13-23 開戦の大地へ
真王に触れられたわけでもないというのに、ひとりでに虚空で磔にされ、心臓を抉り出されたケイ。飛び出た命の塊を握り潰しながら、真王は、踏み潰した虫ケラを憐れむように見ていた。
『ああ……そんな、雨宮さんが……!』
ケイの間近で、それを見ていた姿なきエマが呟く。
これまで、どんな強敵にも打ち勝ってきた雨宮ケイが、為す術もなく心臓を握りつぶされている。あまりにも呆気なく、あまりにも簡単にだ。エマが、最も強いと信じていた戦士が、まるで雑草であるかのように、軽々しく蹂躙されている。しかもアデルを人質に取られ、絶対無敵に思えていた原死の剣でさえ、もはや砕かれてしまっている状況だ。ここからの逆転の可能性など、皆無に等しい。
自分も殺される――――。
目の前に展開されている絶望の景色を見ていれば、そう確信してしまうのは無理もない。悲鳴を上げることさえできず、言葉を失ってしまったエマは、無残で恐ろしい光景を見せつけられ、震え上がらずにいられなかった。逃走するということさえ、失念してしまっていた。もはや思考を埋め尽くしているのは、手が付けられないまでの恐怖だ。
潰した心臓が、手中で冷たくなっていく感触を感じながら、真王はふと気が付いた。
磔状態で、身動きのとれないケイの周囲を取り巻くように、輝く無数の赤い破片が漂っている。ケイと真王を囲むサークル。欠片の1つ1つが、まるでケイの衛星であるかのように旋回軌道を描いていた。
《……ただのヒトであれば、確実に死んでいる状態だというのに。原死の剣。アデルが、雨宮ケイを死なせないために造り出した力の結晶か。砕けてなお、主の命を繋ぎ止めているとは。生み出した当人と同じく“健気”な性質だ》
使い手が死亡状態となった時に、そのステータスに“無死”の状態を与える剣。砕けてもなお、その機能は失われていない様子である。獣人の再生能力を持つケイの肉体と相まって、僅かながら、真王の手中で潰れた心臓が、動き始めているのを感じる。酷い痛手を受けていても、完全に死なない限り、ケイの身体は再生し続けるのだろう。放置しておけば、ダメージだけは回復するはずだ。
《……良いだろう。そのアデルの健気さに免じて、完全消滅させることだけは見逃してやろう。どのみち死ねないまま、このまま未来永劫、宇宙空間を漂い、苦しみ続けることになるがな。万が一、生き残ったところで、もはやお前には必殺の武器もない。お前という脅威は消え去った。あとは……機人の女王の目を潰せば、この場の憂いはなくなるな》
真王はケイへの興味を失い、手にしていた心臓を手放す。
そのまま視線を、宇宙空間を漂う機人の王、ラプラスへ向ける。
少し離れた位置で硬直したままの配下へ、声をかけた。
《――――ここから先は、もう任せて大丈夫だな、マティア?》
呼びかけられたマティアは、ぎこちなく関節を動かしながらも、真王へ顔を向ける。
《……雨宮ケイから受けたダメージの70パーセントを回復。戦闘機能の維持が可能な水準。ああ、あとは俺に任せてもらって大丈夫だよ》
《まだ、らしくなっていないな》
マティアの返事に満足せず、真王は言った。
《今のお前は、EDEN上のただの知性体ではない。せっかく1万年ぶりに、肉体を使わせてやっているのだ。そろそろ自閉モードを解いて、本来の“固有人格”に戻ったらどうだ。肉体を使う時は、人間の性質を有していた方が立ち回りやすい。最初からそうしていれば、先の戦闘でも遅れを取ることはなかったはずだ》
忠告されたマティアは、少し考え込んだ後に、無言で俯いた。
だが、再び顔を持ち上げた時には、鉄面皮のようだった無表情を一変させていた。
《――――ククク。了解したぜ、我が主》
頬の端を軽く持ち上げ、微笑んでいる。
これまで見せたことのない、不敵な笑みだった。
その態度を見て、ようやく真王は納得した様子だった。
《私はアデルを休ませるために戻っている。現文明の煩わしい細事は、お前たちに任せたぞ》
真王はラプラスやケイへ背を向ける。
意識のないアデルの身体を固く抱きしめ、誓うように呟いた。
《……もう、2度と失うものか。2度と……》
足下から景色に透けるよう、姿を消していく真王。
それと同じように、アデルの姿も、漆黒の宇宙の闇へ消えていこうとする。
少し動ける程度には回復したケイは、必死の思いで手を伸ばす。
「アデ……ル……行かないで……くれ……!」
真王と共に消えて行く、大切な少女の姿を、賢明に引き留めようとした。
だが、それは叶わず、無情にも2人は消え去ってしまう。
叫びたい心境だったが、それすらできない。
真王に言われた言葉。アデルを傷つけてきてしまった事実。
その全てを後悔しながら、ケイはただ絶望して見送っていた。
