10-66 第3治安情報支局長
カリフォルニア州マリン郡。
サン・クエンティン州立刑務所。
1852年に設立された、州内で最も旧い刑務所である。設備の何かもが古めかしい、清潔と言えない施設内には、およそ5万人以上の受刑者たちが収監されていた。
一般の受刑者たちは、鉄格子の中で集団生活を行う、共通房に収容される。だが、周囲へ危険を及ぼす可能性が高い凶悪犯については、個室の牢に投獄され、その中で拘束されていた。
峰御トウゴも、その1人だ。
24時間、眩い光が点灯している牢屋。室内には、不潔な便器以外に、生活設備は設置されていない。トウゴの両腕には手錠がかけられており、それが地面に打たれた杭に、鎖で繋がれている。牢内の移動すら制限された状態で、トウゴは簡素な椅子に腰掛け、タバコを吹かしていた。
牢屋には窓がないため、外が昼なのか、夜なのかもわからない。ずっと光に照らされた牢内では、満足に眠ることもできず。時間の感覚が失われ、ただただ疲弊させられていた。できることと言えば、自分を常時監視している、通路の監視カメラを、ボンヤリと見上げ続けることだけ。暇つぶしにもならない。
牢屋前の通路を歩いてくる足音が聞こえてきた。
トウゴの牢屋の前に現れたのは、金髪の白人だった。
ダブルのスーツ姿で、洒落たビジネスマンのような格好をしていた。だが、そうではないのだと一目で確信させるのは、顔の左半分に負った、酷い火傷の痕跡だ。ただれた皮膚に、剥き出しの眼球。おそらく移植されたのであろう、人工の瞼が付いている。1度見たら、忘れられない顔だ。気味の悪い目玉が、鉄格子を越して、トウゴを見つめてきた。
火傷の男が顔を見せるなり、トウゴはタバコを唇からどける。
そうして苦笑して言った。
「これはこれは。このクソ溜めに、場違いなくらいに上等なスーツ野郎の、ご登場だなあ。そのどぎつい顔は立派なホラーだから、似つかわしくないとまでは言わねえけど」
開口一番に皮肉を浴びせられても、火傷の男は無表情だった。
ただ意外そうに、トウゴが吸っていたタバコを指さして尋ねてくる。
「ここは、たしか禁煙。囚人のタバコの携帯は、禁止されているはずですが?」
「ああ、これか? ここにぶち込まれてからすぐに、ケツを貸せって言ってくるホモ野郎どもが集まってきたんだよ。俺のことを舐めてるみたいだから、軽く捻ってやっただけだ。そんでコレは、そいつらからもらった」
トウゴはニヤリと、不敵に微笑む。
火傷の男は納得し、腕を組んで感心した。
「なるほど。環境への適応能力が高い人材とは聞いていました。刑務所に入れられても、まだ精神的な余裕がありそうです。ここでも十分にやっていけそうですね」
「ハン。ここは移送前の、仮の留置場みたいなもんだ。明日には白石塔の外にある、本格的な帝国製刑務所にぶち込まれるんだと。ここに慣れたって、仕方がねえだろ。アンタの立場なら、そんなことは来る前から知ってたはずだぜ? アルトローゼ王国騎士団、第3治安情報支局長、ザレク・アレイスターさんよ」
名前と肩書きを言い当てられた火傷の男、アレイスターは眉を寄せる。
「……おや? 君の前で名乗った憶えはないのですがね。それでもすでに、私のことはご存じの様子」
「あんたの背後にいる連中についても知ってるぜ。あんた、バフェルト企業国が、アルトローゼ王国に送り込んだスパイだろ? あんたの祖国は、四条院企業国と組んで、ずいぶんときな臭い計画を進めてたみてえじゃねえか」
いきなり鋭い考察を突きつけるトウゴ。それは、自分が持っている情報の正しさを確かめるべく、敢えてぶつけてみた脅し文句である。果たしてアレイスターは驚くのか、焦るのか。どんな反応を見せるのかで、おおよそのことが推察できる。そのはずだった。
だが、さすがは情報支局長と言ったところだろう。トウゴの投げつけたブラフを受け取ることはせず、無表情のまま、無視する。肯定も否定もせず、トウゴに情報を与えるようなことはしない。ただ、感想を口にするだけである。
「……ノーコメントと、言っておきましょう。ただ、君のお友達の、機人の情報屋は、なかなか侮れないのだと、わかりましたよ」
「そりゃ良い。あのオネエ機人は、褒め言葉に弱いからな。きっと喜ぶぜ。今度会ったら、伝えておいてやるよ」
アレイスターは腰の後ろで手を組み、改めて挨拶をしてきた。
「久しぶりです、峰御トウゴさん。日本の形咲町でお会いして以来です。お元気でしたか?」
「お元気でしたか? じゃねえよ」
