12-5 自由な人質
夜――――。
リーゼは1人、アルトローゼ大聖堂を離れ、夜の新東京都を出歩く。
もうすっかりと見慣れてしまったが。周囲は、かつての東京の、永田町を再現した街並みだ。それは東京解放戦で、自衛隊と共に戦った場所と同じ景色。死者の軍勢と対決していた、あの時とは違い、街灯や官公庁のビルには、煌々と明かりが灯っている。その光で、夜の路上は明るくて、穏やかな時間が流れていた。行き交う人々の安らいだ顔を見ていると、アルトローゼ王国がいかに平和な国家であるのかを、改めて実感できた。
守りたい。
大戦が近づく今、つくづく、そう思わされている。
「……」
そのためにできることを、しなければならないのだ。
リーゼは、目的地への足取りを早めた。
電車を乗り継ぎ、辿り着いたのは新東京都北区、赤羽駅。繁華街を突っ切り、閑静な住宅街まで来ると、体内の各種センサーを起動した。そうして、周囲に尾行や監視の目がないことを確認してから、1軒の家の前で立ち止まる。玄関の戸を開けて入り、廊下の隠し扉から地下室へと降りていった。ちょっとした球技ができそうなくらいには広い、人目に付かない空間が存在している。
そこは、リーゼの“秘密工房”だ。
新東京都の開発工事の際、こっそりとリーゼが作った場所である。
他人には内緒で、リーゼは、よくここで作業をしている。
様々な工具が掛けられた壁。整頓された作業台や、メンテナンスの行き届いた、機人族の工作機械も配置されている。そして部屋の中央には、巨大な機械の塊が置かれていた。配管やケーブル、制御盤が取り付けられていて、縦置きされた、漆黒の棺のような見た目をしている。
その機械の前に椅子を置き、腰掛けて読書をしている少女がいた。
白衣を羽織った、獣人の人妻。ステラである。
地下に降りてきたリーゼを見るなり、伸びをしながら挨拶をしてくる。
「よお。今日は遅かったじゃないか。国王親衛隊の仕事は、繁盛しているようだな」
リーゼは手を合わせて謝る。
「ごめんなさい! 今日はアデルが、ちょっと困った状況になってて。色々と応対してたら、こんな時間になっちゃった。約束より、留守番の時間が延びちゃったよね」
「気にしなくて良い。おかげで1冊、キリが良く読み終えられたしな。メリットはあった」
ステラは、持っていた本を見せつけてきた。小難しいタイトルがついた、有名学者の著書のようだ。そしてアクビをしながら私物を片付け始め、帰り支度を始めた様子である。
「ありがとう、ステラ。育児が忙しい時期に、もう1週間も私の“作業”へ付き合ってもらちゃって。今日も遅くなっちゃって。赤ちゃんのお世話とか、大丈夫だったの……?」
「なに。大丈夫だ」
ステラは腕組みをして、ムッツリ顔で続けた。
「そもそも獣人社会は、子供の面倒を群れ全体でみるものだからな。東京都へ移住した今でも、その文化は残っている。以前、森の集落で一緒だった仲間たちが、私の子育てによく協力してくれているんだ。ザナと、脳筋の旦那も、マメに子供の面倒を見てくれているし。常に私が子供の傍についていなくても、何とかなっている」
「そうなんだ」
「まあ……だからと言って育児が忙しくないとは言わない。あの、夜泣きというヤツで何度もたたき起こされるのは、短時間睡眠者の私でも、なかなか堪えるものがある。何でもすぐに口に入れたがるから、世話をしている時は、常に集中していないといけないしな。正直、仲間の手助けなしで子育てをやっている人間たちは、すごいと思うぞ」
ステラは、少し青ざめながら言った。
だが、すぐに気を取り直す。
「話は逸れたがつまり、妊娠していた頃に想像していたよりは、幾分か時間が取れている。こうして片手間に、機人の“自由研究”を手伝うことくらいは、わけない」
「そう言ってもらえると、こっちもありがたいよ。そろそろ“起動”が近い時期だから。ずっと傍についていなくちゃ、だったんだけど。私は職務上、ずっとここにいるわけにはいかないし。誰かに代わりを頼むにしても、最低限、医療的な知識がある人じゃないと、お願いするのは難しかったから」
