10-58 ウォッチドッグ
米国合衆国カリフォルニア州。
南部にある湾岸都市は、ロングビーチと呼ばれている。
太平洋岸で最大の港湾であるロングビーチ港には、数え切れない貨物船が、毎日のように来港する。荷下ろしされるコンテナは、大山のように積み上がっており、それを捌くクレーンとトラックが、慌ただしく動き回っていた。港勤めの作業者たちは、とても忙しそうだ。
無数にあるコンテナ倉庫の1つに身を潜め、眼帯の男が、コソコソと外の様子をうかがっていた。閉めきったシャッター脇にあるドア。その小窓から、覗き込むようにして上空を見上げていた。白い雲がたなびく、美しい青空。そこへ目を凝らせば、いくつかの小さな黒い点が確認できる。AIVは、その黒点を捕捉するなり、拡大画像をウインドウ表示させてくる。
滅入るような気分で、トウゴはぼやいた。
「まったく……。ここは白石塔の中だってのに。アークの都市監視用の偵察無人機まで持ち込んできてんのかよ。街のどこもかしこも、監視の目だらけ。有名な観光地のロングビーチに来たってのに、まるで帝国都市にいる時みたいな息苦しさだぜ」
トウゴのすぐ近く。シャッターに寄りかかって座り込んでいる男が、瓶ビールをあおっていた。兄のユウトは、スナイパーライフルを片手に抱きながら、酒臭い口に笑みを浮かべる。
「さっすが、アルトローゼ王国のお姫様。その結婚式にもなると、警備の力の入れ方も、普通じゃないんだろう。コレ全部、1週間後に行われる式のための増員強化だよな?」
「間違いないだろうぜ。無人機だけじゃなく、どこの通りを歩いても、必ず騎士団にぶち当たる。警備のために置いてる兵隊の数が、エグいレベルだって」
「はーん。たしかアデルちゃんってあの、頭から花の生えてた、不思議ちゃんだったよな。それがずいぶんと出世したもんだよ。今は、16歳くらいだっけ? なのにもう結婚だなんて、早いこったぜな」
「……そういやアイツ、実際には何歳なんだろう。生まれが特殊だから、年齢もハッキリしてねえな。富士の樹海で拾われてからって考えれば、人間で言えば7歳か?」
「おいおい。あの身体付きで、そりゃ無理があるだろ」
「どうだかな。そもそも人間の常識に当てはめて考えて良いのかもわからねえよ。アイツ、本体は頭の花で、人間じゃねえんだからさ」
「フーン。けど、友達なんだろ?」
「ああ」
迷わず断言する。
だからこそ、トウゴは険しい顔になる。
アデルが結婚する相手は、あの四条院家の人間だ。しかも東京都を壊滅に追いやった、あの四条院キョウヤの弟、アキラである。アデルがそんな男との結婚を、自ら望んだとは、どうしてもトウゴには思えないのだ。
しかし今の彼女は、アークにおいて企業国に匹敵する勢力を持つ、大王国の主となっている。そうした立場にもなれば、私的な気持ちより、政略を優先させなければならない立場に陥っているのかもしれない。望まぬ結婚であるなら、きっとアデルは悩み苦しんでいるだろう。それを思うと、少なくとも素直に祝う気持ちになどなれはしない。アデルのすぐ傍にいながら、力になってやれない、雨宮ケイにも腹が立った。
だが今は、そうした個人的な感情は抑える。
トウゴが注力すべきは、アデルのことではないのだ。
飛び交っている無人機の数に辟易して、溜息を吐いた。
「こりゃあ……俺たちみたいな帝国のお尋ね者は、迂闊に外を歩くこともできねえ状況だな。空でも見上げようものなら、すぐにでも顔認識されて、騎士団に通報されちまう」
「東京を出てから、帝国騎士団の追跡を逃れ続けて、せっかくこうしてカールとひっそり生活してたってのに。見つかったらまた、昔の逃亡生活に逆戻りってか? できれば、そりゃ勘弁だなー」
「気をつけろよ、兄貴。兄貴は常日頃から迂闊なんだから」
「うーい。けどまあ、今回の場合はバレても良いんだろ? なんせ“おびき出す”のが目的なんだからさあ」
意味ありげに、ユウトが横目で視線を送ってくる。
その表情には、ニヤリとした笑みがあった。
トウゴは肯定した。
