10-49 ダークエルフ
翼竜の炎から逃れ、アズサの運転する車は、後方を引き離そうと一気に加速した。坑道へ向かう車道を、先行していた2車両が、全速力で走り抜けていく。そのテールランプを追いかけるように走りながら、アズサは険しい表情でトウゴへ言った。
「トウゴくん、よく聞いてください」
助手席を振り向く余裕もないのだろう。アズサはハンドルを掴みながら、前方の道と、ルームミラー越しに見える後方を交互に見ていた。
「さっきの攻撃の時の一瞬でしたが、私の魔術で、あのドラゴンの身体をおおよそ解析しました。あの大型の怪物も、例外なく異常存在。どうやら、長い年月をかけて岩石や鉱石を取り込み、自らの身体を形成した存在のようです。クラス4と呼んで差し支えない、戦略級の戦闘能力を有しています」
トウゴは話を聞きながら、開けた窓から上空を見上げている。翼竜は次なる炎を吐き出すべく、上空高くへ舞い上がって体勢を立て直そうとしている様子だった。次の攻撃まで数分もないだろう。すぐにまた降下してきて、仕掛けてくるだろう。時間はない。
鬼気迫る顔で、アズサは告げた。
「異常存在の姿は様々ですが、脊椎回路を有していることだけは共通していて、そこが弱点です。コアの位置は頭部。人間で言えば、脳幹がある場所です。そこを破壊できれば……理論上は殺せるはずです」
「銃弾を弾く鱗で覆われてて、鋼鉄を溶かす炎を吐く、馬鹿デカい頭だぞ。しかも空まで飛んでる。それを吹っ飛ばせって? そりゃあ、簡単そうだ」
「実際のところ、やれそうですか?」
「どうにかするしかねえだろ。生き残るためには……!」
ショットガンに弾を込め直しながら、トウゴは苦笑する。
そして周囲の景色を見渡すと、田園地帯の端にある、家屋の密集地を指さした。
「アズサ先生、あっちだ! あの小っこい住宅密集地! あそこへ向かってくれ!」
指し示された指先の方角を一瞥し、アズサは尋ねた。
「坑道へ向かう道から、少し逸れてますよ。何か考えがあるのですか」
「村からの脱出口を探して、伊達にこの1ヶ月間、界隈をあちこち見回ってねえよ。あそこに行けば、あのデカブツを何とかできるかもしれない。まあ……クソヤバい作戦なんだがな」
「わかりました。近道をします」
言うなり、アズサはハンドルを切る。トウゴの車両は、車群から離れて、田畑の間にある細い農道へ入り込んだ。間髪入れず、トウゴは車に備えられていた発煙筒を焚き、窓から身を乗り出した。眩しい赤い光をペンライトのように振り回し、翼竜の注意をひいた。
「おおい! こっちだ、デカブツ! ついてきやがれ!」
翼竜は、トウゴの誘導に乗った様子である。町人たちが乗った車群を追いかけることをやめ、農道に入ったトウゴの車を追いかけ始める。羽ばたきが近づいてくるのを見上げながら、トウゴは冷や汗交じりの苦笑を浮かべる。
「良いぞ、食いついてきた。これで後には引き返せなくなったけどな」
「言い出しておいて弱気ですか? トウゴくんの作戦、失敗しないでくださいよ」
「失敗しても、他の連中が逃げる時間くらいは稼げてる。少なくとも無駄死にじゃねえだろ」
「それはそれは。気休めになりますね」
「悲観的だな、アズサ先生は。まあ、あとは野となれ山となれだよ!」
水田の脇を通り抜け、車両は一気に、小集落まで到達する。ちょうどそのタイミングで、追跡してきていた翼竜が距離を詰めて迫ってきた。炎を吐きかけてくるかと思いきや、大きな翼をはためかせ、突風を生じさせる。そうして、車を背後から煽ってきた。
「うおおっ!?」
「くっ! 前転します!」
アズサの警告の後、トウゴの天地が逆転する。強い風に煽られた車は、後輪が浮いて、そのまま前転してしまった。ひっくり返った車両は、天井を激しくアスファルトへ擦りつけて火花を散らす。焦げ臭い匂いと煙に包まれた車内で、休む間もなくアズサとトウゴはシートベルトを外した。
