3-6 ヒトに託せし最後の希望
アトラスと名乗る異形の存在。
それが口にした言葉に、ケイは違和感を感じていた。
「エルフ……?」
「それって……ファンタジーとか架空の物語に出てくる、美男美女の、耳長種族のことよね?」
エルフ。ゲルマン神話が起源の、妖精の一族である。
長寿で若々しい姿の小神族で、魔法の力を有しているともされていた。
「フム。お世辞にも、そういった感じには見えないけれどね」
イリアは優雅な笑みを浮かべ、目の前の巨大な存在を見上げる。するとアトラスは、ケイたちに向かって、厳かに語り始めた。
≪我は、ここへ辿り着ける選ばれしヒトへ、真実と未来を託すためにのみ存在してきた。本来ならば、君たちが知覚することのできない、この地に潜み、世界のありのままの姿を知ってもなお、彼等に殺されず、生きて我が元へと至れる。賢く屈強なる戦士を求め続いた。そしてようやく、願いは成就した。君たちと出会うことができた。我はそれを、非常に喜ばしく考えている≫
「そりゃあ……俺たちのこと、過大評価しすぎっつーか。本当は全部、佐渡先生のおかげなんだけどよ」
トウゴの言う通りだった。
ケイたちが管理者や怪物たちによって殺されずに済んでいるのは、佐渡の助力があってこそだ。佐渡が5年間のサバイバル生活で得た知識や経験を、ケイたちは無償で提供してもらったのである。シケイダ、つまりはアトラスの元までケイたちがやってこられたのは、佐渡のおかげなのだが……残念なことに、その功績者はもういない。
できることなら、佐渡にもこの場に居合わせて欲しかった。
こうして一緒に、アトラスと対峙できていたのなら、きっと喜んでいたに違いない。
「教えてくれ。あんたは何者で、この得体の知れない都市や、真っ暗な空は何なんだ」
ケイはアトラスへ尋ねる。
それに便乗して、トウゴも口を開いた。
「あの怪物たちのこともそうだぜ。いったい何なんだよ。俺たち、わかんねえことだらけで、なんとなくここまで来ちまっただけだ。今いるこの無人都市が何なのかすら、わかってねえんだ」
ただただ、与えられる異常事態に翻弄されてきただけ。トウゴはそう言いたいのだ。
アトラスは巨大な目玉をギョロつかせながら、ケイとトウゴを交互に見た。
≪君たちは我が導きにより、ここへ至るまでの道のりで、世界の散々たる真の姿を目撃してきたことだろう。それに対して、君たちが多くの疑問を抱いていることは承知している。だが、その話しをする前に、まず君たちは、この世界の“成り立ち”を理解する必要があるだろう≫
しばらく考え込むようにアトラスは黙り込んだ。やがて再び語り始める。
≪我がこの世にいつから存在しているのか。もはや正確なことは憶えていない。元の身体の形状を維持することもできず、このような姿をとる以外にない程、歳月は流れてしまった。今となっては、それはもう遙かな昔のこと。記憶領域に残っている最古の記憶は……およそ2500万年前までのことだ≫
「ま、待て待て! にに、2500万年前って、そりゃどんだけ大昔のこと言ってんだ?! あんたいったい何歳なんだよ!」
耳を疑うような年数を聞いて、トウゴは慌ててしまう。
目の前の異形の存在は、2500万年前から存在しているのだと主張している。そんな長寿な生命体は、この世に存在しないはずなのだが……アトラスは自身のことをエルフとも言っているのだから、あながち、そういう存在なのだろうか。アトラスが生命体であるのか、機械であるのか、わからなくなってきた。
するとそこで、サキのオカルト知識が唸る。
「たしか人類最古の文明は、紀元前3000年頃のメソポタミア文明。それにエジプト文明あたりのはずよ。それよりも桁違いに遠い時代……。人類が二足歩行を始めるより、ずっと以前じゃないかしら」
≪その認識で正しい≫
アトラスは、サキの見解を肯定した。
≪かつて人類は、この星で栄華を極めていた。社会には貧困も病もなく。人々には、死すら存在しなかった。その技術水準は、星々の間を渡る術さえ有し、やがては太陽系外への進出も目論んでいた≫
突拍子もない話しを聞かされてなお、イリアは目を輝かせる。
「興味深い。ボクたちの現代文明が誕生する以前に、それよりも優れた、先代文明が存在したと言ってるわけだ」
