4-2 規格外の転校生
第三東高校。
1-D組の教室には、今日も平穏な朝が訪れている。
登校してきた雨宮ケイは、アクビを1つ漏らしながら、気怠そうに廊下を歩いていた。教室に着くと、クラスメイトの男子たち、何人かが声をかけてきたため、すれ違い様に挨拶をする。そうして、窓際の自席へと腰掛け、通学鞄を机のフックにかけた。
「おはよ。雨宮くん」
前の席に座っていた女子が振り返り、笑顔で話しかけてきた。
「ん? ああ。おはよう、藤野」
藤野ユカ。クラスメイトの女子である。
セミロングの黒髪。クリクリとした愛くるしい目付き。可愛い系の容姿であり、小動物のような雰囲気であるため、クラスの女子たちから可愛がられている。マスコット的な存在だ。
「なんか最近の雨宮くん、始業ギリギリに登校してくるようになったよね。いつもはもっと早く学校へ来てたと思うけど」
「そうだな。まあ、何というか……いつも起こしてくれるヤツがいなくなったというか」
「起こしてくれるヤツ?」
「あ。えっと。じいちゃんだ、じいちゃん。最近は朝起こしてくれなくなったんだよ。自分で起きられるようになれってさ」
「ああ。そうだったんだ」
「そうなんだ。……しかし、藤野も暇だな。オレの生態の変化なんかに気付くなんてさ」
「え? そそ、そうかな。ほら、後ろの席の男子だし。少しくらいは気になるじゃない……?」
「そういうもんか?」
頬を赤く染めて、藤野は明後日の方へ視線を泳がせていた。
ケイは物思いに耽る。
いつも当たり前のように傍にいて、当たり前のように起こしてくれていた。
騒がしい花だと思っていたが、いなくなってみると、帰った時の部屋が静か過ぎて、妙に胸苦しい気分になる。正直なところ……寂しいと感じているのかもしれない。戻ってきて欲しいと思っているが、人間になってしまったからには、そう簡単には戻れないだろう。
「だとしたら……もうアイツとオレが一緒に暮らすことはないのか……?」
「ん? 雨宮くん、今なんて?」
「ああ、いや。何でもないんだ」
ユカと話をしていると、ケイの隣席の男子生徒が、自席へ戻ってきた。
登校してきたケイを見かけるなり、声をかけてくる。
「はよー、ケイ!」
「お前は朝からテンションが高いな、ソウヤ」
住倉ソウヤ。ある意味、クラス内でケイと1番親しい男子生徒だ。
茶髪のチャラ男。そうとしか言えない見た目であるが、中身はオタクである。絶滅危惧種の格闘ゲーマーを自称しており、将来はプロゲーマーとして、eスポーツ大会の賞金で食っていくのだと、豪語している男だ。別にケイは、オタク仲間ではないのだが……クラス内で陰の薄いケイに対して共感を感じているそうで、やたらと話しかけてくる。
「あれえ? ケイってば、あの赤花のスマホのアクセ、やめちゃった?」
ソウヤは、ケイの机の上に置かれたスマートフォンを指さし、尋ねてきた。
言われた通りだ。寄生していたアデルがいなくなったためである。
アデルの存在とは、周囲の人々からアクセサリーの類いだとしか見られていなかった。
「まあな」
「ようやく、あれが男向けなアクセサリーじゃないと気付いたんだな。偉いぞ、ケイ。正直、お前の胸ポケットから花が見えてるの、ちょっと気取った勘違いオタクっぽくて、見た目がアレだったからなあ。まあ陰キャのケイのファッションセンスとか、クラスの陽キャ連中は気にしちゃいなかったが、これからはお前も男として、モテ街道をひた走る決意を固めたんだと見受けるね」
「言いたい放題だな」
「そりゃそうよ。俺たちお互いに、このクラスで浮いてる者同士。オタク友達でしょ?」
嫌そうな顔をしているケイ。
それに構わず、ソウヤはバンバンと、馴れ馴れしくケイの肩を叩いてくる。
「それよか聞いた? 伊藤から聞いた話なんだけど。なんか今朝、とんでもない美少女が、校内を歩いてる姿を目撃されたらしいぜ?」