「ヤバいぞ、アズサ先生! 早く車から出ないと、炎でトドメを刺される!」
「わかってますよ!」
転倒した車から2人が這い出した時には、すでに上空から翼竜が炎を吐き出そうとしている状況だった。トウゴは舌打ちする。
「足止めしてから必殺の一撃、猛獣のわりに賢いじゃねえか!」
翼竜が再び、口から炎を吐き出す。色濃い橙色の業火は、立ち並ぶ家々が、まるで水塊であったかのように容易く溶解させていく。アスファルトが赤熱の水溜まりのように解けていく、灼熱地獄。その渦中で、トウゴはアズサに肩を貸し、再び魔眼の力を発動する。時間を加速させた高速移動で、燃えさかるエリアを離脱した。
燃えさかる炎が、闇夜を照らし出している。トウゴたちを仕留め損なったことに苛ついているのか、翼竜は怒りの咆吼を上げていた。トウゴと一緒に、小集落のメインストリートを走って逃げながら、アズサが声を上げた。
「車がダメになりました!」
「見りゃわかる! しかもなんか怒らせちまったのか、アレ!」
「ここからどうしますか!」
「どのみち、ここで下車予定だった! このまま道を真っ直ぐ! 死ぬ気で走れ!」
翼竜は地上へ降り立った。車を失ったトウゴたちは遅く、飛行して追いかけるよりも地上を移動した方が効率良く追い詰められると判断したのだろう。そのまま四足歩行になり、トウゴたちの後方を、地面を這うようにして走って追いかけてくる。
道路幅に収まらない巨体である。駆けるだけで地響きを起こし、周囲の家や電柱、建造物をなぎ倒してしまう。強引な破壊を生じさせる、嵐も同然である。
翼竜が駆けるうちに――――なぎ倒した電柱と電線が身体に絡みついていく。
「なるほど、電線……!」
トウゴの作戦を、アズサは理解する。翼竜の四肢に絡まった電線は、巨体の動きを止めるほどの効果はないが、まとわりついて、動作を緩慢にさせることはできていた。すぐ翼竜に追いつかれるかと思われたが、どうやら、トウゴたちが駆けるのと同じ程度の速度にまで、動きを遅くすることができた。翼も使えず、簡単には飛び立てないだろう。
翼竜が弱体化したこを背中越しに確認し、トウゴは立ち止まった。
少し先の民家。その建物の側面に、並び置かれたガスボンベを見やる。
「この辺は都市ガスじゃねえ、交換式のプロパンガスだ」
トウゴは民家に立ち寄り、手早くプロパンガスのボンベを架台から取り外す。それを背負い、アズサの元へ戻ってきた。その頃にはちょうど、翼竜が口蓋いっぱいに炎を含み、今にも吐き出して周囲を焼け野原にしようとしているタイミングだった。
「時の魔眼!」
すかさずトウゴは、自分に流れる時間を加速させる。
景色がスローモーションになり、その中を、ガスボンベを担いだまま駆け抜けた。翼竜の開け放たれた口の中へ、ボンベを投げ入れる。そうしてから、その場から距離を置いて離れた。
時間の流れが戻るのと同時、ガスボンベは翼竜の炎で破裂し、ガス爆発を起こした。目と鼻の先で起きた爆発には、さすがの翼竜も怯んだ。顔面を覆っていた岩肌のような鱗が弾け飛び、虚空に血しぶきと肉片を撒き散らす。顔がズタズタに壊れ、大きな左眼が飛び出した。
「どうだ……!」
翼竜の弱点である頭部の、3分の1程度は破壊できた。致命傷を受けたか、怯んで撤退してくれれば、トウゴの思惑通りである。だが翼竜の反応は、トウゴの期待を裏切った。
――――致命傷は受けておらず、翼竜は怒り狂った咆吼を上げた。
「なんつーしぶとさだよ!」
「完全に怒らせてしまったようですよ!」
翼竜は作戦を変える。
地上で炎を吐けば、再びガスボンベを口の中へ投げ込まれて、爆発攻撃を受けると考えたのだろう。自身の翼に絡まる電線を、鋭いツメで引き裂き、再び上空へと舞い上がる。