「ああ。この作戦のために、俺の方は、敢えて名前をチラつかせているからな。今のところ死んでると思われてる兄貴やカールはともかく、おかげで俺は、また逃亡生活へ逆戻り決定だよ。どのみち日本にいた時から、ブラッドベノムを通じて、バフェルト企業国に目を付けられてる。今さら仕方ねえんだけどな」
「まあ、たしかに身バレしまくってるから、今さら無関係を決め込むのは無理だよなー。生かしておくと面倒だから、俺なら絶対に殺したいと思うし」
「だろ? 連中からすれば、俺はウイルスについて知りすぎた厄介者。それがまだ生きてるんだから、もちろん警戒して探している。俺が動けば、否応にも目立ってバレるんだ。今頃、俺がこうして渡米してきてることも、バフェルト側はバッチリ気付いてるだろうよ。ミズキを追いかけてきてるのもバレてるだろう。だからこそ“俺はおとりに使える”んだよ」
「理にはかなってるが、損な役回りだなあ、弟よ」
「そう思うなら代われっての」
「イヤなこったぜ。ミズキちゃんは俺の女じゃなくて、お前の女だろ。俺がそこまで体張る理由はないねー」
「俺の女でもねえって……」
「はあ? どうでも良い女のケツを追いかけて、危険を冒してアメリカくんだりまで来るかよ。誤魔化すなって、ブラザー」
「いや……そんなんじゃねえっての」
「まあ心配すんな。俺は弟を見捨てたりはしねえからよー」
言いながらビールを飲み干す兄を、トウゴは呆れ顔で見やっていた。だが気を取り直し、トウゴは咳払いをして語った。
「ともかくだ。カリフォルニア州。このバカみたいに広い地で、ミズキを探し出すのは至難な業だ。こっちから見つけようとするよりも、ブラッドベノムの連中の方から出てくるように、仕向けるのが得策だろ。だからこうして、連中が食いつきたくなるような“俺というエサ”をチラつかせて待ってんだ。わざわざ密入国したことがバレやすいように動いてだ」
「手ぐすね引きながら、このクソ暑苦しい倉庫で、作戦に引っかかってくれるの待ちだろ? しっかしなあ。俺たちはミズキちゃんの救出のために渡米してきただけだぜ? なのにあの“ミスター・ジョー”の手伝いまですることになっちまうとは、思ってなかったぞ」
兄の口から聞いた名前を聞いて、トウゴは苦笑する。
「ミスター・ジョー。……内世界を隠れ家にして活動している、反帝国組織の幹部だったっけ? 情報屋としてのカールから、いつも帝国の情報を買ってる“お得意さん”だとか。あんなのと知り合いだなんて、ホント、カールは蛇の道に通じてるよな」
「カールの紹介ではあるんだけどよー。なんつーか、レジスタンスの連中に関わるのは気が引けるぜ。アイツ等、常にやられ役で、ピグミンみたいじゃん? いつもどこからともなく際限なく湧いてきて、帝国に威勢良く逆らうけど、必ず最後は貴族たちに虐殺されるパターンの連中っつーか。死亡フラグがビンビンの、弱っちい奴等の厄介事に巻き込まれた感じがする」
「そりゃさすがにちょっと失礼な言い方じゃね……? まあ、しょうがねえだろ。ブラッドベノムに対抗するには、俺たちだけじゃ人手が足りねえんだ。事情を話したら、すぐに協力してくれることになった。人手を貸してくれて、こっちが一暴れするのに協力してくれるってんなら、願ったり叶ったりだろ」
トウゴに諭されながら、それでもユウトは不服そうだった。
小さく舌打ちをする。
「企業国の暴挙から下民を守る“人権屋”を標榜してる連中だよな。この白石塔内で生物兵器が使われるのを阻止する任務とやらに、協力しろって、上から目線なのも気にくわん。俺は元自衛官だが、軍属でも手下でもねえっての」
「利害が一致する間は、お互いに協力するしかねえよ。それに、ミズキだけじゃなく、これは世界を救えるかもしれねえ仕事になってきた。バフェルトと四条院の悪巧みをぶっ潰す。なら、悪い仕事じゃねえだろ」
「まあな。それに加えて、十分な報酬がもらえんなら、俺は文句ねえよ。イヤなのは“協力関係”だから、レジスタンスを手伝ってもタダ働きってとこだ。ったく。酒代にもなりゃしねえじゃん」
