10-52 ソフトウェア/ハードウェア
エリーが打ち明け始めた話に、ジェシカは絶句していた。
真偽不明の話に戸惑っているだけではない。
2年前に失踪した雨宮ケイ。それを誘拐したのが、エリーであるのだと自供しているのだ。ケイを探し続けていたジェシカの立場から、それに対して何と言えば良いのか、言葉が出てこなかったのである。唖然としてしまっている。そんな様子のジェシカに代わり、話しについていけていないながらも、リンネが恐る恐る疑問を口にした。
「あの……私たちが閉じ込められていた研究施設で、グレイン企業国と、シエルバーン企業国が共同で進めている新世計画が進行してたって……それっていったい、どういう意味なんです?」
エリーは、一呼吸を置いてから、大胆に告げる。
「――――“真王の暗殺”」
「!?」
「そして、その後に来るであろう“第2次星壊戦争”の世へ備えた計画です」
さらなる衝撃的な話が飛び出てきた。
今度はリンネも、ジェシカ同様に言葉を失ってしまう。
話を黙って聞いていたアイゼンも、少し呆れた顔をしている。
それほどにエリーの話は、あまりにも荒唐無稽なのである。
ジェシカは頭を振った。
動揺して目を泳がせ、重要なことを確かめるように、引き攣った笑みで問う。
「え……ちょって待って……。ついていけないわ。真王の暗殺に、第2次星壊戦争……? 何をとんでもないこと言い出しているの?」
突拍子もないことを口にしているのだと、エリーは自覚していた。
それでも、事実は揺るがないのである。
「少し、長い話になります」
自分の知りうる情報を、エリーはただ、淡々と語り始めた。
「真王の統治する帝国社会。それに不満を持ちながら隷従しているのは、なにも下民階級や、市民階級の人々だけではありません。決して、表立って意思表明することはありませんが、貴族の中にも、かつてから不満は存在しているのです。それは、企業国王たちであっても、例外ではありません。いつか機会と条件さえ揃えば……真王に代わり、自らがアークの支配者となって理想を実現する。その野心を持って、虎視眈々と真王の座を狙っている姿こそが、七企業国王たちが隠している真の顔なのです」
「企業国王たちが……実は、真王の座を狙っているですって……?」
「そうです。企業国王たちは、支配の力である王冠の力を真王から授かりながら、逆にその力を紐解くことで、叛逆のための兵器を製造しようと目論んできました。打ち破るべきは2つの力です。真王が人類に対して有する“支配権限”の力。そして、この世の理を操る、強大な“理外の力”。どちらも容易くどうにかできるものではなく、その結果、真王へ服従しながら帝国社会を運営する、停滞の時代が、およそ1万年も続いています」
真王に刃向かう力を持たないために、仕方がなく従っている。エリーが呼ぶ停滞の時代というのは、これまでの帝国史、1万年のことを指しているようだ。だとすれば、星壊戦争直後、真王の統治が始まった時からすでに、企業国王たちは真王の座を狙っていたということになるのか。途方もない暴露である。
エリーは視線を鋭くして断じた。
「そこへ彗星のごとく現れたのが、支配権限を無力化する異能を秘めた少女、アデル・アルトローゼ。そして、理外の力によって企業国王さえ殺して見せた男、雨宮ケイです」
「……」
「グレインとシエルバーンの両企業国は、およそ700年前から、密かに結託しています。両者は長い歳月をかけて、真王という超常の支配者を討ち滅ぼす手段を研究してきました。その答えを有した存在である、アデルと雨宮ケイが、突然に目の前へ現れたのです。両名の身柄を、喉から手が出るほど欲しいと考えるのは自然です。それは何も、我々だけではありません。2年前のエヴァノフ企業国のクーデター直後。おそらく全ての企業国が、2人の身柄をいち早く抑えて、我が物にしたいと考えていたはずです。だからこそ、他に奪われる前に、私は誰よりも先んじて、雨宮ケイの身柄を確保する“密命”を受けました。そしてそれに成功した結果が、現在ですよ」
そこまで話し終えてから、エリーは1つ溜息をこぼした。
ジェシカたちに打ち明けていて、ツライと感じているのだろうか。
