10-61 残留記憶
「どうして、雨宮がここにいるんだ……!」
目の前に現れた刺客。
その見覚えがある容貌に、トウゴは激しく動揺していた。
同時に、激しい怒りも胸にこみ上げてくる。
「おい……お前は今、アデルの護衛として、アイツと一緒にいなきゃいけないはずだろうが! 一時でも、お前がアルトローゼ王国を離れることの、戦略的な意味がわかってんのか!」
アルトローゼ王国にとって、雨宮ケイの存在は、他国への“抑止力”だ。企業国王たちの王冠の力に、真っ向から対抗できる唯一の武器、原死の剣の使い手である。王国に雨宮ケイがいてこそ、他国は簡単に侵略を仕掛けることができずにいる。アークの世は今、そうした軍事バランスになっているのだ。
つまり雨宮ケイの不在の期間が生じれば、それは王国に、存亡の危機が訪れていることに他ならない。アデルたちが、危険にさらされるのだ。そのリスクを取ってまで、トウゴの追跡に乗り出してきたというのは、あまりにも理にかなっていない。
「こんなところで、俺なんかのケツを追ってきてる場合かよ!」
トウゴの発言を聞いた刺客の少年は、少し驚いた表情を返す。
だがすぐ、面倒そうに溜息を漏らして言った。
「やれやれ……。まさかアンタも、俺のことを雨宮ケイだと勘違いする口なのかい?」
「勘違いだ? どういうことだよ、そりゃあ。俺がお前を見間違えるわけがねえだろ」
「初対面のテロリストにまで見間違えられるなんて、よっぽどだな。けどコッチはいい加減、その質問にウンザリしてるんだ。自分じゃないソックリの他人が、俺の身の周りへ浸透しすぎてる。本当、度が過ぎてるよ」
「初対面って……お前、俺が誰だかわかってねえのか?」
少年は皮肉っぽく肩をすくめた。
「悪いけど、オレにテロリストの知り合いはいない。帝国社会が気に入らないからと言って、アデルさんの結婚式を狙い、生物兵器をバラ撒こうとするような卑劣なヤツには、特にな。この白石塔の中に住んでるたくさんの人たちを、テロの巻き添えにしても構わないと、そう考えての計画を立ててるんだろ? 帝国のやり方が気に入らない以前に、やってることは、そっちの方が最悪だ」
少年は騎士剣を構え、トウゴを鋭く睨み付けてくる。
「2度と間違えるな。オレの名前は――――ケイン・トラヴァースだ」
「!」
ケインと名乗る少年の、鋭い踏み込み。トウゴの予測よりも、数段に早い。一瞬で接近を終え、下段から刃を斬り上げてくる。かろうじてその斬撃をかわせたトウゴだったが、頬には浅い切り傷が生じる。掠ったのだ。
「くっ、問答無用かよ! ガチで、他人のそら似だってのか……!」
見たところ、ケインは銃器の類いを装備していない。得物は騎士剣だけに見える。今の斬り込みの速度と鋭さを考慮すれば、おそらくは飛来する銃弾を、斬り払えるレベルの技量だ。だがトウゴの知る、雨宮ケイほどの攻撃スピードではなかった。それでも、そこそこ強いのは間違いないだろう。銃の交戦距離を保つことは難しい。今は遠距離武器よりも、近接武器に切り替えて戦うべきだ。
瞬時に戦術を組み立て終える。
トウゴは腰に提げたホルスターへ、ハンドガンをしまい込む。すかさず、隠して背負っていた、手斧を取り出した。斬り上げから立て続けに繰り出してきた、ケインの上段攻撃を受け止める。
ケインは感心した態度である。
「情報にはなかったけど、近接戦闘もやれるのか?」
「お前みたいに、剣だけで銃とやり合えるような使い手が相手だと、銃は不利なことが多いんだ。それに、お前みたいなのとやり合えるようになるため、コッチはかなり鍛えてきてるんでな」
「……戦況分析が早い。なるほど。たしかに、ただのテロリストってわけじゃないらしい」
「さっきから上から目線で偉そうだな!」
トウゴはケインの剣をはじき返し、攻勢に出る。
「どう見ても、こっちの方が年上だろ! ちっとは敬えよ、後輩!」
トウゴの手斧の攻撃を、ケインは剣の刀身で受け流し、捌いていく。
刃を交えながら、ケインは苛立った。
「馴れ馴れしい! 学友でもあるまいし、アンタみたいなのを先輩扱いするわけが――――!」
皆まで言う前に、激しい頭痛がケインを襲う。
視界に砂嵐のようなノイズがチラつき、目眩がした。
堪らずケインは飛び退き、トウゴから距離を取った。
激しい頭痛を噛み殺しながら、顔色悪く、ケインは呻いた。
「なんだ……この記憶は……!」
脳裏に、妙な映像がチラついた。知らない学校にいて、知らない生徒たちと生活する自分。花が生えた奇妙なスマートフォンを手に、深夜の廃墟へ忍び込む。ビデオカメラを手にした少年と、メガネの少女と共にだ。
ありえない。存在しないはずの記憶。
峰御トウゴと対峙していると、それらが思考に付き纏う。
「怯んだ、のか……?」
なぜか、急に苦しそうな顔をしているケイン。
それに気付いたトウゴは、攻撃の手を止めて、怪訝に見る。
「よくわかんねえが、こりゃ脱出のチャンスだよな」
