3-8 2500万年の終わり
自分という存在は、赤い花の中に宿った知性。
言い換えれば、植物の内部で生じる、何らかの“信号情報の集合体”である。
スマートフォンに寄生した時。電子機械の構造詳細などわからなくても、電気信号のやり取りによって、システムを自らの制御下に置くことに成功した。“信号”という言語が使えるのなら、自分という存在は、何でも制御下におけるのではないか。その可能性を、以前から考えていた。
たとえば電気の信号情報の集合体である――――“人体”も同様にだ。
死んだ少女の、頭部外傷。
頭蓋に開いた穴から体内に潜り込み、脳に根を這わせた。
そして、絶対に試すことなどないだろうと考えていた、禁断の実験を試してみる。大切な者たちを守るためには、もはやその手段しか思いつかなかった。
壊れた脳内には、細胞間シナプスの電気信号のやり取りが存在していなかった。
だから様々な種類の信号を送ってみて、脳細胞が最も反応を示す信号を探り当ててみる。
程なくして、細胞との有効な通信方法を確立。
そして一気に、人体というシステムを“ハッキング”し、全体を掌握し始めた。
自律神経機能を回復し、止まっていた心臓を動かし始める。
肺を動かし、酸素を体内へ取り込んだ。
酸素と血液が体内を循環し始めると、臓器や脳システムが安定し始める。
「――――っ」
次の瞬間、自分の意識が少女の身体の内側に閉じ込められたように感じた。
生まれて初めて開いた瞼。
生まれて初めて、瞳へ光が注がれる。
その美しさに目が眩み、眼球の奥に僅かな痛みを感じた。
目の前にはあるのは、ガラス越しに見える地下駐車場の天井だった。
冷凍睡眠カプセルの中で覚醒し、人体というシステムを完全掌握したことを確信する。スマートフォンに寄生していた時には存在しなかった、手足というデバイスが、自分に存在しているようだった。動かし方は当てずっぽうだったが、それを動かしてみる。違和感がないことを確認してから、カプセル筐体のフタを、内側から押し開けた。
上体を起こし、周囲の様子を見る。
ケイの目前まで、もう怪物紳士が迫ってきている状況だった。
怪物紳士を目視しても、どうやら自分は平気だった。
何の問題もなく、自由に動くことができる。
カプセルから身を乗り出し、素足でアスファルトを踏みしめる。
足裏から伝わる“感触”という初めての情報に戸惑いながらも、まだ操作の慣れない肉体を駆使し、なんとかその場で立ち上がった。すぐ近くに、イリアが落とした自動拳銃が落ちていたはずだ。それを拾い上げ、怪物紳士の頭部に狙いを定めた。
◇◇◇
白銀の髪の、小柄な少女。年齢は中学生くらいだろうか。
その頭から見慣れた赤花が生えているのを指さし、トウゴが素っ頓狂な声を上げた。
「ももももしかして、アデ、アデ、アデルなのかお前!?」
「騒がしいですね、トウゴは」
眠そうな半眼の眼差しで、アデルはトウゴを見やる。
まだ表情筋の動かし方がわからないアデルは、のっぺりとした無表情である。
アデルは嘆息を漏らした。
「一か八かでしたが、人体のハッキングに成功しました。頭に開いた穴から脳に寄生して、今は全身を掌握しています。もともと死んでいる方の身体でしたから、この場合は殺人になりませんよね?」
「うえぇ……人間の脳に寄生する花とか、B級ホラーに出てくる宇宙クリーチャーかよ……」
「あなた、なんて不思議生物なの……?」
「いや不思議花ですよ、部長。しかもこの場合、ドヤ花から、キモ花に昇格です」
「失礼な人たちです」
アデルは、離れた場所に退避した怪物紳士を見つめ、警告した。
「私のことは後回しです。それより、またアレが襲って来ますよ。警戒してください」
「クソ、わかっちゃいるんだがよ……!」
怪物紳士は依然としてシルクハットを外し、白い頭部を露出させたままの姿だった。
それをまともに直視すれば、尋常でない激痛が走るのだ。
ケイが歯噛みしながら言った。
「短時間、顔を垣間見ただけでこの痛みだ。正面から直視すれば――おそらく即死だ」
怪物の姿を目視できるのは、どうやら今のところはアデルだけのようだ。
