11-15 光輪
赤い死の刃が、アデルの額に触れる直前だった。
炸裂するような閃光が、大聖堂を埋め尽くす。
その輝きに目が眩み、その場の誰もが一瞬、視力を失う。
「あああああああああああああああああ!!!!」
直後、苦しむようなアデルの叫びが聞こえた。
原死の剣は、アデルを傷つけることなく、その肌に触れた途端、溶解するように形状を崩壊させ始めた。アルテミアの手の内を離れ、ドロドロに溶けた赤い液体金属に変わり、それがアデルの頭上で渦を巻いて輪を形成し始めた。
何か良くないことが起きている――――。
素早くそれを察知したアルテミアは後退し、目の前のアデルとケイから、距離を空けた。頭を抱えてもがき苦しむアデルの頭上には、やがて禍々しいまでの赤い光を放つ、光輪が浮かんでいた。
「アデル!」
苦しんでいるアデルを何とかしようと、慌ててケイは立ち上がり、駆け寄ろうとする。だが、見えない何かの力に阻まれ、強く弾き飛ばされた。
「ぐあっ!」
飛ばされた先は、アルテミアのすぐ足下である。敵の間近に放り出されて緊迫したものの、アルテミアは唖然とした顔で、ただアデルの様子を見守っているだけだ。ケイのことよりも、アデルの変化に注意を奪われているようだ。初めて、困惑した表情を見せている。
「これはいったい……なにが起きておるのじゃ。アデルが、原死の剣を、吸収しおったのか……?」
ケイに、トドメを刺せたものだと確信した途端、予期せずアデルに阻まれ、原死の剣を失った。そしてアークで最強の剣は溶解し、今はアデルの頭上を漂い、輝き、渦を巻いているではないか。何が起きているのか、本当に理解できていないのだろう。眼差しには、焦りが垣間見えた。
原死の剣をアデルに吸収された。
たしかに、そう見えないことはない現象だった。
だがケイは、別のことを考えていた。
「いや……あれは、たぶん元に戻ったんだ」
「元に戻ったじゃと?」
敵であるケイだが、その発言は聞き捨てならなかったのだろう。
アルテミアは視線で、ケイの見解を求めてくる。
今はアルテミアと話すよりも、叫び苦しんでいる様子のアデルを、ケイは何とかしてやりたかった。だが、近づくことができない。アデルの周囲には、竜巻のような、得体の知れない力場が発生し、頭上の光輪と同じように、激しく渦を巻いている。バチバチと赤い放電現象のようなものが発生し、近づく者へ威嚇をしているようだった。
状況を正しく把握しなければ、おそらく近づけないし、助けられない。
今は何か、打開策に至るような思考をしなければならない。
ケイは必死に考えを巡らせ、思い出して口にする。
「オレは直接、この目で見たわけじゃないけれど……。あの剣は、元はアデルから生み出されたものらしい。それが、アデルに戻ったんじゃないのか」
「……」
初めて東京白石塔を出て、ケイが淫乱卿と戦った時だ。殺されたはずのケイの命を繋ぎ止めるために、アデルが生み出したという赤剣。それが原死の剣だ。ケイはずっと、原死の剣をアデルから預かっているものだと考えてきた。だからこそ、それが元の持ち主のところへ戻ったのだという発想になったのである。
アルテミアは、ケイの見解を聞いて納得した様子だった。
そして、少し興奮気味に目を輝かせて呟いた。
「王冠とは違う、頭上に浮かぶ赤い“光輪”……。まるで天使の輪じゃ。これはまさか、文献で見た……」
「――――あれこそが“設計者”の証だよ」
2人の会話へ、唐突に割り込んできたのは男である。しかも、アルテミアとケイが軽蔑している、最低な企業国王だ。今までどこへ潜んでいたのか。何食わぬ顔で現れ、悠長にアデルを見て、腕組みをしていた。
「……四条院コウスケ。まだこの会場に残っておったのか」
「お前、淫乱卿……!」
「久しいな、雨宮ケイよ。互いに因縁のある間柄。私としても、ここで君を殺してやりたいのはやまやまなのだが、今はそうにもいかない様子だろう?」
涼しい顔で、淫乱卿は口髭を撫でながら挨拶する。
アルテミアは冷ややかな眼差しを送りながら、尋ねた。
「そなた、その口ぶり。まるで設計者を見たことがある口ぶりじゃな」
「まあ。君たちよりは僅かばかり、長く生きているものでね。過去に1度だけ、見たことがあるのだよ。とは言え、遠目に少しだけだがね」
淫乱卿は肩をすくめ、語り出した。
「昔のことだ。魔人族が、旧文明の遺跡から、至宝級の危険な聖遺物を発見したことがある。詳しいことは知らないが、太古の大量破壊兵器だったそうだよ。帝国に反抗している彼等は、それを使って、真王様を聖都ごと消滅させようと、テロ計画を実行した。当時、それを阻止したのが、設計者だった」
「やはり、実在するのじゃな」
