13-4 大英博物館
大英博物館――――。
ロンドンのブルームズベリー地区にある、世界でも有数の博物館である。その収蔵している美術品は、およそ800万点以上も存在していると言われている。人類の歴史、芸術、文化を専門とする公的機関でもあり、その運営は、入場者や後援者の寄付によって成り立っている。そのため、観客は無料で入館でき、広く一般に開放されている国営美術館とされていた。
内世界中から掻き集められた至宝の数々。それらが寄贈されている場所へ連れてこられたというのに、ケイたちが美術品を見られることはない。放り込まれたのは、清掃用具保管室。美術館用の特殊洗剤や、専用清掃道具、脚立や安全具などを保管する場所だ。薄暗い電灯が灯るだけの、かび臭くて味気ないだけの部屋とも言い換えられる。
扉は金属製で、外鍵になっている。
室内から解錠することはできないだろう。
それを確認し、ケイは溜息を漏らした。
「……ポジティブに考えれば、目的地だった大英博物館まで直行できたんだから、ラッキーだったって、言えるのかな?」
「帝国騎士狩りをやってる、レジスタンス紛いの魔人族が占拠してなければ、もっと良かったわね」
部屋の隅で、膝を抱えて座りながら、ジェシカが皮肉で応えた。
アデルが、ケイへ尋ねる。
「ケイの原死の剣は、武器召喚の魔術だと勘違いされたおかげで、幸いにも没収されていません。剣の力なら、この部屋の扉を破壊して、脱出できないでしょうか」
「オレもそう思って、さっきから原死の剣を出そうとしてるんだけど、出てこないんだよ」
「出てこない?」
「ああ。それどころか、肉体強化の魔術も、うまく働かない。剣と魔術が使えない状態っていうのかな。……たぶん、この手枷の影響だと思う」
ケイは、自身の両手の枷を掲げて見せる。文字にも見える、複雑な模様が無数に刻み込まれた青白い腕輪。両手首に嵌められたその間を、鎖で繋がれている。まるで大昔の奴隷の手枷も同然だ。
その枷はケイだけでなく、アデルやアトラス、ジェシカにも付けられていた。
不思議そうに、自分たちの手首のそれを見下ろしているケイたちへ、ジェシカが言った。
「まったく……。魔術に長けた魔人族らしい趣向よ。これは“魂の錠”」
「イデア錠? それは何ですか?」
「錠をかけられた者の魂を拘束して、EDENへの接続を、強制的に遮断状態にすることができるの。まあ、完全な遮断状態というわけじゃなくて、厳密にはEDENへの接続を困難にするよう、魂を歪める作用をしているんだけど。ようするに“魔術を使用できない状態”にさせられているわけよ、アタシたち。ケイが剣を出せないのも、剣を出すための過程に、おそらく魔術的な要素が含まれてるんじゃないの?」
「へえ。そんな手錠があったのか」
「強力な魔術の使い手を拘束するのに、便利そうですね」
「興味深い技術だ。魔人族という種族も、機人族と同様、ヒトの文明とは別に、独自の発展を遂げているようだな」
呑気に感心しているケイたちへ呆れつつ、ジェシカは続けた。
「独自の発展ね……。まあ、そうね。機人族だけが作れる特殊な道具、異能装具があるように、魔人族にだけ製造できる道具がある。これは魔人族のオリジナル。製法は門外不出だから、帝国人には製造できない魔術道具よ。まあ、人間たちは、魔人族から接収したものを利用してたりするけどね。その辺は、機人から奪った異能装具と、同じ運用よ」
「そういえば今まで、ジェシカから同族の話って、聞いたことなかったっけ」
今さら思い出したように言うケイ。
種族や出自のことなど、まるで気にしないケイを見て、ジェシカは苦笑した。
「ケイは、アタシが魔人族かどうかなんて、気にしたことないでしょうしね。聞かれたこともなかったし。そういう、種族に無頓着な人って珍しいのよ。普通なら……帝国の人間なら、魔人族の“悪評”を知ってるから。耳にすれば嫌な顔をして、気にするものなんだけど」
「悪評……?」
ただならぬ単語を耳にして、ケイは怪訝な顔をした。
ジェシカは1つ溜息を漏らし、覚悟を決めた面持ちで、打ち明け始めた。
「アタシが学院で、いじめられていたのを知ってるでしょ? アタシは、ちょっと口が悪くて、時々、言い過ぎちゃう時があるから、そうされても仕方ない性格なのかもだけど……。大人しくて優しいエマまで、人間たちから嫌われてる。それって変でしょ?」