2年前、雨宮ケイは、混迷するエヴァノフ企業国から姿を消した。
その理由には諸説あったが、真実は、エリーゼ・シュバルツによる誘拐だったのだ。
エリーは暗い表情で、続きを語る。
「主任研究員であるドミニクの話では……原死の剣が回収された時、剣は雨宮ケイの肉体と、強固に同調した状態になっていたそうです。これまでにケイ様が乗り越えてきた、数々の戦い。その時々で、原死の剣が使い手に力を与えるため、自らの性質を、雨宮ケイに寄せていった結果なのだそうです。つまり、今の原死の剣は、雨宮ケイが使うことに最適化されているため、雨宮ケイでなければ、力を完全に引き出すことができない状態にあると、そう考えていただければ良いでしょう」
ドミニクとは、ジェシカとリンネに、レギオンと呼ばれる人工の怪物をけしかけてきた、あの飄々とした科学者のことだろう。エリーは、おぞましい話を語り続ける。
「企業国王、強いては真王を殺せる強大な力を手に入れ、それを解析する千載一遇の機会を得たというのに、雨宮ケイの協力なくして、それは成立しませんでした。かと言って、雨宮ケイは協力的ではなく、研究のために剣を握らせたが最後、逃亡を謀られ、それを止められる者もいません。だからです……。研究のために、雨宮ケイの自由意志を無力化しながら、その肉体だけを利用する方法が必要でした。ドミニクは、そうした処置をケイ様へ施しました」
「処置、ですって……?」
「肉体と精神の“分離保管”です」
奇妙なテクノロジーの話をするエリーに、リンネが眉をひそめた。
一方、ジェシカは神妙な顔で、耳を傾けている。
そんな2人を見ながら、エリーは説明した。
「雨宮ケイから魂、すなわち精神だけを抽出し、記憶や経験を備えた肉体とは、別に保管管理することにしたのです」
困惑した様子で、リンネが口を挟んだ。
「ちょ、ちょっとちょっと。フヒ。魂を抽出して、肉体の外で保管するなんて……そんな技術、聞いたこともないです。いったいどうやったら、そんなことが実現でき――――」
「――――ケイン・トラヴァースね」
「え?」
ジェシカは、エリーの顔を睨み付けて言う。
対してエリーは、ジェシカが語り出した仮説へ耳を傾けた。
「ケイに似せて製造された肉体に、ケイから抽出された魂を入れた。そうすることで、雨宮ケイとしての記憶や経験を持たない、空っぽの雨宮ケイが生まれた。アンタたちは、それに“ケイン・トラヴァース”という名前をつけた。……そう言おうとしてる?」
「……さすがはジェシカ。雷火の魔女と呼ばれ、学院創立以来の大天才と、礼賛されるだけのことはあります。その洞察は正しい」
「そ、そんなこと可能なの、ジェシカちゃん!?」
「少なくともアタシたち魔人は、儀礼的に、昔から当たり前のようにやっていることよ。子供の頃に、魂と肉体を分離させる文化を持つ種族なの。あのドミニクってやつは、おおよそ、そこから着想を得たんじゃないかしら」
ジェシカの推論は、完璧に正しかった。
否定することもなく、補足するつもりで、エリーは言った。
「ドミニクは、ケイ様の肉体から精神を取り除くことで、理念のない、外部からの命令で言いなりにできる“人形の雨宮ケイ”を生み出すことに成功しました。その間、隔離された精神を保管しておくためには、仮初めの肉体に移しておく必要がありました。健全な精神は、健全な肉体に宿るという格言がありますが、まさにその通りです。何もかもを忘れたケイ様に、健全な生活をしていただくことで、精神の崩壊を防いだのです」
「…………それが、俺に弟子入りをしていた、ケイン・トラヴァースの正体だってか?」
それまで黙って話を聞いていたアイゼンが、口を挟んできた。
エリーは頷き、肯定する。
「はい。アイゼン様にケインを預けることを決めたのは、私のお父様です。そうした理由は、私にお話してくださいませんでしたけれど……この辺境の田舎でなら、人目に付かずに生活させることができて、その上、逃亡も容易ではありません。都合が良かった。そうした考えだったのではないかと、推察しています」
「……」
アイゼンは珍しく眉間にシワを寄せた。
険しい顔のままだったが、納得した様子だった。
