11-17 決壊
最初に動き出したのは、猪突猛進なエリオットだった。
「先手必勝! 雷断!」
大斧を上段に構えてからの振り下ろし。ただその場で素振りをしたのではない。刃先から雷の衝撃波を放ち、それがトウゴたちへ飛来した。
「おい! アイツ、必殺技の名前を叫んだぞ! アニメかよ、だっせ!」
「言ってる場合じゃねえって、兄貴! 避けろ!」
衝撃波は砂を巻き上げ、まるで雷をまとった砂の津波のように押し寄せてくる。攻撃範囲が広く、完全に回避は難しいだろう。再び感電し、スタンさせられてしまう可能性がある。そこを畳み込まれでもしたらたまらない。
だがトウゴたちの前衛にレイヴンが歩み出て、右手を掲げる。
「突撃加速槍――――!」
あらかじめ決められた特定の場所と空間を繋ぎ、そこに保管されている武器を取り寄せる魔術。武器召喚。使える唯一のその特技によって、レイヴンは虚空から大きな機械槍を出現させた。それを手にした途端、すぐ傍を這っていた太い木の根に、矛先を突き立てる。そのまま槍を盾のように構えて、自分共々、後衛のトウゴたちを庇った。
押し寄せる雷の衝撃は、槍に吸収されるように収束し、突き刺さった木の根を炎上させた。それを見たエリオットは舌打ちをする。
「チッ! 電気を木の根へ逃がして、地絡したってのかよ……!」
「色んな魔術の使い手と戦ってきた経験があるんでね。色んな戦い方を知ってんのさ。こんなのはどうかな?」
レイヴンはニヤけ、機械槍の持ち手についた引き金を引く。直後、槍の加速器が火を噴き出し、ビーチの砂を大量に巻き上げる。あっという間に、レイヴンは簡易的な砂の煙幕を展開し、それをエリオットたちへ吹き付ける。
ローラは目を細めながら、苛立った。
「これは、目眩ましですか!」
「ローラ、気をつけろ! コイツ等、個々は大した実力じゃないが、連携されると厄介だ!」
砂埃に紛れ、背後に接近する気配に、エリオットは気が付く。眼帯を外したトウゴが、青白い水晶のような左眼を輝かせていた。魔眼の力による時間加速。予想を遙かに上回る、とてつもないスピードで後ろを取られたことに、エリオットは驚愕した。
「速すぎる!?」
「――――俺たちを雑魚扱いか? 舐めてくれてんじゃねえか!」
手斧をエリオットの頸部へ叩き込もうと、トウゴは横薙ぎを繰り出す。不意をつかれ、エリオットは窮地に陥った。だが、間髪入れずにフォローしたのはローラである。強化魔術で自身の肉体を強化し、差し出した杖の先で、トウゴの一撃を受け止める。
「大丈夫ですか、エリオット!」
「助かったぜ、ローラ!」
ローラの杖先に、炎が生じる。
燃えさかる炎熱は、受け止めていたトウゴの手斧の刃先を溶解させる。
「クッソ! 武器殺しの炎の魔術か!」
「それだけではありませんよ!」
杖先の炎が勢いを増し、ビームのように迸る。
まるで巨大な炎の剣と化した杖で、ローラはトウゴへ斬り付けてくる。
「――――おっと、失礼!」
機械槍に跨がり、飛行してきたレイヴンが、ローラの杖先を弾いて過ぎ去る。炎の一振りは、トウゴを斬り裂く本来の軌道を逸れた。攻撃の軸がズレた一撃であれば、回避は容易である。トウゴは、鈍になった手斧で、ローラの一撃を受け流す。そのまま後退して、再び砂塵の中へと姿を隠した。
「やりますね……!」
「俺に任せろ、ローラ!」
戦斧を掲げ、頭上でクルクルと回転させ始めるエリオット。その調子で回転の勢いを増していき、やがては身体全体を使った回転で振り回す。まるで砲丸投げのフォームである。その勢いを利用して、エリオットは戦斧で、渾身の横薙ぎを繰り出す。その一撃は風を集め、周囲の砂を巻き込み、衝撃波となって放たれる。砂のベールは斬り払われ、周囲の視界が良好になる。
