12-12 預言者の再来
水平線の向こうへ、夕陽が沈んでいく。
ホテルのスタッフたちが、薪や炭、鉄板や調理機材を持ち込み、砂浜でバーベキューができるように準備してくれた。海辺で遊ぶのは程々に切り上げ、全員で食材の調理を始めた。今日の夕飯は、夜の海辺で火を囲みながら、である。
程よいサイズにカットされた野菜を、ケイは金網の上へ置いていく。焦げ付かないよう、時折、トングでひっくり返しながら、じっくりと火を通していた。隣の鉄板では、リーゼたちが肉を焼いてくれていた。焼く係は慌ただしいが、食べる係は、よく火が通った食材から、適当に紙皿へ取り分けて食べていく。みんなで火を囲んで食べるのは楽しくて、談笑の声は弾んでいた。
火を囲んだ、ケイの向かい。そこには、暗い表情で視線を伏しているアデルが座っていた。いつも口うるさい付き人のエイデンは、今はなにやら、ジェシカとサムにからかわれて、怒り喚いている様子である。監視の目が逸れている隙を突いて、ケイは思い切って話しかけた。
「あ、あのさ。アデル」
ケイは、よく焼けたキノコを串に刺して、それをアデルの方へ差し出した。
「これ、焼けたからやるよ」
「……ありがとうございます」
元気がない返事をするアデル。ケイやイリアと、一緒にいたくないのだと言っていたが、だからと言って、無視したり拒絶するわけではない様子だった。素直に紙皿を差し出してきた。
それでも、気まずかった。
別に、ケイとアデルは付き合っていたわけではない。ただ、昔からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染みのようなもので、家族のようにお互いのことを大切にしている関係。恋人同士であったわけでもない。たとえケイが、イリアやジェシカと、特別な関係になったからと言って、アデルに対して不義理を働いているわけでもないのだが……心苦しい気持ちになってしまっている。
いつから、こうなってしまったのだろう。
いつから、ケイとアデルは、お互いのことを異性として意識してしまったのだ。
恋人でなかったとしても、互いが互いを、特別だと感じていることはわかっていた。
ケイは、ボンヤリと金網の上の野菜を見つめながら、アデルへ話しかけた。
「……ごめんな、アデル」
「……え」
イリアとのことではない。
それとは違う、もっと根幹のことを、ケイは謝罪した。
「エリーに拉致された、あの日。本当は一緒に、出かける約束をしてたじゃないか。なのに約束を守らず、長い間ずっと、お前を独りぼっちにしただろ。元に戻ってから、オレは……あの日、どれだけお前のことを傷つけてしまったのかって、後悔してばかりだ」
「ケイ……」
まだそれは、募った思いの、ほんの一部でしかない。だが少しであっても、ようやくアデルへ、伝えたかったことを口にできた気がした。言われたアデルは、悲しそうな表情をした。
「……それはケイのせいでは、ないことです。全てはシュバルツ家、いいえ、アルテミア・グレインの野望に、私たち全員が巻き込まれた結果です」
「それでもだ。王国へ来てから、公務中のお前の姿を何度も見たよ。王様として、大勢の人たちの期待に応え続け、大勢の人たちの運命を決定していかなくちゃいけない。正解なんてない難題に、毎日向き合わされてる。オレなんかには、想像もできないくらい過酷な仕事だよ。お前は優しすぎるし、真面目だから。きっと逃げ出さず、必死に取り組んできたんだろう。お前がもっとも周りの助けを必要としていた、肝心な時に、オレは傍にいて支えてやれなかったんだなって。そう思ってる。……ごめんなんて一言で謝っても、許されないよな」
「私は……!」
アデルは言葉を詰まらせ、俯いてしまう。ケイが悪いわけではないことを、理解しているのだろう。だがそれでも、王としての自分の辛かった日々について、否定することはしない。
やはり本音では、ケイが傍にいて欲しかったのだ。
アデルの態度は、そう物語っていた。
