13-26 アーガスト大橋の攻防
アーク各地には、転移門が設置されている。
それによって、遠く離れた場所へも瞬間的に移動ができるようになっているため、現代人にとって“移動時間”という概念は、最寄りの転移門へ到達するまでの、僅かな時間のことでしかない。
しかし今は戦時中――――。
各国が転移門を閉鎖しているため、人々はかつての時代のように、地道に陸路を進むことを余儀なくされている。鉄道や飛空艇などの移動手段はあっても、元々が転移門ありきの文明社会において、そのインフラ設備は、十分に整えられていないのが実情だった。よって、市民たちは隣の都市への移動をするだけでも、途中にある未開の危険地帯を、徒歩で通ることもやむをえない状況が起こり得る。
市民生活ですらそうであるのだから、他国へ“侵攻”しようとする大所帯の軍隊の事情は、さらに過酷だ。旧い時代の戦争と同様、地道に、最寄りの制空権を獲得しながら、陸地を占領していくしかない。占領した拠点に、自国の転移門を設置していくことで、少しずつ進軍を進めていく。国責めとは、その方法しかないのだ。
ベルセリア帝国シエルバーン領と、魔国パルミラを結ぶ大鉄橋――――アーガスト大橋。
距離にして2キロメートルのそこは、両国にとって、相手国へ侵攻するための、最初の足がかりとなる最重要拠点。橋を落とさずに自軍を通過させ、対岸へ自国の転移門を設置したい。互いに譲れぬ地。そのため、血で血を洗う戦場と化してしまう。
橋を破壊せずに通過したい両軍は、迂闊に空爆を行うこともできず、やむをえない正面からの白兵戦を展開するしかなかった。赤さびた鋼鉄の橋の上では、ベルセリア帝国騎士たちと、押し寄せる異常存在たちの軍団が激突し、押しては引いての攻防を繰り広げている。
「クッソ! 敵の数が多すぎる! 化け物どもを何体撃ち殺しても、まるで前進できないぞ!」
「畜生! 橋の上が死体の山だ! 向こう側が見えねえ!」
「やられた前衛兵たちの死体や、化け物の死体が邪魔だ! 手が空いてる後衛は、死体を橋から投げ捨てて掃除しろ!」
橋の上は人と怪物の血肉にまみれており、道中の端々から水滴のように、赤い鮮血が谷底へと滴り落ちていく。鮮血の海と化した橋上は、見たこともない地獄の光景を生み出している。異常存在たちは撃たれ、斬られ、絶命していく。人間たちは刺され、殴打され、生きたまま喰われて悲鳴を上げる。おぞましい狂気の景色を目の当たりにした兵士たちは、恐怖で逃げ出そうとする者が出るほどである。阿鼻叫喚と、獣の呻き声に満ちた戦場で、舞うように戦うメイド姿の少女があった。
「どこも血だらけ! キモいし、くっさ! こりゃあ本当に地獄の景色って感じだねー!」
普段のメイド服の上から、軽鎧を身につけた格好。手にした愛用の武器、銀銃剣は、すでに怪物たちの血肉にまみれていた。忌々しそうに空を見上げ、毒づく。
「こんなのいつまでもやってられないっての! さっさと対岸の制空権を取ってこいっての、戦闘機部隊!」
ネロの悪態に反応したわけではないだろうが、上空を無人戦闘機の編隊が通過していった。
両軍ともに橋を破壊することはしないが、対岸の陸地を爆撃することに躊躇はない。ベルセリア帝国側からは無人戦闘機群が、魔国パルミラ側からは、高速飛行能力を有した大型異常存在たちが出撃し、空中で激しい戦闘を繰り広げていた。空中戦も、陸地戦と同様に、橋を境界にした制空権の奪い合いが続き、戦況は膠着している様子だった。
「もー、焦れったい! 下っ端たちが不甲斐なさすぎるから、あたしが休んでる暇ないじゃん、勘弁してよー!」
血の海で地団駄を踏みながら、ネロはこめかみに青筋を浮かべて喚いた。そうしているうちに、前衛の騎士たちが、棍棒を担いだトロール型の異常存在になぎ倒された。派手に殴り飛ばされ、橋から放り投げ出されて落ちていく騎士たちを横目に見つつ、ネロは溜息を漏らした。
「……“力場魔術”」
視線を鋭くするのと同時に、魔術を発動させる。