晴れた砂埃の向こうに、後退したトウゴの姿が丸見えになった。
「そこだ!」
エリオットはすかさず戦斧を振り上げ、開幕で放った雷の衝撃波を繰り出そうと身構えた。狙われたトウゴをフォローするべく、兄であるユウトが警告した。
「――――させねえっての!」
「!」
前方。少し離れた位置。砂の付着したジャケットを頭にかぶって、砂上に伏せてカモフラージュしていた。むくりと上体だけを起きこし、ユウトは構えていた突撃自動小銃を、エリオットめがけて放った。
「チッ! たかが銃かよ!」
エリオットの身体能力であれば、銃弾は遅く、避けることはそれほど難しくない。しかしだからと言って、当たって平気なわけではない。エリオットの身体は“肉体”なのだから、着弾は致命的だ。掲げていた戦斧を盾代わりにして、咄嗟に防御する。必殺技を出し損ねてしまった。
してやったりと、ユウトはガッツポーズをする。
「ハッハー! どうだ! 必殺技は出す前に封じちまえば良い! やっぱ、悪の戦闘員たちがやらない反則技は最強だよな!」
「うぜえ……!」
ユウトの弾切れと共に、エリオットは斧を構え直し、斬りかかってくる。装弾してさらなる弾幕を展開する余裕など、ユウトに与えない。瞬く間に距離を詰めてきた。
「馬鹿め! 弟を守れても、今度はテメエが隙だらけになってるだろうが!」
砂上で孤立してしまったユウト。ただの人間であるため、トウゴのように高速で移動することもできず、魔術も使えないのだ。銃弾よりも早く動けるエリオットに、近接戦で対処できる技量はない。逃げ切れない。
だが、救いの手は現れる。
上空から機械槍が飛来し、それに乗っていたレイヴンが、ユウトの襟首を掴み上げて空へ連れ去った。レイヴンにピックアップされて、ユウトはエリオットから距離を取った。
「ちょこまかと、小賢しい連中だ!」
腹を立てながら、頭上を飛ぶレイヴンとユウトを睨み上げているエリオット。それを馬鹿にして、ユウトは中指を立てながら、罵詈雑言を喚き立てていた。レイヴンの方は、上空から敵の位置と、トウゴの位置を確認していた。次なる攻撃の手段を、脳内で組み立てていく。
だが乱入者の登場によって、思考は強制中断させられた。
「――――遊んでいる場合か」
「!?」
声はレイヴンのすぐ背後から聞こえた。今はまだ滞空中なのだ。容易く背後に回り込めるはずなどない。慌てて振り向いたレイヴンの頬が――――思い切り殴りつけられる。
「がっ!」
首が千切れたと錯覚するほどの衝撃。
レイヴンは頭部を揺らされ、同時に槍の軌道制御を失う。
飛行していた機械槍は、スピン回転をしながら地面へ向かって落下していった。
遠心力に振り回され始めたユウトは、必死に槍にしがみついて悲鳴をあげた。
「うお!? おおおおおお!!」
砂塵を巻き上げ、機械槍はビーチへ墜落する。地面が柔らかかったことは幸いしたが、それでも砂上を転げるレイヴンとユウトは、身体のあちこちを痛めて呻いた。
レイヴンを殴りつけた男。勇者、クリス・レインバラードは悠然と砂地へ着地してみせる。その両脚には緑色の風をまとっていた。魔術で風を操り、空を駆ける技術を有している。それでレイヴンへ接近したのだ。一部始終を見上げていたトウゴは、冷や汗をかいて呟いた。
「空気蹴り。滞空ダッシュってか? 人間離れした速度で空を駆ける剣士とは、ヤバすぎるだろ、勇者……!」
クリスが現れると、エリオットとローラは微笑み、駆け寄っていった。
「クリス!」 「クリスさん!」
