10-74 守護天使
工場内のガレージに、並べられた2つの寝台。
雨宮ケイの隣には、睡眠薬で眠らされた、ケインが横たわっていた。
意識のない男たちの間には、機械杖を手にしたジェシカが佇む。
ジェシカは虚ろな視線を床に落とし、浅い呼吸のまま集中を続けている。これまでにないほど、意識をEDENの深部へと沈め、そこへ、2人の男から引きずり出した魂を誘導する。雨宮ケイの“空の器”と、ケイン・トラヴァースの魂を、破損なく元の形に組み合わせて、再び雨宮ケイの身体に戻す。その操作は、2つの脳を結合させて、まともに動くように手術するようなもの。一般的な魔術の使い手が、1人でどうにかできる範疇の難易度ではない。本来であれば最先端の魔導具や医療設備、高度な人材を必要とする超難解な作業だ。
だがジェシカは、単独でそれを実行し始める。
「――――分離否定制御、開始――――」
EDENの深層で、ジェシカは2人の魂の形を確認し始める。どこがどう分かたれ、どう組み合わせるのが正しいのか。それを解析する作業である。まだ開始して数秒しか経っていないというのに、ジェシカは全身に脂汗をかき始めている。小さな身体が青白く光を帯び始め、その光はドーム状に、雨宮ケイとケイン、そしてジェシカの姿を覆い尽くしていく。
「……キレイ」
部屋中に広がる青白い光の粒子を見て、感動したリンネが、思わず口にしてしまう。トウゴとイリアも、ジェシカの作業を、固唾を呑んで見守っていた。腕組みをしているトウゴがぼやく。
「……こりゃあ、魂の融合手術って言えば良いのか? トラヴァース機関が、馬鹿デカい研究施設と設備を使って、ようやく雨宮から魂を摘出したってんだろ? それを、こんな何にもねえ自動車工場で、何とかできるもんなのか?」
「ジェシカを信じるしかないさ。彼女ができると言うなら、できるんだろう。それに、こうして雨宮くんを手術する前に、何やら“試したことのあるやり方”だと言ってたよ。なら、予行演習済みってことだろう?」
「試したことがあるって……こんな奇天烈な手術を、どこの誰で試したってんだよ」
「……わからない」
「おいおい、本当に大丈夫なのか?」
「そもそも、こんな非常識なことをやるのは、アークでもジェシカが史上初かもしれないんだ。黙って見守るしかないよ」
脳への負荷が、あまりにも高いのだろう。ジェシカは鼻血を流し始めた。それを心配な思いで、仲間たちは見守り続けるしかないのだ。今は身体に触れるだけでも、ジェシカの集中が乱れてしまうだろう。その乱れは、手術の決定的なミスを生じさせかねない。
――――爆発音と共に、派手に建屋が揺れる。
「!?」
「ああもう、なんだよ! この大一番って時に、どこの馬鹿野郎だ!」
間もなく、工場の入口シャッターの方から、銃撃戦の音が聞こえてきた。レジスタンスが撃ち合いを始めたのだ。ということは、おそらく相手は帝国騎士団である。
「ジェシカは無事かい!?」
「ああ、らしいな!」
ジェシカの意識はEDENの深部まで潜っているため、建物の揺れ程度で集中が途切れることはなさそうである。直接、身体に触れて揺すりでもしない限り、手元が狂うことはないだろう。集中しすぎていて、逆に完全に無防備な状態に陥っているが。
トウゴは、部屋の隅に立てかけて置いたアサルトライフルを手に取る。レジスタンスから譲り受けた銃だ。換えの弾倉がついた防弾ベストを羽織り、イリアへ警告する。
「ここでジェシカを守れ! 誰だか知らねえが、俺は足止めに行ってくる!」
飛び出して行こうとするトウゴを、リンネが呼び止めた。
「フッ、フヒ! 私も、手伝いに行きます!」
「なんだよ、戦えたのか、陰キャっぽい乳デカ姉ちゃん?」
「フヒ! ジェシカちゃんより口が悪いし、セクハラです! 一応、陰キャにも魔術は使えます!」
「へえ。なら頼もしい陰キャだねえ! 一緒に行くぞ、後ろからついてこい!」
「うう。事実だけど、できれば陰キャって呼ばないでくださいぃ……ジェシカちゃんの友達で、名前はリンネなんですぅぅ……!」
トウゴと、半べそをかいているリンネは、手術中のガレージを守るべく防衛へ向かう。トウゴは1度だけ振り返り、イリアへ声をかけた。
「雨宮が起きたら言っといてくれ! これは貸しだってな!」
去って行く2人の背中を見送りながら、イリアは苦笑した。
「生還してから、自分で言いなよ」
◇◇◇
シャッター前の銃撃戦は、熾烈だった。
すでに工場の包囲を終えているグレイン騎士団が、四方八方から建物へ銃弾を浴びせかけてきていた。物量でも、装備の質でも、劣っているレジスタンスの防衛ラインは弱い。防戦一方であり、建物の奥へと徐々に押し込まれ、逃げ道を失いつつあった。
