10-70 暴力の傑物
10年前――――。
山奥に建てられた、ヴィクトリアン様式の豪勢な館。
高価な美術品に彩られた屋内に、数え切れない召使いたち。
それら全てが企業国王、ミリアム・グレインの所有物である。
執事から夕食の準備が整ったことを知らされ、ミリアムは私室を後にする。1階の食卓へ降りると、そこには純白のテーブルクロスで覆われた、大きな長机が置かれていた。卓上の燭台の明かりが、室内にムードをもたらしている。部屋の隅、暗がりには、護衛として連れてきている剣聖、サイラス・シュバルツの姿があった。後ろ手に手を組み、いつも通り、穏やかに微笑み佇んでいた。
ミリアムはテーブルについた。
相対する席には、年端もいかない、幼い少女が腰掛けていた。
ドレスとティアラでめかしこんだ、美しい桃髪の少女である。
「おお。今宵も何と美しいのだ、アルテミアよ」
相席の少女、アルテミアは上品に微笑んでみせた。
「お褒めにあずかり、光栄でございます。ミリアムお父様」
召使いたちが、テーブルへ料理を運び始める。
最初のオードブルに手を付け、ミリアムは食べながら喋り続けた。
「ここへ来た当初は、みすぼらしい下民の娘でしかなかったと言うのに。それがどうだ。この私が見初め、磨き上げたことで、今では誰もが振り返る、天使も同然に生まれ変わった。まさに生ける至宝よ。私は美しい娘を持てて、幸せだとも」
「感謝しております、お父様」
「フフ。そしてまだ2桁の歳にも満たぬというのに、夜の技量も卓越しているときている。今夜こそは、お前の浅瀬へ根元まで埋めてみせるぞ、アルテミアよ」
「ええ、楽しみにしていますわ」
食卓を囲み、おぞましい会話を交わす偽の父子。
互いに微笑みあい、2人きりの食事は進んでいく。
黙々と料理を食べるミリアムへ、珍しくアルテミアが語り出した。
「……思えば、もう2年。奴隷市場でお父様に買っていただき、この館へ来てから、それだけの月日が流れたのですね」
「うむ。とは言え、不老処置を受けた私にとって2年など、昨日、今日の出来事のように感じるものだがな。この館はお前のために用意したのだ。どうだ、気に入ってくれているか?」
「ええ」
アルテミアは子供らしい、無邪気な笑みで答える。
「この館では、昔のように衣食住で困ることはありませんし。それに何より、多くの“学び”が得られています。奴隷の身だった私にとって、これは大きな収穫。普通では、得がたい環境でございます」
「学びとは?」
「この館の前の主人が残したものでしょう、膨大な書物があります。AIVに電子データ化される以前の時代のものもあり、帝国史以前の著書も数多く遺っていました。おそらく本の収集が趣味だったのでしょうね。この館の図書室の本は、まだ7割程度しか読み込めていませんわ」
「ほう。7割も読んだ……とな? それはその……すごいな。あの図書館には、たしか数万の書籍があったはずだが」
「ええ。お父様のおかげで、毎日たくさんの本を読ませていただいています」
「……」
アルテミアは誇張ではないことを、暗に告げる。
想像以上に勉学に熱心であった娘に、ミリアムは素直に驚いてしまう。
「特に興味深いのは、帝国史以前の文明に関する著書ですね。真王様が統治している、今の帝国社会とは異なる政治制度や、法制度について記述された書物が数多くありました。支配権限を基底に置いた強権支配とは異なる、民主制や独裁制といった――――」
「真王様に統治を委託された我々、七企業国王の統治に勝る政治体系などない。帝国史以前の時代に関心を持つのは結構だが、妙な知恵はつけなくとも良い」
「なぜです? お父様が企業国を治める方法より、優れた統治があっては、都合が悪いからですか?」
「アルテミア!」
度が過ぎている娘の発言を、ミリアムの自尊心が許さなかった。目の前の娘には、余計な知識や知性など必要ないのだ。ただ、小児性愛者のミリアムの性欲を満たす肉人形以上の役割など、求められていないのだから。
苛立ち、席を立って身を乗り出すミリアム。
だが対してアルテミアは、余裕の笑みを浮かべて嘲笑っていた。
「お父様、口から血が出ていますよ?」
「……!?」
