10-79 歴史の分水嶺
教会の大聖堂。
ロゴス聖団の大十字架のモニュメント前には、祭壇が置かれている。そこを中心とした扇状配置の参列席には、数百人分の席が用意されていた。
だが、座っているのは、たった7人の立会人だ。
アーク各地の大貴族たちや、新郎新婦の友人たちも招待された結婚式ではある。だが、彼等は披露宴からの参加となり、人前式への参加が許されているのは、真王と企業国王だけだった。それ以外の大衆は、検閲された映像を、後からメディアで視聴することしかできない。
参列しているのは、手で数えられるほどの少人数だが、その顔ぶれは凄まじい。
四条院企業国、四条院コウスケ。
シエルバーン企業国、テスラ・シエルバーン。
バフェルト企業国、コーネリア・バフェルト。
エレンディア企業国、ゼウス・フォン・エレンディア。
ローシルト企業国、カシウス・バロール・ローシルト。
グレイン企業国、アルテミア・グレイン。
いずれも、名だたるアークの統治者たちである。普段は互いの服装さえ気にしない、奔放な企業国王たちだが、今日に限っては、全員がドレスコードを意識し、礼服やドレス姿だった。それは、今日という式が帝国の世にもたらす意味を勘案したわけでもなく、新郎新婦に対して、気を遣ったからでもない。
企業国王たちが、緊張した面持ちで式に臨んでいる理由の全ては、祭壇の前に立っている“7人目の存在”に起因している。
荘厳なオルガンの演奏が始まり、新郎新婦が入場してくる。参列者は全員起立した。腕を組み、豪勢なカーペットの上を歩いてくる若い2人を、アークの支配者たちが無言で見守った。重々しい注目の中を、アキラとアデルは、祭壇を目指してゆっくりと進んでいった。
行く手に見える人物の姿を、アキラは食い入るように見つめた。
これまでずっと、その姿を一目でも見てみたいと思っていた相手である。
「あれが……!」
「……真王なのですか」
驚く声は、すぐ隣のアデルにも聞こえていたのだろう。相づちのように呟く。
――――真王。
帝国を統べる、すなわちアーク全土の支配者だ。
その見た目は、若い美青年だった。
比肩する者がいない、1万年以上という時を生きているのだから、実年齢は不明である。異様に青白い肌をしていて、生気を感じさせない。しかも特徴のない顔立ちをしており、そこには感情のない無表情が貼り付いている。剃り落としたのだろう頭部には、毛髪の1本すら生えておらず、丸坊主だった。その容姿は、どこか病人を思わせる不健康そうな姿である。華やかに着飾っているわけでもなく、出で立ちは平凡な礼服姿だ。
企業国王たちの上に君臨する。つまりは“皇帝”であるのだと聞いているが、見た目からは、それ相応の威厳というものを感じなかった。むしろ……ただただ不気味な印象である。人間と相対しているというよりも、人型をした昆虫のような、冷たく異質な気配を放っている。アキラの心境は、王に謁見するというよりも、幽霊に遭遇しているような心持ちだ。
「おお、真王様! なんと神々しいお姿……!」
参列者のローシルト老人は、新郎新婦よりも、真王の姿にばかり目がいっている様子だった。感極まって涙ぐんでさえいる。それを鼻で笑い、小馬鹿にしながら、ゼウスがぼやいた。
「久しく見ていなかったが……相も変わらず、常世離れした気配じゃねえの。ひょろい不健康そうなガキって感じの見た目は、何百年も前から変わっちゃいねえのか……」
シエルバーンは、胸中の疑念を呟いていた。
「真王が、わざわざ結婚式の司祭役を買って出た。つまり大衆に配信される映像に、姿を晒すことを良しとしているわけだ……。これまでは僕たち企業国王の前にしか姿を現さず、聖都に雲隠れして、世捨て人のように振る舞っていたのに……これはどういう心変わりなんだ?」
結婚式の司祭役は、当初であればロゴス聖団の大教母へ依頼するはずだった。だが、真王がその役を引き受けたことで、突如として予定は変わったのである。その理由は、本人以外に誰も知らないだろう。
