13-2 痕跡
リーゼが失踪した後、ケイたちは眠れる場所を探し、ロンドンの街を歩き始めた。
ウェリントンアーチのすぐ近くには、かの有名なバッキンガム宮殿や大庭園、他にもアプスリーハウスなどの観光スポットが存在している。だが、いずれも周囲の見通しが良くて堅牢な建物だ。しかも有名どころである。そうした場所は、すでにレジスタンスや帝国騎士団が拠点として使用している可能性も高いだろう。実際にケイたち以外の勢力が、このロンドンの街に潜伏している状況なのかは不明だが、迂闊に近づいて、予期せず遭遇してしまう事態は好ましくないことだろう。
アデルを連れている現状では、どの勢力と遭遇しても、騒ぎになってしまう。
目立って好ましくないことに思えた。
そのため敢えて、そうしたスポットを夜営地として選ぶのは避けることにする。
とは言え、ロンドンの街はどこも観光スポットだらけだった。無名地など見つける方が難しいだろう。ひとまずケイたちは、2ブロックほど離れたウィルトン・プレイス近辺に、無人のパブを見つけた。隣接する建物に、異常存在や伏兵が潜んでいないことをエマに確認してもらった後、その店内に宿泊することにした。
……ロンドンの夜は、不気味なほどに静かだった。
耳に痛いほどの静寂。まるで全ての生き物が死に絶えてしまったような無音だった。その上、ひどく冷え込み、肌寒い。さすがに砂漠で着ていたような厚着は必要としないが、コートやジャケットなど、冬用の厚着は、羽織っていないと震えるほどだ。街は停電しているため、宿泊するパブ店内の暖房設備は機能していないが、外に比べれば暖かいことは救いだった。
砂漠で着ていた厚着を、ベッド代わりに床へ敷いて眠る。
時折、遠くから微かに銃声のような音が聞こえた気がした。
それが気のせいだったのかどうかは、定かでない。
翌朝、ケイたちは早朝から出発する。
行き先は、最初に訪れた場所、ウェリントンアーチの広場である。
「……意外、と言うべきだろうかな」
明るくなった無人のロンドン市街を見渡して、アトラスがぼやいた。
「一晩を明かしても、異常存在の姿は見かけなかった。最近の白石塔跡地は、どこも異常存在たちの巣窟になっているという情報であったから、この街もてっきり、ウォータゲートのような、怪物だらけの状態と化しているのだと、勝手に予想していた」
アトラス同様、周囲をキョロキョロと見ているアデルも、同意して言った。
「同意見です。異常存在を見かけないのも気になりますが、周囲が静か過ぎるようにも思います。もうロンドンに……人間は残っていないのかもしれませんね」
アデルの語尾には、少し悲しそうな感情が混じって聞こえた。
人間が残っていないというのは、すでに人々がこの場を去っているからなのか。
あるいは、アデルが想像しているであろう悲劇に見舞われたからなのか。
ケイたちにはわからない。
すると、ジェシカが険しい表情で言う。
「まだわからないわよ。この地区は安全ってだけで、他の地区では、異常存在たちが団体様で犇めいている可能性だってあるでしょ。ウォーターゲートでも、ターミナル周辺は静かだったじゃない。それにそもそも、ここへ来てから、1度も死体を見かけていないわ。もしも住人たちが避難したんじゃなければ……全員が“変態している”可能性だってある。まだ油断しない方が良いわ」
『お姉ちゃんの言う通りだと思います!』
姿は見えずとも、ケイたちへ同行しているエマが言った。
そして付け加えもする。
『ただ。アデルさんが言うように、この辺に異常存在がいなくて無人なのは、間違いなさそうですよ。今の私は肉体がないですけど、お姉ちゃんから半径1キロメートル先くらいまでなら、魂状態で自由に移動できるので。少し遠くまで見てきました』
「おお。エマは1キロ先まで、誰にも気付かれずに偵察ができるということですか。すごい能力です」
『えっへんです!』
アデルに褒めてもらい、エマは得意気にしているようだった。
その微笑ましい会話を、ジェシカは少し寂しげな笑みを浮かべて聞いていた。
「そのうち、エマのその便利能力もなくなるわよ。エマの肉体は、アルトローゼ王国で再生治療装置にかけてもらっている。……ちゃんと治ったらアタシが、アンタを元の身体へ戻してあげるんだから」
『お姉ちゃん……ありがと』
死にゆく肉体から、魂を抜きだすことで、妹を救ったジェシカ。それによってエマの魂の消失は免れたが、肉体の方は……トラヴァース機関によって長期間、薬品漬けにされていた影響か、臓器の腐敗が進んでいたらしいと、ケイは聞いている。