空に逃げられては、トウゴたちの攻撃手段は銃くらいしかない。
だが、そんなものでは竜を殺すことなどできない。
「ヤバい……!」
翼竜は眼下のトウゴたちを見下ろし、ズタズタに裂けた口蓋の中に炎を溜め始める。火炎が傷跡からこぼれ出て、それが自らの身体を焼いているが、そんなことには構っていない。怒り狂った竜は、もはやトウゴたちを確殺することしか考えていなかった。
今にも吐き出されようとする業火を見上げながら、トウゴは青ざめていた。
「同じ手はもう通じねえよな。どうする……!」
考えていた攻撃手段は、実のところ、今のガス爆発だけだ。上空にいる巨竜を相手にする他の作戦など、他に即興で思い浮かぶものでもない。翼竜の攻撃を避けることは、魔眼の力を使えば難しくはない。だが、代償が大きい力を乱発することには限界がある。次の一手をどうすれば良いのか、頭上で燃えさかる炎の塊を見上げ、トウゴは焦っていた。
――――重々しい1発の銃声。
直後、翼竜の頭部で小爆発が起き、炸裂弾が肉塊を爆ぜさせた。
翼竜は悲鳴のような声を上げて、落下してくる。
糸の切れた操り人形のように、翼竜は地面の上に転げ、もがき苦しんでいた。
その様を唖然とした顔で見つめた後、トウゴは周囲を視線で探りながら呟いた。
「狙撃!?」
どこからなのか。
誰なのか。
答えはすぐにわかった。
『――――よお、待たせたな、ブラザー!』
「!?」
拡声器越しの大声で、トウゴは語りかけられた。
その陽気な言い回しと声なら、よく知っていた。
思わず耳を疑い、目を白黒させた。
「うっそだろ! この声、兄貴かよ!?」
声が聞こえた方角に目を凝らす。すると暗闇の中に、キラキラと光るものを発見した。少し離れた公園の遊具の上に、大型狙撃銃を手に持っているコートの男が見えた。男が手にしている双眼鏡が、翼竜の生み出した炎の輝きを反射して光っている様子だ。わざと反射させて、位置をトウゴへ教えているのである。
「バカ野郎、やっぱり生きてたのかよ……!」
兄のユウトである。
鱗の守りが剥がれた翼竜の頭部を狙って、狙撃してくれたのだ。
トウゴは嬉しくて、思わず涙ぐみそうになる。
無事なのは、兄だけではなかった。
トウゴたちが駆けていたメインストリートの向こうから、歩み寄ってくる人影が見えた。
青い髪をオールバックにした、鋭い目つきの男。整えられた顎髭を生やしている。板状の機械アンテナの耳を生やしており、それは機人族の特有の容姿だった。細身で、高級スーツに身を包んでいるその姿は、さながらやり手のエリートビジネスマンだ。その両手には、青白い光で形成された、2本の大型ナイフを手にしていた。
「今日までよく、一人だけで生き延びられたわね、トウゴちゃん。先生の教えが良かったのかしら。褒めてあげるわ」
トウゴは、その男のことを知っていた。
兄に化けた47号に、喉を切り裂かれて死んだかと思われた男。
「カール! あんたも無事だったんだな!」
「あの程度で、機人は死なないわよ。わかってたでしょ?」
冗談っぽく微笑むカール。
その背後から、遅れて駆け寄ってくる大柄の男の姿もあった。
トウゴとアズサの姿を見るなり、男も爽やかに微笑んで見せた。
「カールさんだけじゃない。僕も助けてもらってね。なんとか、まだ生きてるよ」
突撃自動小銃を抱えた、その男の顔を見るなり、アズサが目に涙を浮かべて駆け寄った。抱きしめ、名を呼ぶ。
「スグル! 無事だったのね! 私がどれだけ心配したと思ってるんですか!」
「アズサ……」
何やら深い仲を思わせる態度の2人。
抱きつかれた篠川スグルは、照れ笑っていた。
ついさっきまで死人も同然の扱いだったカールが、飄々とした態度で歩み寄ってくるのを見て、トウゴは少し苛ついて尋ねた。