「雨宮ケイ。人の名前を憶えるのが苦手なこの俺が、珍しく、どこかで聞いた名だと思っていたら……そうか。風の噂に聞く強者。アルトローゼ王国の守護者、死の騎士様の名だったか? だいたい話は見えてきた。しかし、まだわからんことも色々とあるな」
アイゼンは、エリーをギロリと見やり、尋ねる。
「人目につかない場所でヒッソリと、ケインを生かしておきたかったんだろう? なのになぜだ? どうしてアイツは、クルステル魔導学院へ入学することになった。あんなところにケインを送り込めば、ヤツの存在は目立って仕方ないだろう。それこそ、他国に雨宮ケイの存在を知られかねない」
「…………私が、お父様を“裏切った”からですよ」
エリーは苦々しい口調で断言した。
すかさず、アイゼンは問い詰める。
「裏切った?」
「お父様が成そうとしていることが、私にとっては、どうしても承服しがたいことになってしまいました。だから私は、お父様たちの計画を阻止しようと、今は単独で行動しています。ケインを学院へ入学させたのは、その一環です。そうした目的がありました」
「じゃあ……シュバルツ嬢が、ケインの入学手続きをしたのか?」
「はい。結果としてそれがお父様に気付かれ、殺し屋として送り込まれたネロさんに、私は1度、敗れました。あの研究所の管理者から降ろされ、後任がそのままネロさんになったのです。あとの顛末は……あなたたちもご存じの通り」
呆れ顔で、リンネが言った。
「フヒ。いくら意見が合わないからって、自分の子供を殺す指示を出すお父さんだなんて……」
「シュバルツ家に生まれた者の宿命です。不義誅殺。裏切り者は誰であれ、容赦してはいけません。娘だからと手心を加えるようでは、お父様の当主としての示しがつかなくなります。お父様の判断は……理解できます」
そこで、会話が途切れてしまう。
エリーからもたらされた、あまりにも壮大なスケールの話。こうした状況に巻き込まれていなければ、まず陰謀論だと、一笑に伏すような情報だ。それを胸中で、どう消化すれば良いのか。ジェシカもリンネも、アイゼンも、正直なところ混乱してしまっていた。
それでも、最低限のことは話せたと、エリーは判断する。
だからこそ、最も重要な、今後の話をすることにした。
「これは非公開情報ですが。アデル・アルトローゼの結婚式には――――“真王”が参列予定です」
「!?」
「式場に企業国王たちが揃った時、おそらくそれぞれが、大きな動きを見せると予想されています。北米カリフォルニア州で間もなく、帝国史上、起こり得なかったことが起きる可能性が高い」
「起こり得なかったことが起きる……?」
「そうなる前に、ケインの精神をケイ様の肉体へ戻して、雨宮ケイを取り戻してください。ケイ様なら、きっとアデル様や、あなたたちを守ってくれるはずです」
真王。
帝国の支配者であり、七企業国王たちの上に君臨する、大いなる存在だ。星壊戦争を平定したという逸話から始まり、それから1万年以上を生きているという。世間やメディアに、その姿を晒したことは1度としてなく、人々からは実在を疑われているような人物である。それが、アデル・アルトローゼの結婚式に姿を見せると言うのなら、これまた未曾有の出来事だろう。
まさに異例なことだらけの結婚式である。
「ジェシカ、リンネ。あなたたちはエマを探して、この北方へ来た。しかしそこで、あの研究所のことを知り、私と関わってしまった。残念ながら、もはや無関係を決め込むことはできません。トラヴァース機関は容赦なく、私同様に、あなたたちのことも追いかけ、命を狙ってくるでしょう。申し訳ありませんが、選択肢はないのです」
「…………………あんたなんかに言われなくても、アデルのことも、ケイのことも助けるわよ」
エリーの忠告に、ジェシカが冷たい口調で答えた。
突き放すような、トゲのある態度。
軽蔑した目で、ジェシカはエリーを睨んで言った。
「消えて」
「……」
「今すぐ私の目の前から消えてよ、エリーゼ・シュバルツ」
普段から口が悪いジェシカだが、その言い草は悪異に満ちていた。
ジェシカの瞳の奥に宿る、静かな怒りの炎に気づき、エリーは黙った。
そうしていると、ジェシカは鬱憤を吐き出すように語り出した。