むしゃくしゃしたユウトは、空になったビール瓶を放り投げる。
瓶は最寄りのコンテナにぶつかって、粉々に砕け散った。
その音が消えた後に、トウゴが持っていた無線機に連絡が入る。
『トウゴちゃん、ユウトちゃん。外に動きがあったわ。来てちょうだい』
聞こえてきたのは、カールの声だった。
◇◇◇
ロングビーチ港の敷地は広大である。3万以上のコンテナが山積みできる土地があり、数千を超える倉庫が建てられている。たとえ倉庫の1つに、テロリストたちが潜んでいたとしても、目星がついていない限りは、発見することは困難だろう。
第702番倉庫――――。
トウゴたちが潜んでいるのは、数ある倉庫の中に紛れた1つだ。
屋内に山積みにされた貨物の隙間が、入り組んだ通路のようになっている。そのところどころに、防弾チョッキとハンドガンで軽武装した、レジスタンスの兵士たちが歩哨として立っていた。すれ違いざま、彼等に挨拶をしながら、トウゴとユウトはコンテナの脇を進んでいく。
やがて開けた場所へ出ると、そこには、木製のテーブルを囲んで佇む、リーダー格たちの姿があった。全部で3人。防弾チョッキを着ているカールと篠川の2人は、よく知る顔だ。もう1人、あまり見慣れない老婦人こそが、ユウトの頭痛のタネである。
「フン。呼び出しに対して、2人とも、ずいぶんと遅いご到着だ。緊急事態だってのに」
帝国解放戦線、南米統括リーダー。
彼女こそが、ミスター・ジョーだ。
ミスターと呼ばれているが、実物は女性である。痩せこけた頬に、枯れ木のように細い身体。一見して、シワだらけの白人の老婆にしか見えないが、まるで鷹のように鋭い目をしている。タバコをくわえ、ショットガンを肩に担いでおり、さながら老兵である。
「はん。嫌味だねえ、ミスター・ジョー」
「ユウト・ミネオ。知らないのかい? 日本じゃどうだか知らないけれど、戦場じゃノロいヤツは真っ先に死ぬんだよ。足手まといになるなら、容赦なく置いていくからね」
「ま、まあまあ、ジョーさん」
険悪な雰囲気で睨み合うユウトとジョー。それを仲裁しようとするのは、やはり人当たりが良い、篠川である。防弾ジャケットを羽織り、アサルトライフルを肩に提げていた。嫌味の言い合いに興味が無いトウゴは、篠川とカールに目を向ける。
「篠川さん。状況は?」
「こっちの予定通りだよ。流した情報に、グレイン企業国の勢力が食いついてくれたらしい。この際、僕たちのことは“峰御一派”とでも呼べば良いのかな? この港で、レジスタンスと新型生物兵器の“秘密取引”をするという情報を嗅ぎつけ、FBIが集まってきたようだね」
篠川の説明の直後、カールがトウゴのAIVに監視カメラ映像を送りつけてくる。それは港の各所に設置されたカメラを、ハッキングして横取りしたリアルタイム映像だ。装甲車と、黒いセダン車の一団が、港内を走っている。どうやら行き先は、トウゴたちが潜伏している、この倉庫のようだ。
普段と変わらないバーテンの格好で、機人の男は、上品に腕を組んで言った。
「ご覧の通りよ。彼等の到着まで残り5分。完全包囲するのに、プラス1分ってところかしら。こうして嗅ぎつけられた以上は、さっさとこの場を引き払わないとね」
愛想笑いもなく、ジョーは懐からアンプルを取り出した。
中身が空のそれを見て、険しい表情で告げる。
「私たちレジスタンスは、トウゴ・ミネオとの取引の最中、FBIがやって来たことを察知した。そうして、捕まる前に慌ててこの場を逃げ出した。それが作戦の筋書き。このウイルスが入っていた空アンプルを、誤って、この場に落として行ったように見せかける」
トウゴが補足説明する。
「そうして、FBIの背後にいるであろう、グレイン騎士団の連中に、ウイルスの存在を知らせるってわけだ。一見して、生物兵器テロを企んでるのは俺やレジスタンス連中に見えちまうが、アデルの結婚式に向けて、カリフォルニア州全土にウイルス兵器が使われる可能性があることを警告することができる。ずいぶんと遠回りな警告だけどな」