真王は、超常の力で企業国王たちの上位に君臨する“正体不明の神”とも呼べる存在だ。シエルバーンの言う通り、普段は聖都から出てくることがなかった。これまでは物言わぬ“監視者”のような存在に徹してきたのである。エヴァノフ企業国でクーデターが起きた時ですら、真王はアークの治世へ干渉してくることはなかった。それが、どういう風の吹き回しなのか、今日は積極的に式へ介入してきて、メディアの前にも姿を露出させている。企業国王たちは疑念を抱きながらも、ただ敬意と畏怖を示す以外にない。
「どうしたんだい、アデル?」
腕を組んでいる隣の妻へ、アキラが心配そうに尋ねた。聖堂へ入場した直後から、アデルの顔色が悪いのである。痛いのか。苦しいのか。とにかく、苦悶の表情を噛み殺している様子だった。
「……あの人を見ていると、何だか頭が……」
ズキズキと痛んでくる。
真王は、歩み寄ってくるアデルの姿を、じっと見つめてきていた。
そうされているだけで、目眩がしてくる。
すでに式本番中であるため、簡単に中止することもできず、アデルは体調の悪さを我慢する。吐き気すらこみ上げてきているが、それを懸命に抑え込んで、アキラの手を強く握った。
2人は真王の御前に立つ。
オルガンの演奏が中断された。
参列者たちは皆、着席した。
真王は手にしていた分厚い聖典を開き、アキラに向かって語りかけた。
「……汝、四条院アキラは」
帝国の主が口を開き、声を発する。
涼やかな印象をもたらす、低い声だった。
「この女、アデル・アルトローゼを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も。共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに寄り添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いうか?」
アキラは、隣に立つアデルの顔を見た。
迷うこと無く、力強く断言する。
「誓います」
その返事を聞いた真王は、今度はアデルに向かって尋ねる。
「汝、アデル・アルトローゼは、この男、四条院アキラを夫とし、良き時も悪き時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も。共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに寄り添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓うか?」
「……」
真剣な眼差しで、アキラが見つめてきている。
それなのにアデルは、即答ができずにいた。
……ついに、後戻りができない場面になっている。
アルトローゼ王宮を占拠している剣聖の指示は、四条院アキラとの結婚を受け入れること。そうしなければ、王国の民だけでなく、王宮にいる人々を皆殺しにすると脅されている。ここでアデルが、アキラとの結婚を誓わなければ、アデルの大切な人々が消されてしまうのだ。そんなことになるのは、絶対にイヤだった。真王の問いかけに、今すぐ肯定の返事を返さなければならないのである。
そうしなければならないことはわかっているのに、言葉が出ないのだ。
以前のアデルであれば、ただ合理的に損得を判断し、即座に「YES」と答えただろう。だが今のアデルは、仲間たちとのかけがえのない時間を経て、「人の妻になる」ということの意味を理解できてしまっている。それが自分の生涯にとって、どのような影響をもたらすのかもわかっている。もはや合理性など二の次で、自分の“気持ち”を優先したくなる。欲を持ってしまったのだ
いつしかアデルには“感情”が芽生えていた。
アキラのことが嫌いなわけではない。アキラは本気でアデルに好意を持ってくれていて、いつもアデルに優しくしてくれる。きっとアキラは、今しがたの誓いの言葉通り、アデルのことを生涯にわたって大切にするだろう。わかっている。
けれどアデルの胸中には――――ずっと別の存在がいるのだ。
「…………うう……うぅぅ……」