「とんでもない美少女?」
「ああ。見たこともない金髪の女子だったらしいんだけどさ。その子がうちの制服着てて、職員室の方へ向かってったらしい。もしかして転校生が来たんじゃないかって、あちこちで噂になってるぜ」
見知らぬ金髪の女子。その特徴を聞いたケイは、無性に嫌な予感がした。
顔色の悪いケイを傍目に、話しを聞いていたユカが尋ねた。
「転校生って、2学期の今の時期に? 何年生なのかな。3年生は受験シーズン真っ只中だから、志望校とか推薦の関係で、この時期に転校してくる人がいると思えないけど。2年生たちだって、ちょうど修学旅行中だよね。じゃあそうすると、私たちと同じ1年生なのかな?」
「あー。藤野、良い推理。さすが学年上位の成績だわ。たしかに1年かもしれないなあ」
予鈴が鳴り、そこで話しは中断となってしまう。
間もなくして、担任の男教師が、教室へやって来た。
朝礼当番が起立の号令を出すと、全員が一斉に自席で立ち、一礼をして着席する。そうしてから、担任教師がクラス名簿を読み上げ、出席確認の点呼が始まった。名前を呼ばれた生徒たちは、怠そうな声色で返事をしていく。
いつもの点呼が終わり、ホームルームが始まるかと思いきや……そこで担任教師は咳払いをする。
「あー。すでに噂になっているようだが、今日から転校生が本校へ来ている。この1年D組へ配属になったから、ホームルームの前に紹介しよう」
教室内が、一気にざわめき始めた。
隣の席のソウヤを見やると、親指を立てている。
ケイに向かって「言った通りだろ?」と、言わんばかりのドヤ顔だ。
担任教師は、廊下の方へ向かって声をかけた。
「入ってきて良いぞ」
言われて教師へ入ってきたのは、外国人の少女だった。
金髪ショート。碧眼。第三東高校の女子の制服姿で、首から十字架のネックレスを下げている。高貴な生まれであることは、歩き方や仕草ですぐに察することが出来る。優雅な美少女だった。
金髪の少女。その美しさを目の当たりにした男子生徒たちは、目を輝かせている。同時に女子たちは、自分たちよりも遙かに美しい同級生の登場によって、完全に戦慄してしまっている。ケイだけが、ただ1人、頭を抱えて机に突っ伏していた。
担任教師が、簡単に少女の経歴を説明する。
「星成学園から転校してきた、イリアクラウスさんだ。ドイツ生まれだが、日本での暮らしが長いため、日本語もペラペラだぞ。みんな、仲良くしてやってくれ」
紹介されたイリアは、スカートの裾を軽く両手で持ち上げ、高貴な挨拶をする。
「みなさん、お初にお目にかかります。私の名前はイリアクラウス。日本人ではありませんが、仲良くしていただけると嬉しいわ」
その挨拶によって、ハートを打ち抜かれた男子が何人かいた。
だがケイには、それが完全な猫かぶりであるとわかっている。
担当教師はあらかじめ、生徒たちの反応に予想が付いていたのだろう。
咳払いをして、もう一言を付け足した。
「あー。実は……もう1人、転校生がいてな」
「!?」
イリアに遅れ、もう1人の少女が怖ず怖ずと、教室へ入ってきた。
その登場に、生徒たちは思わず息を飲んでしまう。
白銀の長い髪。碧眼。雪のように白い肌。
眠そうな目をした、無表情な少女だ。頭には、美しい赤い花の飾りを付けている。
見た目で言えば、小学校の高学年。もしくは中学生くらいである。身体が小さいため、着ている制服は少し大きい様子で、裾が手の甲にまでかかっていた。
「あー。彼女は、雨宮アデルさん。偶然にも、うちの雨宮と同じ名字のようだな。まだ年齢は14歳らしいが、飛び級で高校に入学してきた天才少女だ。先生はあまり詳しくないんだが、なんでも“アルビノ”とかいう病気だそうで、見たとおり髪の色や肌が、生まれつき白くなってしまってるそうだ。これは染めてるわけじゃなくて地毛だそうだから、校則違反じゃないぞー」
「あま、雨宮、アデル、です。よろしくお願いします」
