10-48 田園の翼竜
闇と静寂に覆われた形咲町。月埜化成のプラントから田園地帯へ続く道路へ、4台のSUVが静かに発進する。いずれも電気自動車であり、エンジン音は極めて静かである。密やかに移動するのには、向いている乗り物だった。
生存者たちは、トウゴの説得に応じて、坑道を通って隣町へ脱出することを決定した。4台の車に分かれて乗り込み、一気に坑道まで移動する。そうした作戦である。
途中で、ブラッドベノムの異常存在たちに襲われることも想定し、先頭車両には武装した末松と組員たちが4人。しんがりの車両には、アズサとトウゴが乗車していた。戦えない町人たちの車両が襲われるのが、最悪の事態だろう。いざとなれば、ヤクザたちとトウゴの車両がオトリとなって、応戦するしかない。襲撃されず、無事に坑道まで辿り着けることを、今はただ祈るばかりである。
アズサの助手席に腰掛けたトウゴは、手持ちのショットガンの点検をしていた。そうしながら、AIVの動画再生機能を使い、何度目かわからない、ミズキと偽篠川の会話を聞いていた。
『――――我々は、救済兵器の最終実験を、別の地で行うはずだった。この地でそれを行うことになったのは事故だ。準備のために、完成品候補であるアルファ、ベータ、ガンマの3つのサンプルを、大阪のタワーマンションで保管していた。だが君の友人は、我々からアルファを1本盗んだ。しかも手違いで、それが君に投与されてしまった。不運としか、言い様がなかった』
『いったい、何の話をしてるんですか……!』
『だがその偶然が、我々を救ったとも言える。ラボの外、自然環境下で、君は完成形の救済兵器を直接投与され、異常存在化した。この1ヶ月間、発狂死することなく、生存することができている。結果、君の身体にウイルスは定着しつつある。貴重な“成功例”と呼べるだろう。命令により、今日まで経過観察してきた。だが、そろそろ本格的な解析のために“回収”させてもらおう。君を主人の下へ送り届ければ、任務は完了する。君は、救済兵器の完成に必要なキーパーツとなった。アデル・アルトローゼの結婚式まで、残り3ヵ月ほど。我々はようやく、真王の統治を終わらせる最後の鍵を得た』
トウゴは嘆息を漏らして、頭を掻いた。
信じられない思いで、耳にした事実を口にする。
「ミズキを使って、真王の統治を終わらせる……」
「爆弾発言ですね」
「爆弾なんてもんじゃねえ。こりゃあ、核爆弾級の発言だろ。バフェルト企業国が、真王による帝国統治に、叛逆を企ててるんだって、そう言ってるようにしか聞こえねえぞ。そのために救済兵器とかいうものを密かに開発してて、ミズキや、この村が今、実験台にされてるってことだろ……ヤバすぎる」
「企業国王が真王に戦いを仕掛ける準備をしている。たしかに……聞いたこともない大事です」
「この47号とか名乗ったソックリ野郎、妙にアデルの結婚式のことを気にしてるみたいだが……その日に何かを決行するつもりなのか……?」
「アデル・アルトローゼ。帝国から独立している王国の、若き王。彼女の結婚式は、米国合衆国カリフォルニア州で開かれ、当日はアークの各地から要人が集まるそうですね。まさか、コーネリア・バフェルトが、その会場で何かを起こそうと企んでいるとか、でしょうか」
「……」
これまで断片的だった情報が線となって、結びつき始めている。すると、当初は考えてもいなかった全体の絵が見えてきている。そう感じた。
コトはただの半グレ集団が起こしている、怪しい薬物や武器の密輸取引などではなかったのだ。帝国という巨大な構造を破壊しようと、1つの企業国が暗躍している。意図せず、その闇を明るみに出そうとしてしまったがために、トウゴは命を狙われてきたのだ。背景さえわかってしまえば、追っ手が執拗に、トウゴを殺そうと追跡してきた理由にも納得がいった。
「思っていた以上に、トウゴくんが首を突っ込んだ事件は、大きすぎたようですね」
「やらかしたよ。最初は奇妙なOL殺人事件の現場調査でしかなかった。その後、カールの依頼だったとは言え、あのタワマンを調査に行ったのは失敗だったかもな」
「だとしたら……この村を脱出できたなら、もう手を引きますか?」
アズサはハンドルを操作しながら、トウゴへそれを尋ねた。
だがトウゴは、即座に真顔で応える。
「いいや。今さら降りられねえ。俺が巻き込んじまったミズキが、さらわれたままだ。アイツを家に帰してやりたいんだ。……このまま見捨てて逃げられるかよ」