真王は、アデルを連れ去った――――。
1人残ったマティアが動き始める。
大剣を片手に、肩をすくめながら、ラプラスへ忠告した。
《まったく。俺たちに管理されている“家畜”どもの分際で、さっきから、ずいぶんと生意気なことをやってくれるものじゃないかよ、ラプラス女王陛下、それに雨宮ケイ。真王様の前で、この俺の身体を傷付け、しかも無様に気絶までさせやがった。お前等には本気でムカついてるぜ。けれど、さすがに真王様にやられちゃあ、雨宮ケイも瀕死みたいじゃないか。ざまあないなあ、ハハハハ》
感情表現の見られなかったマティアが、別人であるかのような雰囲気に変わっていた。それを見ていたエマが、困惑して言った。
『なんか、あの設計者の雰囲気、さっきまでと違う……?』
《機械的な反応ではなく、感情を持っているかのような態度。設計者があのような雰囲気になるのは、私も初めて見ます》
『!』
遠隔で、ラプラスがエマへ語りかけてきた。
ケイが真王に敗れ、自身は設計者に狙われるという危機的な状況であるというのに、ラプラスに動じた様子は見られなかった。一貫して毅然とした態度を変えず、マティアと視線を交錯させている。
《さてと。それじゃあ、サクッと殺させてもらおうか。その眼は潰しておかないといけないんだね》
自分が後れを取ることなどない。
その自信に満ちた態度で、マティアはニヤけて言った。
だが対するラプラスも、譲らない。
《そう簡単にいくと思いますか――――ここは機人族の国ですよ?》
変化が起きる。
ラプラスにではない。
いつの間にか、機人たちのコロニーが、遠巻きにラプラスを取り囲み、攻撃可能な配置についていたのだ。ラプラスの言葉を合図に、コロニー群から一斉に“何か”が発せられた。見えない衝撃波のようなものが飛来し、それがマティアを、四方八方から押し潰す。全方位から津波を浴びせかけられたような衝撃を受けて、マティアはその場に拘束された。
再び身体の自由を奪われ、苛立ちを露わにする。
《……まーーーた、強制オフライン攻撃?》
《全知眼は、初代のラプラスが製造した聖遺物。その製法は、残念ながら現代に残されていません。ですが構造の一部解明には至っています。全知眼で発するよりも、さらに強力な“オフライン信号砲”を、各コロニーに配備しておきました。こうして、あなたたちが侵攻してきた時への備えですよ》
《フン。さっきより大出力で、しかも複数ときたわけか。けれど、所詮やっていることはEDENとの接続妨害。さっきみたいに不意打ちされて、完全にスタンすることもさせられてないじゃないか。同じ手が何度も通用すると思っているのかい?》
《それでも足止めくらいには、なっているのではないですか?》
ラプラスは手を上げる。
攻撃の号令である。
一斉砲撃。各コロニー群からマティアへ向けて、再びミサイルやレーザーが浴びせかけられた。それに巻き添えになりそうだったケイを、エマが必死で魔術を使って移動させ、退避させる。激しい炎と光の雨を浴びせかけられたマティア。普通の物理的な攻撃だけで、設計者を殺すことは不可能だったが、EDENの加護を満足に受けられない状況では、自然法則の制御が十分ではない。先程のように完全な無傷とはいかず、マティアは多少のダメージを受けている様子だった。
《……うざい!》
マティアの注意が、攻撃を仕掛けてくるコロニー群へ向いた。ラプラスをどうにかする前に、それらをどうにかしなければ厄介だと判断したのだろう。今いる場所を離れ、攻撃コロニーの破壊のために、宇宙空間を移動し始めた。攻撃の当たり判定を制御する能力も使えなくなっているようで、近づかなければコロニーを攻撃できないくらいには、弱体化しているのだ。
《――――エマ・クラーク、聞こえていますか?》
マティアがコロニーの撃墜のため、離れたのを見てから、ラプラスはエマへ語りかけた。
《ハンナに、救援依頼を出しておきました。間もなく、この宙域へ、地球への避難船が到着するでしょう。機人族が、設計者の足止めをしています。今のうちに、あなたは雨宮ケイを回収して、仲間たちと一緒に逃げなさい》
ラプラスの提案に、エマは驚いた。
自分たちがオトリになるから、その間に逃げろと言っているのだ。
『設計者の足止めをするって、そんなことをして大丈夫なんですか!? 真王に叛逆したと見なされたら、女王様や皆さんが……!』
《彼等ほど強大な力を持った存在になると、もはや機人に反乱の意思があるかどうかなど、些細な問題です。真王を名乗る、あの男が言っていた通り、目的はあくまで私の全知眼だけです。この眼さえなくなれば、彼等が私たちを攻撃する理由はなくなります。それに所詮、今の私たちにできることはマティアの足止めだけ。倒すことはできません。時間を稼げている内に行動を起こさなければ、このまま無価値な全滅の結果にしかなりません》
