3-5 エルフ
怪物紳士は死力を振り絞っての瞬間移動によって、姿を消した。
そうして背後から迫るケイの追跡を逃れ、再び現れることがなくなる。
獲物に逃げられたことを悟ったケイは、早々に攻撃を中断する。
散弾銃に弾を込め直し、呼吸を整えて周囲を警戒する。
2階フロアの3人を見上げて、声をかけた。
「……たぶん、もう大丈夫です。逃げたみたいなので」
ケイは、いつもの仏頂面に戻っていた。
獅子奮迅の活躍で、今しがた怪物狩りを楽しんでいた時とはうってかわり、サキやトウゴがよく知る、後輩に戻った様子である。ただし、その全身は怪物の返り血に汚れた、おぞましい姿だ。
「雨宮くんが、ああ言っているんだ。おそらくもう安全だろう。ボクたちも下で合流しようか」
険しい顔で、ケイを凝視していたサキとトウゴへ、イリアが声をかけた。
2人はひとまず、黙ってイリアの提案に従った。
エスカレーターを下り、1階でケイと合流すると、一同はショッピングモールの入り口へ再び戻る。そこには、濡れたアスファルトの上に倒れ、雨に濡れている佐渡の死体が転がっていた。
「……そうですか。佐渡先生は、やられてたんですね。だから見かけなかった」
ケイは、自分の不在中に何が起きたのか、おおよそのことを察した。
トウゴが、苦々しくケイへ尋ねた。
「このまま、ここに佐渡先生を置いていくのは可哀想だろ。連れ帰ってやらねえと」
「そうですね。けれど、それは帰りにしましょう。今はここに置いていくしかないです」
「……はあ?」
「これから、さらに奥へ進まないと。モール内を偵察してきて、気になる場所を見つけたんです。シケイダを象徴する、セミの紋様が描かれた扉があったんですよ。ここにシケイダがいるという、佐渡先生の予想は間違ってなさそうでした」
トウゴは力任せにケイの胸ぐらを掴み上げ、乱暴に壁へ押しつけた。
額に青筋を浮かべ、怒りの形相でケイを睨む。
「佐渡先生が殺されたってのに、野ざらしにして、まだこの探検ごっこを続けるってのかよ……!」
「……」
「仲間が死んでるんだぞ? しかも唯一の大人が。ただの高校生の俺たちだけで、これ以上なにができるってんだよ。怪物狩りが趣味なんだか知らねえがな。お前……かなり“異常”だぞ?」
トウゴに言い返さず、ケイはただ、悲しそうな顔をして黙った。
一触即発のトウゴを宥めようと、慌ててサキが割り込んだ。
「落ち着いて! やめなよ、トウゴ! 雨宮くんのおかげで、私たちは助かったんだよ?! 乱暴するのは良くないって!」
『その通りです。トウゴ、ケイを放してください』
それまで黙っていたアデルも、ケイの胸ポケットから花を出して抗議する。
『トウゴ、冷静になって、もう一度だけ考えてください。佐渡が死んだということは、あなたたちが服毒自殺に使用する、毒薬の供給源が絶たれたことを意味しています。今ここで探索をやめて引き返したところで、手持ちの毒薬がなくなれば、いずれ服毒自殺することはできなくなります。つまり、眠りと共に管理者に見つかり、確実に殺されることになるでしょう』
「……くっ!」
「残念ながら、アデルの言うことが正論だね。ボクたちはすでに、引き返せない事情を抱えているんだ。雨宮くんの見つけたという扉の向こうへ、進む以外に道がないのさ。シケイダがボクたちを救えるかもしれないという、あるのかもわからない希望に縋ってね」
そう言うイリアは、妙に楽しそうだった。
アデルとイリアに厳しい現実を指摘され、言い返すことができず、トウゴは諦めてケイを放した。そのままケイに背を向け、不貞腐れたように、手近な小石を蹴飛ばす。
心配してくれている様子のサキに感謝し、ケイは佐渡の死体を見下ろして言った。
「……せめて、雨に濡れない場所に死体を運びましょう。先輩が言うとおり、野ざらしにしておくのは可哀想です」
◇◇◇
佐渡の死体を、ショッピングモール内に運び込んだ。そして放置する。
すでに死んでいるとは言え、置き去りにしていくようで気分は良くなかった。
だが、この状況では仕方ない。
それからケイの案内で、一同はモールの片隅にある従業員通路までやって来ていた。通路の最奥には、セミの紋様がスプレー描きされた、鉄扉が見えてきている。たしかに、ケイが言っていた通りである。
トウゴが呟いた。
「……従業員用の、地下駐車場への入り口みてえだな」
扉の上には、そう記載されたプレートが貼り付けられている。
ここに来るまでの間、従業員の姿など見かけてすらいないのだが……。
トウゴは、鉄扉を引いて開けた。