「アンタのせいで、ケイはいなくなった。エヴァノフ企業国でのクーデター直後、あのひどい混乱の中、助けを求めてきた人たちから、雨宮ケイという希望を奪い取った。そのせいでアデルが……あの子がどれだけツライ思いをして、苦労をしてきたのか。残されたアタシたちが、ケイに見捨てられたと思って、どれだけ傷ついたのか。真王の座を狙った、企業国王たちの野心? そんなの知ったことじゃないわ! どいつもこいつも自分勝手な思惑に、もっともらしい理屈をつけて、やりたい放題やろうとしてるだけじゃない! その挙げ句に、ケイの肉体と精神を分離させたですって?」
「……」
「たしかなことは、アンタたちのくだらないクーデターの計画のせいで、アタシの妹はあんな姿になった。全部……全部、アンタが始めたせいじゃないの! アンタさえいなければ、最初からこんなことには……!」
心底からエリーを憎んでいる、見開かれたジェシカの眼差し。信頼していた相手に裏切られ、悔しそうに涙を溜めている。両拳を握り絞め、激しい怒りで肩を震わせていた。
どれだけジェシカが怒っているのか、エリーには痛いほど理解できていた。だからこそ、弁明の余地などない。
ジェシカは心底から怒っているが、同時に、悲しそうだった。
「お姉ちゃんみたいだって、ずっと思ってたのに。今まで、ずっと信頼していたのに……それなのに裏切った! 絶対に許さないわ! けど……アンタに今まで、何度となく助けてもらったことは事実。その借りだけはある。だから今日この時は、敢えて黙って見逃すわ。その代わり……次に顔を見た時は、必ず“殺す”から」
「……」
「今すぐ消えてよ。もう、顔も見ていたくないのよ」
「…………ごめんなさい、ジェシカ」
「良いから、さっさと消えなさいよ!」
「……ごめんなさい」
エリーは唇を引き結び、悲しそうに表情を歪めた。
放っておけない。妹のように見守ってきた、クラーク姉妹。
自らの始めた行いによって、エマを酷い目に遭わせてしまった。
仲が良かったジェシカから、最大限の拒絶と軽蔑を受けている。
それがわかっていたから、ただただ苦しかった。
胸を引き裂かれるような思いで、エリーはハシゴを登って、地下室を後にした。
エリーが去った後、ジェシカが叫び、泣き出す声が聞こえてきた。
それを聞いていられず、エリーはアイゼンの家の引き戸を開けて、外へ出た。
「…………雪」
今頃、カリフォルニアは夏だろう。
けれど、この北方の地では雪が降る。
音もなく空から降り、音もなく地面へ積もっていく、白い冷気。
その1粒を手に取り、エリーは目を細めた。
エリーが家を出て間もなく、もう1人、誰かが引き戸を開けて出てくる音がした。振り返れば、そこには赤髪の男が立っている。帯刀し、すぐにでも出発できる旅装である。
「アイゼンさん」
「……」
アイゼンは、何も言わなかった。
エリーの行いの冷酷さを知り、かける言葉もないのかもしれない。
それは仕方がないことだろう。
人攫いであり、非人道的な研究施設の管理者だったのだ。
真実を知っていれば、誰からだって、軽蔑されて当然だ。
自嘲を浮かべて、エリーは言った。
「やはり、嫌われてしまいました」
想定していなかったことではない。
そうなることは、2年前からわかっていたことだった。
「お父様から命じられて、この計画を始めた時から、覚悟はしてきました。私はいつか、きっとあの子たちを、深く傷つけてしまうだろうと。今、その時がきただけのことです」
アイゼンは黙って、エリーの隣まで歩み寄ってくる。
そのまま視線を上げて、上空を覆う雪雲を見やった。
「……俺もついて行こう」
「ジェシカたちと一緒に行くのでは、なかったのですか?」
アイゼンは嘆息を漏らし、エリーの小さな頭に、大きな手を乗せた。
「そのつもりだったさ。けれど今、道連れが必要なのは、あの小娘たちよりも、お前の方だろう?」
「……」
そのまま、アイゼンはエリーの頭を撫でてやる。
暖かい手の温もりが、エリーの涙腺を溢れさせた。
ボロボロと涙を流し、顔を伏せて言った。
「……ありがとうございます」
泣き虫エリーは、もう卒業したはずだった。
それでも今は、涙が止まらなかった。