「――――もう2度と、お前を置いて消えたりしないよ」
ケイはアデルの顔を見て、誓った。
真剣な眼差しを向けられたアデルは、目を丸くする。
「過去のことは、今さら、どうにもできない。どれだけやり直したくても、罪滅ぼしをしたくても、それはもう叶わない。でも、これからのことだったら、どうにかできる。この先、どんなヤツが王国へ攻めてきたとしても、オレはお前を守る。お前のことを、絶対に見捨てたりしない」
言われたアデルは、しばらく呆然としていた。
だが、見る見る間に頬を赤くして、再び視線を逸らして俯いた。
「…………ズルいです」
ケイとアデルが話し込んでいる横で、肉を頬張っていたリンネが、妙なことに気が付いた。海とは反対方向。ホテルの方角。茜色に染まった砂の上を、歩いてくる人影があった。たった1人きり。手ぶらであるため、追加のバーベキュー食材を持ってきた、ホテルのスタッフではなさそうである。
「あれって、誰なんでしょう? ホテルの人……じゃなさそうな」
「あん?」
リンネに言われ、ジェイドとサム、その他メンバーも視線を向けた。
銀の長髪。青い瞳で、垂れ目。20代くらいの、整った顔立ちの男だ。銀縁のメガネをかけているせいか、見た目の印象は物静かそうで、温厚そうだ。白いローブを羽織った格好を見て、リンネはホテルのスタッフではなさそうだと、推察したのだろう。近づいてくるその人物の格好は、奇妙である。
怪訝な顔で、サムが言った。
「一般の観光客じゃないの?」
「ばか。今は島ごと貸し切ってんだろうがよ。俺たちの他に、観光客なんか来てねえはずだろ」
突如、男は笑顔で、こちらへ手を振ってくる。
知人に挨拶するような、馴れ馴れしい態度である。
「うわ! こっちに向かって手を振ってるよ?! なになになに! 誰かの知り合い?!」
思わず全員で顔を見合わせるが、全員が同じように、疑問符を浮かべた顔をしていた。
そんな中、イリアが不敵に笑んでおり、リーゼが困ったような顔で頬を掻いている。
仲間うちだけで開催していたバーベキューに、突如として珍客が現れた。
ジェシカが、困惑した顔で尋ねる。
「え? あの知らないヤツもバーベキューに加わるの? リーゼとイリアの知り合い?」
「うーん。というか、正確にはケイとイリア、それにアデルの知り合いって言えるのかな」
「オレ?」 「私ですか?」
唐突に名指しされたケイとアデルは、眉をひそめる。
全容を知っているのであろう、イリアだけはニヤニヤとしていた。
やがて、銀髪メガネの男は、ケイたちのグループの輪の中に入り込んできた。いきなり見ず知らずの人物が現れたこともあり、人見知りのジェシカとリンネは狼狽していた。ジェイドとエイデンも、品定めするように男をジロジロと見やる。
「……誰よ、アンタ?」
「近くで見れば、やっぱり会ったこともねえヤツじゃねえか。誰だよ」
「何者だ。貴様も、アデル様へ不敬をはたらく輩ではなかろうな」
どよめく仲間たち。
全員の視線が、イリアとリーゼへ説明を求め、集まった。
だがイリアは肩をすくめて後じさり、身を引いた。
「彼は“サプライズゲスト”だよ。本当ならボクが説明したいところだが、この件についての功労者はリーゼだ。他人の手柄を取るわけにはいかないからね。役目を譲るとするよ」
「あはは。手柄って、そんなんじゃ……」
イリアが引くと、注目はリーゼへ集まった。
少し緊張したのか、リーゼは軽く咳払いをしてから語り出した。
「えーっと。どこから話せば良いかな。……まだ東京が、白石塔の中にあった頃。第三東高校、オカルト研究部のメンバーは、決死の思いで、無人都市の攻略に挑んだ。そうだったよね、ケイ?」
話を振られて、ケイは戸惑った。
もう、ずいぶん昔のことに感じられるが、実際には、ほんの2年ほど前のことなのだ。