金属の蝶番がこすれる音が響いて、少し耳障りだった。
その先の通路は暗がりだったが、扉が開くのに連動して、天井の電灯が一斉に灯った。
「ここも他と同じで、電気がきてて、普通に稼働してるみたいね」
「誰もいない巨大都市へ、いったいどこの誰が、何の目的で電気を供給しているんだろうね」
この知覚不可領域に存在しているあらゆる施設は、人が利用しようと思えば、いつでも稼働できる状態になっているようだ。いや。むしろ逆で、長らく人々によって利用されてきた施設が、急に人々が去ってしまったことで、放置されたばかりの状態なのかもしれない。
真相は不明のままであるが、考えれば考えるほど、ただただ不気味である。
扉の向こうの通路に足を踏み入れ、先頭になって歩き始めたのはトウゴである。
ケイには目もくれず、イリアとサキに向かってだけ、「行くぞ」と告げる。
冷たい態度で、ケイを当てこするようにしてくるトウゴ。
それを不服に感じているのは、ケイよりもアデルの方だった。
『どうやらトウゴは、何かに怒っている様子ですね』
「……そうだな」
『人間の気持ちというものは、私にはよくわからないもののようです。ケイの行動は合理的でしたし、ケイに命を救われたのですから、もっと感謝して良いと思うのですが。トウゴは何が気に食わないのでしょう。教えてください、ケイ』
「……」
ケイにも、トウゴの気持ちなどわからなかった。
秘密を知られたことで、怖がられたり、気味悪がられることは覚悟していた。
人々の目から隠れて、生きているものの“殺し方”を研究しているのだ。相手が怪物とは言え、そんな人物は、世間一般で言えば異常者。あるいは狂人でしかない。危険人物と思われて、敬遠されるのが当然だ。
だが、こうして怒りを向けられることは予想外だった。
ケイの秘密について、トウゴにとっては許せない事情がある。
今は、それだけしかわからない。
「……雨宮くんって。本当は、すごく強かったんだね」
ふと気が付くと、サキが隣を歩いていた。
「普通さ。あんな強い怪物相手に、立ち向かおうなんて思う人いないよ。私、逃げることしか考えてなかったもん。それを逆にやっつけちゃって、追い詰めちゃうなんて……なんか、漫画に出てくるヒーローみたいだ」
サキは言いながら、少し頬を染めた。
だがケイは、寂しげに微笑み返し、否定した。
「いえ。強くなんてないです。オレは、ただの人間ですから」
真正面から力比べをしたなら、人間が怪物に敵うはずなどない。
これまで対峙してきた、どんな相手に対しても、ケイが力で勝てたことなどないのだ。ただ、立ち回りを工夫してきただけである。
「強くないから、考え続けるんです。相手を冷静に分析し続けて、付け入る隙があれば見逃さない。それを積み重ねていけば勝機が生まれます。あとは運に任せた、出たとこ勝負ですよ。実際のところ、オレは運が良いだけだと思います」
「今まで怪物と戦い続けてきたから、そういう戦い方や、殺し方を学べた。そんなところ?」
サキに言われ、改めて自分の異常性を認知できたような気がした。
ケイは頭を掻いて、苦笑した。
「やっぱりオレ、普通じゃないですね」
「あ。ごめん、そういう意味じゃ……」
「良いんです。先輩たちに知られたら、どう思われるのか。予想してましたから」
ケイは、サキに尋ねた。
「その話し…………オレのこと、もうイリアから聞いたんですよね」
「うん」
「やっぱりそうですか。アイツ、空気は読まないし、口が軽いヤツだから」
サキも苦笑してから、本音を語った。
「浦谷をやっつけた時の、雨宮くんの、あの体捌き……。あれを見た時から、本当はなんとなく、雨宮くんが普通じゃないって、わかってた。たぶん、それはトウゴも同じだったと思う。でも、そのことを認めちゃったら、雨宮くんが、私たちの知ってる雨宮くんじゃなくなっちゃう気がして……怖かった。なんだか雨宮くんが、遠くに行ってしまうような気がして。それが嫌で、私たち、気付かないフリをしてたのかもしれない」
「……できればオレも、このことは知って欲しくなかったです。でも部長や先輩たちを守るためには、仕方なかった。オレ、ああいうのと戦うのに慣れてるんです。だから、オレがやらないと」
「雨宮くんが、私たちの知らないところで、今まで何をしてきたのか、全部は知らない。けど、こうして話しをしていると、雨宮くんは、いつもの雨宮くんだよ。なら少なくとも、悪い人じゃないって、私はわかってる」
サキはケイに謝罪した。