「そのために、勝ち目のない戦いへ挑もうと言うのですか。相手は企業国ですよ? あなた個人の力で、どうこうできるレベルを超えています。この村で起きた事故によって、偶然にも、ミズキさんは彼等にとって重要な存在になったのでしょう。なら、その守りは尋常ではないはずです。そんな彼女を、奪還できる宛てでもあるのですか」
「……考えるさ」
「律儀な性格ですね。スグルが力を貸そうと思った理由が、わかりますよ」
「……?」
アズサは苦笑する。
「責任感の塊。ズルを許さないというか、融通が効かないというか。あなたは何事にも、自分なりの正義を求めるのですね。スグルに似ています」
「それって良いことかい?」
「どうでしょう。ただ、スグルを見ている時と、同じ不安は感じます。肩肘を張ってばかりいると、生きづらい世の中ですよ。これは年上からのアドバイスですが……自分ではどうしようもないことはあります。時には諦めることも大切ですよ。無理をすれば、あなたの業界では、命を落としかねません」
「忠告、痛み入る。けどよ……企業国王に勝てるはずもないケンカを売って、その上で、この世界を変えちまった、とんでもない後輩がいると、そんな甘えたことは言ってられねえんだよ。俺の場合は」
「……?」
トウゴの頭の片隅には、常にその後輩の顔がある。ずっと、負けたくないと思ってきた、少年の顔だ。いまだ胸中に残る対抗意識のせいか、自分の行動を、いつも少年に見られているような気がして。彼の前で、恥ずべき行動や、諦める道を選べないのだ。それを呪いのように感じる時もあるが、自分にとって、良い道しるべになってくれているようにも思えた。少年に見守られているからこそ、道を外れず、今もまだなんとか、自分が善良な人間でいられているような気がするのだ。
「俺がこんなバカになっちまったのは、お前のせいかもな、雨宮」
トウゴは苦笑する。
そうする理由は、アズサにはわからないだろう。
だが、それで良かった。
「そろそろ田園地に出ます。開けた何もない場所ですから、死角が少なく、隠れて移動することができません。抜けるまでは、否応にも目立ちますよ」
「ああ。ブラッドベノムの連中が罠を張ってて、仕掛けてくるとしたら、ここだろうな」
車中に備えてあった無線機で、トウゴは他の車両へ警戒を呼びかける。
「末松のオッサンたち、気をつけろ。そろそろ田園地帯に入る」
無線への呼びかけに対して、すぐに答えが返ってきた。
『わーってるわい。こっちはいつでも準備万端よ。化け物が出てくりゃ、どたまに鉛弾をぶちこんでやる。そっちこそ、しんがりをしっかり務めろ』
「その調子で頼むぜ」
間もなくして、車窓の景色が開けた。雑木林に両脇を挟まれた、細い山道を抜けて、車群は形咲町の田園地帯へ出た。辺り一面に水田が広がる、のどかな風景だ。だが暗闇に閉ざされている今では、遠くまでは見渡せず。まばらに点在している、街灯の明かり周辺だけが、暗闇の海で小島のように浮かんで見えるだけだ。
これだけ周囲が暗くて視界が開けているのだから。明かりを点けて速度を出していれば、遠くからでも簡単に見つけられてしまう。敵に発見されるまでは、なるべく目立たないように通り抜けようと、事前に町人たちとは話し合って決めていたのだ。
目立たないように、トウゴたちの車群は速度を落とし、ヘッドライトも消灯する。照度の低い車幅灯だけを灯して、徐行速度で田んぼの脇道を進み始めた。車の足下を僅かに照らす明かりを頼りに、車はノロノロと走って行く。街灯が点いている場所も、なるべく迂回するルートを選んだ。
怪物たちに見つからないか、あとは運任せである。
誰しも緊張で言葉を発せず。
脂汗を滲ませながら、固唾を呑んで窓の向こうの闇を睨んでいた。
「……ん?」
トウゴは怪訝な顔をした。
「アズサ先生、なんか今……聞こえなかったか?」
「え? なんのことですか?」
「……」
何か、物音が聞こえた気がしたのだ。
トウゴとともに、アズサも耳を澄ませてみる。
乗車しているのが電気自動車であるため、エンジン音はしない。徐行しているため、走行音はほとんどない。聞こえてくる音と言えば、タイヤが砂利道を踏みしめる音くらいだ。それ以外には虫の音すら聞こえない。身の回りには、静寂の暗黒しかない。
だが――――微かに音が聞こえている。
トウゴは車の天井を見上げた。
「上から……か?」
「これは…………羽ばたき……?」