自分たちを殺そうとしている危険な怪物と対峙しているというのに、ケイたちは、その怪物の姿を目で追うことができないでいる。獰猛な野獣を前にして、襲いかかってくる相手を視認できないのは致命的である。
アデルの双眸は――――見えていないはずの“何か”を感じ取っていた。
それは瞳に入る光からの情報ではない。
人の目には映らない、光とは別の情報を感知して“視る”ことができているようだ。
言うなれば、黒くて細い線。
虚空に隙間無く敷き詰められ、あらゆるものが、その無数の黒い線で繋がっている。
まるでこの世界を構築している、目に見えないネットワークシステムのようだ。
怪物紳士の頭部と、ケイたちの眼球を繋ぐ赤い線が視えた。
「…………なるほど。EDENを介した、ネットワーク攻撃だったのですね」
怪物紳士の頭部を目視した人間は、その眼球を“ハッキング”されていたのだ。
ケイたちは、EDENを通じて、身体苦痛情報を送りつけられていたのである。不思議とアデルは、それを即座に理解することができた。
EDEN。この地球上の全ての生命体を繋ぐ、旧文明が作り上げた巨大ネットワークシステム。その構造を、無数の黒い線として、アデルは知覚できるようになったようだ。人間の身体を獲得した影響なのか。この少女の身体が特別だったせいなのかは、わからない。
アデルはケイたちの前に立つ。
怪物紳士とケイたちの間を結ぶ赤い線にそっと触れて――――握り壊した。
「!?」
それまでケイたちが感じていた頭部の痛みが、ウソのように消えてなくなる。
ケイたちは怪物紳士の姿を見ても、身体に痛みを感じることがなくなっていた。
「……なにをしたんだ、アデル?」
「相手のネットワーク攻撃を遮断しました。これで戦いやすくなりましたか?」
アデルは無表情な顔のまま、首をかしげて尋ねてくる。
ケイは不敵な笑みを浮かべて肯定した。
「でかした」
ケイはアデルの小さな手を引き、怪物紳士から庇うように、自分の背後へ引っ込める。
そうして傍らのトウゴへ声をかけた。
「先輩も、アイツの姿を見られるようになってますよね?」
「……理由はわからねえが、そうみてえだ。アデルのおかげか?」
「アイツを殺します。オレに考えがあるんで、ちょっと手伝ってもらえますかね」
「また物騒な顔してんじゃねえか、雨宮……!」
トウゴも不敵に笑んだ。
作戦はシンプル。ケイの説明を聞いたトウゴは、頷いた。
「第3ラウンドだ」
ケイの発言が引き金だったように、怪物紳士は再び姿を消す。
瞬間移動で、唐突にケイの背後へ現れ、刃と化した腕を突き出してきた。だが、その攻撃を完璧に予期していたケイは、手にした騎士剣を横薙ぎに振い、怪物紳士の腕をはじき返した
「もう読めてるんだよ」
言いながら騎士剣を構え直すケイ。
反撃の気配を察知し、怪物紳士は再び短距離を瞬間移動した。
またもやケイの背後。死角である。
それも予期していたケイは、怪物紳士が現れるであろう場所へ、すでに騎士剣を振り下ろしていた。ケイの攻撃先に転移してしまったため、そのまま剣の直撃を受けて、怪物紳士は肩口から胴へと深い傷を負う。怪物紳士は傷口から血しぶきを散らせ、咆吼を上げて悶え苦しむ。
「少しは頭を使え。瞬間移動は驚異だが、現れる場所が毎回、死角だとわかっていればどうってことはない。ようするに見えない場所へ向かって攻撃していれば、勝手にお前がやってきて当たるわけだ」
怪物紳士はケイから距離を取るべく、離れた場所へ瞬間移動した。転移した先は、ケイとの攻防を繰り広げていた場所から、10メートルほど背後である。
移動先で待ち構えていたのは、トウゴだった。
「いらっしゃーーい!」
怪物紳士は、転移してすぐに――――右脚を切断される。
「!?」
両手で握った手斧で、トウゴは怪物紳士の足下をすくい上げるよう、刃を振り上げていた。怪物紳士の脚は細かったため、トウゴの膂力でも十分に切断することができた。
片脚を失った怪物紳士は、無様にその場に倒れて転げ回った。
「……雨宮に執着してるから、雨宮しか狙わねえ。そんでもって、一撃をもらったら背後に10メートルほど逃げるだろう、ね。なるほど全部、雨宮の読み通りじゃねえか。アイツ、マジにすげえ洞察力だな」