『でも……!』
《この眼は希望……。この場で破壊されるわけにはいきません。しかしマティアと戦ったところで勝ち目はなく、力だけで守ることもできません。破壊されることは容認できず、かと言って守ることもできないもの。なのに、この眼がこの場にある限り、機人族は存続の危機に晒されてしまいます》
ラプラスは1つ、溜息を漏らした。
そうしてから両手で、自分の目に触れた。
《だから…………この場から持ち去ってもらうしかないのです》
そのままラプラスは――――自分の眼球を手で抉り始めた。
『そんな! 自分の眼を!?』
青ざめるエマの静止など聞かず、ラプラスは苦悶の声を漏らしながら、自分の目玉を抉り取った。空洞になった眼孔から赤い血を漏らし、それが宇宙空間へ、涙のように飛び散っていく。
自分の目玉を取り出したラプラスは、息も絶え絶えになっていた。
顔色が悪く、かなり弱った様子で、エマへ近くに来るように呼びかけた。
《エマ・クラーク……こちらへ……》
『……』
エマは何も言えず、動けないケイを連れて、ラプラスの近くへ寄っていった。
姿が見えないエマが、近くにいることを感知できているのだろう。
ラプラスは、透明なエマの方に手を差し出し、自らの眼球を2つ、差し出してくる。
《……この眼はそれぞれ、役割が異なります……データストレージと、先程お見せしたような攻撃機能があります……。リーゼに、この眼を渡してください。雨宮ケイと共に地球へ逃げ、設計者たちの監視から逃れるのです。そしてあなたたちは……魔人族の国へ向かいなさい》
『魔人族の国……?!』
《息子のルークは、地上で罪人の王冠の行方を探していました……リーゼは知らないことですが、息子の調査には、ヒトと魔人族の仲間がいました……》
『え……』
《全知眼の容量であれば、罪人の王冠をダウンロードするのに、十分な器になるでしょう……あとは、分かれたデータの欠片を守っている、防御障壁の突破手段……設計者たちには知られていませんが、ルークに協力していた魔人は、それを手に入れる算段があったようです……》
『!?』
《息子の記憶データから回収できた、なんとか読み取れた、数少ない情報の断片です……詳細は私にもわかりません……ですがEDENの扱いに長けた、あなたたち種族……その協力があれば……あるいは……》
ラプラスには、これまでの余裕が見られない。
激痛に耐えかねているのだろう。
なんとか気丈に振る舞おうとしている様子だが、もう見ているだけで辛くなってくる。
なのに、エマは泣きながら、ラプラスへ弱音を言ってしまう。
『でも、アデルさんは真王へ連れ去れてしまいました……アデルさんがいなかったら、罪人の王冠を入手することなんて、もう……』
《――――まだ、雨宮ケイがいるではありませんか》
ラプラスは初めて、エマへ優しく微笑みかけた。
《娘が……リーゼが言っていました……。雨宮ケイは、どんな絶望的な状況であっても、決して諦めない人間なのだと……勝ち目がない相手にだって立ち向かう勇気があり、そして勝利するのだと……雨宮ケイは、まだ戦えます。彼の強さは、原死の剣の有無ではないはずです……ならきっと、アデルを取り戻す……》
『ラプラスさん……!』
遠方から、避難船らしき光が近づいてくるのが見えた。
目が見えなくなったラプラスは、それに気が付いているのか。
エマを励ますように言ってくれた。
《私は娘を信じています。どうか。あなたもそうしてやってください……》
その言葉で意を決し、エマはラプラスの眼球を受け取った。
◇◇◇
数え切れないホログラムのディスプレイが並ぶ管制室。軍服を着たオペレーターたちがそれらに向き合い、アークの各地へ展開している自軍と、連絡を取り合っている。広大な管制室の中央には、丘のように盛り上がった場所がある。その頂点に置かれた指揮官席には、1人の少女が腰掛けていた。
桃色の長髪。以前はポニーテールにしていた髪を解いている。力のある眼差しは、相対する者の心を、射貫くような魅力を持っていた。その出で立ちは少女でありながらも、指揮官という立場に相応しい威厳を放っていた。
「時は満ちた。頃合いじゃのう」
傍らに佇む忠臣、剣聖サイラスへ語りかけ、アルテミア・グレインはほくそ笑んでいた。
指揮官席から臨める超大型のディスプレイには、アークの世界地図が表示されている。
「さあ、始めるぞ。“第2次星壊戦争”を――――全軍、侵攻を開始せよ」
作者が資格試験を受験するため、勉強のために2週間ほど休載させていただきます。