佐渡という怪しい町医者に導かれ、ケイとイリア、トウゴとサキの、オカルト研究部メンバーで、無人都市へ向かった。異常存在に狙われないようにするため、毎晩、服毒自殺しなければならないという悪夢のような生活を送りたくなくて、その光明となりそうだった、シケイダ暗号の発信者を探しに行ったのだ。花だったアデルは、そこで人間の身体を獲得し、今のアデルになったのである。
ケイが頷くのを見て、リーゼの話は続いた。
「無人都市で出会ったのは、自称、最古の機人族。2500万年前に冷凍睡眠に入った少女を、人類最後の希望だと言って、ケイたちへ託した。その後、彼はすぐに破壊されてしまって、当時はロクに事情を聞くこともできなかったはず。あれから2年間。王国運営のおかげで、必要な設備や資材が豊富に手に入ったから。それを使ってなんとか、修復しようとしてたんだよ。有機機械体としては、だいぶかけ離れた存在だったけど、それでも基本的に機人族なのは事実みたいだったし。予想通り、会話ができるくらいまでにはなってくれたよ」
リーゼの話を聞いていて、ケイとアデルは驚愕した。
言わんとすることの意味に気が付き、思わず口を挟んでしまう。
「リーゼ、まさかそれって……!」
「彼の名前は、アトラス」
「!?」
同時に、ケイとアデルは、銀髪メガネの男を見やった。かつて出会ったアトラスは、ガラクタ機械の塊を練り上げて作ったような、言葉を喋る大目玉だった。それが美青年の姿で現れるとは、予想できるわけがない。ただただ、驚く以外になかった。
説明を聞いても、ジェイドとサム、それにリンネは、いまだに「誰?」という顔をしていた。だが聡いジェシカだけは、半ば興奮したように言う。
「ま、待ってよ! アトラスって、ケイたちが出会った、太古の謎存在の名前だったわよね!? 2500万年前の存在って話が本当なら、失われた技術で製造された生物ってことになるわけで、それを修復したって、ちょっと学術的に、すごすぎることなんだけど……!」
「あはは。ジェシカは、そういうの好きだもんね。どうやって直したかとかは、残念だけど機人族の秘密情報指定のルールで説明ができないんだけど。後で見て、勝手に解析するのは良いよ」
「やった! 感謝するわ!」
「話が逸れちゃったね。彼はつまり、かつての星壊戦争を生き残り、真王の降臨を目撃した、アーク唯一の生き証人。これから再び起きるはずの第二次星壊戦争について、きっと役立つ情報を持っているはずだよ」
銀髪メガネの男、アトラスは、ケイへ向かって微笑んできた。
以前の姿からは考えられない。自然な人間の微笑みである。
「久しいな、ヒトの子よ」
「本当に……あんたが、あのアトラスなのか……?」
「いかにも。あの頃と形は変わり、記憶の多くも失ってしまったが、それでも我が個人情報は、当時のままだ。君たちが出会ったアトラスと、今のアトラスは、同一の存在であると言える。さながら、テセウスの舟のようではあるがな」
妙な言い回しだが、アトラスは、たしかに肯定した。
「無人都市の地下駐車場で出会った時は、ロクに話もできずに潰えて、悪いことをしたな。あの時は頼りなく見えた少年少女たちが、今ではずいぶんと見違えたものだ。我が言ったことを無視せず、今日までソフィアを……。いや、今はアデルなのだったな。彼女を守ってくれたことに感謝しよう」
「……」
あの頃、一緒にいたメンバーは、1人が死に、1人は行方不明になっている。
残されたのはケイとイリア、そしてアデルだけだ。
当時のことを思い出すと、今では苦々しく感じることもあった。
アトラスはリーゼの隣に腰を下ろし、ケイたちと一緒に火を囲み始めた。
「喫緊の世界情勢については、リーゼ殿から聞かされている。我の話を聞かせて欲しいと頼まれているが、今さら、こんな古びた老人が、終わった時代の話をしたところで、君たちに得られるものがあるのか定かではない。何か参考になることがあるなら幸いだが、気が遠くなるほどの昔話で構わないのなら、聞かれたことに答えようと思う」
いつしか夕陽は消え、空には星が輝き始めている。
最古の目撃者との対談は、まだこれからだった。