10-75 帰還
まるで歯が立たなかった。
トウゴは激しく床を転がり、吹き飛ばされて、コンテナの壁に背を叩きつける。
無様に倒れ伏すトウゴを、建物を包囲するグレインの騎士たちが観戦していた。
「ごはあっ……!」
鼻血と吐血で、口内が鉄さびの匂いで充満する。床に這いつくばりながら、懸命に呼吸を整えた。次に動き出すまで、体力を尽きさせないため、少しでも長く休みたかった。悠然と歩み寄ってくる男は、これまで戦ってきた誰よりも強いのだ。間違いなく最強と呼べるだろう。
床にへばりついたまま立ち上がれないのは、身体のダメージのせいだけではない。恐怖で膝が震えているのだ。その事実を悔しく思いながら、トウゴは、日本刀を携えた最強の騎士、剣聖サイラス・シュバルツを見上げる。
「……こっちは代償覚悟で、魔眼を使う大サービスまでしてるってのに。加速した時間の中でも、俺の動きに合わせてくるとか……どんだけデタラメな強さだよ、オッサン」
「刑務所から逃走する時に、君のその手品は見せてもらっている。自身の時を加速させることで、超高速行動を可能とする力だろう? 下駄を履かせてもらっているとは言え、私のスピードに、そこそこついてこられていることは称賛しよう」
「……笑えねえよ。これが、そこそこってのか? あんた、魔術が使えないって聞いてたのに、まさか時間を操る魔術でも使ってんじゃねえだろうな」
「私に魔術は使えんよ。ただ、人より“マナの流れ”を感じ、制御できるだけのことだ」
「マナの流れだあ? ははん。カールから聞いたことはあるぜ。魔術の別系統みたいな技法、たしか“気”ってヤツか?」
「ほう。粗暴な性格そうだが、それなりの見識はありそうだ。バフェルトの追撃を、今日まで生き延びてこられたのは、伊達ではないか」
「性格が悪くて厳しい機人に、そう仕込まれたんでね。“簡単には殺されねえ”ってことを徹底されたんだよ。敵からすりゃ、弱くてもしぶとい相手ってのは、強敵と同じくらいに厄介な存在だろ?」
必死に強がった態度を取る。
だが、虚勢であることは見抜かれているだろう。
「どうやら。シラヌイが口を滑らせてやがった通り、やっぱりグレイン側は、バフェルトの動きを知ってやがるんだな。なら連中が、最新の生物兵器を結婚式に向けて準備してたことだって、すでに知ってるわけだ。まさか“それすらアルテミアの計画に組み込まれている仕掛け”だってのか?」
「やはり君たちは知りすぎているね。アルテミア様の懸念材料になるのも頷ける。ここで退場してもらうべきだ」
「そりゃ肯定ってことかよ。なら、ブラッドベノムも、アレイスターのグロ顔野郎も、こりゃあ本格的に、誰も彼もが、グレインの手の平の上かもしれねえな。“真の黒幕”はアルテミアかよ……!」
剣聖は刀を構える。
それだけで、トウゴは背筋が凍る思いだ。
さっき。ほんの数分。刃を交えただけのこと。それでも、剣聖の放つ凄まじいプレッシャーが、瞬く間にトウゴの精神をすり減らし、溶解させている。すでにトウゴは汗まみれで、心身ともに疲れ果ててしまっている。対峙しただけで疲労させられるほどの“圧”は初めて体験するものだ。身体を休めるため、何とか会話をすることで時間を稼いでいたが、とっくにその意図は見抜かれているだろう。
「こんな化け物を、どうやって退けた、雨宮……!」
自分の後輩は、以前に剣聖と対決したことがあるのだと聞いている。
どうやって戦い、撤退させたのか。
実物を目の当たりにすると、その方法は想像もつかない。
体力の回復は、まだほとんどできていない。
それでもフラついた足取りで起き上がり、臨戦態勢をとる。
弱っているトウゴを見ていた剣聖が、観察の結果を語った。
「その魔眼、ただの異能装具ではないね。なにせ“時間”という理に触れる力を有しているんだ。最上位クラスの異能装具ともなれば、機人族の製造した至宝級か。それとも先代文明のロストテクノロジーによって製造された異能装具。つまりは聖遺物と呼ばれるものだろう。いずれにせよ、君のような下民の立場で、正規ルートで入手できるものではあるまい。だとすれば、お友達の機人の情報屋から譲ってもらったものかな?」
「へっ。マンガでよくある展開だろ。朝起きたら、自分の性別が変わってたとかよ。朝起きたら、目玉がこうなっていたんだよ」
「答える気はないということか。まあ良い」
剣聖は変わらぬ微笑みの端に、冷酷な気配を覗かせる。
「潰えるが良い」
「――――やらせるかい!」
物陰に隠れて忍び寄ったミスター・ジョーが、飛び出しざまに発砲する。剣聖にとっては死角からの、アサルトライフルによるフルオート近距離射撃だ。普通の敵なら、それで葬れたことだろう。だが剣聖は普通ではない。背を撃たれるどころか、いつの間にかジョーの背後に回り込む。