「とても信じられないようなスケールの話しだな」
「それって。よくある、超古代文明説ってやつよね。私、そういうオカルト話し大好きだけど、他人が真面目に語ってるの見ると、なんか荒唐無稽すぎて引くわね……」
今度はイリアが、アトラスへ疑問を投げかけた。
「過去に、それほど高度な文明があったのなら、なぜ今は残っていないんだい? ボクが知る限り、歴史学者たちが、先代文明の存在を示す証拠を発見したなんて話しは聞いことがない。痕跡も残さずに消えているなんて変だろう? まさか、人類は他の惑星に全員移住してしまったとかかな?」
≪戦争があったのだ。そして人類は――――敗れた≫
呆気なく断言するアトラス。
その話しの意味を咀嚼しきれず、全員が怪訝な顔をした。
再びイリアが、疑問を呈する。
「……なんだかそれは、人類同士で争ったような言い方には、聞こえないんだけど?」
≪人類同士の争いではない。人類と“真王”との戦いだった≫
ますます奇妙なことを言うアトラス。
ケイは神妙な面持ちで、尋ねた。
「……真王とは、いったい何だ?」
≪それを君たちにわかる言語で表現するのは難しい。ただ人類と敵対した、強大な存在。今は、そうとだけ理解してもらえれば良い。人類が戦争に敗れた後、この星の支配者は、人類ではなく真王となった。気候や生態系。今や、この世界のあらゆるものは、真王によって制御、統制されるようになってしまった。君たちがここへ来るまでに見てきた常夜の景色も、この無人都市すらも、全ては真王によって生み出された創造物だ≫
一拍の間を置いてから、アトラスは宣告した。
≪そしてそれは、君たちヒトも例外ではない》
「そりゃあ、どういう意味だ?」
≪戦争に敗れた君たちは、真王によって管理しやすく品種改良された存在だ。二足歩行を始める前の猿のレベルから、新たに造り直され、調整されてきた。生まれながらに、君たちの脳に存在する知覚制限とは、その産物である≫
「俺たちが、品種改良されてるだと……!」
≪空を覆う黒い霧――――“マナ”が満ちた牢獄の世界で、君たちヒトは、家畜のように飼育管理されている存在だ。本当の世界の姿を認識できず、何も知らされず、真王の作りだした幻想の世界で生涯を生き続けているだけだ。君たちの文明が誕生して以来、かれこれ1万年以上にわたって、君たちは真の世界を目撃することもなく、生まれては死んでいく生命体であり続けているのだ≫
……言葉が出なかった。
有史以来、人類は真王によって、幻の現実を見せられ続けている滑稽な存在。
アトラスは、そう言っているのか。ならば、これまでにケイたちが知る歴史は、真王が創り出した虚構現実の中での出来事だったということになる。
歴史の中で起きた災害や戦争。
歴史の中で生まれた国家、文化、宗教。
全ては、実在しない幻想の中で生じたものということになるのか。
「真王ってのが、佐渡先生の言ってた管理者ってことか……?」
ポツリと、トウゴが口にした。
おそらく、その通りなのだろう。
遙か大昔に人類を滅ぼし、以来ずっと、この星の全てを支配して管理している存在。
途方もなく、強大な存在であるとしか言えない。
≪かつての先代文明が生み出し、利用していた、世界規模の超ネットワークシステムがある。真王は人類に勝利した後、そのシステムを継承し、発展させた。名を“EDEN”と呼ぶ≫
「エデン……?」
≪実体は、“マナ”を利用したネットワークシステムだ≫
アトラスは続けた。
≪先代文明は“有機科学”という技術によって発展していた。植物や昆虫を利用して、地球規模の世界管理システムを構築し、超効率の光合成技術や、量子科学などによって、無尽蔵のエネルギーを実現していた。君たちの世界で例えるなら、ケーブルや電気回路の役割を、植物で代用していたのだとイメージすれば良い。植物は世界中に根ざし、自己増殖して自己最適化していくものだ。その植物の内部で生成される、マナによって構築されたネットワークを使い、真王はこの星を管理している≫
その話しを聞いていて、サキはハッとする。
「待って。佐渡先生が浦谷を解剖した結果、あいつの正体は、植物を核にしている怪物だとわかったって、たしか言ってたわよね」