注目されているせいだろう。
珍しく緊張している様子で、アデルはギクシャクと挨拶をした。
イリアも十分に美少女だが、さらにその上をいく、人間離れしたレベルの規格外の美少女が登場するとは、誰も思っていなかった。それは余りにも予想外のことで、男子生徒たちは思わず、ヒソヒソと互いに囁き合い、苦悶の声を漏らしている。
「なんじゃこりゃあ、エロゲーかよ……人生最良の日か……?!」
「反則的だ……こんなの反則的だ!」
「飛び級の天才児だと……?! ロリキャラ可愛すぎる……!」
完全に青ざめているケイに、イリアが視線を送ってきていた。
妖しい笑みを浮かべ、してやったりの顔をしている。
隣の席で、ソウヤが戦きながら呟くのが聞こえた。
「転校生たちのハート。それを射止めるための熾烈な争い……! こりゃあ戦争だ……戦争が起きるぞ、ケイ!」
頭を抱えているケイの耳に、その忠告は届いていなかった。
◇◇◇
アデルとイリアの転校により、朝から校内は、大いに色めき立った。
特に男性生徒たちの、動揺の仕方はすさまじい。
2人が配属となったD組以外の男子たちは、休憩時間に偵察のため、D組前の廊下へ殺到してきた。その結果、D組前の廊下で渋滞現象が発生するという、前代未聞の事態が発生する始末だ。続いて噂を聞きつけた3年生たちもやって来て、次々と目を丸くしては帰って行ったのだと言う。留年して、来年も学校へ残りたがる生徒が出たという噂もあるが、定かではない。
新顔の2人が、男子たちの注目を浴びているのを、女子たちが快く思わないのではないか。そう心配されたのだが……実際のところ、猫をかぶったイリアは、信じられないようなコミュニケーション能力の高さを発揮していた。男子たちの注目など意に介さず、女子たちへの礼儀と敬意を持った態度が良かったようである。どうやら今のところ、反感を買わずに済んでいる様子だった。無自覚ではあるものの、アデルもそれは同じようで、女子たちから妹分として可愛がられ始めていた。
つまり信じられないことだが、2人とも初日から、すでに学校へ馴染みつつあるようだ。
放課後。
ケイは、アデルとイリアの2人を、オカルト研究部の部室へ連れ込んでいた。絶賛、全校で注目されている2人を連れてくるのは大変だったが、何とか人目を忍び、密会できる状況を作り上げたところである。
途端にイリアは猫かぶりをやめ、いつもの横柄な態度に戻る。
「ここが君たちの部室かい? ずいぶんと狭くて小汚い部屋だね」
「悪かったな。少人数の部活動だから、使わせてもらえる部屋も小さいんだよ」
「おや? サキくんと、トウゴの姿が見られないようだが?」
「2年生は修学旅行中なんだよ。2人は今週、京都に行ってるところだ」
「フム。京都ねえ。国内旅行とはしょっぱいな。庶民の学校の旅行予算とは、たかが知れてそうだ。もっと早く言ってくれれば、ボクのポケットマネーで、リッチな旅行にしてあげられたんだが」
悪意なく、正直な感想を口にするイリア。
ケイは溜息をこぼしてから、頭を掻いて尋ねた。
「それで……いったいこれは、どういうつもりなんだ?」
「これとは、何のことかな?」
「とぼけるなよ。何でいきなり、お前の言う庶民の学校とやらに転校してきてるんだ。しかもアデルも一緒にだ。飛び級の天才児? アルビノ? 無茶苦茶な設定じゃないかよ」
「でも、みんな信じてるだろう? ウソというものは大胆につかなければ。大きなウソほど、人は簡単に信じ込んでしまうものなのさ。それに今後のことを考えれば、ボクも雨宮くんたちと同じ学校に通っていた方が、お互いに連絡が取りやすいだろう? 転校には、メリットしかないじゃないか」
そう言ってイリアは、ひらひらとスカートの裾を持ち上げて見せる。
「しかもご覧よ、この制服を。ボクになかなか似合ってるだろう?」
「……似合ってるとか、そう言う問題じゃないだろ」