ネロの身体は、フワリと浮かび上がり、虚空を漂う。
まるで見えない手につまみ上げられ、空へ引っ張り上げられたようである。
「――――“加速場”」
トロールに向かって銃剣を突き出したネロの身体は、前動作もなく弾丸のように飛び出す。そうして、自身の何倍もある巨体の周囲を飛行し、見る見る間にその身体を斬り裂いて、血染めの肉塊に変えてしまった。屈強な騎士たちでも敵わず、戦線をなぎ倒して突撃してきた怪物が、年端もいかないネロによって、あっという間に瞬殺されてしまった。それを見ていた後衛の騎士たちからは、歓声の声が上がっていた。
「この程度の相手、ザコもザコ。それを倒したくらいで、いちいち喜んでる場合かっつーの」
トロールの後続にいた敵軍の異常存在たちを切り刻みながら、そのままネロは一気に、帝国騎士団の戦線を押し上げる。突貫するネロに続いて、騎士たちは橋の上を駆けた。
順調に快進撃を続けるネロ。
ふと、橋の上に着地した瞬間だった。
「!」
足の下から、得体の知れない違和感。それを察知し、大きく後方へ跳躍してその場を離れる。今しがた、ネロが着地しようとした位置。鉄橋の柱の影が落ちる場所から、無数の“黒いトゲ”が生えて突き出してきた。逃げずに立ち止まっていたら今頃は、剣山のようなそれらで、ネロは串刺しにされていた。
「影のトゲ……?! 魔術!?」
「――――なるほど、なるほど。シュバルツ流の第2階梯、銀銃のネロ・カトラス。クラス4がザコ同然。足止めすらできない相手とは。なるほど、聞きしに勝る凄腕のようです」
知らない男の声がした。
黒いトゲは、柱の影の中へ引っ込んで隠れた。その代わりに今度は1人、声の主であろう、人間の男がゆっくりと、影の中から生え出てくるのが見えた。焼けただれた、ひどい火傷の傷跡を顔に持った男。軽鎧に身を包み、手には禍々しく湾曲した大鎌を手にしている。まるでその姿は、闇から生じた死神を思わせる出で立ちである。
これまで直接、出会ったことがない相手ではあったが、その特徴的な顔に、ネロは見覚えがあった。写真であっても、1度見たなら忘れない、グロテスクな顔である。
「そっちはたしか……アルトローゼ王国騎士団、第3治安情報支局。“元”支局長の、ザレク・アレイスター、とかいう名前だっけかー?」
「見た目に似合わず、情報通のご様子」
「いやー。そんなグロい顔、見たら普通は忘れないって。人の名前憶えるのって苦手だけど、さすがにあんたのことは憶えてるわ」
「みなさん、よくそう仰られますよ。私の仕事は諜報。なのに男前すぎるというものは、この仕事にとってツライ才能です。すぐに顔を憶えられてしまいますから」
大鎌を構え、余裕の笑みを浮かべているアレイスター。
どういうわけか異常存在たちは、それを攻撃しようとしない。
敵側に立っている姿を見て、ネロは少し困惑した。
「……人間のくせに、異常存在に味方してるわけ?」
「ええ。私は、あなたたちの軍からすれば、敵軍に所属していますよ」
「……意外。てっきり、バフェルトに金で雇われてるだけだと思ってたけど、それがまさか、人間の敵側に付くようなのもいるなんて思わないじゃん? あんたらさー、何考えてんの?」
ネロは、アレイスターの後方にも目を向けながら尋ねた。
見れば他にも、異常存在たちの群れに隠れて、ネロを狙っているフードローブの男たちの姿があった。まるで暗殺者のような出で立ちである。怪物たちに混じって、人間に敵対している様子の人間たちだ。
相容れぬ種族と共に戦っている。
それはどう考えても、異様な立場の者たちである。
周囲に仲間が潜伏していることを気取られても、アレイスターの態度に焦りはない。
「……あなたのように若い方々では、まだ理解できないかもしれません」
ただ苦笑して見せるだけで、語り始めた。
「昔のことです。私の顔のこの傷。昔、仕事でちょっとした失敗をした時に、拷問を受けてできたものでしてね」
「ふーん」