少し苛立って、トウゴは応える。
「アンタがブラッドベノムに指示して、形咲町でやった生物兵器実験。全部を俺のせいにしてくれたよな。おかげで俺は、最近じゃテロリスト界の若手ホープ扱いだ。米国の入国審査をくぐって、このカリフォルニアくんだりまで来るのにだって、ずいぶん苦労させられたんだぞ?」
「乗り気でないわりには、ノリノリでテロリストの役を演じていたご様子でしたが?」
「与えられた役割に、敢えて乗っかってやってるだけだよ。どのみち汚名返上なんざ、すぐにできっこないんだ。配られたカードで戦うしかねえんだよ。まあ、こっちとしては、この立場の方が、都合が良かったもんでな」
「テロリストとして指名手配されていることを利用し、FBIを通じて、その背後にいるグレイン騎士団と接触をはかろうとした。そういう作戦ですね。結果が、この獄中生活ですか?」
「ムカつくことに、これは想定外。まさか捕まるとは思ってなかったぜ」
「潔く失敗を認めるのですね。君は正直者のようです」
アレイスターは、初めて微笑んで見せる。
そうしてから淡々と、話を続けた。
「では、その潔さに敬意を表して、こちらも正直に教えてさしあげましょう」
「教えてさしあげる、だって?」
「君たちがFBIを通じて、グレイン騎士団にわざと発見させた、あのウイルスの空アンプルについて。率直に言って、当方としては困っています。グレイン企業国にも我々の間者はいますが、今件の作戦に直接介入させて証拠隠滅させるためには、それなりの根回しと時間が必要です。あとは、グレイン側の解析者の能力次第ですが……ある程度は、ウイルスの素性に気付かれてしまうでしょうね。サンプルは全て、形咲町で始末していたはずでしたが。君たちが持っていた空容器の存在については、盲点でした。そもそも君たちが、あの村から生還すること自体、こちらの想定外でしたから。ともかく、私の失態ですよ。今年の査定に響きそうです」
「フン。そりゃあ、ざまあみろだな。俺は捕まったが、作戦は成功してたってわけだ」
「そうですね。ですが幸いなこともあるんですよ」
アレイスターは、冷めた眼差しをトウゴへ向ける。
「――――今さらグレインが気付いたところで“手遅れ”という点です」
「……」
「すでにお気づきと思いますが、我々がウイルスを準備していたのは、アデル・アルトローゼの結婚式に向けてです。つまり、我々が使用するのは数日後。今さら、グレイン側がウイルスの解析を始めたところで、解明された頃には、コトが終わっています。残念ですが、我々の計画を止めることはできません。決死の覚悟で作戦を実行し、こうして捕まって命の危機に瀕しているあなたには、残念なお知らせなのですがね」
その可能性は、元より承知していた。ウイルスの情報をグレイン騎士団に掴ませたところで、対策を講じさせるには、残り時間が少なすぎるという問題だ。レジスタンスのリーダーであるミスター・ジョーも、そのことについては酷く心配していた。トウゴとしては、ミズキの居場所に繋がる情報が得られれば、目的は達せられるため、問題なかったとも言える。所詮、トウゴたちは個人勢だ。カリフォルニアがどうなるかまでは、責任を負いかねるが……何かあれば、寝覚めが悪いことだけは確かだった。
トウゴは動じることなく、ポーカーフェイスで皮肉する。
「ずいぶんと親切に、色々と教えてくれるじゃねえか。ちいっとばかし、サービスが良すぎねえか?」
「もちろん、相応の代金をいただくつもりだからですよ」
そう言うアレイスターの思惑は、1つしか思い当たらない。
当然のそれを、トウゴは言い当てる。
「まあ。口封じのために殺しに来たんだから、当然か。身動きが取れない俺を始末するのなんて、簡単だもんな。せめてもの、冥土の土産ってか?」
「すでに刑務所の刑務官たちは、私の支配権限によって制御済み。監視カメラも、館内マイクも全て、偽装済みです。グレインの駐在騎士の皆さんは、私がこの場にいることさえ知りません。今から君は、ここで“自殺”するんですよ。そういう筋書きです」
アレイスターは、面と向かってトウゴへ殺害予告をする。礼節のある紳士を装っているが、中身は無慈悲な獣同然。そんな血なまぐさい男を見て、トウゴは再び苦笑してしまった。
「あんたの場合、肩書きを利用すりゃ、王国の情報局を動かせるし、しかも汚え仕事をやらせるなら、ブラッドベノムって半グレも従えてるだろ。なのに、わざわざ本人が手を下しにくるとは、少しばかり意外だぜ」