「はっ! 不意打ちで剣聖を殺れるなんざ、思っちゃいないよ! やんな!」
「おう!」
剣聖がジョーの対処に手を取られた隙を逃さず、時間を加速させたトウゴが行動を始めていた。ジョーの背後に回り込んだ剣聖の、さらに背後をトウゴが取っている。手にした手斧を、強敵の背筋に叩き込もうと振り下ろし、声を荒げた。
「おおおおおおおお!」
「――――笑止」
剣聖は慌てた様子もなく対処する。
身を捩って、超高速のトウゴの一撃を回避した。時間を加速させているトウゴの動きと同等か、それ以上の行動速度なのだ。目を疑う速さである。そして剣聖は回避の動きを利用して、裏拳でジョーの背を殴りつけていた。
「がっ!」
小さな呻きを漏らし、ジョーは前方へ押し出されるようにして、先程のトウゴと同様に吹き飛ばされていく。近くのコンテナの壁に、正面から叩きつけられた。老体のジョーなら即死でもおかしくない衝撃だ。
だが、その身を案じているヒマもなく。剣聖の刃が横薙ぎに放たれ、手斧を振り下ろしているトウゴの両腕を、両断しようとしている。加速した世界の中でも、自身と同等の速度の攻撃を放つ相手に、トウゴは冷や汗をかくしかない。慌てて引っ込めた手は切断を免れるが、掠った剣聖の剣先が、トウゴの左手小指を斬り飛ばした。
「ぐあっ!」
その痛みに怯んだ瞬間を、剣聖は見逃さない。すかさず刃の向きを変えて平突きを繰り出してきた。その切っ先は、たやすくトウゴの肩口を貫き、トウゴの身体を手近な柱へ釘付けにした。
「うっ! があああ!」
肩と指の痛みで、トウゴは時間の加速を解除してしまう。剣聖がトウゴから刃を引き抜くと、トウゴの肩は見る見る間に血の赤に染まっていった。出血量からして、太い血管が傷ついたのだろう。早く処置しなければ、数分のうちに失血死する。
動かなくなったジョーは、絶命しているのか、気絶しているのかわからない。刃で肩を貫かれたトウゴは、出血を止めようと傷口を押さえながら、その場に両膝をついて動けなくなっている。レジスタンスの部隊は、発砲しても無意味だと悟り、もはや完全に戦意を失って立ち尽くしていた。魔術の使い手であるリンネは、剣聖に怯えて、完全に動けなくなってしまっている。
剣聖は、敵陣の惨状を見渡しながら、感想を口にする。
「もう終わりか。面白い魔眼だったが、この程度とは期待外れだ」
自分の目の前で膝をついている、息も絶え絶えなトウゴに向けて、剣聖は刀の先を向けた。そうして変わらぬ微笑みを浮かべたまま、無慈悲に宣告する。
「今、楽にしてあげよう」
刀を上段に構える。振り下ろせば、その一振りは、トウゴの身体をたやすく左右へ両断することができるだろう。絶望的な思いで、トウゴは刃の切っ先を見上げていた。それが視界から消えた瞬間に、人生は終わっているのだ。もはや抗う余力も残っていない。覚悟を決めるしかなかった。
情け容赦なく、剣聖は刀を振り下ろした。
その両手には、トウゴの身体を切断した手応えが伝わる。硬い骨ごと肉を断った、鈍い感触。人の身体を真っ二つに切断したからだろう。トウゴは血しぶきをあげて、臓器を撒き散らしながら肉の塊と化したはず――――だった。
「……!?」
切断されたのは、トウゴの身体ではなかった。
剣聖が振り下ろした、自身の刀の方である。
刀身の中腹で折れた切っ先が、回転しながら床へ突き立った。
「……ったく」
思わず、トウゴは呟いて苦笑してしまう。
安心したせいか、その場に腰を落として、ポケットからタバコを取り出した。血まみれのそれを咥えて火を点けると、青ざめた顔で、強がって微笑みかける。
「おっせんだよ、クソバカ後輩が……!」
「遅れてすいません、先輩」
トウゴと剣聖の間に割り込む位置に、いつの間にか1人の少年が立っている。白髪。クールな眼差し。ジョーから貸してもらった、レジスタンス支給のダークコートを羽織っていた。手にした騎士剣で、剣聖の刃を受け止めるどころか、両断して見せたのだ。
「これは……破剣……!」
剣聖は、冷ややかな視線を送りつけてくる少年の登場に驚き、無意識に微笑みを消す。折れた刀を手にしたまま、大きく後ろへ跳躍して距離を空けた。
――――予期せぬ事態が発生している。
周囲で戦いを観戦していたグレイン騎士たちや、レジスタンスの面々は、唖然としていた。無敵としか思えない剣聖の戦いぶりを見ていれば、ここまで誰もが、その勝利を疑いようがなかったはずだろう。しかし、そんな剣聖の刀を折って見せる第三者が、突然にこの場へ現れたのだ。驚くのは無理もない。だが、当の少年と対峙している剣聖自身は、周囲とは違った意味で驚いていた。
