12-25 エルフの抜け道
マダルーク砂漠に乱立する、砂の山。
その間を縫うように、山腹を滑り通る5人がいた。
リーゼが用意した木製のボードを乗りこなし、ケイたちは夜間の内に、砂漠地帯を通過しようとしていた。乗りこなすとは言ったところで、ケイやリーゼ、アトラスはともかく。アデルとジェシカは運動音痴。スノーボードの経験もないため、最初の頃は、砂滑りにかなり苦戦している様子だった。だが不慣れなボードの扱いであっても、エマが、得意の風魔術によって、アシストしてくれるようになってからは、転んだり滑落することがなくなった様子である。後半はもう、2人はノリノリで砂滑りを楽しみ始めるようになっていた。
「あははは! サンドサーフィンって、こんなに楽しかったのね!」
「慣れてくると、病みつきになります!」
キャーキャーと楽しそうに騒ぎながら、アデルとジェシカが、ケイの前を滑り去って行く。その、はしゃいだ背を見ながら、ケイは思わず微笑んでしまった。
「さっきまで、砂滑りなんて最悪とか言ってた奴等が、調子良いな」
「しかし雨宮殿。これは、我もなかなかに楽しいと思うぞ」
「みんなに喜んでもらえて、何よりだね!」
アトラスとリーゼも、言い捨てながらケイの前を滑り去って行った。
遅れまいと、ケイもスピードを上げる。
夜間の砂漠は、月の光を浴びて色白く輝き。
まるで雪上にいるかのような錯覚をもたらした。
目的地まで、およそ60キロメートルの工程。
最寄りの都市の“方角”を目指しているだけで、実際に都市へ行くわけではないのだと、リーゼは言っていた。どこへ辿り着くのかは不明だが、先導するリーゼの背に続いて、全員で砂漠を進む。日の出前までに、目的地へ辿り着くというのは無理ではないかと考えていたケイだったが、考えを改めていた。サンドサーフィンで進む速度は速く、エマの魔術のアシストもあって、おそらく時速20キロ近くはスピードが出ているだろう。体力は消耗するものの、道のりが楽しいため、あまり疲れは感じなかった。
およそ4時間ほどで、ケイたちは目的地へ辿り着いてしまう。
「ここが……?」
リーゼは何も答えない。
ただ立ち止まり、目の前を見つめていた。
ケイたちの前に現れたのは“洞窟”である。
乱立する砂山の中の1つ。その麓に、ポッカリと暗い横穴が空いていた。
アデルが疑念を口にした。
「不思議です。こんな砂漠地帯で、洞窟の入口が見つかるなんて。ピラミッドのような巨大建造物でさえ、砂に埋もれてしまうのが砂漠。こんな場所、すぐに見えなくなってしまうのが普通だと思いますが」
「つまり“普通の洞窟ではない”ということであろう。魔術。あるいは科学技術によって細工がされた、人工の洞窟である可能性が高い」
「ここは……機人族の“抜け道”だよ」
答えるリーゼ。
なぜかその表情は、少し苦しげに歪んでいた。
それが気になりつつも、ケイは尋ねた。
「抜け道だって?」
「アークの各地へ、秘密裏に配置されている転移門だと思ってくれれば良い。帝国が管理していない、秘密のワープゲート。機人が、人目に付かず、アークの各地を移動できるのは、このルートインフラが整っているおかげなの」
「機人が管理してる転移門ってことよね。……いったいどこへ繋がってるのよ」
「わからない」
「……はあ?」
リーゼの予期せぬ答えを聞いて、ジェシカが思わず疑念の声を漏らしてしまう。
「このゲートの行き先は、周期的に変更されるようにプログラムされているの。外を出歩く機人には、抜け道がどこへ繋がっているのか、通常なら時刻表データを渡されるから迷わないんだけど。私の場合は……勝手に国を抜け出してきた身だから。そういうの、持たされてないんだ」
