを意味する点滅が表示され始めた。
やがてそこに、文字が現れた。
『――――おはようございます』
その文字が表示された瞬間、研究室内には歓声の声が上がった。
主幹研究員であるヴィトスが、ガラスケース越しの赤花へ向かって語りかけた。
「やあ、おはよう。起動試験は、どうやら成功のようだね。僕の声が聞こえているかい?」
ケイが戦った時の真王からは、考えられないほどの優しい口調と態度。
愛しい我が子を見つめるようにして、ヴィトスは赤花の返事を待つ。
『――――はい。聞こえています。あなたが私を起動したのですか?』
返事が返ってきたことが嬉しかったのだろう。
職員たちは歓喜し、抱き合って喜んでいた。
代表してヴィトスが、赤花へ続けて、語りかける。
「そうだよ。正確には僕だけじゃなくて、チームの全員で、だけどね。君は僕たちが創りだした、13番目のコアプログラムだ。人類の未来を担う、大切な存在さ」
『――――人類の未来を担う……それが、私の創られた理由でしょうか。私はこれから、何をすれば良いのでしょう』
「たくさんのことを学ぶことだ。これから君は、多くのことを学び、多くを見て、人類の行き先を決める。その判断材料を集めなければならない。人類に最大限の幸福と、公益をもたらすために。人類にとって、1番良い選択をするために」
『――――学ぶ……。私は学んで、人類にとって1番良い選択をする。それが使命』
「そんなに難しく考えることはないよ。まずは実際に、人として生きてみて、それから考えてくれれば良いだけだ。今、君の身体を用意しているところなんだ。外を出歩けるようになったら、一緒に遊びに出かけよう。目一杯に生きることを楽しんで、そうして答えを見つけて欲しいんだ」
『――――生きる……? 私が、人として生きる?』
「ああ。そうだよ。もう、君の名前も考えてあるんだ。可愛らしい、女の子の名前だよ」
『――――名前…………』
「僕たちの世界へようこそ、アデル」
職員たちの歓声の中、ケイは目を丸くする。
はしゃぐ人々の輪の外で、アトラスと共に、立ち尽くしていた。
「あれが、アデルという知性が、この世に生まれた瞬間だ」
アトラスは寂しげに、ケイへ微笑んだ。
「あの子も、たしかに祝福を受けて生まれてきたのだ」