「2人とも、何かと戦って手こずっているように見えたから、フォローにきてみたが。まさか、峰御兄弟とアルトローゼ王国騎士団長が共闘しているとは。……これはいったい、どういう状況だ」
ギロリと、勇者はトウゴを睨み付けてくる。
その視線から放たれる重圧は、トウゴの足を重くした。
思わず固い唾を飲み込む。
「どうやらこりゃあ、本格的にやべえヤツだな……!」
剣聖と対峙した時に似ている。正面から強風を浴びせかけられたように、進まなくなる足。重苦しいプレッシャーは息苦しく、殺意を向けられているだけで息が詰まり、鳥肌が立つ。エリオットやローラも十分に強いが、噂に聞く勇者は、格が違う実力者なのだろう。剣聖に及ばないまでも、近しい戦闘能力を有しているとは聞いたことがある。相対しているだけで、それをわからせてくるくらいには、強大な気配を放っていた。
クリスは騎士剣を手に提げ、トウゴの方へ歩み寄ってきた。
その背に、仲間のローラとエリオットも続く。
かの名高い、勇者パーティーが揃ってしまった。
「峰御トウゴ。やはりレイヴンと同様、バフェルト企業国の計画を手引きする者だったわけか」
クリスは不快そうな表情で、溜息を漏らす。
「わかっているのか? この巨大樹を破壊して無力化しなければ、人間を異常存在へ変えてしまう危険なウイルス兵器が拡散され続けるんだぞ。このすぐ近くでは、貴族の方々が集まっている結婚式場もある。たしかに、アークの重要人物たちが大勢死ぬのは、お前たちテロリストにとっては本懐なんだろう。けれど、そのウイルステロが最悪な展開を迎えれば、アーク全土に撒き散らされて、収集がつかなくなる危険性があるんだ。ちゃんとそこまで考えて、この暴挙に出ているんだろうな?」
「……」
「今はまだ白石塔の中の問題でしかないだろう。だが、これがもしも外の都市に漏れ出てしまったなら……! 世界中の人々が、人喰いの化け物に変わってしまうかもしれないんだ。お前たちテロリストという輩は、低脳で、短絡的すぎる。毎回、そこに腹が立つんだ。自分たちで被害の責任を負えない、捨て鉢の攻撃なんてものは戦略じゃないんだぞ。帝国が気に入らないのだと駄々をこねるだけの、ただの子供の八つ当たりも同然だ」
勇者は騎士剣の切っ先をトウゴへ向け、宣告する。
「2年前に一線を退いてはいるが。俺はまだ、人々から勇者と呼ばれている。今もなお、このアークの秩序を守る、守護者としての役割を期待される存在だ。なら、お前たちの所業を見過ごすわけにはいかない。帝国の正義の名のもと、裁いてやる」
「……へっ。勝手に言ってやがれ」
クリスは、トウゴのこと完全にバフェルト企業国の小間使いだと勘違いしている様子である。だが、それも仕方がない状況だろう。実際にトウゴは、バフェルトが仕掛けた、このウイルステロを止めるのではなく、ミズキを救出する時間を稼ぐために、グレイン騎士団の邪魔をしているのも同然なのだ。結果として、バフェルトに利する行動を取っているのは明らかなのである。
だから、バフェルトとは無関係なのだと、言い訳はしなかった。
非情な戦場においては、常に結果こそが真実なのだから。
「――――思い切り殴ってくれちゃってまあ、こりゃあ、後から腫れちゃうだろうねえ」
クリスとトウゴの会話に、レイヴンが割って入ってくる。
打撲の痕で黒ずんでいる頬をさすりながらも、いつも通りにヘラヘラと笑んでいた。
少し足取りがフラついているが、機械槍を肩に担いで、歩み寄ってくる。
「ったくもー。男前がダメになったら、どうしてくれんだよ。まあ、いきなりその物騒な剣で、首を飛ばされていたよりは良心的かー」