言われて、ミリアムはナプキンで唇を拭う。するとそこには、べっとりと自身の血液が付着していた。先程から妙に息苦しい。動悸が激しいのは、娘への怒りが原因ではない。
「ごはっ!!」
盛大に吐血し、ミリアムはその場で膝を折った。食あたりのような吐き気と悪寒。目が充血し、たちまち体調が悪くなっていく。先程までは何ともなかったと言うのに、尋常ならざる事態である。
「ここで学べたのは、本から得られる情報だけではありません。お父様と濃密な時間を長く過ごせましたから、企業国王についても、よく理解することができましたわ」
体内の何もかもを吐き出してしまいそうな勢いで、ミリアムは吐血を続ける。憐れな者を見るように、アルテミアは席を立って、雄弁に続けた。
「真王様より授かる“王冠”は、貴方たち七企業国王が、このアークを統治できるようにするための裏付けとして“異能”を与えます。この世の理を操る、魔術を超えた、真王様と同等の力。その一部は常に、企業国王の肉体を守る絶対障壁を展開していますね。遅効装甲と呼ばれる、接近するあらゆる事象の時間を極大まで遅くすることができる、まさに無敵の盾。人が生み出す武器や兵器では、お父様の肉体に届かず、傷を与えることもできません」
アルテミアは嘲笑う。
「剣や銃弾がお父様の肌に届かなくとも、お父様のお口には、いつでも料理が届いていますよね?」
「これは……“毒”だな……!?」
クスクスと妖美に微笑んでいるアルテミアは、答えない。
毒殺――――。
物理的に傷つけることができない企業国王を殺害するために、アルテミアが用意した攻撃は、それだった。まさか娘に一服を盛られるとは、考えてもいなかった。ただのセックスドールでしかない下民出身の子供に、命を脅かされるなどと、思うはずがなかった。見れば、食事を運んできた召使いたちも、執事も、皆、黙って事の成り行きを見守っている。護衛として連れてきた剣聖ですら、主人の危機を見て動きだすことさえしていない。
この場の全員が、アルテミアの策謀の共犯なのだ。
これは計画された暗殺で違いない。
「最近では、完全に私に油断して、支配権限の指輪をすることもなくなりましたね。私を従わせたければ、王冠の力に頼るしかありませんが……発動できるご体調でしょうか?」
「おのれ、アルテミア……! 奴隷市場から拾い上げ、寵愛してやった大恩を、こんな形で返すつもりだったのか……!? 許さぬ……許さぬぞ……!」
赤い炎が、ミリアムの右腕に迸り始める。それは暴怒卿の王冠の力が生じさせる、実体のない火だ。どうやら、使用者が毒による体力消耗をしているせいで、王冠の形成はできていない様子だ。つまり出力全開ではなく、漏れ出ている火花程度の火力しかないだろう。
それでも放たれれば、このアルテミアを蒸発させる程度の火力は有している。
「アルテミア様……!」
少女の危機を感じた剣聖が、自らの刀の柄に手を伸ばしている。だがアルテミアは動じた様子もなく、涼やかに静止を命じた。
「下がりなさい、サイラス。これは私が挑んだ戦い。助太刀など必要ありません」
「……承知いたしました」
アルテミアは、召使いの1人から刀を受け取る。
それを鞘から抜き放ち、静かに構えた。
「アルテミアぁぁああぁぁああ!!」
炎をまとった右腕を掲げる。残された力を振り絞るようにして、ミリアムは放てる渾身の炎を、アルテミアに向かって放つ。その炎流は押し寄せる水のごとく、アルテミアの姿を覆い潰す。
「――――静剣」
呟き、迫る炎塊へ刀を突き刺す。すると刀身に吸い込まれるようにして火は掻き消え、直後、アルテミアの背後の虚空から、爆発的な勢いで再び炎流が迸る。まるでアルテミアの身体を透過したように、炎はアルテミアの身体をすり抜け、後方にあった壁を焼き尽くしたのみであった。
「バカな……! ぐふっ!」
渾身の炎をぶつけて、無傷で佇む娘。
その姿に畏怖を感じながら、ミリアムは項垂れる。
もはや戦う余力など残されていなかった。
刀を手に佇む、まだ8歳のドレス姿の少女。
燃えさかる炎を背負った姿を見て、剣聖は冷や汗を流した。
「……剣術を教えて、まだ半年程度。なのに、なんと完璧な静剣……。類い希なる剣才と知性を兼ね備えた、天性の王たる器……。私の目に狂いはなかった。貴女様は、間違いなく傑物であらせられます、アルテミア様」
