12-4 乙女心
アルトローゼ大聖堂、執務室。リーゼは専用のデスクに向き合い、AIV通信をしているところだった。眼前に広がるのは、遠く離れた地を映した、ホログラム映像だ。
崩壊した白石塔――――。
外から見れば、白石の樹木に見えていた巨大建造物。その上部に位置していた枝葉の部位は消え去っており、輪切りのように両断された、切株の部分だけが残っている。無人機を使って上空から観察すれば、白い巨壁の囲いによって覆われた、都市や自然地帯である。他の白石塔との空間接続を断たれた今、そこは文字通りの“隔離区域”のようになってしまっている。
壊れた壁の隙間から、白石塔の内部に住んでいた人々が、行列を成して出てきていた。避難民たちである。王国騎士団は、それらを整理、誘導していた。検問を敷いて、各々の身元を確認し、それが終われば予防接種や健康診断などを行う。
『見ての通り……。避難民の数は並々ならない規模に膨れ上がっています。これだけの人数になると、近隣の都市だけでは収容できない人数になるでしょう。どこかに、避難キャンプでも設営しなければなりません。……食糧や物資も、すぐに足りなくなってしまうでしょう』
大量の仮設テント群と、避難民たちを背景にしながら、王国騎士団長がリーゼへ報告してくる。
流れるようなショートの黒髪は、前髪だけ長く、目元にかかっている。女性のような、艶めかしさのある美形の顔立ちをしていた。表情の乏しい、寡黙な男剣士。エイデン・リゼルバーグは、裏切ったレイヴンの後任として、暫定的に騎士団長の役割を務めていた。
苦しげな表情で、リーゼは応えた。
「……報告ありがとう、エイデン騎士団長。避難民たちをどうするかは、すぐに王宮の方で決定するから。苦労をかけるけど、そのまま避難誘導をお願い」
『了解した。アデル様のご心労を増やしたくはないが……早めに頼むよ』
「わかってる」
通信を終え、エイデンの顔が見えなくなったところで、リーゼは重たい溜息を漏らす。困っている様子のリーゼを見かねてか、執務室の応接用ソファに腰掛けていた、赤髪の少女が口を開いた。
「相変わらず……。王国の運営は、大変そうね。建国当時の頃よりも、今はさらに難題が続いているんじゃない?」
「大変だよ。ジェシカも、手伝ってくれて良いんだよ?」
苦笑して応えるリーゼ。ジェシカも苦笑した。
「アタシみたいに、人付き合いが苦手な性格じゃ、人の上に立つ仕事なんてできないわよ。実際、アタシがいなくても、この王国は今まで、何とか回ってきてたみたいじゃない。アデルも、リーゼも。アンタたち、いつも本当によくやってると思うわ」
「本当によくやってるのは、アデルだよ。なるべく、あの子の負担にならないよう、私だけで解決できる問題なら、あの子の耳に入る前に片付けたいんだけどね。今回の難民の問題は、大きすぎる。またみんな、アデルの判断を仰ぐことになるんだと思う」
「……王様か。華やかなのは見た目だけ。アデルを見てると、いつもしんどいことばっかり押しつけられていて、かわいそうに思えてくるわ」
2人とも、会話が途切れてしまう。
ジェシカが黙っていると、リーゼは、これまでの過去の経緯を、あれこれと思い出してしまう。半ば愚痴のようにして、それを語り始めた。
「思い起こせば……。エヴァノフ企業国が管理していた白石塔は、内世界で言うところの“南米”地域。アルトローゼ王国が建国された時、領土内にある、その南米の白石塔の中の人たちを解放するべきかどうかっていう議論があったけど……」
「あの時は、取り止めになったのよね」
ジェシカも経緯を思い出しながら、相づちした。
リーゼは頷く。
「うん。知覚制限と支配権限によって、帝国から、本人たちも気付かないうちに、家畜同然のひどい扱いを受けていた、下民と呼ばれる人たちだけど……。ウソ偽りの景色の中で生きていたとしても、それがその人たちにとっての現実。幸せな人生を送る場所なんだよ。私たちが一方的に、解放されることが良いことだって価値観を押しつけるのは、良くないことだって、そうなったよね。実際、本人たちの意思と関係なく解放されてしまった東京都の人たちは……その後、だいぶ苦労したし」
「まあ、アルトローゼ王国は、他企業国から攻撃される理由を増やさないためにも、敢えて、真王がエヴァノフ企業国に課していた、“人類不滅契約”の役割を継承することにしたわけよね。アデルの判断は、正しかったと思うわ。下手に解放して、南米の人たちを内世界の社会から切り離したところで、全員をアルトローゼ王国だけで養うことはできなかったし」
「そのはずだったのにね」
リーゼは、腰掛けていた椅子に背を預ける。
そうして天井を仰ぎ見ながら、険しい表情で言った。