「……フン。アルトローゼ騎士団長ともあろうものが、主君であるアデル・アルトローゼを裏切り、こうしてバフェルトの犬となって暗躍してきたとは。そもそもは、四条院企業国をも裏切った、忠義無き男だったな。恥ずべきヤツだよ、レイヴン」
「レインバラードって名家の生まれの勇者様とは違って、恥じるほどの名誉も誇りも、最初から持ち合わせちゃいないのさ。もともと俺は何にも持たない、雑草同然の下民の出なんだ。根無し草に主君なんていない。あるのは日銭と食いもんを欲する、卑しい心持ちだけだよ。1番たくさん、それをくれるヤツに尻尾を振って生きるだけ。理解できないだろうねえ、貴族には」
口が減らないレイヴンは、嫌味に嫌味で対抗する。
勇者が口を噤んだタイミングで、いきなり話題を変えた。
「――――どうして、妻川ミズキが、大樹型の異常存在に改造されたと思う?」
「……?」
ポツリと、レイヴンがそれを問う。
怪訝な顔をしたのは勇者たちだけではない。トウゴも同様である。
何を話し出したのかと、全員の視線がレイヴンへ集まった。
「庭とか畑の雑草って、厄介だよね? 名も知れない、いらない小っこい草がいっぱい生え出てきててさ。みんな、大抵はむしり取るじゃん? けど、地表に出てる葉っぱの部分だけを千切っても、またすぐに生えてきちゃう。根っこごと、地面から引っこ抜かないといけない」
「……何の話をしているんだ」
「まあ、聞けって」
レイヴンは怪しい笑みを浮かべ、続けた。
「雑草ですらさ。根っこごと地面から引き抜くと、そのデカさにビビるわけだよ。こんなに地面の下まで、根を伸ばしていたのかって思うくらいにさ。それがさあ、木とかデカい植物になると、どんだけ長く、深く、地面の下に伸びてるのか知ってる?」
――――タイミングを見計らったかのように、地鳴りがし始める。
微かに震える地面。ビーチの砂がさざめき、その地下深くが震動するのが、足下から伝わってきた。地震だろうか。アメリカで地震とは珍しい。
「人は、目に見えているモノばかりを追いかけてしまう。地表に出ている部分にばかり目を奪われ、それさえ何とかできれば良いと考えてしまう。けれどいつだって、致命的なことは目に見えないところで進行しているんだ。つまり――――地面の下で起きていることを見逃しているんだよ、君たち」
「!?」
地鳴りはやまない。
ついに機が熟したのだと考え、レイヴンは確信を語った。
「今日、敢えて、ここにこうしてミズキちゃんが姿を現したのは、作戦さ。グレイン騎士団は、ここに来て、この大樹を何とかすれば問題が解決するんだと錯覚しただろう? 違うんだよ。この大樹は氷山の一角。ミズキちゃんの全身のうち、地表に出ているほんの僅かな一部でしかない。本体は地中深くを進んでいた。この木は俺たちの本当の目標を隠すための、大きな“ハリボテ”だったんだよ」
「なに言ってんだよ、レイヴンのオッサン……!」
「この地震は、ミズキちゃんの根が“目標”に届いたことを意味しているんだ、トウゴくん。それって……どこだと思う?」
ビーチから見上げる空に、ヒビが入った――――。
色を失った空に、ガラスのひび割れのような傷が無数に走り、それが瞬く間に広がっていく。
今にも砕け落ちてきそうな空を見上げ、勇者たちも、トウゴも唖然とした。
レイヴンは結論を口にする。
「ミズキちゃんは根を這わせ、ついに乗っ取れたみたいだね。この――――“カリフォルニア白石塔そのもの”を」
砂浜の下で、巨大な何かが蠢いている。それが地面を隆起させたかと思った次の瞬間には、噴火するように飛び出してきた。大樹の根が、地の底を這い回る無数の大蛇のように暴れているのだ。地上にいる騎士団や異常存在たちを押し上げ、天高くへ吹き飛ばした。