「ハハ。そうだな。君の予想は正しいよ、アルテミア。そうは言っても、私が見たのは1人だけ。伝承通りに12人もいるのかは、わからないがね」
アデルの頭上に浮かぶ光輪を見やりながら、淫乱卿は真顔で続ける。
「赤い光輪……。あの光が輝いたかと思った次の瞬間、魔人族のテロリストたちは、潜伏していた山岳地帯ごと消滅させられていた。後に残されたのは、地平線の向こうまで更地になった、広大な砂漠だ。あの破壊力は、我々の王冠の力と同等か。それ以上の可能性が高いだろうね」
「フム。ならやはり妾の予想通り、アデルもまた、設計者の一員であったということかのう」
「……!」
「そうだろう。ようやく私も確信が持てた。これで私が目にした設計者は、彼女で2人目ということになる」
会話を聞いていたケイは、血の気を失って青ざめていた。
いつか、無人都市の地下駐車場で、初めて聞かされた言葉。
それを今さらになって思い出す。
そして戦慄するような思いで。
その単語を胸中で、反芻する。
“死の設計者”――――。
アトラスはたしか、アデルのことをそう呼んでいなかっただろうか。淫乱卿やアルテミアが言う通り、アデルは設計者と呼ばれる存在の一員なのか。だとすれば、アデルの正体は、“真王の側近の1人”であるということを意味していないだろうか。
「アデルが……真王の仲間……?」
思考がまとまらないケイの隣で、淫乱卿が感慨深そうに言った。
「おそらく原死の剣の正体とは、アデルが雨宮ケイを守るために、自身から切り離して、そして授けた、設計者の力そのものだった。それが今、元あるべき主人の元へ戻ったのだろう。アデルは本来の力を取り戻したのだ。雨宮ケイの見立てを、私は正しいと見る」
たしかにアデルは、原死の剣を生み出した直後から、周囲の生物を死なない状態にする“無死”の機能を失ったのだと言っていた。その理由は定かではなかった。今にして思えば、それこそがアデルの、設計者としての力の一端だったのではないか。
アルテミアも見解を口にした。
「フム。つまり、今のアデルは“死を操る力”を振るう、設計者の力を取り戻したということか? 話を聞くに、迂闊に近づきたくもない、危険な状態になったものじゃのう。もしかしたら、触れた途端に絶命する竜巻かもしれぬぞ、あれは」
アデルの周囲に展開した竜巻のような力場は、徐々に強さを増し、広がっていく。聖堂内に散らばる死体や瓦礫が、床材ごと虚空へ巻き上げられて渦を巻き始める。ミシミシと音を立てて、建物全体が崩壊し始めた様子だ。大理石の壁のあちこちに亀裂が入り、ボロボロと崩れだした。このままではケイたちも、間もなく竜巻に呑み込まれてしまうだろう。
「最悪じゃなあ。まさか、アデルは暴走しておるのか?」
竜巻の中心。頭を抱えて苦しんでいるアデルを見て、アルテミアは呆れた顔をする。アデルは、自身から溢れ出る力を制御できず、放出してしまっている。そんな有様に思えた。
「やめろ、アデル!」
ケイの呼びかけは、アデルに届いているのか。
届いていたとしても、言われた通りに対応できないだけかもしれない。
言葉で諭すことは、無理な状況のようだ。
「やれやれ――――」
アルテミアの頭部に発現していた王冠、そして炎の刀が消える。
空になった手で前髪を掻き上げ、その場で踵を返した。
「アデルがあのような状態になってしまっては、簡単に連れ帰ることもできぬ。アデルが手に入らぬのならば、もはやこの場で、そなたと戦って時間を無駄にしている理由もない。今日はこの後、他にやらねばならぬことがあるのでな。妾は帰るぞ」
「はあ?!」
呆気なく、アデルを諦めるアルテミア。
その態度が意外すぎて、ケイは頓狂な声を上げてしまう。
「原死の剣を失ったことは残念じゃが、まあ、すでに用済みのオモチャ。代わりは効く」
「代わり……だと?」
真王の暗殺を成し遂げたとはいえ、原死の剣は、アルテミアにまだ必要な力のはずである。他の企業国王たちと、戦争をしようと言うのだから。それなのに易々と放棄するのは、あまりにも意外である。用済みとは、どういう意味なのだろう。
アルテミアは不敵に笑んで、ケイを見た。
「じゃが、アデルにはまだ利用価値がある。ここで失うには、あまりにも惜しい、貴重な存在じゃ。というわけで、雨宮ケイ。――――そなたがアデルを何とかせよ」
「なっ!」
「そなた、アデルに惚れておるのじゃろう?」
不躾に尋ねられ、ケイは言葉を呑み込んでしまう。
否定することができず、ただ頬を染めて口籠もる。
「クク。結婚式場へ殴り込み、アデルが他の男のモノとなる前に、奪い取りに現れたのじゃぞ? 当然、そうだと思うじゃろ。たとえそうでなくとも、そなたとアデルの間には、ただならぬ縁と絆がある。あの、わけのわからぬ状態になったアデルを元に戻せるとしたら、それはおそらく、そなただけじゃろう。あれは妾のものじゃ。また使えるように、何とか戻してみせよ」
