4-1 代々木公園集団凍死
時刻は早朝の5時半――。
プレハブ小屋のドアを開ける。
入ってすぐそこは、業者用に貸し出されているロッカールームになっていた。
すでに見知った顔ぶれが揃っている。勤続期間の長い、古株の同僚が3名、出勤済みだった。いずれも、初老くらいの見た目の男たちだ。制服の青いツナギに着替え終わっており、ベンチに腰掛けて、呑気に缶コーヒーを飲んでいるところだった。
「よう、寺門じゃねえか。お前も、今日のシフトだったんか」
「おや、おはよう。今朝も寺門くんは出勤が早いねえ」
話しかけられ、寺門と呼ばれた青年は、愛想笑いと共に挨拶する。
「はよーざいます。今日も御三方は、出勤早いッスね」
「はっは。うちらは爺さんだから、寝るのも起きるのも早いんだよ。それにしても寺門くんだって十分に早いよ。まだ始業まで30分はあるよ? 朝が強い若者ってのは、今時だと珍しいんじゃない?」
簡単に挨拶を済ませ、寺門と呼ばれた青年は、自分のロッカーを開ける。自身も青いツナギに着替え、仕事の準備を始めた。
着替え終わってしばらくは、ロッカールームで他愛のない世間話に興じた。現場で最年少の寺門は、世代が違う年輩の同僚たちと、話題を合わせるのが大変なことであった。だが持ち前の、明るい性格と、高いコミュニケーション能力を駆使して、会話を楽しむことができた。
「んじゃあ、そろそろ行くとするか」
「仕事の時間だな」
6時きっかり。腰掛けていたベンチを、全員同時に立ち上がる。
バケツやブラシ。トングやゴミ袋などを手に持ち、仕事を始めることにした。
プレハブ小屋を出ると、空には太陽が姿を見せていた。
来た時にはまだ、白んでいる程度の空だったが、今ではすっかり青空になっていた。
東京都渋谷区、代々木公園――。
その管理事務所の脇のプレハブ小屋が、寺門たち、清掃業者の詰め所になっているのである。出てすぐに、緑が溢れる、広い森林公園の景色が目に入った。大都会の中にある、希少な自然。その美しい景観を見渡し、寺門は大きく背伸びをした。
「さて。やりますかね」
眩い朝陽の中、ツナギを着た4人組は散開して、それぞれの持ち場へ向かう。
寺門の今日の担当は、園内のゴミ拾いである。
敷地内に捨てられたゴミを拾い集め、捨てる。それだけだ。
空き缶や、飲み終えたペットボトル。食べかけのお菓子の袋など、公園入場者によって毎日、いろんなものが捨てられている。それらを拾い集め、景観の美しさを保つのが、寺門の仕事だった。
「今日はトイレ清掃の係じゃなくて、ラッキーだったぜ」
比較的、楽な担当だったため、気分はハッピーだ。
寺門はヘッドフォンを耳に付けて、お気に入りの楽曲を再生し始める。そうして持ち場である、公園東側の各地を巡り、落ちているゴミをトングで拾っては、手にしたゴミ袋の中へ放り込んでいった。
ある程度、園内を巡回できたので、次は中央広場へ向かう。
そこはドッグランができるコートや、色とりどりの花が咲く、フラワーランドなどがある場所だ。寺門が思う、もっとも見所なスポットは、3基ある噴水施設だろう。最大で、高さ30メートル近い水柱を作り出せる、大型噴水が設けられているのだ。水景施設としては、すごい代物なのだと、聞いたことがある。
入場者が集まりやすい場所であるため、つまりゴミが落ちている可能性も高い。
ゴミを拾いながら歩いていると、やがて件の噴水が見えてきた。
まだ開園前の時間であるため、水柱は出ていない。そのため一見すると、ただの大きな池のようにも見えた。そこへ歩み寄っていく途中、寺門は奇妙なものを発見した。
「…………なんだ、あれ?」
見たままを言えば“テント”が張られていた。
浮浪者が住み着いたとでも言うのだろうか。昨日まで、こんなものはなかったはずだ。
テントの数は3つ。いずれのカラーも黄色だ。
見たところ、ダブルウォールタイプのテントである。テント本体と、その庇代わりに使える、フライシートの2層構造になっているものだ。登山者が好んで使う、2~3人用のサイズである。
「……無人みたいだな」
それがわかった理由は、決して中を開けて覗き込んだからではない。
テントの壁面が裂けていて、外からでも内部が丸見えになっていたからだ。見たところ、ナイフのような刃物で切り開けた痕に見えた。そこから見えたテント内には、軽量鍋や調理器具など。本格的な登山用品が散乱しているのが確認できた。
「!?」
テントの陰から、目を疑うようなものが、はみ出て見えていることに気が付いた。
「…………冗談……だよな……?!」
心臓が跳ね上がる。驚きと共に、一気に背筋が冷たくなっていった。
寺門はヘッドホンを取り外す。恐怖のあまり手が震え、その場で取り落としてしまう。
テントを隔てて向こう側。
そこに見えていたのは――――“人間の手”ではないのか?
固い唾を飲み下し、テントの裏側に回る。
「ひっ! ひいいい!?」
寺門は驚き悲鳴を上げ、腰を抜かしてその場にヘタリ込んでしまった。
予想した通り、そこには人間の死体が転がっている。
中年の男性である。パンツ1枚の半裸状態であり、片手で胸を押さえながら、もう片方の腕を頭上に伸ばした格好で絶命している様子だ。寺門から見えていたのは、その頭上に突き出した手だった。なぜこんなところで死んでいるのか。ここにテントを張ったのは、状況から考えて、この男なのだろうか。
「この人…………凍ってる……?」
死体の全身に“霜”が付着していた。
まるで冷凍室に長時間、閉じ込められた後のようだ。髪にも、まつげにも、霜が降りていて、全身の筋肉も、カチカチに固まって硬直しているように見えた。苦しそうに心臓のあたりを押さえているため、死因は心臓発作か何かだろうか。まるで生きたまま冷凍されたかのような、そんな死に方に見える。
「警察……警察に電話を……!」
思い出したように、寺門はツナギのポケットからスマートフォンを取り出した。
季節はまだ秋頃だ。仮に今が真冬であったとしても、東京の気温で、こんなふうに人間が凍り付いて死ぬようなことなど考えられない。では、なぜ凍っているのか。なぜ男は、ここにテントを張っていたのか。自然死なのか。他殺なのか。答えなど、寺門の知ったことではない。
「…………!!?」
ふと見渡した周囲の景色。
よく見れば、その中のあちこちで――――他にも死体が転がっていることに気付いてしまう。
「わああああああああああああああ!」
女性。男性。数えられただけでも5人以上は死んでいる。
木陰で。噴水の中で。草藪で。あちこちで、様々な格好の人々が死んでいた。いずれの身体も凍結状態であり、その肌は冷えきった青白い色をしている。
寺門はすでに、完全にパニック状態だ。思考能力は完全に失われ、ただ叫んでいた。
無数の死者たち。瞼を閉じていない、その双眸。
眼孔には何も入っておらず、空っぽの空洞となっていた。
眼球を失った彼等は、ただじっと、広く青い空を見つめ続けていた。