「それ、ジェシカの口が悪いって納得しても失礼にならない? 切れたりしない?」
「はあ? 失礼だけど、事実だから仕方ないでしょ。切れたりしないわよ。まあとにかく、アタシみたいなのとは違う、エマみたいな良い子の魔人まで、人間から嫌われてしまうのは、魔人族という種族の悪評に、理由の一部があるのよ」
ケイは改めて、ジェシカとエマの過去について思い出す。
「あんまり詳しくないけど、魔人族ってたしか、魔術の秀才たちばかりの種族で、それを危険視している帝国によって、弾圧されている種族なんだよな? たしかジェシカとエマの生まれ故郷の村も、帝国がやっている“数減らし”の名目で……」
「……」
無言のジェシカ。
その話を初めて耳にしたのであろう、アデルは同情した顔をする。
思い切って、ケイは尋ねた。
「言い方が悪かったら、ごめんだけど。人間に追いやられている、社会的地位が低い種族だから、魔人は見下されたり、嫌われるようになったとかか?」
「……魔人が嫌われる理由には、そういうのもあるかもしれないけど。少なくともアタシは、1番の理由は、そこじゃないと思ってる」
ジェシカは、事実をケイへ言うべきか、少し迷った。
もしかしたら、嫌われてしまうのではないかと恐れたためである。
だが、話しておくべきだと思った。
「一部の連中がやっているからよ。人間に対して――――“魔術の実験”を」
「……!」
「アークでね、たまに起きるの。猟奇的で残忍な、宗教儀式めいた殺人事件。そういう事件の犯人って、ほとんどが魔人族である場合が多いの。残念ながらね……」
まるで自身の罪を打ち明けるような気持ちで、ジェシカは続ける。
「魔人族の教義は、肉体を棄てて、EDENの世界へ移住すること。意識と知識だけの高位知的生命体として、永遠の魂に進化すること。この実現のために、生まれたばかりの子供から魂を抜き取って、EDENの世界で幼少期を過ごすなんていう、おかしな風習を今でもやっているわ」
「……」
なぜか、アトラスの表情が、険しい顔になる。
ジェシカの話に、何か思うところがある様子だった。
「けど知っての通り、大人になるに連れて、人の魂の“形”は鮮明になってしまう。そうなるとEDENの世界へ、いつまでも留まっていられず、普通の人は自己崩壊を始めてしまうわ。だから魔人族が、実際にEDENへ留まれるのは幼少期だけ。これを改善するための取り組みとして……人間の大人を使って、様々な人体実験を行う不届き者がいるのよ。生きている人間から無理矢理に魂を引き剥がしてみたり、肉体へ戻れないよう、徹底的に破壊したりね」
なるべく血なまぐさくならないよう、気をつけて話しているのだろう。
それでも、ジェシカの口調は重々しかった。
「帝国が魔人族を危険視しているのは、たしかに魔術の才覚が、人間より優れているからという点もあるけど。実際に、人間という種族に害を成しているという側面もあるからよ。帝国市民からすれば、魔人族は、過激な“カルト宗教の血筋”。殺人鬼や犯罪者の予備軍で、害獣みたいに思っている人たちもいるわ。そう思われても仕方ないようなことを、やってる奴等がいるの。同族内では“原理主義派”って呼ばれてる」
「原理主義派……。肉体を棄てて、魂だけの存在になるって教義を重視してる、ってことか?」
「フム。魔人族と一言で言っても、一枚岩ではないということか」
「そうなるわね。そしてたぶんだけど、アタシたちを捕まえたグラハムとかいう奴は、原理主義派。基本的に魔人族は、人目を避けて静かに暮らしてる。争いなんて好まないのに……アタシたちを捕らえた連中は、率先してエレンディア騎士団狩りなんてことをしてる。そういう魔人の評判を落とすような過激行動をやるのは、だいたい、いつも原理主義派よ」
「では、ここで人体実験をやっている可能性があるということでしょうか」
「可能性は、あるだろうな。戦災孤児の小さい子供たちを集めて、おかしな鎧を着させて、何か実験してるみたいな口ぶりだったし。たしか魔導兵装とか呼んでたか……。このロンドンで何をしているのか知らないけど、普通の目付きの男じゃなかったのは確かだ。何となく、狂気みたいなのを感じた」
グラハムの血走った目を思い出して、ケイは思わず険しい顔をしてしまう。だが、話し終えて意気消沈している様子のジェシカに気が付き、すぐに気を取り直して言った。