再生治療装置を使っても、肉体の修復ができるかどうかは五部の可能性だと言われている。妹を再び肉体へ戻せない可能性もあるのだ。そのことを知っているからこそ、ジェシカは不安に思っているのだろう。表情に、それが覗えた。
エマのことを話していると、ジェシカは落ち込む一方だろう。
話題を変えるべく、ケイは全員へ警戒を促した。
「そろそろ、また静かにしよう。騒いで異常存在に気付かれるのはまずい。もっと言えば、こっちはアデル王を連れ歩いているんだ。この文明崩壊後みたいな街の状況じゃ、考えにくいことだけど、万が一、人間に遭遇した場合も、目立つのはまずい。相手が帝国騎士だろうと、一般人だろうと、アデルの正体は隠しきらないといけないんだ」
「雨宮殿の言う通りだな。アデルを失っては、我々のこの旅に意味はなくなる。気をつけて進もう」
「とは言ってもね。どこへ行ったら良いんだか、アタシたち。案内役のリーゼは、失踪してるのに」
「……ひとまずスタート地点。ウェリントンアーチの場所まで戻ろうって決めたろ。リーゼは“痕跡”を残しておくって言っていたんだ。なら何か見つかるはずだって、信じてる」
「リーゼ……」
アデルは、心配そうに友人の名を呟いていた。
◇◇◇
一夜が明けて、再びウェリントンアーチの広場へ戻ってきた。昨日は夕暮れ時であったため薄暗かったが、今は早朝。天気も良いため、景色が鮮明さを増したように見えていた。これなら、昨日は見つけられなかったものが、発見できるかもしれないという期待が増す。
「さーて、謎解きの時間ね」
「不謹慎かもですが、何やらワクワクします」
「リーゼ殿の行き先を示す痕跡か……。いったいどのようなものであろうか」
『周辺に、何か怪しいものがないかを探しましょう!』
「漠然としてるわね。怪しいものなんて、そこら中に転がってると思うけど」
「正直、怪しいところだらけです」
お互いにあまり離れないようにしながら、ケイたちは周囲を探索することにした。
「ケイ、見てください!」
リーゼの痕跡を探し始めてすぐに、ケイと一緒に行動していたアデルが、呼び止めてきた。
「なんだ、アデル。もう何か見つけたのか?」
「はい、見てください!」
言いながらアデルは、皿のようにした両手いっぱいに、すくった土を見せつけてくる。その土の上には、ウネウネと蠢くミミズがいた。
「……アデル?」
「ミミズさんです! 初めて見ました! ウネウネ動いていて、かわいいです!」
目を輝かせて喜んでいるアデルを、ケイは呆れ顔で見ていた。だがそれは、いつもの堅苦しい王の振るまいではなく、ケイがよく知る、好奇心旺盛な“ただのアデル”の様子である。
何となくケイは、アデルの頭をヨシヨシと撫でてしまう。
「ひゃっ!? な、なんですか、ケイ……?」
いきなり予期せぬことをされたアデルは、驚いて身をすくめていた。その反応を見て、ケイは内心で「まずい」と感じる。つい、飼い猫をあやすような感覚で、うっかりアデルを撫でてしまった。
「あ、いや、悪い。ついなんとなく……やっちゃった」
「……」
女の子の頭を勝手に撫でるのはNG行為だと、先輩であるトウゴから、散々、注意されていたことを思い出す。「漫画じゃねえんだから、そんなことして女は喜ばねえ。むしろ上から目線されたみたいに思われてムカつかれるぞ」と豪語していた。当時のトウゴは女子生徒からモテていて、そういうことにも詳しかったため、ケイは参考にしていたのである。だが、やらかしてしまった。
「……良いです」
「え?」
「も、もっとナデナデしてください」
アデルは恥ずかしそうに赤面しながら、自分の頭をケイへ差し出してくる。ケイとしては、予期していなかったアデルの反応。思わずケイも赤面してしまい、後退ってしまう。
「あ、アデル……?」
「うぅ……早くしてください……」
ふと、身を乗り出したアデルのポケットから、何かが落ちた。
どうやら落とし物をしたようだ。
それに気付き、ケイはすぐに拾い上げてやる。
「え……? これって!」
アデルの落とし物を手にして、ケイは驚いた。
どぎまぎしていた感情は消え去り、一気に我へ帰ってしまう。
それは見覚えのある、ひび割れたスマートフォンである。
「昔、私が入っていた、ケイのスマホです」
「……」
もう大昔のこと。ケイが、姉に買ってもらったスマホだ。
家族の形見として。アデルの容れ物として。
以前は肌身離さず持っていたのに、いつしかなくしてしまっていたものである。
