12-18 救国ミステリーツアー
水深70メートルに届く太陽光は、地上のおよそ0.1パーセントだ。
水深1000メートルにもなると、もはや光のない、漆黒の世界である。
操舵室は全天球モニターになっており、外部の景色が、ホログラムで船内へ再現表示されている。暗い海底であっても、外の様子がよくわかる機能は便利だ。だが反面、搭乗している乗員は、何もない虚無の暗黒空間に投げ出されたように思えて、背筋が寒くなる光景でもある。たまに姿を見かける深海魚たちは、いずれもグロテスクな見た目であり、時折、想定外に巨大な生物を見かけると、驚いて息が止まりそうになる。
あまり心臓に良い景色とは言えない。
「小型潜水艇か……」
興味本位で操舵室を見学に来ていたケイは、冷や汗を浮かべながらぼやいた。
罪人の王冠を手に入れるため、機人族の国を目指す旅。その最初の1歩は、海路から始まった。アルトローゼ王国領を離れて、まだ1日も経っていない。リーゼが手配した、この小型潜水艇に乗り込んでからは、まだ数時間といったところである。
この不気味な光景のせいだろう。操舵室に寄りつく仲間はおらず、いるのは操縦桿を握っている、リーゼ1人だけである。船長席へ腰掛け、ジョイスティックのようなものを両手に握って、潜水艇を操縦していた。VRゴーグルのようなものをかぶったリーゼは、ケイへ言った。
「潜水艇の全天球モニターって、便利だけど、不気味な景色でしょ? ケイも無理して、操舵室にいてくれなくて良いよ。みんなと一緒に、リビングにいてくれて構わないのに」
「リーゼ1人に操縦させてたら、悪いだろ。まあ、手伝えることもないから、ここでボーッと突っ立てるだけなんだけどさ」
「心配してくれて、ありがと。うれしいよ。でも、秘密情報指定のせいで、機人の国までの道のりを教えられない以上、私しか進路がわからないから……。仕方ないよ」
たしかに、行き先が伝えられていないケイたちでは、操縦を任されたところで、どこへ行って良いのかわからない。運転はリーゼに頼るしかないのだが……話し相手くらいにはなれるかと思い、ケイは操舵室へやって来たのである。
「……陸路じゃなく、海路ってことは。地続きで行ける場所を目指してるわけじゃないのかな。すると、アルトローゼ王国と、四条院企業国がある大陸とは別の大陸に、機人の国は存在してるってことになるのか?」
戦争間近の緊張に包まれた世界では、各国の国境は封鎖されており、普通に往来することはできなくなっている。当然、国家間を結ぶ転移門も使えない状況だ。もしも大陸を跨いだ旅になるのであれば、空路か、海路を選ぶしかない。空路は監視の目が多く、感知されやすい。飛行中に撃墜される危険を考えれば、海路の方が、まだ比較的リスクが低いという判断なのではないだろうか。ケイはそう考えていた。
だが、質問をしたところで、リーゼは答えてくれない。
「ごめんね、ケイ……。教えてあげたいんだけど、教えてあげられないの。喋ろうとすると、強制的に、口の動作回路が遮断されちゃうみたいだから」
「気にしてないよ。それにしても、機人の秘密情報指定っていう仕組みは、本当に厄介そうだな」
「うん……」
「まあ、でも。目的地不明の旅って、ミステリーツアーみたいで、考えようによっては面白いんじゃないのか? そんなに落ち込むことないって」
気遣ってくれているケイの優しさには、気が付いていた。
リーゼは申し訳なさそうに、続けて言った。
「私たち、機人の歴史は、帝国史1万年よりもずっと長い。その間、ずっと種族の秘密を守り、情報の漏洩を防いでこられたのは、秘密情報指定のおかげ。それは機人の基幹システムによって、太古の時代から定められている、不可侵の掟なの。機人の国の中でなら、私たちの秘密情報指定は解除されるから、到着してからは、色々と教えてあげられると思うけど。今は無理」
「わかっているよ」
「本当にごめんね。正直なところ……秘密情報指定の情報統制に逆らって、他種族を、《エルフ》の国まで案内できるのか、自信がないの。これに逆らったことなんて、今までなかったから。だから私の身体に、これからどんな機能障害や制約が発生するのか、見当もつかない」
「それって、大丈夫なのか……? もしかして、秘密情報指定に逆らうと、身体に不調が生じたりとかするってこと?」
「わからない」
リーゼはVRゴーグルを外した。
そうして、真顔でケイを見つめて言った。
「もしかしたら私、秘密情報指定の外部制御によって、強制的にケイたちの前から失踪させられるかもしれない。最悪、途中で姿を消すかもしれないけれど……そうしたら、私の後を追って。なんとかケイたちが辿り着けるように、痕跡を残すから」
「……途中で道案内がいなくなるかもしれないってことか。覚悟しておくよ。リーゼも、あんまり無理しないでね」
「うん」
再びゴーグルをかぶり、リーゼは言った。
「もうすぐ、険しい海底地形の領域を抜ける。そうしたら自動運転にして、私も休むから。ケイも私に気兼ねなく、休んで。まだ国境線は越えてないから、話をしたり、音を出していても平気だと思う」
「あんまり、思い詰めるなよ。リーゼって優しすぎるから。何でも抱え込むところあるし。道案内が途中で職務放棄しても、オレが切り抜けるよ。そのためについてきている。だから、心配するな」
「……」
リーゼは苦笑して見せた。
ケイが操舵室から出て行くと、室内は深海の闇と、静寂に満たされる。