苦痛でうずくまり、もはや身動きが取れないミリアム。
それにゆっくりと歩み寄り、アルテミアは髪を掴み上げ、顔を覗き込んだ。
予期せず訪れた死を確信し、怯え、震えている弱々しい顔が見えた。
その目には明確な恐怖が宿っており、命乞いをしていた。
態度から父親の心境を読み取り、アルテミアは微笑みながら言った。
「殺さないでくれ。ですよね?」
「……ひいっ!」
王を標榜し、父親を名乗っていた男。
その無様な醜態を見ても、アルテミアはなお、優しく微笑む。
「お父様。貴方は真王様から王冠を授かったことによって、ご自身が無敵の存在になられたのだと、勘違いしておられました。だからです。死への恐怖を忘れた者に、死が忍び寄ることは、たやすいのです。こうして死を目の前にして、ようやく学べたご様子ですね」
「わ……私を殺すのか……!? なぜ……!? お前の身体を弄んだからか!?」
「くだらない質問です、お父様」
アルテミアは苦笑する。
「私は女。自分よりも強い男に、慰みものにされるのは仕方がないこと。弱き者が強き者に従うのは、当然のことです。そのことを、恨んでなどおりません。今の私はただ、この世の真理に従い、行動しているまでです」
「この世の真理だと……?」
「あらゆるものは“合理的な暴力”によって支配されるべきだ、という真理ですよ」
アルテミアは断言した。
「歴史を学んで、理解しました。この世界を変革してきたのは、為政者の言葉や理想などではありません。突き詰めれば、いつだって“暴力”だったと言うのが事実です。法律も、理想も、権力も、あらゆるものは暴力によってねじ伏せられ、消し去れてしまう脆弱な力でしかありません。この世に、暴力の有する絶対たる支配力を超える力は、存在していません。それが現実なのです。私は、王たる者には、この暴力を合理的に統制できる知性が必要であると考えるのです」
「いったい、何の話をしているのだ、お前は……!」
「私が、次の暴怒卿になりたいと言っているのですよ、お父様」
「!?」
そう言うと、アルテミアは懐から小瓶を取り出した。青色の液体が入ったそれを、ミリアムに見えるように差し出して見せる。
「これは解毒剤。今飲めば、まだ間に合うでしょう。命を助けて差し上げることができます」
「なっ!」
「ですが、あなたの王冠と交換です。ちゃんと知っているのですよ。ドミネーター・システムについても。私が企業国王になるためには、真王様に認めていただく必要があります。それが基本ですが……あるいはお父様から直々に、王冠を委譲していただくという手段もあります」
「ば……バカな! なぜそのルールを知っている!」
「言ったではありませんか、企業国王についても学んだと。現職の企業国王が身体的不良、あるいは精神的不良によって、職務遂行不可能になった場合に備えた、王冠の移管プロトコルが存在しますよね? もちろん、臨時の企業国王という扱いになりますから、後日、改めて真王様に謁見が必要になりますが。今ここで、それをやっていただきたいのですよ」
「下民の出の、薄汚い娘が……企業国王になるだと……!?」
「今のご自身の姿を、ご覧ください、お父様」
アルテミアは、部屋の隅にあった姿見を指さす。
そこに映った、みすぼらしいミリアムを指さして言った。
「貴方には途方もなく強大な権力がある。人智を超えた異能の力だってある。なのにその全てが、小娘のささやかな暴力の前に無力でしょう? そんな貴方が、王に相応しい人間に見えますか?」
「ぐっ……!」
「こうして簡単に暴力に屈し、殺せる弱い凡百になど、このアークの王は務まりませんわ。ここで早々に引退し、私にその座を明け渡すことこそ、この企業国の国益に繋がるでしょう。きっと真王様も、私が新たな企業国王となることを望まれます。貴方から教わることは、もはや何もないのです。用済みなのですよ」
アルテミアはその場に立ち、足下に這いつくばる王を見下ろして嘲笑った。
「用が済めば、永遠に会うこともないでしょう。さようなら、お父様。弱き王よ」
そうしてその夜、アークの運命を握る若き王が誕生した。
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