13-21 強制オフライン
音のない漆黒の闇。
全てが凍てつく月裏の空間へ、雨宮ケイは投げ出されていた。
周囲に目を配れば……背後では、今しがたまでいた女王コロニーが、両断された無残な姿で、崩壊を始めている。他にも、マティアによって破壊された複数のコロニー群も、崩壊が進んでいるのが見て取れた。いずれも破砕部分からは火の手が上がっていて、時折、雷が迸るように、爆発や炎を吹き出しているのが確認できる。切断された部分から空気が激しく漏れ出していて、コロニー内部に溜め込んでいたものは全て吐き出され、放出部分から連鎖的に、壁材が剥がれていっている様子だ。無数に砕けた部材は、まるで噴出する水しぶきのように、宇宙空間へバラ撒かれていくのが見えている。
コロニーの外から改めて見渡せば、機人の国の被害は、相当なものになっていた。
大破壊の光景が目の前に広がっているのに、完全なる無音である。音は空気の振動。空気がない場所では伝搬しないのだ。そのため、音声出力をオフにした動画のような、違和感のある風景になってしまっている。臨場感が乏しいためか、実際に起きている事態なのか疑わしく思えてしまうほどに、緊張感がない。轟沈していくコロニーの数々を見上げて、ケイは一瞬、呆けてしまっていた。
『雨宮さん、大丈夫ですか!?』
音のないはずの空間で、姿のない少女の声は鮮明に聞こえた。
少女の魔術のおかげだろう。ケイの周囲だけは酸素があり、呼吸ができている。空気があるため、音も届いているのだ。宇宙空間で凍えることもなければ、窒息死することもせずに済んでいる。そのことにケイは、まず感謝した。
「ありがとう。さすがは、エマだ。……呼吸もできてるし、凍え死にすることもないみたい」
『よ、よかったぁぁぁああ!』
泣き声に近い上擦った声色で、エマは安堵の言葉を漏らしていた。
『もぉぉ! どうなるかと思いましたよ! なんとか即興で思いついたのは、女王コロニー内にあった酸素を宇宙へ持ち出して、それを雨宮さんの身体の周りにまとわりつかせることくらいです! 今吸っている酸素も、元々はコロニーにあったものを持ってきているだけなんですから、長い時間は持続しませんよ!? それに、気温や有害な宇宙線だって、魔術で完璧に対策できているわけじゃありませんから、過信しないでください! あ! あと、地上にいる時よりも注意して、太陽を直接、目で見ないこと!』
怒りながら丁寧に忠告してくれるエマに、ケイは苦笑してしまう。
「わかったよ。けど上等だ。さすがは天才、クラーク姉妹の妹の方。助かるよ」
『ヨイショしてもダメです! こんな無茶、次は付き合いきれませんからね! それで、外に出てどうするんですか! 生存はできても、やっぱり身動き取れてないじゃないですか!』
エマの指摘する通り、先程からケイは、手足をばたつかせているが、その場で身体がクルクルと回転するだけで、前進も後退もできなくなってしまっている。戦うこと以前に、自分の意思で移動することができなくなっている状況だ。
「みたいだな。これが無重力ってヤツか」
『無重力ってヤツか……じゃありませんよ! だから、これからどうするんですかって聞いてるんです!』
エマはケイの声真似をしながら、珍しく苛立っている口調で嫌味を言ってくる。
『見たところ、ここはおそらく月面重力圏内のはずですけど、月面に向けて落下していくわけでもないみたいですね。機人族のテクノロジーは、重力も制御できる水準みたいですから、この宙域全体が、おそらく機人によって無重力化されてるんだと思います』
「エマがジェシカから離れて活動できるのは、半径1キロ圏内くらいだったか?」
『そうですよ! もうすでに、結構ギリギリな感じです! お姉ちゃんはまだ女王コロニー内にいるみたいですから、今いるここから、もうあまり遠くへ離れられません。私が雨宮さんの傍にいられなくなったら、私の魔術の効力も消えますから、そうしたら死にますよ……?!』
「それは……ヤバいな」
『だからムチャクチャなんですってば、この作戦!』
冷や汗を滲ませながら、ケイは宇宙空間の一点を見上げていた。
石塊の大剣を手にしたモカ肌の少女、マティア。そしてその背後で、アデルを抱きかかえたまま、優雅に虚空を漂っている真王。2人はジッと、遠方からケイの方を見下ろしてきていた。
「真王……アイツも、自然法則が適用されてないってパターンか? どうやらヤツの力のおかげで、アデルも宇宙空間でも無事みたいだな」
獲物を見据えてくる狩人の2人を睨みつけながら、ケイは呟いた。
◇◇◇
この世界の物理法則は、設計者たちが決めている。
現在の月の重力圏は、過去の大戦で破壊される前と同じように、半径6万6182キロメートルに設定してある。正確に言えば場所によって異なる数値だが、平均的にはその通りだ。機人族のコロニーは月面裏に隠れるように建造されているため、例外なくその重力圏内に位置しているが、どうやら機人の技術で、一帯は無重力にされているようだった。