「ミスター・ジョー! このままでは全滅です! 一刻も早く脱出しなければ!」
「今、エンジニアの連中が脱出用の転移装置を起動させているところさね! 死にたくなれば、今は無駄口たたいてないで撃ちまくりな! 男どもは撃つのが得意だろう!」
ジョーが戦線へ檄を飛ばしながら、仲間を鼓舞していた。だがレジスタンスの人数は少しずつ減っていき、刻一刻と状況は不利になっていく。転移装置の起動が間に合うかどうか、微妙な勝負になってきていた。その現実を把握している指揮官のジョーは、内心に冷や汗をかいて焦っていた。それでも今はただ、信じて応戦するしかない。
「!」
物陰から、忍び寄ってきた騎士が現れた。手にしたブレードで、ジョーを斬り付けようとしてくる。だが、その頭を銃弾が横殴りにし、襲ってきた騎士を速やかに絶命させた。
「無事か、ジョーの婆さん!」
「まだいたのかい、トウゴ・ミネオ! あんたのお仲間はとっくに尻尾を巻いて逃げたってのに、酔狂なこったね」
「その憎まれ口にも慣れてきたよ! 俺がいて嬉しいだろ!」
「ハン。こっちはガキの命を盾にしてまで、助かりたいなんざ思ってないんだ。私たち年寄りの命は安いんだよ。まだ若いんだから、私のことを盾にするくらいのつもりで手伝いな」
「なんだ、話してみりゃ良いこと言う婆さんじゃねえかよ!」
背中合わせで、迫り来るグレイン騎士たちに弾を浴びせる。敵のボディアーマは相変わらず強固であり、簡単には射抜けない。甲冑のようなスーツの隙間に弾を潜り込ませるか、正面から大量に浴びせてスタンさせるのだけで、精一杯である。
「かってー! ったく! 相変わらずコイツ等、ターミネーターでも相手にしてるのかと思う頑丈さだな!」
「相手は殺人マシンみたいなもんだ! ちゃんと工夫して殺しな!」
レジスタンスの中でも、明らかに腕の立つジョーとトウゴの存在に、騎士団側も気が付いた様子である。おそらく指揮官が指示を下したのだろう、騎士たちは2人に集中砲火してくる。
「やべえ! さすがにこの物量は、しのぎきれねえ!」
血相を変えるトウゴの窮地を救ったのは、物陰に隠れていたリンネだった。
「――――重力負荷!」
発動した魔術が、飛来する銃弾への重力を増加させ、その場へたたき落とす。到達する前に、目の前で床に落ちて散らばる銃弾を見下ろし、トウゴとジョーはニヤけた。
「重力の魔術か! 良い能力じゃねえかよ!」
「フン。まさか魔術の使い手が身近にいたとはね。冴えない顔のお嬢さんにしては、やるじゃないか」
「うう。褒めて貰って嬉しいですけど、冴えない顔って言うのは余計ですぅぅ……!」
半泣きのまま、リンネはレジスタンスに飛来する銃弾の雨を、ことごとく床にたたき落としていく。そうして重力の防御障壁を展開し、騎士団の銃による攻撃を無力化していった。
――――騎士団の銃撃が、ピタリと止まる。
「……なんだ? 急に攻撃をやめやがったのか?」
「このお嬢さんの魔術で、銃弾が効かないと察したからかい?」
「いや。その程度のことで攻めあぐねるような連中じゃねえだろ、騎士団は」
レジスタンスも、思わず銃を撃つ手を止める。
戦場における敵と味方。攻撃をしないで、互いに睨み合いをするだけという、奇妙な状況になった。誰も言葉を発しないため、ただ怒りと憎しみを、眼差しに込めてぶつけ合うしかない。
静まり返った修羅場に、靴音が響いた。
グレイン騎士団の陣営。その奥から、ゆっくりと1人の男が歩み出てきた。おそらく指揮官だろう。その男は腰に刀を帯びた、あまりにも有名な戦士だった。
「……け……」
その顔に気が付いた、レジスタンスの1人が、悲鳴のように声を上げた。
「剣聖だあ!!」
叫んだ直後、男の頭が宙を飛んでいた。目で追えない速度の、剣聖の踏み込み。おそらく1秒未満の刹那で、レジスタンスの戦線の奥深くへ到達した。抜刀された刀は、一瞬で人間の首を刎ねて、断面から鮮血を吹き上げさせている。返り血をシャワーのように浴びながら、剣聖サイラス・シュバルツは、穏やかな笑みを浮かべていた。
勝てない。
絶対的な確信。
対峙しただけで、格の違いがわかる気配を放っている。
後退りながら、青ざめたトウゴがぼやく。
「クソやべえ……! アイツだけは、絶対にやべえ……!」
レジスタンスの仲間たちの表情には、瞬く間に色濃い恐怖が滲む。相手があまりにも強大な敵であることを、誰もが本能で察知できた。こうなってはもはや、ジョーの命令など聞く余裕などない。
「逃げろ! 殺される!」
「助けてくれええ!」