「心配するなよ、ジェシカ。今の話しを聞いたからって、全部の魔人が、同じだなんて思ってないよ。少なくとも、ジェシカとエマは違う。オレたちは、そのことをよくわかっている」
「ケイ……」
「人間の中にだって殺人鬼はいるけど、そいつを見て、全人類が同じだなんて思うヤツはいないさ。魔人だって、同じことだろ?」
ケイやアデルに微笑みかけられたのが嬉しくて、ジェシカはつい、涙ぐんでしまう。どう思われるか不安で、自分から打ち明けることは、なかなかできなかった話だ。同族の暗部を話せたことで、ジェシカは少し、肩の荷が下りたように感じた。
少し恥ずかしくなって、ジェシカは咳払いをして誤魔化す。
「と、とにかく。ケイの剣も、魔術も使えない現状。アタシたちは手も足も出ない状況よ。今は、まだ敵に存在を気付かれていない、エマに頼るしかないわ」
グラハムたちは、肉体を持たないエマの存在に気が付いていない。
ケイたちに、姿の見えない味方がついていることを知らないのだ。
少し前から、エマは部屋の外の様子を偵察するため、別行動をしている。
何か、脱出に利用できるものがないかを探しに行っているのだ。
「偵察に出てから、それなりに時間が経っていますが……エマは大丈夫でしょうか。心配です」
「アタシも心配よ。たしかに肉眼では、エマの姿は見えないわ。けど、接覚を持つ魔術の使い手なら、集中すればエマの存在を捉えることができるはず。魔人なら例外なく、気をつけていれば、エマの存在を察知できるわ。もしも気付かれちゃったら……」
不安そうなアデルとジェシカを、ケイは励ました。
「きっと大丈夫だ。もしも見つかっていたら、今頃は騒ぎになってるはずだよ。それに、エマはこの中の誰よりも要領が良いだろ? 落ち着きがない姉のジェシカよりも、落ち着いてる妹だし。隠密行動は得意そうだ」
「だ、誰が落ち着きがないですって!?」
ケイの冗談に、ジェシカがムキになる。
だが、それによって、幾分か場が和んだ。
突如、外鍵で閉ざされていた部屋の扉が開く。
驚いたケイたちから笑みが消え、その表情は警戒に変わる。
予告なく現れたのは、白金の鎧を着た兵士たちである。広場で襲撃された時とは違い、頭部のフルフェイス部は外しているようだ。素顔を見ればやはり、いずれも子供ばかりである。小学生、あるいは中学生くらいの年齢だろう。白人や黒人、人種は様々なようだが、幼いのが見てわかる。
リーダー格と思わしき、年長の少年が入室してくる。
そしてジェシカを指さし、無愛想な顔で言った。
「そこの赤髪の女。来い」
「はあ?」
「他の奴等は、ここに残っていろ。用はない」
下手をすれば、少年少女たちと同年代にも見えるジェシカ。だが、一応は年上なのだ。年端もいかない少年から命じられたことに、少し苛立っている様子である。
「いきなり不躾に、アタシだけ呼び出し? 何なのよ」
「良いから来い。グラハムさんが呼んでいる」
少年の部下と思わしき子供たちも入室してきて、無理矢理にでもジェシカを引っ張り出そうと、その両腕を拘束する。
「やだ! 離しなさいよ、アンタたち!」
グラハムはここで、人体実験をしているかもしれない。
その予測が、嫌な予感をかき立てる。
「ジェシカ!」
連れて行かれるジェシカを引き留めようと、ケイは駆け寄ろうとした。だが行く手を、子供の兵士たちに遮られた。その目には「逆らえば殺す」という殺意が宿っているのが見て取れた。ケイの肩をアトラスが掴み、制止する。
「雨宮殿、ここは……」
「くっ……!」
強引に少年少女たちを打ち倒し、この場でジェシカを助けることはできるだろう。だが、魔人たちの増援が押し寄せてきたら、剣と魔術が使えないケイでは、アデルを守り切れない。アトラスの強い眼差しは、「ここで優先すべきはアデルの安全だ」と訴えていた。その理屈はもっともであり、反論の余地はない。
「ジェシカに妙な真似をしてみろ……お前たち、ただでは済まさないぞ」
ケイは、虚しい脅しをかける。
だがそれは、響かなかったのだろう。
少年少女たちは、笑い飛ばすだけだ。
ジェシカが連れて行かれた後、再び部屋の扉は閉ざされ、鍵がかけられる。
ケイは扉を殴りつけ、毒づいた。
「クソ……! 急いで打開策を見つけてきてくれ、エマ! ジェシカがまずい……!」