話を聞かされたケイたちは、驚いた顔をする。
「……初耳だな。非正規な手段で、勝手に国を抜け出してきてる身だって?」
「もしかしてアンタ……犯罪者だったとか?」
「そ、そういうんじゃないよ!」
ジェシカの指摘を、リーゼは慌てて否定する。
困惑した顔で、アデルも尋ねてきた。
「リーゼが犯罪者でないことはわかっています。リーゼは、そんなことをするような機人ではありませんから。それよりも……機人の国を目指す道中で、行き先不明の転移門を利用するという理由が、よくわかりません。どこへ通じているかわからないのに、それを使うことで、果たして機人の国へ辿り着けるのですか?」
リーゼは、何も答えない。
答えたくても、答えられないという、苦しげな表情をしていた。
秘密情報指定で、口外することが禁じられた情報なのだろう。
話を聞いていたケイは、推察した。
「……機人の国がある場所は“不定”ってことか?」
「……」
無言のリーゼからは、やはり答えを得られない。
ケイは嘆息を漏らした。
「当たらずとも遠からずなのか。よくわからないけど、この行き先不明の転移門を使わないと、機人の国へ辿り着けないってことなんだろう。なら、通るしかない」
「……ごめん、ケイ、アデル」
「気にしないでください。リーゼがいじわるをして、教えてくれないのではないと、理解していますから」
落ち込んでいる様子のリーゼへ、アデルは微笑みかけた。
ケイたちは洞窟の前で散らばり、ボードを足から取り外し始める。
足の固定具を解除しながら、ケイの隣のアデルが、話しかけてきた。
「……リーゼの調子が悪そうで、心配です」
そのことは、ケイも気が付いていた。
この抜け道へ近づいてきたあたりから、リーゼの口数が激減している。表情から微笑みが消え、まるで痛みに耐えているような、苦悶の顔を垣間見せていた。秘密情報指定に逆らっている影響で、リーゼの身に何かが起きていることは、容易に察しがついていた。
「……機人の国まで道案内をしてもらっているけど、それって機人族にとっては禁忌。外部から強制されている、秘密情報指定に逆らうことだから、身体に不調が現れるかもしれないとは言っていたよ。ウォーターゲートへ辿り着く前から、少し具合が悪そうだったけど。今はさらに酷そうだ」
「大丈夫でしょうか。このままリーゼに案内を頼んでいて」
「……」
他に方法はない。
リーゼを気遣ってはいるが、ケイには、それが限界である。
道案内をできる人物は、他にいないのだ。
残酷かもしれないが、今はリーゼだけが頼りなのである。
心苦しくても、何とか頑張ってもらうしかない。
ケイは苦虫を噛んだ表情で、アデルへ言った。
「秘密情報指定の強制力に逆らったら、どうなるのか。リーゼ自身も経験がないから、わからないと言っていた。リーゼの身に、何か起きるのかもしれないし、何ともない可能性だってある。今は、周りのオレたちが、注意深く見守っていよう」
「……そうですね。リーゼは、我慢して無理をしてしまうタイプの性格ですから。私たちがしっかり見ていないとです。最悪、リーゼには無茶をさせず、帰還してもらうことになるかもしれませんが、友達がどうにかなってしまうよりは良いです」
ケイは驚いた。
迷いなく、リーゼを帰還させることも視野に考えているアデル。
ケイとは違って、目的の達成よりも、リーゼの身を1番に考えているようだ。
それは合理性よりも、感情を優先した判断である――――。
「どうかしましたか、ケイ」
ケイとは違う。
昔のアデルとも、明らかに異なる意見だ。
それがなぜか嬉しくて、ケイは微笑んでしまう。
「オレが知っている2年前のアデルなら……リーゼが辛そうでも、きっと、目的達成のためなら仕方ないって考える。今のオレみたいにさ。けれど今のお前は、昔とは違うんだなって」