戦うことを放棄し、逃げ惑い始めたレジスタンス。それらの首を容赦なく刎ねて回り、剣聖は見る見る間に死体の山と、鮮血の海を造り出していく。後衛で待機しているグレインの騎士たちは、ニヤけた顔で、その残酷なショーを観戦しているだけである。
「今度ばかりは、本気で死ぬかもな……!」
剣聖の殺戮を目の当たりにし、やむなくトウゴは、魔眼を使う覚悟を決めた。
◇◇◇
裏口からも、グレイン騎士団は突撃してきていた。正面入口であるシャッター前ほどの激しさはないが、それでも騎士団とレジスタンスの撃ち合いは行われていた。
「こっちにも人がいるぞ!」
銃声の後、誰かの悲鳴が聞こえた。おそらくレジスタンスだろう。グレイン騎士たちが防衛戦を突破し、建物の中へ入ってくる足音が聞こえてきた。
「くっ……!」
ハンドガンを手にしたイリアは、扉横で、壁に背を預けている。緊張した面持ちで、近づいてくる足音に耳を澄ませていた。今このガレージに、戦える人間はイリアしかいないのだ。ジェシカは今も、魂の手術に集中していて、戦闘に参加することなどできない。
つまりイリアが、ジェシカやケイたちを守らなければならない状況だ。
「こんな時、ボクが非力なのが悔やまれるね」
毒づき、無い物ねだりをしても仕方がない。とにかくイリアは、この場に騎士たちが訪れないことを願い、近づく敵の気配に注意するしかなかった。ガレージに踏み込まれた時に、自分1人で騎士たちを撃退できるのか、自信はないがやるしかないのだ。
「死なせない……ジェシカも……ケイくんも……!」
そう呟いて間もなくのことだった。
壁が外からショットガンで撃ち抜かれ――――催涙弾を撃ち込まれる。
「なっ! しまった!」
いきなり部屋に押し入り、銃撃戦をするのではなかった。騎士たちは催涙弾でこちらを弱らせ、抵抗できなくしてから殺しに来るつもりなのだ。見る見る間にガスが充満していく室内。咳き込み始めたイリアは、涙目でジェシカを見やる。
催涙ガスは、ジェシカの集中を途切れさせてしまう。
そうなれば、手術は失敗だ。
「ジェシカ……!」
イリアは意識を失い、倒れて伏してしまう。
直後、騎士たちが銃を構えて、ガレージへ雪崩れ込んでくる。気絶しているイリアはともかく、部屋の中央に佇むジェシカに気付くなり、発砲しようとした。
「レジスタンスに与する者は皆殺しにせよとの命令だ。撃て!」
騎士たちは躊躇いもせず、杖を持っているだけのジェシカに集中砲火を始めた。飛来する雨のような弾丸は、容赦なくジェシカを射貫こうと迫ってくる。
だがジェシカに到達する直前に、全ての弾が虚空で静止した。
「なっ! 馬鹿な!」
「何だ!?」
次の瞬間、室内に突風が吹き荒れる。ジェシカを中心に発せられる強風が、室内のガスを押しやり、攻撃してきた騎士たちへ吹き付けた。
「これは……風の壁!?」
風の防御障壁である。
どう考えても、魔術による防御だ。
「バカな! 術者が現象理論を構築した様子などなかった! なのに、いきなり魔術を発動させただと!?」
「まるで術者の危機を感知して、自動で発動したみたいだったぞ……! 自動発動の防御魔術なのか!?」
「そんなものの使い手がいるなんて、聞いてないぞ!」
「いや、違う! これは……!」
リーダーらしき騎士は、愕然とした。
ジェシカの周りに渦巻く風が埃を巻き上げ、それが、この場に“いる存在”の輪郭を造り出しているのだ。それは実体のない、小柄な少女の形をしている。まるで姿無き妖精だ。ジェシカの目の前に立ち、騎士たちから庇っているように見える。
「あの少女を守っている、何か“生き物”がいる!」
ジェシカは集中を途切れさせず、目を閉じたまま、静かに涙を流す。
「…………ゴメンね、エマ」
目に見えない、目の前の存在に語りかける。
「アタシはお姉ちゃんなのに……アンタのことを、守ってあげられなかった……! 朽ちかけた肉体から魂を取り出して、昔みたいな“形無き存在”として存続させることしか、できなかった!」
≪――――良いんだよ、お姉ちゃん。もう謝らないで。――――≫
姿無き妹は、優しい、愛しい声で答えた。
するとジェシカの周囲を巡る風は強さを増し、津波のように騎士たちに押し寄せた。
強風に吹き飛ばされた騎士たちは、背後の壁に叩きつけられて気絶する。
≪――――私のお姉ちゃんは、誰にも傷つけさせません!――――≫
それは、自動発動型の防御魔術などではない。
常に姉の傍に存在し、姉を魔術で守護する天使。
EDEN上に意識のみで存在する、かけがえのない妹。
ジェシカは涙しながら、懇願するように声を荒げた。
「エマは助けられなかった! でも……アンタは無事に帰ってきなさいよ、馬鹿ケイ!」
間もなく、手術は完了しようとしていた。