羽ばたきの音と共に、上空から突風が吹き付けてくる。水田に波紋が走り、草花がちぎれて宙に舞い上がった。イヤな予感が抑えきれず、トウゴは前照灯スイッチを入れて、車のヘッドランプを灯した。
直後だった。
フロントガラスの向こう。
巨大な三つ叉の脚が、空から舞い降りてくる。
「なにっ!?」
岩石のような鱗に覆われた、鳥脚に見えるそれが、トウゴたちの目の前の車両をガッシリと掴んで、そのまま上空へ連れ去ってしまった。間もなくして、空から町人の悲鳴と、金属がひしゃげる音がした。握りつぶされて歪んだ車体が放り捨てられ、水田の中に転がった。間もなくバッテリーが漏電を起こし、そこから激しい火災を引き起こした。
暗黒を煌々と照らす火災車両。
その炎に照らし出されたのは、空を飛ぶ翼竜だ。
全身を岩肌のような鱗で覆われた、厳ついシルエット。その身の丈は、ちょっとした市営団地くらいのサイズはあるだろう。いかにも重量級の出で立ちであるのに、両腕の翼を羽ばたかせて、悠々と空を飛んでいる。爬虫類を思わせる顔つきは、冷血な眼差しで、眼下のトウゴたちの車群を付け狙っている。
「冗談じゃねえぞ! ありゃあ“ドラゴン”じゃねえのか!!?」
「ウソでしょう! あんな怪物まで、ブラッドベノムが投入してきているのですか!?」
手持ちの火気で撃退できるような相手ではない。いくら銃弾を浴びせかけたところで、虫に刺された程度のダメージしか入らないだろう。戦いにすらならない。
「トウゴくんが外出していた時、外でアレを見かけなかったのですか!?」
「あんなデカいのがいれば、見逃すかよ! 最近までいなかったはずだ!」
「なら……これがブラッドベノムが仕掛けた罠ということですか……!」
すかさずトウゴは無線機を使って、他車両へ警告する。
「襲撃だ! まともに戦って勝てる相手じゃねえ! ヘッドランプをつけて、一気に田園地帯を抜けろ! ヤツの視界が届かないところへ逃げ込むんだ!」
言われてすぐに、他車両がヘッドランプを点灯する。それまで続けてきた徐行運転を取りやめ、一気にアクセルを踏んで加速し始めた。全車両、目指すは田園地帯の向こう、坑道へ続く道だ。
上空を旋回飛行している翼竜は、口蓋から燃えさかる炎を漏らしている。口の中に炎を溜めて放つつもりなのだろう。空から、強烈な火炎放射を行う前動作をしていた。
「ヤバい、あれを喰らったら全滅だ! なんとか他が逃げられるように、気を逸らさねえと!」
トウゴは窓を開けて、そこから身を乗り出す。
無駄だとわかっていながら、上空の翼竜をめがけてショットガンを乱発する。
「こっちだ、デカブツ! 他を狙うんじゃねえぞ!」
挑発するつもりで乱射しているトウゴへ、翼竜は視線を向ける。
どうやら目論見通り、攻撃のターゲットはトウゴとアズサの車両になったようだ。
翼竜は他の車両を追跡することをやめ、トウゴの車の後を追いかけて飛んでくる。
アクセルを踏みつけ、ハンドルを操作しながら、アズサが冷や汗を浮かべて尋ねた。
「注意をこちらに向けたのは良いですけど、どうするのですか。火を噴かれたら、避けられません」
「避けられるさ」
トウゴはおもむろに、左眼を覆う眼帯を外した。
青白く輝く水晶の眼が覗くと、それを垣間見たアズサが驚いた顔をする。
「その眼は……!」
「カールからもらった、聖遺物だ。“自分の生存時間”を代償に、対象物に流れる時間を超加速させることができる」
トウゴは車のダッシュボードに手を当て、言った。
「時間の加速には代償が伴う。1分で1年。それだけ俺は歳をとる。こちとら、1時間も加速し続ければ老衰しちまうんだよ。元々は、長寿の種族である機人族が使う前提で設計されたモノらしいから、人間が使うと、やたらに条件が不利だ。けど……ここは使うっきゃねえよなあ!」
口蓋に大火をため込んだ翼竜が、それを地上へ向けて解き放つ。
吐瀉物のような高熱の紅蓮が、トウゴの車両の上空から迫り来る。
「時の魔眼――――」
トウゴが瞳の力を解放すると、車の周囲の時間が静止したように見える。その様子に驚きながらも、アズサはアクセルを踏み続けた。翼竜の火炎の攻撃範囲外まで出たところで、トウゴは時間の加速を終えた。遅れて、業火が車の後方一帯を焼け野原にした。
ルームミラーに映る後ろの地獄絵図に肝を冷やしながら、アズサは言った。
「物体の時間加速だなんて、ずいぶんなチート能力ですね」
「おかげで助かっただろ? 今ので半年分くらいは寿命を使ったけどな」
翼竜の初撃は凌げたものの、すぐに次の攻撃へ備えなければならなかった。