月面と、燃え落ちる女王コロニーを背景に背負った雨宮ケイを見下ろし、マティアは分析した。
《雨宮ケイの生存を確認。魔術によるコーティングで生命活動を維持していると推測される。バイタル反応、87パーセント残存。事前想定、行動パターンFを選択したもよう》
雨宮ケイに接続されている経路。EDENを経由して、そこからステータス状況を確認することが可能だった。本来ならばEDEN攻撃によって、雨宮ケイの脳を破壊するのが1番、手っ取り早い殺害方法ではあった。だが、仲間のジェシカ・クラークが施したと見られる防御障壁は、想定よりも強固だったのである。希代の天才と、現代の人類が持て囃すのも理解できるEDEN技能である。過去に滅ぼした文明にも、天才と呼ばれる者たちはいたが、ジェシカ・クラークは、それらとは一線を画す才覚である。
さておき、いかに天才の作った障壁とは言え、設計者からすれば、それを突破することは容易であった。だが、多少の時間がかかるのも事実だ。それよりは、物理的に殺害する方が、早くて容易であると判断したのである。
自身の作戦の結果を、マティアは確認していた。
《――――雨宮ケイの運動能力、11パーセントまで低下を確認。無力化に成功。抹殺が容易な水準》
マティアは大剣の柄を握り込み、ケイに向かって、無重力空間を滑空し始める。ロケットブースターや、ソーラーセイルなどの推進力を持たないというのに。自由に空を舞うかのようだ。マティアは一直線にケイとの距離を詰め始めた。生身の身体でありながら、宇宙の環境に馴染んでいるのは、周囲の自然法則からくる有害な影響を無効化しているからである。世界全体の設定を永続的に変更するのは、現代の秩序を大きく狂わせてしまうため容易にはできないが、自分の周囲に限定した空間設定を、一時的に改竄するだけなら容易だ。
遠方から確認した通り、ケイは水中でもがいているかのように、手足をばたつかせているだけで、まともに移動することさえかなわない様子だ。もはや動かない的と同じ。本来ならケイの“間合い”である距離に近づいたマティアに対して、まともな攻撃をしてこないことから考えても、間違いない。
ケイに近づきすぎず、遠すぎない距離まで近づき、マティアは止まった。唯一、警戒するべきは原死の剣での反撃。それが届かない距離で、ケイと対峙する。この距離であれば、この上なく安全に、容易に排除することが可能だろう。間近で見るケイの表情は、劣勢な状況に苦心しているのが見て取れる顔だった。威勢良く宇宙空間に飛び出したものの、そこでの無力さを痛感している様子である。
《終わりだね》
先程、遠方からコロニーを一刀両断した要領と同じである。自然法則を一時的に改竄し、刃の“当たり判定”の位置を、刃先の遠く向こうまで延長するのだ。そうすることで、マティアの一撃の間合いは、目視できる限界距離まで拡大できるのだ。物理法則のパラメータ変更。設計者であれば、それくらいのことは容易に可能だ。
マティアは大剣を頭上へ振り上げて掲げる。
遠慮なく、容赦なく、それを目前のケイを両断できる角度で振り下ろした。
刃の当たり判定の位置を、雨宮ケイの背後に見える月面まで延長している。
近づかなくとも、この距離から斬り裂いて絶命させることは可能である。
《!?》
しかし想定外の出来事が起き、マティアは目を丸くした。
雨宮ケイが――――攻撃を避けて見せた。
「動けないはずなのに、なぜって思ったか?」
間髪入れず、一瞬にして背後に回り込んできたケイが、マティアの胸を背中から刺し貫いた。原死の剣によって、致命的な一撃を受けてしまったのである。
「オレの腕には“物体を掴んで移動させる”という異能装具が埋め込まれているんだよ。いつもは落ちているものを拾い上げることくらいにしか使ってないが、こうして自分を移動させるのにも使えるんじゃないかと思ったのさ。足での移動より遅いから、お前をギリギリまで引きつける必要があったが、思った以上に近づいてくれて助かったよ」
《……雨宮ケイの過去戦闘データにない戦術。情報不足、分析不足による想定外》
「つまり“油断した”ってことだろ。どうやら設計者の状況判断も、計算ずくの完璧というわけではないらしい。人間と同じで、迂闊な部分もあるみたいじゃないか。ならこうして、つけ込める」
腕の異能装具の力で、宇宙空間でも姿勢の維持や移動を可能にしたケイ。刺し貫いたマティアを蹴って、剣を引き抜いた。心臓を貫いたせいだろう。激しく血しぶきを吹き出した。
だが、その血はすぐに止まる。
マティアは肉体の数値を改竄し、出血を止めたのである。
そのままケイから距離を置いて、大剣を構える。すぐに体制を立て直して見せた。
「……原死の剣で心臓を貫いたんだぞ。なのに死なないなんて、アリかよ」
《作戦変更。雨宮ケイとの戦闘リスクを取りつつ、正面攻勢。自己修復後、戦闘モードへ移行》