「残念。ボクの制服姿では、あまり雨宮くんに響かなかったのかな? でも、アデルの制服姿ならどうだろう。こう言うのも悔しいけれど、ボクよりもずっと可愛いだろう?」
「それは……」
意地悪く、イリアはケイに尋ねてきた。
ケイは言葉に詰まってしまう。
アデルに会うのは久しぶりだ。イリアの家に引き取られて以来、ずっと会っていないため、かれこれ2週間ぶりくらいに姿を見る。正直なところ……相変わらず“可愛い”と思ってしまっている。
そう思っていても、それは決して口にできない。
言ってしまえば、アデルとの関係が、何か変わってしまうように思えたからだ。
いつも一緒にいた赤い花。家族同然の存在。それが急に、異性の姿をして目の前にいる。しかも想像を絶するほどに可憐な、美しい姿で。今のアデルを前にすると、ケイは冷静でいられなくなるのだ。家族に対して抱く気持ちとして、ふさわしくない劣情が芽生えそうになるからだ。
アデルはつい最近まで、性別すら存在しない、知性だけの存在だった。一方的にケイが女性扱いすれば、その気がないアデルは、不快に感じるかもしれない。だからこれ以上、アデルのことを異性として意識しないよう、努力しているところなのだ。
困った顔でアデルを見ていたケイ。
ふと、そんなケイの視線から逃れるよう、アデルはイリアの背に隠れた。
「――ジロジロ見ないでください、ケイ。私を“ニンシン”させるつもりなのですか?」
「……は?」
アデルはいきなり、わけのわからないことを言い出した。
「何をどうされるとニンシンさせられてしまうのか知りませんが、男性は隙あらば、女性のニンシンを狙っている生き物だと聞きました。そうはさせませんよ。ハッ! まさかすでに、そうやって視線を送ることで、私をニンシンさせようとしているのですか! 卑怯ですよ、ケイ」
ケイを警戒している様子のアデル。
しばらく困惑した後、とりあえずイリアを横目で睨むことにした。
「イリア………………アデルに何を吹き込んだ?」
「フム。これから女性として生きるのだから、淑女に必要な嗜みと、羞恥心というやつを少々ね。アデルが人前で裸になったり、無防備に肌を見せようとするのだと、雨宮くんが困っていただろう? ボクが教育して、そうしないように躾けたのさ。感謝してくれて良いよ」
「それにしてはなんか、オレを見るアデルの目が変じゃないか? というか、オレのことを視線だけで女を妊娠させられる異能力者だと勘違いしてないか?」
「ハハハ。アデルにはまだ、人間について学ぶことが多いという証左じゃないか。こうやって学校生活を送っていれば、否応にも社会性が身についていくだろうさ」
ケイの表情を見るに、その怒りは割と本気だった。
まずいと感じたのか、イリアは話題を変えるべく語り出した。
「さて。では雨宮くんの疑問に答えるとしよう。ボクとアデルがこの学校へ転校してきたのは、ある“作戦”を遂行するためだよ」
「作戦? なんの作戦だよ」
「それを理解してもらうために、まずは、ある事件について話しをしておかなければならないな」
イリアは手近な椅子を引っ張り出し、それに腰を下ろす。
脚線美を見せつけるよう、足を組んで続けた。
「先週から、ニュースでやっているから知っているだろう? 代々木公園で起きた事件についてだ」
「…………“集団怪死事件”のことを言ってるのか?」
「ああ。それがこの作戦に関係している」
唐突なイリアの話を聞いて、ケイは怪訝な顔をしていた。
事情を飲み込めていないケイのことなど気にせず、イリアは妖しく微笑みかけた。
「無人都市から生還した後、君たちも色々と調べていたんだろう? グループチャットでは、次に会った時に、話したいことがあるのだと言っていたじゃないか。それはボクの方も同じでね。せっかくこうして、久しぶりに顔会わせをしているんだ。なら、お互いに情報交換といこう」