「それだけじゃねえぞ、吉見……。ここに来るまでに見かけた、あの馬鹿でかい鹿の怪物も、全身が植物でできてるみてえだった」
「……詳しいことはわかりませんけど、オレが戦ったシルクハットの怪物も、背中から透明な植物みたいなの生やしてませんでしたか?」
イリアは不敵に笑んだ。
「なるほど……。怪物たちの正体は、先代文明の有機科学を用いて造られた生命なんじゃないのかい?」
≪その通りだ。真王に管理されている全ての存在は、例外なくEDENに接続されている。それによって怪物――異常存在たちも制御されているのだ。あれは君たちが言うところの“ロボット”に近い存在だろう。生命と呼ぶこともできるが、それは適切な表現ではないように思う≫
「異常存在……」
その呼び方は、アデルが怪物たちを呼ぶ時の言い方だった。
なんとなくアデルがそう呼ぶから、これまでケイも、同じように異常存在という言葉を使うようになっていた。アトラスも同じ呼び方をするというのは、意外だった。
≪そしてヒトも、異常存在と同じ。ネットワークを介して行われる真王の監視から抜け出すことができない存在だ。生きてここまで辿り着いた君たちなら、すでに、そのことを十分に理解していることだろう。君たちの肉体は眠るたびに休止状態となり、その間にEDENからの無制限アクセスを受け付ける状態になる。そして君たちの肉体が滅びると、脳に蓄積された記憶や知識はEDENへと還り、システム全体の機能向上にフィードバックされる。それが、エデンの仕組みになっている≫
「……この星の生命は、EDENから生じて、EDENへ還っていくということだね」
「なんだか、EDENというネットワークシステム自体が、宗教で言うところの天国みたいね」
そこでトウゴが、アトラスに言った。
「なあ……その監視されちまう仕組み、なんとかならねえのか? そのために俺たち、ここまで苦労してやって来たんだよ」
≪と言うと?≫
「俺たちは世界の真相を知りすぎてる。だからもう迂闊に眠れねえんだよ。真王とかいうヤツに見つかって、その異常存在って怪物どもに命を狙われることになるから。けど永遠に眠らないわけにはいかねえんだ。……ここに来るまでにやられた仲間がいるんだが、そいつがいなくなったからもう、俺たちは、うまいこと真王の監視から逃れる術がねえんだ。このままだと間違いなく殺されちまう」
シケイダ。つまりアトラスなら、それを何とかしてくれる。
その期待があってこそ、命懸けでこの場にやって来たのだ。
≪そんなことか。造作の無いことだ≫
「……?!」
アトラスが簡潔に答えた直後、ケイたち全員の視界が、一瞬だけ歪んだように見えた。
耳元でブブっと、虫の羽音のような音が聞こえた気がした。
「……何なの、今のは?」
「目眩か?」
≪君たちの脳容量に、我が造った“偽装フィルタ”をインストールした≫
「はいぃ? いきなり何言ってるのか、よくわかんねえんですけどお?!」
アトラスは造作も無いことであるように、淡々と言った。
≪君たちはEDENというネットワークに繋がっている。だから、同じように繋がっている我が、外部から“ハッキング”することも可能だということだ。今しがた、君たちの脳へアクセスし、手製の“戴冠機能”を展開した。これには2つの機能がある。1つは、睡眠状態時のEDENからの記憶閲覧や思想調整を誤魔化す偽装機能。そして知覚制限を任意に“オン・オフする機能”だ≫
「よくわからない説明だが……ようするに眠っても大丈夫なようにしてくれたということかな?」
「それだけじゃない。知覚制限を任意にオン・オフする機能と言ってるんだ。つまり今までみたいな、偽世界を見られるようにもなるってことだろう」
≪その理解で合っている≫
「マジか! アトラス、すっげえじゃん!」
「ここまで来て良かったわね!」
呆気なく問題が解決してしまい、思わずケイたちの表情が綻ぶ。
シケイダに会えれば何とかなる。そう予想していた佐渡の予想について半信半疑だったのが正直なところである。だが実際に来てみれば、全て佐渡が正しかったことを証明するばかりである。
佐渡には、感謝してもし足りないくらいだった。
『――――教えてください』
喜ぶケイたちとは裏腹に、必死な口ぶりで発言を始めたのは、アデルである。