殺せずともダメージはあった様子で、マティアの挙動が緩慢になっているのが見て取れた。自己修復というのは、今の一撃で受けた傷の修復のことを言っているのだろう。すぐに攻撃してくるわけではなく、ケイを無表情に見つめながら、その場に静止していた。
冷たい視線をケイへ向けながら、マティアは宣告する。
《次で仕留める》
「……物騒なことを断言するね。けど、本当にやれるんだろうな」
マティアの声は、音声ではなく、脳に降りかかってくる言葉として理解できていた。それを聞いていたケイは、冷や汗をかいて戦慄するしかない。
今の一撃で仕留められなければ、次はない。
そう確信していたからである。
ケイと戦うリスクを取らず、安全、正確、最速でケイを排除しようとした結果が、先程までのマティアの行動だろう。すなわち宇宙空間でケイの自由を奪った後に、トドメを刺す作戦だ。だがそれが失敗したとなれば、リスクを取ってくるに決まっている。自然法則をねじ曲げられるような相手が、力尽くでケイを襲撃しようとしてくるなら、もはや勝ち目などない。
「今度こそ殺されるかな」
《――――そうはなりませんよ》
「!」
マティア以外の声が、脳に降りかかってきた。
その声の主は、ケイの知っている人物のものだ。
「女王、ラプラス……!?」
ケイに遅れて、女王コロニーから飛び出してきた様子である。車椅子に腰掛けたまま、無重力空間を漂っていた。だが、その車椅子は推進力を搭載しているようで、ガスのようなものをあちこちから噴出しながら、姿勢を制御している様子である。
そのことよりもケイが驚いたのは、ラプラスが魔術もなしで宇宙に出てきていることである。それにツッコミを入れたのは、姿のないエマの声である。
『だだだ、大丈夫なんですか、ラプラスさん!? なんか魔術の防御もなしで、生身で宇宙へ飛び出してきてるように見えるんですけど!』
《機人族は宇宙での環境に耐えられるよう、自らの身体を機械化してきた種族です。宇宙空間に投げ出されても、長時間でなければ生命活動を維持できます。そのことよりも――――》
遠方からマティアを睨み付け、ラプラスは言った。
《設計者は、本来なら肉体を持たない知性体。その本体は、常にEDEN上に存在します。マティアの肉体は、EDENの経路を経由して遠隔で操作されている“操り人形”なのです》
「……だから、原死の剣の一撃で殺せないのか?」
《私の推察ですが。原死の剣がもたらすのは肉体的な死。そもそも設計者に肉体的な死の概念などありません。あの肉体を破壊できたとしても、本体を殺せるわけではないのです。今この場でできることは、あの肉体を破壊して、操り人形部分を再起不能にすることだけです。頭を斬り飛ばすのがお勧めです》
「そう言われても。たぶん本気になったみたいだから、近づく間もなく斬り伏せられるのがオチだぞ。アイツ、どこにいても当たる剣撃を使うんだ。間合いとか関係なさそうだろ」
《私に策があります。そのために来たのです》
「!」
驚いているケイへ、ラプラスは真顔で告げた。
《設計者が自然法則を無視するというような途方もない力を振るうためには、超高速の情報処理が必要です。その実現のために、設計者の肉体は、通常の生物では考えられないほど大量の経路に繋がれています。全てとは言わなくても、その糸の大半を切断することができれば、弱体化させることは可能ですよ》
ラプラスの全知眼が、見たことのない、黒色の光を灯した。
その瞳で、マティアを凝視しながら告げる。
《――――強制オフライン》
突然、弾かれたようにマティアが背筋を伸ばした。まるで落雷を受けて痺れたかのような反応。手にしていた大剣を手放し、姿勢制御を失って無重力空間を漂い始めた。
目を虚ろにして、急に動かなくなったようだ。
まるで目を開いたまま気絶しているようにも見える。
「なんだ、何が起きたんだ!?」
『雨宮さん、気付かなかったんですか!? 今、設計者の周りの経路が、一斉に弾け飛んで壊れたんです!』
「……そんなことが起こるものなのか?」
『自然現象でそんなことは起こりませんよ! たぶん、ラプラスさんがやったんです! 危うく今のに巻き込まれて、私も消し飛びそうになりました! こっちは冷や汗ものでしたよ!』
戸惑っているケイたちへ、ラプラスが語りかけてきた。
《これが私の切り札の1つ。全知眼に搭載された攻撃機能です》
言われてケイは、思い出す。
「リーゼが言ってた、見ただけで人を殺せるっていう、あれか?」
『生き物を強制的にEDENから切断するなんて……普通の人に使ったらどういうことになるのか、考えたこともないですよ!』
《本当は設計者たちに見せたくなかった力です。次は対策してくるでしょう。だから急いでください、雨宮ケイ。所詮は、肉体を操る糸を、一時的に切断しただけの状態。すぐに接続を修復して、元の無敵な状態に戻ってしまうでしょう。そうなればもう、本当に手がつけられません。ほんの数分間、スタンさせられただけだと考えてください》
ケイは原死の剣を手に、マティアへ向かって推進していく。
「それだけあれば、上等だ!」