「しかし、機人は面白いことを考える種族だな」
ステラは、黒い棺を見つめて言った。
「こんなものを2年以上も前から、1人で準備していたとは……。私の師匠のドミニク先生も、異常でおかしな実験を数々やる変人だった。あの人の下にいる時、妙ちきりんなものは大概、見てきたと思っていたんだがな。そんな私でも、これには驚かされた。きっとアマミヤたちも驚くぞ」
「そうだね。良いサプライズになれば良いんだけど」
「さて。今日の留守番は終わった。私は、そろそろ家に帰るぞ」
ステラは荷物をまとめ終えて、地下室を去ろうとする。
だがふと足を止め、リーゼへ報告した。
「それはそうと……今日は客が来てるぞ」
「客……?」
「ついさっきまで、ここにいたんだがな。お前が留守だと聞くやいなや、帰ってくるまでに、近くのコンビニに言って、菓子やらを買ってくると言っていたぞ。泊まるつもりなのかもな。そろそろ戻ってくると思うぞ」
「ま、待ってよ。客って……? この場所を知っているのは、ステラ以外にはいないはずなんだけど。訪れる人なんて……」
「噂をすれば、だ」
階段を降りてくる足音が聞こえた。
地下室から出て行くステラに挨拶をし、入れ違いで姿を見せたのは、スーツ姿の金髪少女だ。コンビニのビニール袋を片手に、ニヤリと笑んで、リーゼへ挨拶をしてくる。
「やあ、おかえり。ちょうど良いタイミングで、帰ってこられたようだね」
「イリア!?」
ステラと同じく、今は人妻。友人でもある、イリアクラウス・フォン・エレンディアだ。カリフォルニアの空の落ちた日以来、アルトローゼ王国に滞在しているのである。
リーゼは驚いた表情で、目を丸くして尋ねる。
「ど、どうやって、ここを突き止めたの……?」
「ボクを誰だと思っているんだい? 他人の秘密を暴くのは、ボクの得意分野だ。アルトローゼ王国には、まだいろいろなツテが残っていてね。まあ、経緯なんてどうでも良いさ。君が面白いことをやっているようだったから、興味があって見に来たのさ」
言いながら、イリアはコンビニの袋をリーゼへ手渡してくる。
中に入っているお菓子を、自由に食べて良いということなのだろう。
そうして、工房の中央に設置された黒い棺へ歩み寄る。
「これが、君の秘密かい?」
「……別に、秘密にしてるわけじゃないよ。ただ、上手くいくのか自信がなかったから。みんなに期待させたら悪いと思って、形になるまで黙っていただけ」
「そして上手くいったわけか」
「イリアは、それが何なのか、もう知っているの?」
「いいや。ただ、集めた情報から“察し”はついている、ってところかな。おそらく、これは“回収物の修理品”なんじゃないのかい?」
「……相変わらず。さすがだね、イリア。あなたほど洞察が鋭くて行動力があるヒト、私は他に知らないよ」
「お褒めに預かり光栄だよ。というわけで今日は、これの詳細について、君に教えてもらいたいと思ったから、足を運んだんだ。もしかしたら、迫り来る大戦の中、アルトローゼ王国が生き残る方法が、わかるかもしれない代物だからね」
「……」
イリアは、さっきまでステラが座っていた椅子へ座った。
リーゼも、手近な作業台の上に腰を下ろす。
観念したように、リーゼは溜息を漏らした。
「わかった。ケイやアデルたちへ披露する前に、イリアには特別に教えるよ。でも、その代わりに私も、イリアに教えて欲しいことがある」
「ボクに教えて欲しいこと?」
「どうしてグレイン企業国へ帰国せず、アルトローゼ王国にきたの?」
「……」
イリアは口を閉ざした。
リーゼは、少し取り繕いながら言った。
「あ、誤解しないでね。あなたは、私の友達。こうして、また昔みたいに、一緒にいられることは本当に嬉しいと思ってる。けれど、それとは別に、今の私は国王親衛隊の一員。アデルと、この王国を守ることに責任のある立場だよ。だからこそ、元グレイン企業国の公人であるあなたが、どういう事情を抱えて、この国に来ているのか、知っておかなきゃいけないの。だって公式には“アルトローゼ王国の人質にされている”というウソまでついて、この国に滞在しているんだから」