「……淫乱卿と戦った時に落として、なくしたと思っていたのに」
「ずっと、アキラが保管してくれていたようです。それをもらいました」
「四条院アキラか……」
淫乱卿の息子であり、アデルの元婚約者。空が落ちた日の際、父親を暗殺し、今では自身が新たな淫乱卿を名乗り、四条院企業国を統治しているのだと聞いている。
アルトローゼ王国の隣国。
つまり敵国の王となった少年だ。
悲しげな表情でスマホを見下ろすケイを、アデルは心配そうに見やった。
「ケイがいない間、ずっと私が持っていました。けれど、元々はケイのもの。ケイが必要なら、お返しします」
「……いや、いい。お前が持っていてくれ」
「良いのですか?」
「ああ。このスマホには、ずっと姉さんが宿っているような気がするんだよ。昔は、お前の容れ物でもあったけど、オレにとってはお守り代わりでもあった。今、このお守りが必要なのはオレじゃない。お前の方だ。きっと姉さんが、お前のことを守ってくれる」
「……実は私も独りの時に、お守りとして持っていたんです。わかりました、ありがとうございます」
ケイから返却されたスマホを受け取り、アデルは、はにかんだ笑みを返す。
そんなアデルの頭を、ケイはもう一度だけ撫でてやった。
頭にケイの手を乗せたアデルは、幸せそうに目を細めて紅潮していた。
「雨宮殿、これを見てくれ!」
唐突に、アトラスが呼びかける声が聞こえた。
ケイとアデルは顔を見合わせる。
仲間たち全員が集まる。
広場の片隅に立てられた、金属製のプレート板。
そこには、広場周辺の市街地図が刻印されている。
「これって……観光用の案内板か?」
「ここを見てくれ。印が付けられている」
アトラスが指さす先には、×印が刻み込まれている。
刃物で傷つけて描いたのだろう。細くて鋭い線である。
印が示す場所を見て、ケイは表情を険しくした。
「この場所は……“大英博物館”だな」
「看板は酸化のサビで変色しているが、このキズは酸化が進んでいない。つまり、最近つけられた新しいキズだ。おそらくこれが、リーゼ殿が残したという痕跡ではないのか? わかりやすくて助かるな」
腕組みをして納得しているアトラスへ、怪訝な顔のジェシカが言った。
「待って。この印を付けたのがリーゼだって確証は、まだないでしょ? 崩壊した白石塔の跡地って、レジスタンスが活動拠点にしている場合もあるって聞くし、もしかしたらレジスタンスが集合場所の目印として付けた痕なのかも」
たしかにジェシカの言う通りだが、ケイはその可能性を除外する。
「けど、だとしたら、こんな広場の案内板に場所を刻んでおいたら、帝国騎士たちの目に止まる可能性だってあるんじゃないか? 自分たちの拠点の位置を、わざわざこうして敵の目に触れるかもしれない場所へ残したりするかな」
「むむ。一理ある意見ね」
ケイの意見を聞いて、ジェシカも納得する。ただ結局のところ、真偽はたしかでないままだが……ここで時間を潰しているよりは、次の行動に繋げた方が良いだろう。
「他に手がかりは見当たらないし、行ってみる価値はありそうだ」
「幸い、博物館はここからそう遠くないようです。道路が普通に使える状況で、迂回などをする必要がなければ。だいたい、4キロメートルほどの道のりでしょうか。行ってみましょう」
「機人の国と、博物館ねえ……。いったいどういう関係があるんだか、アタシには見当もつかないわ」
ケイたちの旅の目的は、アルトローゼ王国が大戦の戦火に飲まれるより早く、罪人の王冠を手に入れて、それを持ち帰ること。そのための手段として、機人の国へ向かっていて、王冠の入手のために、機人たちの協力を得る必要があるのだ。
帰国する時間まで考えれば、1つどころへ長居している余裕はない。急がなければならないというのに、案内役は不在で、ゴールも不明なのだ。焦りの気持ちは、全員の表情へ滲んでいた。
そんな中、何かに気が付いたケイの表情だけが、驚きへ変わる。
「――――攻撃だ!」
複数の発砲音が、無人の広場へ鳴り響いた。
ケイたちを取り囲むよう、四方八方から飛来してくる銃弾。それらを薙ぎ払うように、ケイは右手の平を掲げ、虚空を薙いだ。すると、ケイの腕に内蔵された異能装具の機能が発動し、全ての銃弾が虚空で静止した。その直後、銃弾は垂直に地面へ落ちて転がる。
「危なかった!」
「ありがとうございます、ケイ……!」
「どこのどいつよ、いきなり不意打ちなんて!」
アデルを中心にした守る布陣となり、ケイ、ジェシカ、アトラスは、それぞれが別方向へ視線を向けて警戒した。