「3人とも、今までどこで何してたんだよ! 1ヵ月近くも音信不通だったくせに、この大一番でいきなり顔出しなんて……つーか、どうやって生き延びたんだ!?」
「敵に死んでいると思われていた方が、都合が良いことがたくさんあったのよ。トウゴちゃんがオトリになって、敵さんたちの気を引いてくれている間に、こっちは色々と“反撃”の準備ができたわ。おかげさまで、私たちを狙ってきた黒幕の正体にも、だいぶ迫れたしね」
「……!」
「募る話は後にしましょ。先に、アレを倒さないとね」
カールは先程から、トウゴの方など見ていない。
視線の先には、ユウトに頭部を狙撃され、悶絶している翼竜の姿があった。
翼竜は体勢を立て直し、再びその場で立ち上がった。臨戦態勢をとろうとしているのだ。グズグズの肉塊になっている頭部から、ドロリと血肉をこぼしながら、それでもトウゴたちに襲いかかる意思を絶やしていない様子である。すでに原型を留めていない口蓋に、再び業火を溜め込もうとしている。炎を吐き出し、目の前のトウゴたちを焼き尽くそうとしているのだ。
そのおぞましい姿と、尽きない殺意を目の当たりにし、血の気が失せた顔で、アズサが呻いた。
「信じられません。すごい生命力……。頭部をあれだけ破壊されて、まだ生きていられるのですか……!」
トウゴが笑いもせず。皮肉げに答えた。
「異常存在はそんなもんだろ。奴等にとっちゃ、身体なんてハリボテも同然。脊椎回路が無事なら、いつまでもピンピンしてやがんだ」
「さあ。アズサ、トウゴくん、こっちへ避難して! ドラゴンが来るよ、早く!」
篠川が先導し、トウゴとアズサへついてくるように指示してくる。メインストリートの先へ、2人を誘おうとしている様子だ。ユウトと合流するつもりなのだろう。
ただ1人、カールだけが光のナイフを手に、翼竜へ立ち向かっていく。
トウゴが、その背に声をかけようとすると、先制してカールは告げた。
「たまには、私に任せておきなさい」
それだけを告げて、カールは翼竜の方へ1人で歩いていってしまう。
トウゴは心配する言葉を呑み込み、篠川に従って避難することにした。
1対1。
今にも炎を吐き出そうとする翼竜と対峙したカールは、コキコキと肩を鳴らして言った。
「ドラゴンねえ……。このサイズはせいぜい“ワイバーン”よ、スグルちゃん。ドラゴンが出たら、今頃はこの村なんて消滅しているわよ。それにしても、ワイバーンなんて、エルフの里の近くで戦って以来。あれはもう100年も前の話だったかしら」
機人の機械眼は、翼竜の状態を素早く解析する。損壊している大きな頭部の様子を素早く走査し、弱点である脊椎回路が、剥き出しになっている状態であることを発見する。
「トウゴちゃんが弱点を露出させておいてくれたから、あとの始末は簡単よね。助かるわ」
カールは駆け出す。
機人の筋力は人間よりも強靱である。時間を加速させたトウゴほどではないが、目にも止まらぬ速さで翼竜へ迫り、その翼に飛び乗って、頭部まで身体の上を駆け上がる。一際に高く跳躍したかと思うと、両手にした2刀のナイフが輝きを増す。
「――――光刃リディル」
その名を囁くと、光の刃が途端に巨大化する。
刀身のサイズが自在に変化する、光のナイフ。それを手に、スピン回転しながら、カールは翼竜の頭部を滅多斬りにした。刃のタツマキのようになったカールの連撃をまともに頭部へ受けた翼竜は、容易く脊椎回路を引き裂かれて即死してしまう。
翼竜の頭部をズタズタに引き裂いたカールは、アスファルトの上へ着地した。それに遅れて、巻き上げた竜の血が、雨のように降り注いでくる。完全に頭を破壊された翼竜は、力なくカールの背後で倒れ伏して動かなくなった。
「これだから。血に汚れる仕事って嫌いなのよね」
返り血にまみれたカールは、イヤそうに自分の身体を見下ろしていた。