「くっ! まるでアデルをモノみたいに……!」
「この世界は、妾のもの。ならばアデルも然りじゃ。少しの間だけ、アデルは、そなたに預けておいてやるとしよう。これから妾は忙しいのでな。必要な時にまた、返してもらうとする」
一方的に言いたいことを言って、アルテミアは大聖堂を後にし、去って行く。
いつの間にか、淫乱卿と四条院アキラも姿を消していた。
気が付けば、ケイの他に残されているのは、暴走するアデル。
そして、セイラ学科長だ。
「雨宮さん!」
アデルの起こす竜巻を大きく迂回して、セイラはようやく、ケイへ合流できたようだ。運動はあまり得意でないのだろう。走ってきて、息を切らしている。
「その右腕は……!」
セイラは、炭化状態から再生してきているケイの右腕を見て驚愕していた。無理もないだろう。普通の人間の身体に、再生能力はないのだから。
「話せば長くなります。それよりも、今はアデルを何とかしないと」
「アデルさんは、いったい何者なのですか!? 私の魔術をハッキングして、現象理論を書き換えるなんて……尋常ではありません!」
「その説明も後です。まずはアデルの暴走を止めるために、協力してもらえますか?」
ケイの眼差しは、光を失ってなどいなかった。
◇◇◇
ただの風とは違う、異質な力の風。
上手く表現できないそれは暴れ狂い、アキラに吹き付けてきた。
「くあっ! 何なんだ、この風は! アデルから発せられているのか!?」
頭を抱えるアデルを中心として渦巻く、強烈な突風。赤い光の放電現象をまとったそれは、雷の嵐のように見えた。自分の花嫁に近づくこともできず、アキラは立ち尽くしてしまっていた。
「――――無事か、アキラよ」
「!」
風に翻弄され、その場から動けなくなりつつあったアキラの前に、礼装の男が現れれる。姿を見せたと思えば消えて、そして再び現れた父親。淫乱卿である。
「父上! この竜巻のような現象はいったい!」
何一つ状況を理解できていない様子の息子に、淫乱卿は溜息で応える。自らの肉体を守る遅効装甲を展開し、それを風よけ代わりにして、自身の身と、アキラを守った。
「あ、ありがとうございます、父上」
突風から解放されたアキラは、戸惑いながらも父親へ礼を言う。対して淫乱卿は、息子の感謝の言葉に反応することもなく、口髭を撫でながら言った。
「フム。当初は、アルテミアが暴れて、この式場をメチャクチャにするだろうと予想していたのだが……少し予想と違っている結果だな。やはり雨宮ケイの登場で、色々と想定外が生じ始めたせいか。まあ良い。迎えに来たぞ、アキラよ」
淫乱卿は、アキラへ手を差し出してきた。
「アルテミアと雨宮ケイの戦いに紛れて、お前とアデル・アルトローゼを連れ帰る計画だったが、あの様子では、アデルは放置するしかあるまい。さあ、お前だけでも、私と共に脱出するとしよう」
「まさか、アルテミアから私を守るために、残ってくださっていたのですか……!
「無論だとも。私の大切な、この世でただ1人の息子ではないか」
息子へ微笑みかける父親。生まれて初めてとも言える、家族の愛を感じさせられた。アデルに拒絶され、傷心していたアキラだったが、僅かに光明を得た思いである。
「父上……ありがたき……!」
思わず涙ぐみ、アキラは感謝した。
◇◇◇
正面扉を開け放ち、アルテミアは大聖堂から出た。
屋外で待ち構えていたのは、式場前に控えていた貴族たち。
それにマスメディアたちである。
先に帰国していったエレンディア、シエルバーン企業国の王たちの次は、グレイン企業国の主たるアルテミアが登場し、現場は騒然となる。普段、メディアの前に姿を見せなかった少女が、返り血にまみれたドレス姿で現れたことに、大衆は少なからずのショックを受けている様子だった。それらには目もくれず、アルテミアは海外方面の空を見上げた。
色素の失われた空が近づいてきている――――。
「なんじゃ、手間取っておるのか、バフェルトよ。予定よりもウイルスの拡散速度が遅いのう。そなたの計画が成功してくれなければ、妾としても、今後の予定が狂うのだぞ」
呟き、ほくそ笑む。
バフェルト企業国は、ウイルス兵器を、結婚式場を遅うテロに使用しようとしていた。だが、アルテミアが勇者を派兵したことで阻害され、機を逃して失敗した。アルテミアにそう思わせ、欺きたいと考えていることなど、遠い昔に見抜いている。
計画がうまくいっていると、バフェルト側に思い込ませる。
それこそが、アルテミア側の計画の一部なのだ。
「妾が見たい“新世界秩序”の実現まで、あと少しじゃ」
いまだ全てが、アルテミア・グレインの手の中で踊っていた。