「それなのに今は……全ての白石塔が崩壊したことによって、内世界の人たち全員が解放されてしまった。バフェルトの生み出した“感染能力者”の力によって、知覚制限も、支配権限も、効果を及ぼさなくなってるみたい。東京都の人たちと、まったく同じだよ」
実際に、アルトローゼ王国騎士団が保護した人々には、支配権限が適用できなかった。命令を強制することができないため、王国騎士団も難民の避難誘導に苦労していると報告されているのだ。現地に派遣した医師団からも、それを裏付ける、難民たちの身体調査データが上がってきている。
ジェシカが言った。
「たしか、白石塔の中にいた人たちって、半数が異常存在化して、半数がそういう、支配権限から解放された状態になってるって聞いたわ。もしかして、バフェルト陣営が撒いたウイルス兵器って、もともと“人々を帝国支配から解放するためのウイルス”だったんじゃないの? たしかトウゴの話だと、救済兵器って言われていたんでしょ?」
「さすがだね、ジェシカ。適合した人は解放され、適合しなかった人は副作用で異常存在化してしまう。現地に派遣した医師団の見解も、今のジェシカの推察と同じだったよ。ただ、それはあくまで仮説段階。バフェルトの“感染能力者”は、感染経路や、感染結果を自在に操ることができる、恐ろしい“ウイルス魔術”みたいなものを使っていると分析されてるし。もともと半数ずつ、そうなるように仕向けたウイルスだったのかもしれないよ」
「これから戦争になった時、敵陣営にいたら、かなり厄介な相手だわ」
リーゼの話を聞いて、ジェシカは苦々しい表情で言った。
「感染能力者、か……。トウゴから聞いていた話だと、バフェルトは、アデルの解放能力から着想を得て、救済兵器とかいう生物兵器を作ってたみたい。その適合者が、トウゴが追いかけていた、ミズキって女の子だそうよ。アデルの力と同様の効果を持っているのは、そういう背景事情があるんじゃないかしら。いずれにせよ、結果を見れば大事よ」
ジェシカは、少し頬を引き攣らせて続けた。
「アーク全土で白石塔が壊れて、そこに住んでいた大勢の人たちが、帝国の支配を受け付けない身体になって、野に放たれてる。アルトローゼ王国はこうして、全員を養える算段もついてないのに、お人好しの王様だから、全員を救助するように命令を出したけど。他の企業国の鬼畜どもは、果たして野放しの下民たちへどう対処しているのか。予想するだけでも、ゾッとするわ」
「……」
話題が、どんどん重たくなっていってしまう。
久しぶりにジェシカと顔を合わせているのに、これでは台無しである。
リーゼは気分を切り替えるべく、話題も変えることにした。
「トウゴか……。懐かしいね。東京解放戦の時以来、私は会ってない。元気にしてた?」
「最後に会った時は、剣聖と戦って大怪我してたわね。けどアイツ、その後はケロっとしていたように見えたわ。性格が、だいぶやさぐれちゃったせいか、群れるのを嫌ってるみたいだった。ミズキって子を助けなきゃいけないからって、私たちとは別行動することになったの。……カリフォルニア白石塔は、派手に壊れてたわ。無事でいると良いんだけど」
「ちょっと脅かしただけでビクビクしていた、あのトウゴが、今では怪物や剣聖と戦っているだなんて。なんか聞いても、ちょっと信じられないな」
「そりゃあ、言えてるわね。あのビビり、それなりに肝が据わったみたいだったわ」
ジェシカとリーゼは、顔を見合わせて微笑み合う。
少しだけ、気分が軽くなったように思えた。
「いけない。そろそろ時間だわ」
ジェシカが席を立つ。
「時間って……この後、なにか予定でもあったの?」
「リンネと、渋谷へ買い出しに行く約束をしてたの」
それを聞いたリーゼは、不思議そうな顔をした。
「へえ。珍しいね。ジェシカが街に出て買い物なんて。いつもは通販とか宅配ばかりで、極端に人混みの中へ行くのを嫌ってるのに。リンネちゃんだって、街に行くのを嫌がるタイプだと思ってたけど。そんな2人だけで、渋谷みたいなキラキラした街へ向かうなんて、意外だよ」
「うっ……」
なぜか、そこで言葉に詰まるジェシカ。
なにかを掘り当てたことを確信し、リーゼはニヤけながら尋ねた。
「ところで。街に出て買い物って、何を買うの?」
「そ、それは……」
ジェシカは額に脂汗を浮かべながら、露骨に、挙動不審になって答えた。
「イリアが企画してる“慰安旅行”があるでしょ? 今日まで、みんな大変だったからって、少し羽を伸ばして気分転換しようってやつよ。そ、その……。アタシ、そういう陽キャが集うようなイベントに参加したことないし、着ていく服とか、持ってないからその、ちょっと……リンネと一緒に買い出しへ行こうと……思って……」
涙目で、しどろもどろになっている様子のジェシカ。
リーゼはすぐに全容を察して、さらにニヤけた。
「へえ~。それってつまり、ケイに見てもらえるような服が欲しいってこと?」