自分に攻撃してきたトウゴへ激昂し、怪物紳士は刃の両腕を振り回して暴れた。
「うおおおあ!?」
アスファルトの地面や、コンクリート製の支柱を容易く斬り抉る怪物紳士の腕。常軌を逸した破壊力に気圧され、トウゴは背を向け、その場から離れる。
トウゴを追い払うことはできた。
だがこの隙を、ケイが見逃しているはずがない。
怪物紳士は焦り、ケイの方を見やる。案の定、怪物紳士へトドメを刺すべく、追撃のために駆け出そうとしているところだった。
脚を失っていては、瞬間移動で逃げた先でも追撃を受けるだろう。それにケイは、何を仕掛けてくるか予測できない。下手に逃げれば、致命的な奇襲をされかねない。
ならば迎撃あるのみ。
怪物紳士は――――再びケイへの“ネットワーク攻撃”を仕掛ける。
「ぐぅあっ!」
怪物紳士の頭部と、ケイの眼球が、赤いネットワークの線で結ばれる。
再び激しい頭痛に見舞われたケイは歯噛みし、思わずその場で動きを止めようとする。
アデルにネットワーク攻撃を遮断してもらえば、痛みは治まるだろう。
だがそれを待っていたら――――怪物紳士の息の根を止める機会を逃す。
ケイは乱暴にアデルの手を引き寄せ、その小さな身体を背負った。
羽のように軽いアデルを持ち上げることは、造作の無いことだった。
いきなり背負われて密着することになったアデルは、奇妙な胸の動悸を感じた。
スマートフォンに寄生していた時には感じなかった、知らない感情が溢れてくる。
よくわからない気持ちで、頬が熱くなった。
「急に何をするのですか、ケイ」
「お前の頭の花。それが近くにあれば、死ななくて済むんだったよな」
ケイは頭痛に構わず、怪物紳士の姿を真っ向から睨み付けた。
白色の頭部を、直視する。
これまでの比にならない、精神を狂わすほどの激痛が、頭蓋の中に溢れる。
気を抜けば一瞬で気を失い、そのまま絶命しかねない狂気の苦痛である。
背中のアデルを落とさぬよう怪物紳士へ向かって駆け、騎士剣を構えた。
怪物紳士の位置までは、おおよそ10メートルにも満たない僅かな間合いだ。その短距離を駆ける間、ケイは何度か、自分の意識が消失するのを感じた。一瞬、目の前が真っ赤に染まり、少し進んだ先で、急に覚醒する。ところどころワープしたように、怪物紳士までの距離を詰めていった。
怪物紳士の顔面を直視しているせいで、おそらく何度か即死したのだ。
それでもケイは、目尻から血の涙を流しながら、笑みを浮かべる。
「死に至る程の痛みでも、死ぬことはないわけだ!」
断続的な死を繰り返しながらも、ケイの足は止まらない。
それはまさに、怪物たちにとっての怪物。
恐怖を忘れた者たちに、恐怖をもたらす狩人。
もはやケイを止めることができないと悟り、怪物紳士は恐怖で叫んだ。
必死に起き上がって、体勢を整えようとしている怪物紳士。
それに向かって、イリアとサキが自動拳銃を発砲する。
偶然にもサキの撃った弾が腹部に当たり、怪物紳士は、またもや苦悶の呻きを漏らす。
その後方援護を受けたケイは、怪物紳士が瞬間移動で逃げる前に、肉薄し終える。
「――――終わりだ」
心臓を失っても生きていた怪物なのだ。人間と同じ殺し方は通用しないだろう。
それでもケイは、騎士剣で、怪物紳士の頸部を横薙ぎに両断する。
頭と胴が離れ、断面からは鮮血が吹き出る。
その温かい返り血を浴びながら、床に転がる怪物紳士の頭部めがけ、散弾銃の銃口を向けた。立て続けに引き金を引いて、至近距離から散弾の雨を浴びせかけると、怪物紳士の頭部は赤黒い肉塊と化して地面にこびりついた。
頭部を完全破壊したことで、ケイの頭痛が引く。
残された怪物紳士の胴体部分も動きを止め、やがて力なく倒れ伏して動かなくなった。足下に広がっていく血の海を冷ややかに見下ろし、ケイは騎士剣に付着した血液を、振り払って呟く。
「頭部が弱点で正解だったな」
「なぜわかったのですか?」
「勘だよ。大事なものって、普段から隠しておくものだろう? こいつ、シルクハットでいつも頭部を隠していたから」
「そんな適当な推測で、捨て身の攻撃を仕掛けたのですか。呆れます」