「ごめんね。嫌な感じになっちゃってて。でも、私もトウゴも、雨宮くんがその……怪物狩りなんて危ないことをやってたなんて、知らなかったから。正直、驚いちゃってて。まだ気持ちに整理が付かないって言うか。今はトウゴも何だか怒ってるみたいだけど、きっとそのうち、いつもの感じに戻るわよ。だって、何だかんだ言って助けてもらったんだから。絶対にそれは感謝してるよ。トウゴって、そういうヤツでしょ?」
「……だと良いんですが。ありがとうございます、部長」
サキは優しかった。
励まされて、ケイは素直に嬉しかった。
話しているうちに、ケイたちは地下駐車場へ辿り着いた。
そこはコンクリート壁で四方を囲まれた、広い空間である。
天井を支えるために、無数の支柱が規則的に建ち並んでいた。アスファルトの上に引かれた、駐車スペースを意味する白線も、駐車場の奥まで整然と続いている。広い空間を、僅かな電灯によって照らしているだけのため、光量が足りない。薄闇の中に、いくつかの車両がまばらに駐まっているのが目視できた。
「暗いな……」
トウゴは懐中電灯を点けた。
それに倣って、ケイたちも手にした電灯で周囲の暗がりを照らした。
場内を少し進んだ先で、ケイたちは奇妙なものを発見した。
「なに、これ…………穴?」
「フム。そのようだね」
駐車場の中央付近に、大きな丸い穴が開いていた。直径10メートルくらいはありそうな、真円にくり抜かれた穴である。人工的に掘られたように見える。
トウゴが電灯で、穴の奥を照らしてみる。
だが穴は深いのだろう。闇が深すぎて、底が見えない。
『地下駐車場には、この穴以外にめぼしいものは見当たらないようです』
「みてえだが……。いったい何なんだ、この穴は?」
……遠く、地鳴りのような音が聞こえてきた。
それに気づき、ケイは慌てて声を上げた。
「まずい! 下から何か来ます!」
「!?」
言うのが遅かった。
穴の底から間欠泉のように、無数の触手が一気に吹き出してきた。
それら触手によって、ケイたちは身体を絡め取られ、宙に持ち上げられる。
「しまった!」
「きゃあああああああ!」
穴から吹き出してきたのは、巨大な植物の根。そうとしか思えない、土気色のウネウネだ。吹き出してきた無数の根に遅れて、やがて穴底の方から、本体である花弁部分が這い出てくるのが見えた。
「おいおい、何だよコイツは……!」
巨大な球体の、機械の塊が現れた。ブラウン管テレビや、サーバーラック。パソコンやモデム。新旧様々な、電化製品を寄せ集めて密集させた塊である。奇妙なのは、その得体の知れない金属球体から、ケイたちを捕まえている植物の根が生えて蠢いているという点だ。まるで球根である。
機械なのか。植物なのか。曖昧な存在だ。
「フウ。やれやれ。こいつもまた、新手の怪物なのかな? どうするんだい、雨宮くん」
「おい待て! こいつの頭、みんな見ろよ!」
トウゴが指さす怪物の頭上に――無数の“赤い花”が咲き誇っているのが見えた。
まるで王冠のように、怪物は花畑を戴いているのだ。
その花を、ケイたちは良く知っているではないか。
「まさか……無死の赤花なのか……!」
本体と思われる金属の球体部分。
その中央から、巨大な機械の目玉がせり出してきた。
目玉は、自分が触手で捕まえたケイたちをギョロギョロと見渡し、品定めをしている。
《――――――――悠久の、時間だったな》
やがてどこからともなく、そんな言葉が聞こえた。男の声である。
最初、その声が何者だったのか。ケイたちは理解するのに、時間を要した。
≪長く。長く待ち焦がれ続けていたぞ、ヒトの子等よ》
目玉の傍に生え出ているスピーカーから、声が発せられているのだと気が付いた。だからこそ、その事実に驚愕する。
「マジか……こいつ喋れるのかよ……!」
目玉の怪物は、触手の拘束を緩める。
ケイたちを地面の上に、ゆっくりと下ろしてくれた。
解放されたケイたちは、慌てて怪物との距離を取り、油断なく警戒の目を向ける。
信じがたいことではあった。
だが怪物の物言いを聞いていたケイは、ある予想を口に出す。
「…………お前が、シケイダなのか?」
≪いかにも。我がCICADA3301暗号を発信していた者だ。君たちは、我が呼びかけに応え、この場まで辿り着いたのであろう?≫
自らが暗号の発信主であることを、目玉の怪物は肯定した。
あまりにも予想外な出来事に、全員が言葉を失ってしまう。
発信者が人間ではなく、異形の存在だったとは、思ってもいなかったのだ。
≪我が真名は、アトラス。この地に残る、最古のエルフ≫