一瞬のうちに配下の騎士団を壊滅させられ、クリスは青ざめて言った。
「なんだ!? 地面から“樹木の大蛇”が現れただと!?」
「クリス、やべえ! 今の話しが本当なら、この大樹の本体は地面の底を這っていた、あの樹木蛇の方だ! こんなデカいの、俺たちだけじゃ手が付けられないぞ!」
「クリスさん! この巨大さは、間違いなく自然災害級の異常存在です! 戦略兵器を使用しなければ、無力化はできませんよ!」
勇者パーティーも混乱している様子だったが、トウゴも同様だった。
ひび割れていく空。地面から飛び出した樹木の大蛇たち。それに飲まれ、吹き飛ばされていく人々やビーチの街並み。揺れる大地の上では歩行も不安定で、よろけながらトウゴはレイヴンへ駆け寄った。
「おい、オッサン! どうなってる! ミズキがこの白石塔を乗っ取っただと!? バフェルトはミズキに何をさせようって言うんだ!」
「この後のことはどうでも良いよ。俺は、バフェルトさんに言われた仕事はキッチリと成し遂げた。ミズキちゃんが白石塔を乗っ取るまでの時間を、稼げたわけだからね。こうして全てがオープンになるともう、俺たちがトウゴくんを殺す理由もないねえ」
「ふざけんな! 詳しく説明し、うおお!?」
トウゴは、揺れる地面に足を取られて尻餅をつく。その隙を見逃さず、今度は勇者がレイヴンの目の前まで飛行してきた。勇者は襟首を掴み上げて、レイヴンを脅す。
「……どうやら、お前に謀られたと考えれば良いのかな、レイヴン。おかげでうちの部隊は全滅だ。樹木蛇を殺すためには、退却して準備をし直さなければならないが、敵の詳しい情報が必要だ。お前をこのまま連行させてもらうぞ」
「わかってないなあ。傭兵ってのは報酬さえもらえれば、雇い主の思惑なんてどうでも良いし、知りたくもない人種なんだよ。俺はバフェルトさんから、この後のことなんて聞いちゃいない。おたくらに提供できる情報なんてないよ」
「どうだか。ウソつき男は信用できないからな」
「あらら。信じてもらえないなんて、これも身から出た錆ってやつ?」
勇者はレイヴンに手錠をかけ、騎士団の拠点へ連行しようとしている。だが、トウゴもまだ、レイヴンから聞きたいことは山ほどあるのだ。ミズキを救出するという、自らの馬鹿馬鹿しい願いを叶えるためにも、ここでレイヴンを連れ去られるわけにはいかなかった。
「待て! オッサンには俺だって聞きたいことが――――」
「そういえば、何かとあちこちで面倒事を起こしてくれる、テロリスト兄弟もいたんだったな。良いだろう。ここでお前も、始末しておいた方が良さそうだ、峰御トウゴ」
勇者はトウゴの方をギロリと睨んだ。
「!」
一瞬のうちに、勇者はトウゴの目前にまで迫っていた。風の魔術で高速移動したのだろう。剣聖と戦った時と同じく、クリスの動きは速すぎて、もはや目で追うこともできなかった。魔眼の力で反撃する暇もなく、クリスの手にした騎士剣は、すでに頭上へ振り上げられていた。
殺される――――。
そう思った瞬間。
トウゴと勇者の間に、ユウトが割り込んできた。
「させねえ!」
「兄貴!」
本当に、一瞬の出来事だった。
勇者の振り下ろした剣は、トウゴを庇ったユウトを袈裟斬りにした。
「あにきいいいいいいいいいい!!」
重要な血管や臓器に深手を負わされ、傷口から血しぶきを吹き出すユウト。
力なく両膝を折って、トウゴの目の前で倒れ伏した。
「邪魔が入ったか……。だがどのみち、正義のために殺すべき兄弟の片割れだった」
「おい、クリス! これ以上は長居できねえ!」
「樹木蛇が街を破壊し続けて、結婚式場へ向かっています! なんとか先回りして、貴族の方々を避難させる必要があります!」