「…………雨宮ケイ、なのか?」
この場に現れるはずがない人物なのだ。
思わず、尋ねてしまう。
騎士剣を手に構える少年。見た目はケイン・トラヴァースに見える。だが、そこから発せられる気配が、知っているものとは違っていた。以前、獣殺競技大会で相対した、あの少年のものなのだ。
少年、雨宮ケイは一言だけを告げた。
「撤退しろ」
「……」
無表情に、ただ警告だけを発してくる。
どう応えたものか。
戸惑いながら、剣聖は口を開いた。
「……驚いていることを認めるよ。ケイン・トラヴァースという器に囚われていた魂を、雨宮ケイの肉体へ戻してみせたというのか。この場に”雨宮ケイが現れる”などという事態は、少しばかり想定外がすぎる」
ケイは何も応えない。
ただ沈黙して、冷淡な眼差しを剣聖へ返すだけである。
……以前に戦った時とは異なるプレッシャー。
それを全身に感じながら、剣聖は苦笑を浮かべる。
「我らグレインが誇る、最高頭脳の1人たるドクター・ドミニクほどの天才が、長年の研究成果を積み重ねて編み出した、魂移送技術。その技法を紐解ける頭脳と技術があったとしても、こんな設備も何もない自動車工場で、いったい何をどうやって……」
「――――そんなの簡単なことじゃない」
返事をしたのは、目の前のケイではない。
その後方、建物の奥から姿を見せた、赤髪の少女だ。
足取りがおぼつかない様子を見るに、どうやら弱っているのだろう。苦しそうに荒い息を刻んでおり、疲れ果てた表情をしている。だが、そこに皮肉たっぷりな笑みを浮かべ、断言してきた。
「グレイン最高頭脳を上回る“超天才”が、この場にいたってことよね?」
「……」
その少女も、以前、獣殺競技大会で見かけた顔である。
昔よりも大人びたその姿と名前を、剣聖は知っていた。
「なるほど……。ジェシカ・クラーク。類い稀な魔術の才に満ちた、かの有名な”雷火の魔女”か。ドクター・ドミニクは、魔人族の魂抽出技術から着想を得たと言っていたが、たしか君は、その魔人族の生まれだったな。にわかには信じがたいが、君が雨宮ケイを元に戻したと言うなら、多少は説得力があるか」
そうは言いつつも、やはり心底、信じられない気分だった。設備もスタッフも無しに、少女がたった1人で、超難解な魔術的な手術を成功させたことになるのだから。
ただの天才ではない。
天才中の天才としか、言い様がない。
アルテミアとは違った意味での、傑物である可能性が高かった。
「まったく。雨宮ケイとその仲間たちは、いつも私を驚かせてくれるな。全てが計画通りに進んでいる今この時、アルテミア様の理想が成就しようとしている瞬間に、こうしてまさかの想定外をもたらしてくる。これまで君たちに敗北していった者たちは皆、その僅かな綻びを甘く見た。故に、このイレギュラーを見過ごす事はできない」
剣聖は、折れた刀を放り捨てる。
観戦していた部下の1人へ、声をかけた。
そうして、新たな代えの日本刀を、投げてよこさせる。
鞘を掴み取り、抜き放った。
「……だが、これは私にとって好都合と考えるべきか?」
自問した。
「仮初の肉体に入れられた魂は、拒絶反応によって自然と崩壊していくものであるそうだ。その崩壊を防ぐため、常に心技体を磨き、鍛え続けていなければならない。ケインに剣術の師を与えたのは、雨宮ケイの魂の崩壊を防止し、長く保管しておくためだ。だが、それは科学者たちに対して私が提案した建前の理由であって、本音は違っている」
剣聖が新たに手にした刀は、さっきまで使っていた普通の刀と、少し雰囲気が異なっていた。紫色の刀身。毒々しい光沢と冷気を帯びている。
「私はいつか、こうして――――再び君と刃を交える機会がくると“期待”し続けていたからだ」
主人であるアルテミアには、とっくにその気持ちを知られていただろう。それでも今日まで、ケインに剣術を仕込むことを拒否せず、黙認してくれていた。ケイン・トラヴァースを鍛えておけば、いつか手駒として使えると、期待してのことかもしれない。アルテミアには打算があったのかもしれないが、好きにやらせてもらえたことには、感謝せざるをえない。
これは性分。
強者と戦い、どちらが強いのかを確かめたい、武芸者としての本能なのだ。それが、気持ちを高揚させていく。強敵との再戦に喜びが湧き上がり、思わず頬が緩んでしまう。
「私の刀を2度も折ったのは、君が初めてだよ。以前に相対した時は、ただの剣術の素人だったな。あの時、何者でもなかった子供は、果たして今、何に成れたのか……その仕上がりを見せてもらうとしよう」
2年ぶりの対決。
雨宮ケイと剣聖は、互いに刃を構えて睨み合った。
次話の更新は月曜日を予定しています。