「悪かったな。それより、もう背中から降りて良いぞ」
「……嫌です」
「……何でだ?」
「…………何となく」
ケイの背中から降りることを拒むアデル。こんなわけのわからない駄々をこねたことなど、スマートフォン時代にはなかったことだが……人の身体を得たことによる変化だろうか。
「まあ、良いけど」
アデルを背負ったまま、ケイは他のメンバーと合流した。
◇◇◇
勝利に酔っている様子のトウゴが、ケイの肩をバンバン叩きながら声をかけてきた。
「ははは! やったな、雨宮! 俺たちのコンボ、どんぴしゃで決まったよな! 最後の特攻みたいな攻撃は無茶苦茶だと思ったけど、やっぱお前すげえよ。何なんだよって感じだった」
「ほんとよ! あんなとんでもない、非常識な能力を持った怪物をやっつけちゃうなんて……雨宮くん、すごすぎるわ」
「運が良かっただけです」
「フフ。素晴らしいコンビネーションだったよ。トウゴも役に立つことがあるのだと感心したね」
「おい、いつから呼び捨てだよ。しかも、なんか軽くディスってねえか、イリア……」
「うふふ。トウゴもなんだかんだ、雨宮くんと仲直りできたのかしら?」
サキに言われて思い出したのだろう、トウゴはケイの肩に触れるのをやめる。
そうだったと言わんばかりに、またケイに向けて背を向け始めた。
いらないことを言ってしまったと、サキはケイに視線で謝罪の意思を送る。
イリアは、ケイの背中から離れようとしないアデルを見やって言った。
「まったく。今日1番の驚きは、アデルが人間になったということだよ。いや、正確には人間の死体を操っていると言うのが正しいのかな。まさかそんなことができるだなんて、思ってもみなかった」
言われたアデルは、眠そうな顔で答える。
「以前から、スマートフォンを制御する要領で、人体も制御できるのではないかという予測は持っていました。しかし行動に移したのは初めてです。こうして人間の身体に入っているというのは、何だか不思議な感じがします。五感というものを、初めて体験しているところです」
「実に面白いね。アトラスが言っていた“最後の希望”と言われる少女、呆気なく失ったと思っていた矢先、まさかアデルとしてボクたちの前に存在しているなんて。つまりアトラスの言っていたことに従うのなら、これからボクたちは“君を命懸けで守らなければならない”ということなのかな?」
「クソ可愛い見た目の美少女になったのに、中身はアデルなんだよな……脳みそに寄生した花が死体を操ってるって思うと、なんかゾンビみてえだ。それを守れってのは、モチベがなあ……」
「失礼ですね、トウゴは」
突如、アトラスの残骸の中に埋もれていたスピーカーが、砂嵐のようなノイズを流し始める。
ケイたちは驚き、一様にアトラスの死骸へ目をやった。
怪物紳士に破壊された巨大な目玉に、チカチカと明滅する光が灯っている。
今にも途切れそうな意識で、懸命にアトラスは語りかけてきた。
≪………………このような事態に……なって……残念だ……≫
「アトラス、まだ生きていたのかよ!?」
≪……私は破壊された……活動停止まで残り時間……ない…………最後に……伝えておかなければ……≫
無駄口を喋っている暇はないのだろう。
完全に機能停止してしまうまでの限られた時間で、価値ある情報をケイたちに残す。
それがアトラスの望む最期だった。
≪…………王冠を探せ…………“ヒトの王”の目覚めに必要だ……≫
「王冠……ヒトの王?」
≪……“罪人の王冠”……それをヒトの王が戴冠せし時……真王は潰える…………≫
アトラスの巨大な目玉は、アデルを見やった。
≪…………彼女こそが……人類……ヒトの王………王冠…………権限…………≫
「ちょっ、ちょっとちょっと! 何言ってるのか聞き取れないわ?!」
≪…………………≫
ブツン。
何かが切断されたような音がして、アトラスの目玉から光が失われた。
完全に機能が停止したのだろう。
それっきり、アトラスが何かを語ることはなかった。
太古の昔から生き続けた正体不明の存在は、その生涯を静かに終えた。
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