「……」
「リーゼが辛そうでも頑張ってもらうしかないって。そう考えているオレは、冷たい人間なのかなって、ちょっと自己嫌悪になるよ。お前が優しすぎるから」
「そんなことは……」
「良いんだ。オレとお前の、どっちの考えが正しいのかって、善悪の話をしてるんじゃないから」
ケイは、足から取り外したボードをその場に捨てた。
転移先に持ち込むわけにはいかない。
荷物をなるべく捨てて、身軽になる必要があったためだ。
「それより、こんなことを言うと、上から目線で偉そうかもしれないけどさ。王様に祭り上げられて、お前は本当に逞しく成長したと思う。一緒にいて、心強く感じるよ。自分で考えて、自分で動いて。そのことに責任も負えるようになってる。人間じゃないお前が、ひょんなことから人間になってしまって……オレたちの社会でうまくやっていけるのか、ずっと心配だった」
「ケイ……」
「けれどもう……昔みたいに、オレが見ていないとバカをしでかしてしまう、世間知らずの不思議花なんかじゃないんだよな。今は、心優しい、みんなのヒトの王だ。今さらだけど、お前はすっかり“人間になった”んだと思う」
言いながら、ケイは思い出していた。
結婚式場で再会した時。
2年も行方をくらましていたケイを、アデルは何も咎めなかった。
謗ることもなく。愚痴ることもなく。問いただすこともなかった。
それは今に至るまで、変わらない。
ただ、「お帰りなさい」とだけ言ってくれた。
アデルを捨てたように、突然、姿を消したケイのことを。
無条件に受け入れ、許してくれたのだ。
それは人並みではない、優しさと慈愛が成せる言葉のはずである。
人間よりも人間らしく、慈しみ深い心。
あの時の、アデルの眩しい笑顔が。
ずっと忘れられず、ケイの心に焼き付いていた。
「何でも合理的であるかどうかを判断基準にしていたお前なのに、そうじゃなくなった。他人を思いやり、時には自分の気持ちを殺してでも、周囲へ優しくすることができる。あの時……そんなお前に、オレも救われたんだと思ってる。お前がオレを必要としなくなったみたいで、なんだか少し寂しいけど。オレがいない間、本当に今日まで、頑張ってきたんだな、アデル」
予期せず、ケイに褒められたアデルは赤面する。「頑張ったんだな」と、認めてもらえたことが、たまらなく嬉しく感じた。だが恥ずかしくて、かけていた伊達メガネを陰らせ、俯いて視線を逸らしてしまう。なんと返事をすれば良いか悩んだ挙げ句、咄嗟にアデルの口から出てしまったのは、まとまらないまま吐き出された感情だ。
「……ダメです」
「?」
「ケイが私を、変えたんです。ケイが私を、人間にしたんです。だからこれからも、私のことを見ていてください。私がケイを必要としなくなったなんて、そんなこと絶対にないんですから……!」
一生懸命に否定するアデル。
その言葉を聞いていて、思わずケイも赤面してしまう。
お互いに、恥ずかしいことを言っているのかもしれないのだと、気付いたからだ。
アデルは自分へ言い聞かせるように、続けた。
「ケイとイリアの、邪魔にはなりませんから……。私は、ケイの傍にいたいです」
互いに黙り込むと、僅かな間が生じる。
今がアデルと、しっかり話すチャンスではないかと、ケイは感じた。
だからこそ、切り出そうとする。
「あのさ、アデル……。オレとイリアは――――」
「準備はできた、みんな?」
いきなり浴びせられたリーゼの声に驚き、ケイとアデルは、慌てて背筋を伸ばす。リーゼは、何やら良い雰囲気になっていた2人を邪魔してしまったことに気が付き、少し申し訳なさそうな顔をした。