最初から、戦闘は最低限にするつもりだった。今はジョーたちとの作戦のために、逃走することが目的なのだ。ここで捕まるわけにはいかないから、やむをえずケインと刃を交えている。相手を手負いにして、追跡できないようにすれば上出来だった。
ケインを警戒しながら、トウゴは再び逃走を開始しようとする。煙幕の中に戻り、複雑に入り組んだ市街地の路地を通り抜け、仲間たちと事前に決めておいた合流地点へ向かうのだ。そちらへ足を向ける。
だが、予期せぬ方角から銃声が発生し、弾がトウゴの肩を掠めていく。
「チッ!」
見れば、向かおうとした煙幕の中から、メガネの少年が飛び出して、ハンドガンを撃ってきた。戦闘には慣れていない様子で、銃把を握る手を震わせている。当然のごとく、銃の狙いも外れている。
「もう仲間が追いついてきたってか。動きがはええじゃねえか……!」
「遅れてゴメン、ケイン! 無事!?」
新手は銃を持っているが、射撃の腕は悪い。そのうえ、具合が悪そうなケインのことを心配し始めた様子だ。進路を見るに、ケインの傍へ駆け寄ろうとしている。目の前のトウゴへ、集中しきれていない。軽く小突いておけば、そのまま体勢を崩して、追跡してくることを諦めるだろう。素早く計算を終えたトウゴは、現れたメガネの少年めがけて突撃していく。
「ひえっ! くるの!?」
トウゴは、足下に落ちていた石を拾い上げ、それを少年の顔をめがけて投げつけた。真っ直ぐ、目に当たる軌道で飛来するそれを、思わず少年は目を閉じて避けようとした。その一瞬の隙をついて、トウゴは煙幕の中に飛び込んで姿を隠そうとする。
「――――逃がさないッス」
「!?」
伏兵に気が付いた。
トウゴが飛び込もうとした、煙幕のその向こうに、待ち構えていたもう1人の新手が潜んでいた。おそらくメガネの少年を先行させることで、トウゴの油断を誘ったのだろう。ケインの援護として現れたのは、弱そうな1人だけだと錯覚させたのだ。
攻撃の射程に入ったトウゴを睨むその顔は、少女である。長い黒髪をサイドテールでまとめており、頭には複数の簪を差している。
迂闊にも、得体の知れない敵と、無防備で遭遇してしまった。
危険が極まる状況を即座に理解し、トウゴは青ざめた。
「しまっ――――!」
「もう射程内! 遅いッス!」
少女、シラヌイは不敵に笑んだ。
「――――錐雨!」
魔術が発動する。シラヌイのかざした手先から、複数の水滴が生じた。水滴は鋭く、硬く変質し、細い針の雨と化して、トウゴの両脚の腿を貫いた。無数の針に射貫かれ、パンツの腿に、点々とした赤い血しぶきの後が滲む。
「があっ!」
射貫かれた衝撃と痛みで、トウゴはスタンする。
その場で立ち止まって、両膝を落とした。
銃弾ではなく、極細の水の針で、身体を貫かれた。それは初めて味わう類いの痛みである。刺すような鋭い痛みが迸ったものの、肉体が大きく損傷したわけではない。水針を打ち込まれた後でも、足を普通に動かすことはできた。だが、細かく貫かれた痛みは深く残留しており、まるで痺れたような、不快な苦痛を感じた。
「水滴を、針みたいにして飛ばす魔術だと……!」
遅れて駆けつけたメガネの少年が、トウゴの後頭部にハンドガンの銃口を押しつけてくる。
「クソッタレ……やらかしちまったかよ、こりゃ……!」
どうやら逃亡に失敗してしまった。
それを察したトウゴは、両手を挙げる。
一応、建前上のトウゴは、生物兵器テロを目論む危険人物ということになっている。実際のところ、それはブラッドベノムという、日本の半グレ組織ではあるのだが、この場で事情を話したところで、信用などされないだろう。今この場で、FBIやグレイン騎士団に殺されないようにするためには、反抗的な態度を取らないことだ。忌々しいことだが、こうなってしまっては大人しくするしかない。
シラヌイが、トウゴの両腕に手錠をかけてくる。
そうして、メガネの少年に微笑みかけた。
「ナイスな、アシストだったッスよ、サムくん」
「いや、僕はテンパってただけだよ。ケインも具合が悪くなってるみたいだし、これは全部“シラヌイちゃん”の手柄の、おこぼれに預かっただけな気がするけど」
「……!」
メガネの少年が、少女の名を口にした途端、トウゴは驚いた顔をする。
自分の脚を魔術で撃ち抜いてきた相手の顔を、トウゴは慌てて見上げた。
「お前、シラヌイって……!?」
「おっと」
何かに気付いた様子のトウゴ。そのみぞおちに、シラヌイはすかさず、強烈な蹴りを見舞った。皆まで言葉を発することができず、トウゴは口を閉ざした。急所を蹴られ、胃の中のものが逆流してくるような嫌悪感と苦しみに悶える。蒼白な顔で、悶絶し続ける。
「シラヌイちゃん……?」
「あ、サムくん。今、峰御トウゴが銃を手に取ろうとしていたッス。すかさずキックしたッスよ」
「そ、そうだったの!? やっぱりテロリストって、油断も隙もないんだね!」
「……ぐぅ……!」
咳き込みながら、トウゴは忌々しそうにシラヌイの顔を見上げていた。
「…………どうやら、状況はますますややこしくなってきてやがるな」
息を切らし、そう呟くのがやっとだった。