「なっ! ち、ちが!」
否定しきれなかったのか、ジェシカは言い淀んでしまう。
「そ、そういうんじゃなくて……! 単純にパーティー用の服とか持ってないから、今後のために買っておこうと思ってるだけよ! べべべ、別にケイのためとか、そんなんじゃ……!」
リーゼのニヤけヅラを見て、全て見抜かれていることを察する。
ジェシカは、悔しそうに赤面して言った。
「と、とにかくアタシ、今日はこれで上がるから……! じゃあね!」
バタンッと乱暴に扉を閉めて、ジェシカは逃げるようにリーゼの執務室を飛び出して行った。その背を見送りながら、リーゼはニコニコと微笑んでいた。
「ムフフ。好きな人が帰ってきて、本当は甘えまくりたいのに、いまだ素直になれないジェシカ。かわいいな~~……!」
ホッコリしたせいか、ニヤけヅラが止まらなかった。
しばらくそうしていたリーゼだが、ふと機械眼へのメッセージ受信に気が付いた。
「……!?」
発信者はアデルである。
しかも秘匿回線での、緊急連絡。
そのメッセージを開くと、表示されたのは一文だけだ。
――――助けてください。
「アデル!」
リーゼは壁に掛けてあった愛弓を手に取り、大慌てで部屋を後にする。
王の警護のため、親衛隊の一員であれば、アデルの現在地は常に確認できるようにシステム構築されている。アデルのいる場所は、アデルの私室だ。それを確認するなり、血相を変え、リーゼは全力疾走する。周囲の騎士たちへ、応援のための緊急連絡を発しながら、誰よりも先んじて、目的地へ到着した。
私室の扉を蹴り開け、弓を構えながら飛び込んだ。
「アデル! 助けてって、何事!?」
室内に敵の姿がないか、機械眼で素早く走査して分析する。
だが、在室しているのは1人だけ。
アデルだけだった。
「…………リーゼ」
「……?」
リーゼは奇妙なものを目にしていた。
天蓋付きの豪勢なベッド。
そこで、アデルはヘタリ込んでいる。
なぜかシーツを頭からかぶった状態だ。
リーゼの突入に遅れて、親衛隊の騎士たちが、アデルの私室へ雪崩れ込んでくる。
「リーゼ殿! 応援要請とは、いったい何事ですか!」
「敵襲ですか!? おのれ、何奴! たとえ剣聖であっても、我等が王には指1本触れさせぬぞ!」
決死の形相で飛び込んできた騎士たちは、先のリーゼ同様にキョロキョロと室内を睨み回す。だが敵の姿を見つけられず、意表を突かれた顔で棒立ちしてしまった。
「あの……リーゼ殿? 何か緊急事態だったのでは?」
「そうだと思ったんだけど……」
騎士たちも、ベッドの上でシーツをかぶっているアデルの姿に気が付いた様子である。怪訝な顔で、それを見やっていた。リーゼは嘆息を漏らし、「大丈夫そうだから、私に任せて」と言って、次々に飛び込んでくる騎士たちを、元の配置へ戻した。
室内で2人きりになったところで、リーゼは、シーツをかぶったままのアデルへ尋ねた。
「……もしかして、個人的な救援要請だったの?」
「はい……」
シーツに隠れたまま、アデルは答えた。
「ダメだよ、秘匿回線で連絡するなんて。私も含め、みんなが誤解しちゃうじゃない」
「リーゼ以外に、相談できる人が思い当たらなかったから……」
「誰にも知られず、コッソリ秘密の話がしたかったってこと?」
アデルはコクコクと、黙って頷いていた。リーゼは蹴破った扉を起こして、とりあえず部屋の入口にフタをするようにして置く。そうしてから、アデルのベッドへ腰掛け、尋ねた。
「それで? 話したいことって何だったの?」
「……ケイのことです」
「ケイのこと?」
「ずっと会えなかったこともありますし、ケイとたくさんお話をしたいのです」
「……すれば、良いんじゃないの? 軟禁中の身だけど、王様のアデルなら、会うのは簡単でしょ?」
アデルはようやく、シーツから顔を覗かせた。
茹で上がったように、真っ赤な顔。
目を涙で潤ませている。
「無理です! ケイの顔を、まともに見ていられないのです……!」
リーゼは口を開けて、唖然としてしまう。
「うう……前の自分は、いったいどうやってケイと接していたのか。まるでわからなくなってしまいました。目が合うと、何も言葉が出てこなくなるのです……! いったい私は、どうしてしまったんでしょう、リーゼ」
「な……」
リーゼは言葉を失い、驚いた顔で肩を震わせてしまう。
アデルは再びシーツで顔を隠して、モゾモゾとしている。頭の花だけが、シーツの上からヒョッコリと飛び出していて、怯えたようにブルブルと震えていた。固い唾を飲み下し、ようやく、衝撃的なその感想を口にした。
「なんなの、このかわいすぎる生き物は……!」
リーゼは真顔で、鼻血を流した。
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