「もぉ~~! ケイ、そういうところ……!」
自分へ言い聞かせた。
「……ダメダメ。何を考えてるのよ、リーゼ。ケイのこと好きな子は、他にもたくさんいるでしょ」
リーゼは、頬の熱を誤魔化そうとして頭を振った。
◇◇◇
小型潜水艇は、名前の通り、大型サイズではない。最大の乗船可能人数は10名ほど。マナ動力であるため、マナが存在する場所では、理論的には無限時間の潜水が可能だ。だが積載できる食力や戦略物資は少なく、長期間の潜行任務を行える艇ではない。その代わり、大型艇よりも隠密性能が高く、速度が出る。特殊部隊のような少人数の人員が、素早く敵地の海岸へ上陸作戦を仕掛ける用途などで、主に運用されている乗り物だ。その船内のキッチンは省スペースであり、食卓と対面式になっている。
狭い艇内通路を通り、ケイは、何か食べ物を得ようと、ダイニングスペースを訪れる。そこには、他の乗員であるアデルとジェシカ、アトラスの3人も集まっていたようで、何やらワイワイと話している様子だった。姿は見えないが、エマの黄色い声も聞こえている。
ダイニングに入るなり、ケイは妙なものを目にした。
「……えーっと。何してるの、君たち?」
「あ、ケイじゃない」
呆れ顔をしているケイへ、ジェシカが顔を向けてくる。
テーブルに腰掛けている、ムッツリ顔のアデル。その首には、色とりどりのマフラーが巻かれている。顔の下半分が見えなくなるくらいに、マフラーだらけ。マフラーお化け状態である。
「なんでアデルを、マフラーお化けにしてるの?」
「なんでって、そりゃあ“変装”させてるに決まってるじゃない」
ジェシカは薄い胸を張って、得意気に言った。
「アデル・アルトローゼと言えば、今やアーク全土に知れ渡っている名前。この前の結婚式でも、その顔は全国放送されてたのよ。超有名人なんだから、姿を見られたら即、身バレしちゃうでしょ。ただでさえアデルは可愛すぎるんだから、黙っていても否応にも目立つわ。このピリついた世界情勢の中、他国の領土をお忍びでウロつくなら、変装は必須でしょ。何とかして顔が見えないように、かつ、可愛くコーディネートするにはどうしたら良いか、エマと一緒にプランを練ってたのよ!」
『ですです!』
「私は、ジェシカとエマの“着せ替え人形”というものにされているところです」
「我が思うに。ジェシカ殿の言うことには一理ある。とは言え、変装に“可愛いコーディネート”というものが必要なのかは、よくわからないが。そういうものであるらしい」
ジェシカたちの話を聞いて、ケイは納得する。
「たしかに、変装は必要だとは思ってたけど……。まだアルトローゼ王国領内。どこかの国に潜入中でもないんだから、今から変装する必要ないだろ」
「甘いわね、ケイ! 男は外に出たら7人の敵がいると思えとかいうセリフをアニメで見たことあるけど、女の場合は、外に出るまでに7人の敵がいるようなものなのよ! 出発するまでに、メイクとか服選びとか、色々と片付けなきゃならない敵がいるんだから! だから、備えはなるべく早めにしておくべきなのよ!」
『言うほど、お姉ちゃんはメイクとか服選びとかしたことないけどね。面倒くさがり屋さんだから、いつもすっぴん。雨宮さんと出かける時くらいしか……』
「わー! わー! エマ、何を言ってるのかしら、おほほほ!」
ケイは指摘した。
「可愛いコーディネートって言ってもさ。そんな、選ぶほど服なんて持ってきてないだろ。とりあえず、顔が目立たないようにマフラー程度で良いんじゃないのか? 今のアデルは巻きすぎだと思うけどさ」
「これは色合いを見るために色々と巻いてるだけよ。もちろん、どれか1つでも良いわ」
「我は、目立たない格好に変装すれば、コーディネートなど気にする必要はないと思うのだが……」
「私も、そう思います」
「オレも、アデルとアトラスに同意かな」
「これだから男どもは、わかってないわね!」
『ですです! 可愛さは大事なんです!』
「いや、アデルは女だろ……」
クラーク姉妹は、キッチンの裏手から大きなスーツケースを取り出してきた。それを足下に転がし、ドヤ顔で、ケイたちを見て言う。
「フフフ。この艇を調達したの、誰だと思ってるのよ」
「リーゼだろ?」
『リーゼさんを、何者だと思ってるんですか!』
「リーゼは、私のお友達。機人族ですが……」
「ただの友達のアホばか天然機人じゃないでしょ! 恋バナ大好き、可愛い女の子にちょっかい出すのも大好き好き好き機人よ!」
「我が思うに、現代の機人とは、ずいぶんと業が深い種族のようだ」
「アトラス、コイツ等の言うことをまともに受け取らないでくれ……」
ジェシカは、足下に転がしたスーツケースを蹴り開けた。
中には、大量の女物の衣類が押し込まれていた。
爆発するように、それが飛び出してくる。
「こ、これは……!」
「見なさい。これがリーゼの、手回しの良さよ!」
若干、ケイとアトラスは引いてしまっていた。ムッツリ顔のアデルは、飛び出した服の1枚を、適当につまみあげ、「おー」と感嘆の声を漏らしている。
突如、艇内放送が流れる。
ダイニングの様子を監視していたのだろう、リーゼの声が警告してきた。
『ちょっと、ジェシカ! エマ! 勝手にアデルのコーディネートを決めないで! ちゃんと私も混ぜてよ! アデルのこと、可愛く変装させるんだから!』
「……さすがだな、リーゼ」
ケイは感心して呻いた。