11-2 大器信奉
椅子にもたれかかるようにして、眠っていた。
ひび割れた壁から注ぐ陽光が目に当たり、意識が覚醒する。
どうやら後ろ手に手錠を幾重にもかけられ、拘束されているようだ。
サイラス・シュバルツは、緩やかに頭を持ち上げた。
長らく、安眠することなどなかった。帝国に叛逆する者として追われ、その苦境の中で、主の理想を叶えるべく、アルトローゼ王国に潜り込んで暗躍してきた。気を許せない生活は、眠って無防備になる状態を、極めて短くしていった。それなのに、これほど深く、穏やかに眠ったのは、いつのこと以来だろうか。
「最近はよく眠れてなかったか? ずいぶんと長く眠っていたぞ」
目が覚めて、目の前にいたのは赤髪の師だった。
刀を傍らに置き、サイラスと対面する位置で椅子に腰掛けている。
「気絶させただけのつもりだったが、まさかそのまま、何日も熟睡とは。相変わらず豪胆なこった。それで? 寝覚めの気分はどうだ」
「……よく寝かせていただいたおかげで、頭がすっきりしました。清々しい気分ですよ」
サイラスは穏やかな微笑みを浮かべて応えた。
昔から変わらず、愛想笑いもない仏頂面の師匠、アイゼン。
人付き合いが嫌いな、世捨て人も同然の人物なのだ。当然だろう。
知っている師の顔だが、普段と違って飲酒をしていない様子だった。
珍しく、シラフである。
「良かったのですか? 私を捕らえていたのに、拷問しなくても。あなたはともかく、雨宮ケイや、レジスタンスの面々は、私から聞き出したい情報が山ほどあったはずでしょう?」
「痛めつけた程度で口を割るような、そんなひ弱に育てた憶えはない。自白剤の類いへの対処も、一通りは教育したからな。だからというわけじゃないが、レジスタンスのババアも、拷問くらいでお前が口を割るなんて、最初から期待しちゃいないみたいだった。お前に構っていても時間の無駄。だからこうして、動けないようにふん縛って、早々に放置されてるのさ。俺という監視付きでな」
「なるほど。ミスター・ジョーは賢く、しぶとい相手だと聞いていましたが、噂通りの御仁のようだ」
拘束されていても動じた様子がないサイラス。アイゼンも動じず、冷ややかにそれを見つめていた。椅子の背によりかかり。弟子へ語りかけた。
「それで? 相変わらず、俗世のくだらん革命ごっこに興じているようじゃないか。企業国王たちが企む真王殺しの計画だとか、このカリフォルニア白石塔の住人の危機だとか、そんなことは俺にとっちゃどうでも良いことだ。世の中なんてのは、俺の知らないところで勝手に流れを作ってるもんだからな。お前と違って、普通の人間ってのは、川を眺めていて、その流れる向きをどうこうしようなんざ思わない。ただ流れに巻き込まれない位置で、見ているだけだ」
「……あなたも、こうして今、川の流れを変え得る場所へ足を運んできているではないですか。なぜ、俗世嫌いで山に籠もっていたあなたが、わざわざここまで?」
「エリーゼが泣いていたからさ」
「……」
サイラスの表情から微笑みが消える。
さすがにそのことは、心苦しく感じていたことなのかもしれない。
だが、内心に罪悪感があろうとなかろうと、過去の決断を変わらない。
アイゼンは冷たい眼差しで、黙り込んだ弟子へ警告した。
「いつか言ったはずだぞ。俺が教えるのは、包み隠さず“人殺しの技”だと。使い手を、英雄にも修羅にも変える諸刃の剣だ。もしもお前が、修羅の道へ落ちることがあれば……それに“引導”を渡してやるのが、師の役目。お前は“剣聖”と呼ばれ、民草の敬意を集める英雄だったな。だが、世間の目が真実を見ているとは限らん。少なくとも、心酔した王の覇道のために、実の娘の命さえ差し出すことを選ぶような父親が、いまだに真っ当な道にいるとは思えん。修羅に成り下がった者は、総じて世の災厄となる。1人の剣客として、俺が与えた剣がそうなるのを、黙って見ているわけにはいかん」
「……結局。ここへ来たのは“自分の都合”というわけですか。昔から変わりませんね。あなたはいつも、自分の都合ばかりを他に押しつける。それでは、私を斬りにきたわけですか?」
「それは、今からのお前の返事による」
皮肉で返してくる弟子を見て、アイゼンは苦笑する。生意気なその切り返しは、面倒を見てやっていた子供の頃から変わっていなかった。懐かしく思う気持ちが半分。そして、かんに障るのが半分である。