ケイのポケットから花を出して、アデルは堰を切ったように話し始めた。
『周囲の生命体を、死に至らせない。無死の赤花。暗号が解けた者を、この知覚不可領域まで導くための招待状として、あなたは私を人間へ与えました。けれどわかりません。私にはなぜ、そうした無死の力があるのでしょう。私という存在は……いったい何なのですか? あなたなら答えを持っているのでしょう。私を創ったのは、あなたなのですか?』
アトラスの巨大な目玉が、ケイのポケットから覗いている赤花を凝視していた。
長らく黙り込んでしまったアトラスの態度を、ケイたちは奇妙に思った。
≪まさか……………そんなことが…………!≫
これまで淡々とした口ぶりだったアトラスが、初めて感情を露呈した。
≪本当に驚いた。まさか、お前はアデルなのか?≫
『……そうですが?』
≪…………≫
アデルがいることに驚いている様子のアトラス。
何を考えているのか。表情というものがないため、まるで推察できない。
≪……我も奇跡というものを信じたくなってきた。まさか、完全に喪失していたはずの、お前の意識が戻るとは…………予想すらしていなかった。たしかに我は、ヒトにこの真実の世界を見せるため、お前の無死の力を利用した。だがその力は、我が創り出したものではなく、お前が元より持っていた力の残照≫
『……では、あなたが私を創ったのではない。そう言っているのですか?』
≪もちろんだ。お前を創り出したのは我ではない。我には、死を無効化するなどという、神のごとき力を生み出すことはできない。懐かしいものだな、失われし“死の設計者”よ≫
アトラスは、奇妙な肩書きでアデルのことを呼んだ。
『あなたが私の創造主でないとしても、あなたは私のことを知っているようです。なら教えてください。私はどこから来た、何者なのですか』
≪その答えは、我にもわからない。我が知っているのは“かつてのアデル”であり、今のお前のことではない。お前は1度、死んでいる。こうして新たに存在しているお前は、おそらくきっと、過去とは違う別の使命を持って存在しているはずだ≫
『わけのわからないことを言う目玉ですね。ハッキリしてください』
「おい、いつもの調子になるなって!」
『仕方ないじゃありませんか。この目玉の態度が悪いのです』
「んおおい! 俺たちの恩人さんに失礼なこと言っちゃうのやめてね、アデル!」
ああでもない、こうでもないと言い合いを始めるケイたち。
アデルと仲が良さそうなケイたちを見て、アトラスは決断した。
≪君たちが我にとって敵側の存在でないのか確認するために、我がヒトへ与えた、その赤い花を証拠として見せてもらうつもりだった。だがどうやらもう、その必要はなくなったようだ。たとえ君たちが味方であったとしても、実際に“託す”に値する資質があるかどうかは、少し考えるつもりだったが……アデルとうまくやれている君たちには、むしろ託すべきだな≫
アトラスは緩やかに、瞼を閉じる。
巨大な目玉は、機械の塊の中へ再び埋もれていき、見えなくなった。
やがて球体状のアトラスの身体の中央に、大きな穴が開いた。
その中からゆっくりと、何かがせり出してくる。
「……なに、あれ」
サキが呟いた。
出てきたのは、見たところ、大きな冷凍カプセルである。
流線型のフォルムをした乳白色の円筒形。白い冷気を煙のように帯びている。それを、アトラスは自身の身体から吐き出すように露出させた。
「これって……SF映画とかでよく見る、冷凍睡眠カプセルってやつじゃないのかい?」
そんなものが実用化されているという話しを、まだ聞いたことはない。
ケイたちの前に横たわるカプセル。
その中には、眠った1人の少女が収められていた。
白銀の長い髪。雪のように白い肌。薄い桜色の小さな唇は、微かな寝息を立てている。
まるで童話に出てくる眠り姫のように愛らしく、ガラス細工のように華奢に見えた。
白いワンピース姿のまま、凍てついた棺の中で眠り続けている様子である。
「なんだこの子、ありえねえくらい可愛いぞ……!」
「かわいい……本物のお姫様みたい……!」
カプセルの中で眠っている少女。
その周りに群がるケイたちへ、アトラスは告げた。
≪命懸けで、その子を守れ。彼女こそが――――人類にとって“最後の希望”だ≫