「……チッ」
血溜まりを作っている兄を、呆然と見下ろしているトウゴ。隙だらけのその男を殺すことは容易かったが、今は一刻も早い対応が迫られている。クリスは踵を返し、手錠で拘束していたレイヴンを連れて去った。勇者パーティーは、早々にその場から撤退していた。
ミズキは化け物になって暴れている。
レイヴンは勇者に連れて行かれてしまった。
何もかもうまくいっておらず、解決していない。
なのに焦っているのは、そのことではない。
「兄貴……馬鹿野郎……! なんで俺なんかを庇って、こんな大怪我を……!」
斬られたユウトを抱き起こし、トウゴはボロ泣きしていた。
兄の怪我が、致命傷であることなど見てわかる。この混乱の中では、救急車を呼ぶこともできなければ、治療することもできない。つまり、ユウトはここで死ぬのだ。それがわかっているのに、何も出来ない。いつかの時と同じように、またもや無力な自分が憎かった。
トウゴは為す術もなく、死にゆく兄弟を見守ることしかできない。
まだ意識があるユウトは、そんな弟を見上げて、ニヤリと笑んだ。
「まったく……いくつになっても手のかかる弟だぜ……。兄貴の1人や2人がやられたくらいで、うろたえてんじゃねえ……」
「俺の兄貴は、この世にたった1人しかいねえだろ……! 本当に馬鹿だな!」
「うるせえ……馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ……」
ヘラヘラと、いつもの軽薄な笑みで言い返してくる。
ユウトは抱き起こされながら、頭上遠くまで聳える、黒い大樹を見上げて言った。
「なあ、兄弟。ミズキちゃんの前で泣いてんじゃねえよ……男ならやせ我慢でも、女の前では笑顔を見せてろ……」
「兄貴、もう喋るなよ……苦しむだけだろ……!」
「へっ。一応、俺が助からねえってことはわかってるみたいじゃねえか……」
認めたくなかった。
小さな頃から、ずっとユウトは、トウゴの面倒を見てくれていた。共働きで忙しい両親の代わりに、兄が学校へ迎えに来てくれたこともあった。下手くそな手料理で、夕飯を作ってくれたり。トウゴがいじめられたら、いじめた相手をボコボコにして、病院送りにしたことだってある。
いつだって、守ってくれていた。
東京都解放戦の時も。トウゴが友人たちと決別した後も。ずっとついてきてくれて、助けてくれて、面倒を見てくれたのはユウトだけだ。「兄貴なんだから、弟を助けてやるのは当然」と、馬鹿みたいな理屈だけで、最初から最後まで、トウゴの傍にいてくれたのだ。
トウゴの涙が、止まるわけはない。
「ったくよ……東京にいた時は、ナヨナヨした、ほんと頼りねえヤツだったのに……今じゃすっかり、俺みたいな男前になりやがった……。俺みたいなクズ兄貴には似つかわしくない……自慢の弟だぜ……」
ユウトの意識は、途切れそうだった。
もう長く喋れないことを悟りながら、それでも嬉しそうに、最期の言葉を語る。
「もう俺がついててやらなくても、大丈夫だろ……?」
瞳から光が失われた。見ていて、それがわかった。
兄の最期の瞬間を、看取ったのだ。
トウゴは、胸中を掻きなじられるような思いになる。
「……兄貴?」
返事は、もうない。
いつものような悪態も、くだらない冗談も返ってこない。
「……いつもみたいに、馬鹿な返事してくれよ……!」
どんなに頼み込んでも。
どんなに願っても。
もう、峰御ユウトは返事をしてくれないのだ。
「兄貴いいいいいいい!」
トウゴはユウトの身体を抱きしめ、縋り付いた。
崩壊していくカリフォルニアで、兄弟は死別した。