「なるほどね。これは失礼した。君の立場を考えれば、説明しておくのはスジだったね」
イリアは素直に詫びた。
そうして、苦笑する。
「今のボクは言う通り、公には、アルトローゼ王国で“人質にとられているレインバラード夫人”だ。アデル王の結婚式に参加するべく、カリフォルニアへ滞在中、あの空の落ちた日に巻き込まれた。そのドサクサで、王国騎士団の君たちに連行されてきたわけだよ。なら、ボクがここにいるのは、やむなしな事情だろう?」
「それ……。イリアと付き合いが長いなら、旦那の勇者さんは、とっくにウソだって気付いてるでしょ。イリアが自主的についてきただけじゃない」
呆れた顔で、リーゼは指摘する。
イリアは、冗談っぽく微笑んで答えた。
「あっはっは。まあ、ボクとアルトローゼ王国関係者との仲は、クリスもよく知っていることだからね。ボクが空気を読まない、遠慮がない女であることは、それはもうよく承知しているだろうし。もっともらしい言い訳をしながら、ボクが今頃こうして、旧友たちと親交を深めていると、予想もしているだろう。何だかんだ、彼とは以心伝心なんでね」
「それ、のろけ? 戦争が始まりそうだっていう、不安定な世界情勢なのに。よく黙認してくれてるね」
「黙認はしていないだろうさ」
イリアは真顔になって続ける。
「真面目に答えれば、だ……。クリスの上司は、あのアルテミア・グレインだろう? ボクが普通に、グレイン企業国へ帰国していたなら今頃、アルテミアはボクを人質に、アデルやケイくんに言うことを聞かせようと、脅迫していたかもしれない。そうなる可能性を回避するために、ボクは帰国せず、こうしてアルトローゼ王国へやってきたわけさ。クリスも、ボクに危険が及ぶことを想定しているから、今は積極的に、ボクのことを取り返そうと行動を起こしていないんだろう。つまりボクは今……グレイン企業国に留まっていると、身の危険がある立場になってしまったわけさ」
「……なるほど。そういうことだったんだね」
「君の疑問の、答えになったかな?」
リーゼは腕組みをし、深々と頷いた。
イリアのことは信用している。イリアが良からぬ企みを持って、アルトローゼ王国へ滞在しているのではないのだと、最初からわかってはいた。こうして事情を聞いてみて、その理屈にも納得する。イリアの発言の1つ1つに、矛盾やおかしな点がなかったか、思い起こしながら、リーゼはふと疑問にぶち当たる。
「……って、ん?」
「……?」
脂汗を浮かべて困惑しているリーゼを見て、イリアは怪訝な顔をした。
リーゼは青ざめた表情で、イリアへ尋ねた。
「今、ケイくんって言った……? いつもの、雨宮くん呼びじゃなくて?」
「……!」
指摘されたイリアは、いきなり赤面する。
リーゼの知っているイリアは、いつも雨宮ケイのことを「雨宮くん」と、苗字の方で呼んでいた。それが今は、自然に「ケイくん」と、下の名前で親しげに呼んでいる。そこから想像できることは、2人の距離が、名前呼びするくらい、とても縮まったのであろうこと。人妻であるイリアが、ケイと親しくなっているということはつまり……。
「もしかして……“不倫”とかしてないよね……?」
「!!?」
かつて見たことがないイリアの狼狽ぶりを見て、リーゼは内心で答え合わせができてしまう。同時に、アデルとジェシカの悲しむ顔が、脳裏をよぎってしまった。リーゼは血の気が失せていく。
「ち、ちが! ケイくんとはまだ、そういう関係じゃなくて! ケインだった時のケイくんと……!」
「それってつまり、ケイン・トラヴァースだった時のケイと、何かしたってこと……?」
「そ、それは……!」
「フッフッフ。どうやら、あなたに聞かなきゃいけないことは“他にも”ありそうだね」
顔色が悪いリーゼは、引き攣った笑みを浮かべる。
言葉を失って困っているイリアを、リーゼは初めて見た。
「ケイは、ずいぶんと罪作りな男になって帰ってきたようね」