ボロボロと、アデルは大粒の涙をこぼして泣き始めてしまった。ここで泣き出すことが失敗であり、間違いであることは重々に理解していた。王国の人々を危険にさらし、友人たちの命を脅かす、最悪な判断であるのだと後悔した。言い訳が出来ないくらい、愚かなことをしている自覚がある。
それなのに、誓えなかった。
アキラの妻になると。
アキラのことを生涯にわたって愛するのだと。
どうしても、ウソを口にできなかった。
「…………アデル」
アキラは、アデルの思いを察していた。最初から、アデルに意中の相手が存在していることなどわかっていた。だが、いつかアデルの気持ちが、自分に傾くことを信じ続けている。それがアキラのスタンスなのだ。この場でアデルが近いの言葉を口にしないからと言って、それで諦めるつもりはない。アキラは挑戦者であるのだから。
今この場で、アデルの本音は関係ない。
これは帝国とアルトローゼ王国の、政略結婚でもあるのだ。
式を中断することはできず、アキラは視線で、真王へ「続行」を訴えた。
その意図を汲んで、真王は再び聖典を開き、続きを語ろうとする。
だが――――会場に拍手が生じる。
「……?」
不敵な笑みを浮かべ、参列席で1人だけ拍手をする者。
真紅のドレスを着込んだ企業国王。
アルテミア・グレインである。
「クック。やれやれ、相変わらず帝国の催す政治的なイベントとは、滑稽な茶番劇ばかりよのう。誓いの言葉を口にしない花嫁と、強制結婚とは。政略的な意図が丸見えじゃろ。その立会人となる妾たちは、まるで道化のようじゃ」
「……式の最中に、どういうつもりだ、グレインよ?」
もはや殺意と呼べる怒りを込めた視線で、ローシルト老人が尋ねてくる。
水を差すなという意図が、透けて見える敵意である。
だがアルテミアは、それを鼻で笑い飛ばす。
「そのしわがれた脳みそでは、わからぬか、ご老体? こう言いたいのじゃよ。もはや“見るに堪えない”とな」
言いながらアルテミアは、自席の座部の下へ貼り付けて潜ませていた、騎士剣を取り出した。即座に抜き放った剣身は赤く、見る者を驚かせる。
「式場へ武器を持ち込んでいた!? いったいどうやって!」
「その剣、まさか――――原死の剣!?」
アルテミアは刹那の間で、真王の目前まで間合いを詰め終えていた。それはもはや、剣聖を凌駕する行動速度である。脅威的な身体能力を駆使し、赤剣を振り下ろして見せた。
あっという間に、真王の身体を左右へ両断してみせる。
「真王さまあああああああ!」
聖堂へ、ローシルト老人の悲鳴が反響する。
血しぶきと臓物を散らして、真っ二つにされた真王の身体が、床へ転がった。間近で返り血を浴びた新郎新婦は、瞬時になにが起きたのかを理解できず、唖然とした顔で立ち尽くしている。それは現場を目撃した、企業国王たちも同様だった。
あまりにも呆気なく殺害された真王。
その死体の残骸を踏みしめながら、アルテミアは剣に付着した血を払い飛ばす。
「――――さて、企業国王の諸君。ここが“歴史の分水嶺”じゃ」
軽々と真王暗殺を成し遂げて見せた少女。血にまみれた暴怒卿は、剣の切っ先を企業国王たちに向け、順にその顔へ語りかけていった。……
「オヌシらも妾と同様に、今日という日に向けて、裏でコソコソ、個別に動き回っていたことは把握している。だが正直なところ、オヌシらごとき“小物”の目論見など、妾の計画の前には無意味。どうでも良い些事でしかない」
我に返ったアキラは、いまだ呆然としているアデルの手を引き、後退する。
そうして、危険な殺意を放っているアルテミアから離れた。
「妾はオヌシらに2つの選択肢を与えよう。1つは、妾を真王殺しの大罪人として裁く道。そしてもう1つは、妾を“新たな皇帝”として仰ぎ、隷従する道じゃ」
「……!?」
アルテミア・グレインは、赤剣を構えた。
「妾を皇帝として認めず、抗う者は、今この場で名乗り出よ。特別に、妾が直々に胸を貸してやろう」
それは、あまりにも堂々とした戦線布告である。
「斬り伏せてやるから、かかってこい」
第10章は、ここで終了です。
次章は書き溜めてから公開します。