「そこが中間管理職の辛いところですね。私の魔術が、こうした工作に有用ですので。仕事が雑な連中には、任せておけないという、上の判断ですよ。私の仕事は丁寧ですから」
「……クク。好都合なんだよなあ、それ」
「?」
アレイスターは怪訝な表情をする。
今しがたトウゴが、奇妙な発言をしたからである。
「こうして捕まっちまったのは、ウソ偽りなく予定外だ。だから、この後どういう展開になるのか、頭がワリィなりに俺も考えてたよ。実のところ。こうしてヒットマンが送り込まれてくることは、予想できてた」
トウゴは、持っていたタバコを、アレイスターに向かって放り捨てる。そうして、ポケットからもう1本を取り出した。靴底に隠してあったマッチで、火を点ける。
ゆっくりとタバコを味わいながら、ニヤけてアレイスターへ語りかけた。
「んで。さらに、こう思った。そもそも俺の目的は、そっちが誘拐したミズキの奪還だ。アイツの居場所に関する情報を得るために、あんたたちを誘き出すのが、目的だったわけだし。ならこの状況は、ある意味じゃあ、予定通り。ノコノコ、こうやってあんたがツラを出してくれたことには、感謝しねえといけねえ。下っ端にアレコレ聞くよりも、色々とヤバい情報にも通じてるあんたがこの場に来てくれたことが、好都合だって言ってんの」
不穏な発言をするトウゴ。ここで、アレイスターのことを待ち構えていたのだと、そう言いたそうな口ぶりである。
「……この状況で、君が私に何かできるとでも言いたそうです」
「いいや。手も足も出ねえよ。見りゃわかるだろ」
トウゴはタバコを咥えたまま、両手の手錠を掲げて見せてくる。ついでに、自分の左眼に取り付けられた、機械式の眼帯も指さして言う。
「あんたが俺を暗殺するってんなら、このまま俺は、何もできずに死ぬしかねえって。それに見ろよ。俺の切り札である魔眼も、この通り妙な装置を取り付けられて、封じられちまってる。ここで鎖に繋がれながら、あんたをどうにかできる方法があるなら、教えて欲しいくらいだっての」
ますます、わけがわからなかった。
トウゴの現状認識は正しい。牢屋で鎖に繋がれながら、暗殺にきたアレイスターを、この場で返り討ちにすることなど不可能だ。なのに、この余裕の態度は何だというのか。
「ところで、だ。グレイン企業国、アルテミア・グレイン卿の直属隠密機動部隊“シラヌイ”。あんたも社会の裏側を這いずってる外道の1人だ。なら、聞いたことくらいある名前だろ?」
「……?」
唐突にトウゴは、これまでの会話と無関係なことを尋ねてくる。返事を待って、黙っている様子のトウゴに呆れながら、アレイスターは応えてやった。
「……暴怒卿に陰ながら仕える、100人の精鋭忍びの部隊。各地で、暗殺を含めた秘密工作を行っているという噂ですが、いまだ実態の掴めない、謎多き兵士たち。実在しないと考える企業国もいますね。所属する者は人の扱いをされず、捨て身の消耗品と化す、とか。生まれた時から個人名を与えられず、部隊の全員が同じ“シラヌイ”の名を共有しているという、気味の悪い噂も聞きます。それがどうかしましたか?」
「さすがは情報支局長。真偽が定かじゃない噂話についても、博識じゃねえかよ」
トウゴはパチパチと、わざとらしく手を叩いて笑んだ。
手錠と鎖が、ジャラジャラと音を立てる。
不敵な笑みのまま、アレイスターを指さした。
「俺の他にも、あんたから情報を得たいヤツがいてね。そこのシラヌイのお嬢さんも、アンタが来るのを、ここで一緒に待ってたんだぜ?」
「!?」
トウゴが指さしたのはアレイスターではない。
正確には――――その背後だ。
いつからそこにいたのか。アレイスターに気配さえ掴ませずに生じた後ろの影は、体格からして少女だ。全身、漆黒のラバースーツ。いかにも工作員の戦闘装備だ。長い黒髪をサイドテールでまとめており、頭には複数の簪を差している。
少女はアレイスターの腕を捻り上げ、足払いをする。手際良く、倒れたアレイスターを、その場で組み伏せて、身動きが取れないようにする。
「がっ!」
アレイスターは呻き、不潔な床に、顔を擦りつける。少女はその背中に馬乗りになって、右腕をねじり上げた。関節を極められたアレイスターは、床に伏せた格好で動けなくなってしまう。
タバコを吸い終えたトウゴは、ゆっくりと鉄格子の傍に歩み寄った。
シラヌイに組み伏せられたアレイスターを、冷めた目で見下ろして言う。
「まだ殺すなよ? 俺もそいつには、聞きたいことが山ほどあるんだ」