「まだ世間知らずでしたよ。当時は、罪なき人々を脅威から守るためと、息を巻いていた若者だったんです。人々のためと信じて行った暗殺を、成功させた帰り道のことでした。うっかりとターゲットの部下たちに捕まってしまいまして。そいつらは、私の身の安全と引き換えに、企業国へ金銭を要求したのです。結果は言うまでもありません。私は見捨てられ、切り捨てられました。私は目の前で家族を殺され、顔を焼かれたんです」
自身の顔の傷跡に指先で触れると、アレイスターは、唇の端を不気味に吊り上げて微笑む。
「宣伝工作の一環で、私はメディアに、犯罪者として報じられました。市民からは疎まれ、軽蔑されましたとも。その後、色々あって、最悪なことに生きながらえてしまいまして。身分を偽って、情報士官になったわけです」
「……」
「話が長くなってしまいました。つまりね。言いたいのはこういうことです。どこにだって、探せばいるんですよ。私のように――――人間の世界なんて焼き尽くされれば良い。そう考えている者たちが」
与太話を聞かされたネロは、面倒そうな溜息を漏らして応えた。
「あんたの身の上なんて、どうでも良いしー。興味ないわ」
「でしょうね。私もあなたのことに興味がありません。それより楽しみましょうよ。遠慮なく、人目を気にする必要もなく、真正面からこうして殺し合えるわけですから。戦争とは素晴らしいものです」
「とりあえず、あんたがキモいことだけは、わかったかなー」
「そうそう。言い忘れていましたがね。私たちは異常存在に味方する人間ではありません」
アレイスターは気味悪くニヤけた顔で、奇妙なことを付け足した。
そうする唇の両端が深く裂けて、生え揃った鋭い牙が覗く。
「ほとほと嫌気がさしていたものでして。バフェルト様に頼んで、やめさせていただいたのですよ、人間を」
「!」
早い踏み込み。シュバルツ流の第2階梯たるネロが、容易く間合いに入り込まれてしまった。大鎌を振り上げるアレイスターの動きは、もはや人間の速度ではない。紙一重で鋭い刃を避けたものの、ネロの頬に浅い切り傷が生じた。
「くっ! はや!」
「驚きましたか? これなら、あなたのような人外の域に到達している使い手にも比肩できるでしょう」
「人間やめてまでそんなことして、なんの意味があんのよ!」
「バフェルト様の勝利のため! 人の世を終わらす理想のため! 強者揃いのベルセリア帝国を崩すには、こちらにも強い駒がなければ!」
猛攻を始めるアレイスターの攻撃を捌きながら、後退を余儀なくされるネロ。アレイスターの背後に控えている暗殺者風の男たちも、人とは思えない速度で、ネロの隙を狙って踏み込み、攻撃してくる。ネロの後方にいる騎士たちが援護射撃をしてくれているものの、男たちは撃たれても怯まない。アレイスターが言うように、全員が人間をやめているようである。
「めんどくさ! めぼしい使い手がいないって考えられてたバフェルトの勢力に、こんなのがゴロゴロいるわけ?! はー、ダル!」
予想外に高い戦闘力を有した敵軍に、ネロは舌打ちをした。
「――――ドラゴンだ!!」
ネロの背後に控えていた騎士の1人が、対岸に見える都市の、その遙か向こうを指さして青ざめていた。見れば地平線の向こうに、途方もなく巨大なシルエットが見えてきていた。
空を飛ぶ山。そう言って過言ではない巨体に、さらに身の丈の数倍にも及ぶ、大きな翼が生え出ているのが見えた。それをはためかせて飛行しており、ゆっくりとこの戦場に向かって近づいてきている。おそらく全長だけで1キロメートルを超えているだろう。全身が岩石の肌で覆われており、蛇のような頭部を持つ。身体のあちこちから色とりどりの花を咲かせているのを見るに、それが異常存在であることが見て取れた。
さすがのネロも、頬を引き攣らせてしまう。
「冗談じゃない。クラス5の“戦略級生物兵器”まで製造して、戦線投入してきたわけ……?」
次話の更新は月曜日を予定しています。