全員、足からボードを外して、その場に捨てたものの、いまだに大荷物なのは変わらない。夜間の砂漠を乗り越えるための厚着に、バックパックを背負ったままだ。
ジェシカが大きな溜息を漏らした。
「とりあえずボードは持ち運ばなくて良さそうだけど、この厚着は、まだ必要なわけ?」
「やむを得ぬだろう。転移門を抜けた先が、どこへ通じているのか、リーゼ殿にもわからないのだ。行き先が極寒の地である可能性もある。しかも、このゲートは一方通行であるらしい。再び荷物を取りに、ここへ戻ってくることはできない」
「アトラスの言う通りだ。とりあえず厚着のまま行ってみて、必要なさそうだったら、現地で脱ぎ捨てよう」
『大は小を兼ねるだね、お姉ちゃん!』
「その言葉、使い方は合ってんの?」
全員で、砂漠の洞穴の前に並び立つ。
先陣を切ったのはリーゼだった。
「じゃあ、行くよ」
真っ先に洞窟の奥へ突き進み、その背はすぐに見えなくなる。入ってすぐのリーゼが見えなくなる、深い暗がり。洞窟の長さは見当もつかないが、明かりも無しに入っていくのは危険かもしれない。リーゼは機械眼であるため、暗がりの中でも暗視ができるが、ケイたちはそうでないのだ。
ケイはバックパックから、懐中電灯を取り出した。
それを使って洞窟の奥を照らす。
「オレたちも続こう」
リーゼに遅れて、ケイたちも洞窟へ歩み入った。
内部は狭く、天井も低い。背の高い者なら、頭を擦りつけてしまうかもしれないだろう。夜の砂漠よりは暖かいが、それでも寒いことに変わりはない。妙に湿った空気を肌に感じながら、ケイたちは一列になって、恐る恐る先へ進んだ。
「リーゼったら、どんだけ先行してるのよ。入ってからそれなりに進んだけど、姿が見えないじゃない。道案内なのに、私たちを置いていくんじゃないわよ」
「……変ですね。そんなに離れていないはずですから、すぐにリーゼへ追いつけると思っていました。リーゼなら、私たちを置いていかず、途中で待っていそうなものですが」
「……」
ケイは、潜水艇でリーゼと話していたことを思い出していた。
嫌な予感がした。
ふと、洞窟を進んだ先に光が見えてきた。
それを見て、エマが怪訝な顔をした。
『あれ? 洞窟の出口ですか?』
「……この洞窟って、転移門なんだよな? オレが知ってる転移門は、光のモヤみたいな壁をくぐって転移するものなはずだけど」
『実際のゲートは、洞窟を抜けた先にあるんでしょうか。リーゼさんも、そこで待っているとかですかね』
「行って見ぬとわからないな。先を進もう、雨宮殿」
歩を進めると、次第に光が大きくなっていく。
やがて洞窟を抜けた先で、ケイたちは予期せぬ光景を目撃する。
「……え?」
思わず、ケイは目を疑ってしまう。
青空に、太陽が輝いている。緑の絨毯のような、芝が植えられた広場。その中央には、石造りのアーチのオブジェクトが置かれていた。広場の周囲には、少し古めかしい、石造りの建物が建ち並ぶ風景。そこを訪れるのは初めてのことだが、ケイは、この景色を知っていた。
気が付けば、今しがた通ってきたはずの洞窟が、背後から消えてなくなっている。いきなり知らない広場の真ん中に投げ出され、ケイたちは巨大アーチの前で、呆然と立ち尽くしてしまった。
「え? あれ? 洞窟がなくなってる?! って、リーゼは?!」
「……見たところ、リーゼはいないようです」
ケイは唖然とした表情で、改めて周囲を見渡した。
そして最後に、視線を目の前のアーチへ戻す。
「これって……どう見ても“ウェリントンアーチ”だよな?」
「え? ここがどこだかわかるの、ケイ!?」
驚いた顔をしているジェシカに、ケイは冷や汗を浮かべて応えた。
「観光ガイドブックで、写真を見たことがある。ここってたぶん…………“ロンドン”だ」