「考えてみりゃ。昔からお前は、生意気なクソガキだった」
アイゼンは懐かしんで、微笑む。
「シュバルツ家という名家に生まれたんだぞ? なに不自由なく、苦労も知らず、優雅に暮らすことができたってのに。血気盛んすぎる性格のせいで自力を過信し、幼くして家を飛び出して戦場に飛び込んだ。なのに実力が及ばず、呆気なく死にそうになってやがったな。泣きべそかいて死体の山に隠れているくせに、それを発見した俺にケンカを売ってきた時は、笑っちまったよ。そんな馬鹿ガキを拾って育てちまう俺も、物好きだったと認めるさ」
足下に置いてあった愛刀を拾い上げ、それを見下ろして続けた。
「少しばかり剣を教えてやりゃあ、また自力を過信して、世のため人のために力を使わなけりゃいけないんだとか。うるせえ社会正義とやらに目覚めやがった。この腐った人の社会に、公平、公正なんて幻想を求めやがって。暑苦しくて青臭いガキだと思ってたよ。偉そうに、この俺に説教まで垂れやがったよな。あの時は、本気でお前を叩き殺そうかと思ったぞ」
「……若い頃の非礼は、お詫びします」
「フン。そんなもん期待しちゃいない。どれだけ昔のことだと思ってる。お互い、今さらどうだって良い話しだ」
刀の刃を床に突き立て、その柄の端に手を置く。
前髪を掻き上げ、サイラスの目を見て言った。
「大口を叩いて出て行って、何を成すのかと思って見ていれば、お前がやったことと言えば、せいぜいレジスタンスの女を孕ませる程度のことだったな。世間やエリーゼは、お前のことを偉大な人間のように思っているようだったが。俺に言わせりゃ、お前は口にした理想を、何一つ成し遂げちゃいない、中途半端な“挫折人”だよ。世界を変えるんだと大見得切って、結局はそうすることなんてできなかった。その後悔や不満を口にしながら、ただ子を遺して潰えるだけの、ありふれた“凡人”の1人にすぎん」
「……」
訪れたのは、沈黙だった。
アイゼンの言葉は辛辣であり、サイラスの胸中深くを抉る物言いだった。だが、言われたことについて、サイラスは認めるしかなかった。だからこそ、何も言い返さない。ただ、師が知りたいのであろうことを、話してやるだけである。
「あなたが聞きたいのは、私がなぜ、アルテミア・グレインに従っているのかということでしょう?」
アイゼンは、露骨に苛立った顔で応える。
「違うな。自分の意向に反抗したからと言って、お前は実の娘であるエリーゼを殺そうとした。あの子が……生まれた時にも立ち会った、名付けの親でもあるこの俺を、納得させられる正当な理由なんてあるのかってことだ」
「なら、同じことです」
サイラスの飄々とした物言いは、アイゼンのかんに障った。実子に刺客をけしかけて殺そうとしたことを、軽く考えてでもいるのだろうか。その態度の涼しさに、舌打ちをする。
「……アルテミア・グレイン。アークを支配する企業国王の1人とは言え、まだ就任して間もない、十代のガキだろう。どこの馬の骨とも知らんが、少なくとも、俺の知るお前は、家柄や権力に惹かれて、誰かに付き従うような打算的な性格はしちゃいない。いったいあの少女の何が、お前をそこまで突き動かす。まさか、惚れているわけでもあるまい」
サイラスは淡々と、師の問いに応えはじめた。
「……師匠の仰る通り、私はただの凡人です」
まずはそれを、心底から素直に認める。
「若い頃は、自分は何かを成し遂げられる、特別な存在であるのだと信じて疑っていませんでした。しかし現実は残酷なものです。私は、天命を受けた存在ではなかった。全ては、浅はかな若者の驕り。慢心だったのですよ」
「……」
「人より剣技に優れているだけの、ただの男。剣聖と持て囃されていますが、その力で世界を良くすることはできず、ただ、企業国王たちが支配する腐った帝国社会の秩序を、現状維持する程度のことしかできませんでした。いくら強くても、それだけで世の中を変えることはできなかった。これは、凡人である私が生きてきて得た、学びの1つです」
サイラスは、頭上を見上げた。そこにはひび割れた廃墟のフロア天井しか見えないというのに、まるで陽の光を仰ぐように、眩しそうに目を細める。
「――――“陽性残像”ですよ」
「……?」