「そうね。そして新型ウイルス兵器の存在が表沙汰になることを好まない、ブラッドベノムの連中は、コトが大きくなる前に、火消しのために姿を見せるはず」
「そうすりゃ、ふん捕まえて、ミズキの居場所を吐かせることもできるわけだ」
作戦に感心したユウトが口を挟んでくる。
「しっかし、ミズキちゃんに投与されたウイルスの、保管容器を再利用するとはねえ。考えたもんだ。容器には微量なウイルスの痕跡が残ってるしな。俺たちがここをずらかった後に、FBIにそいつを発見させるなんて作戦を閃くあたり、やっぱカールは頭が良いよなあ」
「お褒めにあずかり光栄よ、ユウトちゃん。でも、本当は素直に容器を渡して、通報できれば良かったんだけど。今ここにいるのは、誰も彼も、帝国に追われる立場。私たちみたいな帝国のお尋ね者が、直接に騎士団へ情報提供しても信用してもらないだろうし、彼等が自分で探り当てた風にしてあげれば、幾分か反応も違うでしょうっていう、苦肉の策よ。我ながら、スマートじゃないわねえ」
「フン。まだグレイン騎士団が、バフェルトと組んでいないって保証もないんだ。帝国の奴等なんて、1人として信用できやしない。作戦がうまくいくかは、賭けだよ」
「わーってるよ。水差すなって、ジョーのばあさん」
「本気で置いていかれたいのかい、若造?」
「イヤなら協力しなくても良いって言ってんだよ。こちとら、アンタの孫みたいに、嫌味と小言を言われる歳でもねえんでな」
「あんたがどうなろうと、知ったこっちゃないよ。黙って見ていられないのは、解放者アデル・アルトローゼの存在が、脅かされようとしてるって状況だ。私たちレジスタンスにとって、彼女は希望の光なんだ。その結婚式を狙って、悪さをしようなんて連中がいるなら見過ごしちゃおけない。バフェルトが結婚式を攻撃しようとしてるってんなら、私たちは戦ってでも、阻止するまでさ。まるで式を守護するグレイン騎士団の手助けみたいで、気持ちは悪いがね」
言い争いを始めそうなユウトとジョーを、再び篠川がなだめ始める。
トウゴの胸中には、少しだけ、焦りが生まれ始めていた。いつまでも悠長に、こうしているわけにもいかないだろう。あと残り4分程度で、全員がこの場を撤退できなければ、FBIとの血みどろの銃撃戦になってしまう。そうなることは望んでいないのだ。
「さっさとここをズラかろう。相手は多勢だけど、せいぜい白石塔のFBIだ。普段から帝国とやり合ってる俺たちなら、切り抜けるのはそれほど難しくはねえはずだ」
「たしかに、あとは1人も捕まらないように、この場を去るだけ。けどまあ、案の定。簡単には逃げられないかもしれないのよね……」
カールが語尾を濁らせる。
それを聞いたトウゴは、舌打ちをした。
「やっぱり、FBIに“余計なの”もついてきてんのか?」
「そのようね。見たところ、明らかにFBIじゃないのも混じってるわ」
監視カメラは、FBIの車に同乗している“少年少女たち”の姿を捉えていた。銃器で武装したFBIの制圧部隊とは異なり、刀剣やナックルなど、異質な近接武器を有している様子だ。年齢と言い、得物と言い、ただの兵隊には見えない。場違いと言って差し支えない存在だ。
「……この白石塔の警備と管理を任されてる、グレイン騎士団の御一行様ってか?」
「聞いた話だと、グレイン騎士団の手伝いのために、クルステル魔導学院の学生たちが、インターンで来ているそうよ。若者が混じってるってことは、そういうことじゃないかしら」
「学徒動員かよ。グレインは、相当に気合い入れてカリフォルニアの防衛に注力してるんだな。しかも、あの名高い魔術の名門校の、学生たちってか」
「ええ。つまりは、将来の優秀な魔導兵のタマゴたちだと考えれば、騎士団の一般兵よりも、はるかに強力で厄介よ。下手をしたら上位魔導兵クラスの、まだ無名の手練れが来てるかもしれないわ」
「なおさら、かち合いたくねえ連中だ。おっ始まる前に、逃げるぜ」