ポツリと、サイラスは語り出した。
「太陽を直視すると、人は目が眩む。太陽から目をそらしても、視界には、その姿が焼き付いたように、残像が見えてしまう。実際に太陽を見ていなくても、その輪郭が、脳や網膜に残るために起きる現象です。アルテミア様は、太陽以上の強烈な光。それを見てしまった私は、遠の昔に焼き尽くされてしまったのです」
サイラスは自信に満ちた顔で、アイゼンを見やった。
「師匠も、会えばわかりますよ。アルテミア・グレインは“大器”です。天才的な頭脳のみならず、非凡な心技体を備えた野心家。不老処置を受ければ、永久にアークを正しく統治し、導いていく“完璧な独裁者”になれるだけの才覚を持っています」
「完璧な独裁者だと……?」
「ええ。ただ私欲に溺れているだけの、企業国王たちのような俗物的な独裁者とは異なります。あの方は常に民を思い、民を理解されている。そして、これまでにない手段で、民を導こうとしている。史上かつてない社会を築き上げようとしています。凡人の私では為し得なかった世直しを、あの方は着実に実行して実現している。私が理想として掲げてきた“真王に支配されない世界”を成そうとしている。あの方の理想は、私の理想でもある」
「……その成就のためなら、娘の命だって差し出す覚悟だったってことだな」
「エリーゼは……。どうやら四条院の息子に想いを寄せている。アルテミア様の計画が、四条院アキラを傷つけ、その命を危険に晒すことだったのだと知って、中止させようと単独行動を始めました。ケイン・トラヴァースを学院へ入学させ、他企業国にアルテミア様の計画を察知されかねない状況を生じさせたのは、やり過ぎです。あれ以上に何かをされては困りました。我が娘とは言え看過しておけず……苦渋の決断だったのです」
「フン。先走って無茶をする娘だ。しっかりと父親に似てるじゃないか」
――――ドン!
話している2人の間に割り入るようにして、いきなり建物の壁が、爆破されて弾け飛んだ。屋内へ粉塵が雪崩込み、霧のようにサイラスの姿を覆い隠した。アイゼンは動じた様子もなく、濃い煙の向こうを見やる。ただ冷ややかに、周囲を取り囲む気配を見渡した。
「……やれやれ。帝国騎士団ってのは、会話が終わるのを待つ礼儀もないのか」
やがて粉塵が晴れてくると、銃器を手にしたフル武装のグレイン騎士団たちの姿が見受けられた。サイラスと話している最中、少し前から、建物を包囲し始めていた騎士たちの存在に、アイゼンは気が付いていた。捕まっているサイラスを休出するため、突撃の機会を外から伺っていたのである。
「こちらチャーリー2! サイラス様の救出に成功!」
「レジスタンスめ、もう逃げられんぞ!」
壁の爆破の直後、騎士たちは手早くサイラスの拘束を解き、その手に武器である刀を渡していた。そうして、レジスタンスと誤解されているアイゼンは銃口を向けられ、完全包囲されていた。
だが、アイゼンが両手を挙げて投降することはない。
刀を手渡されたサイラスは、救助に駆けつけた騎士たちへ警告する。
「君たちは下がっていなさい。ただの使い手では、束になっても敵う相手じゃない」
そう言って、黙ったまま冷たい視線を送りつけてくる師に相対した。
久しく正面から浴びせられる、息苦しいまでの重圧。かつて手ほどきを受けていた頃よりも老いて、酒浸りとは言え、アイゼンの放つ巨人のような気配は健在だった。踏み潰されるようなプレッシャーに、サイラスは身の竦むような寒気を感じた。たまらず冷や汗を流す。
「……かつて企業国王たちさえ恐れさせた、無名の“鬼神”。アイゼン・ヴァーミリオンは、まださび付いていないご様子」
鬼神の名を耳にした騎士たちの何人かが驚き、ざわつく。今でこそ聞かなくなった通り名だが、古参の兵士であれば、戦場で1度は耳にしたことがある伝説である。
アイゼンはゆっくりと、愛刀を鞘から抜き放った。
刃が鞘滑りする涼やかな音が、廃墟に響く。
「剣聖なんて通り名は、所詮、自分より弱い奴との戦いに勝利して得た、児戯も同然の名声だろ。力を求める真の強者たちの戦場には、名声などない。あるのは鮮血と死。得られるのは名もない墓。それだけで十分なんだよ」
切っ先をサイラスへ向け、笑いもせずに宣告する。
「死ぬ気でかかってこい。名もない野犬の流儀を教えてやる」