3-4 怪物狩りの少年
サキとトウゴは、佐渡が受けた致命傷にショックを受けていた。怪物紳士が歩み寄ってきているのに、その場で立ち尽くして動けない2人に、イリアは思わず舌打ちする。
「しっかりしたまえ、2人とも!」
言いながらイリアは、腿のホルスターから、自動拳銃を抜き放つ。
そのまま手早く安全装置を外し、照準をつけて連続で発砲した。
狙いは、怪物の胴体。
射撃のプロでないなら、急所である頭を狙うより、的が大きい胴の方が当てやすい。
イリアの射撃の腕は悪くなかった。
弾道は怪物の胸と腹部に命中する軌道で放たれる。だが着弾する直前。怪物の姿が一瞬、ノイズで歪んだように見え、直後に1メートルくらい横へ移動していた。銃弾は怪物にかすりもせず、むなしく空を切る。
「馬鹿な、瞬間移動……?!」
そうとしか思えない挙動だ。
イリアは立て続けに、何度も発砲してみた。
だが怪物への直撃弾は、全て瞬間移動によって回避されてしまい、当たることがない。
「嘘だろ! あいつ物理法則とか無視してねえか!?」
「銃が効かないの?!」
「みたいだね。この場は戦わず、撤退するしかない」
何事もなかったような余裕の態度で、ゆっくりと歩み寄ってくる怪物紳士。
イリアが言う通り、ここは逃げるしかない状況である。だが、2人は動けない。
まだ死んでいない佐渡を置いていけず、立ち止まっている様子だった。
「……残念だが、死なせてやるべきだ」
イリアは、佐渡の傍に転がっていた、無死の赤花が入ったランタンを蹴り飛ばす。途端、佐渡は電源が切られた玩具のように、身動き1つ取らなくなる。
真っ青になったトウゴが、イリアに向かってわめいた。
「イリア、何てことしやがる! 花の効果は周囲1メートルくらいしかなかったんだぞ!」
「知ってる。そんなことより、怪物が来ている。モール内へ逃げるよ」
イリアはトウゴの手を引いて、ショッピングモールの内部へ向かって駆け出した。
その後を追いかけるよう、サキも続いて駆け出した。
「なんてこった! お前、佐渡先生を殺しちまったぞ!」
「おいおい。世間一般の常識から、感覚がだいぶ剥離してきてるね。あれは本来なら“もう死んでいた”の間違いだろう?」
屋内は無人だったが、電気照明は、営業中と同然に点灯していた。
モールに入ってすぐの場所は、生鮮食品や日用品などを取り扱うコーナーになっている。おそらくスーパーマーケットだろう。
背後から迫り来る、怪物の視界から逃れるべく、イリアは商品陳列棚の並ぶエリアをジグザクに駆け抜けた。そうして走りながら、トウゴへ続けて言った。
「あのまま無死状態を続けていれば、佐渡先生からすれば、ただ死ぬほど苦しい時間が続くだけ。重要な神経や血管が集まっている頸椎が折れていたんだよ? あんな状態になっていたら、無死状態で仮に病院まで運べたとしても、もはや現代医学では治療不可能だ。それにこの状況。佐渡先生を担いでは逃げられなかっただろう?」
「……!」
「それより今のボクたちは、自分が生き延びることを考えるべきだね」
この窮地にあっても、イリアはかなり冷静な判断ができているようだ。サキとトウゴは、それを内心で認めてしまう。あの時、佐渡を担いで逃げることを考えていた。だがそうしていたなら、怪物から逃げ切れるとは思えなくて、判断に迷っていた。
佐渡を連れて行くか。自分の命を取るか。瀬戸際だった。
そしてイリアの判断は、残酷だが、決して間違っていなかったように思える。
ただ、佐渡の無残な最期を思い出すと……助けられなかったことに心が痛んだ。
スーパーマーケットのエリアを抜け、イリアたちはエスカレータを駆け上る。
2階は、いろんなブランドのアパレル店舗が集まっているフロアらしい。
洒落た服で着飾ったマネキンが、あちこちの店舗入り口に見受けられている。
バルコニーのような造りになっている通路から、吹き抜けになっている1階の様子を見下ろした。イリアは、自分たちが入ってきた入口付近を指さして言う。
「あの怪物紳士……どうやら、ボクたちのことを諦めていないね。追ってきているよ」
怪物紳士は、こちらの姿を見失っている様子で、周囲をキョロキョロと見回している様子だった。
3人は手近な柱の陰に身を潜める。
サキは取り出したハンディカムを使い、敵の姿を拡大表示して観察した。見ていて、ふと気が付いた。
「待って。異常なくらいに長身で、細身。それにタキシードよね……。あれもしかして“細身の紳士”かしら」
「それは何だい?」
イリアの疑問に対して、サキは自身のオカルト知識を披露する。
「子供たちに付き纏うストーカー同然の怪物よ。その顔を見た人は、精神に異常をきたして狂い死ぬって言われてるわ。でも細身の紳士は架空のキャラクター。2009年頃に、ビクター・サージっていう人物が創作した、実在しない怪物だって公表されてるんだけど……あれは、それっぽく見えない?」
「特徴は、合ってるみてえだな……」
ふと、怪物紳士が――――かぶっていたシルクハットを取った。
「!」
目深にかぶっていた帽子が外れると、怪物紳士の顔が露わになる。
目も鼻も口もない。髪もない。異様なまでに真っ白な、坊主頭が現れる。
刹那、それを目撃した3人の両眼に激痛が走る。
膨張した頭部の血管は、眼球を血走らせ、目玉から視神経を伝わって、脳髄の奥に電流を流したような痛みを生じさせる。文字通り、頭が爆発しそうな激痛だ。
「があああああああああっ!」
「きゃあああああああああ!」
「ぐぅう……!」
3人は頭を抱え、たまらずその場に膝をついてしまう。
怪物の顔を、それ以上は見ていられなかった。
怪物を見ないでいる間は、頭部の痛みが引いていく。
息を切らし、涙目のイリアは、自分の目の前の空間に目を向ける。
そこに――――怪物紳士の長い足が見えた。
「しまった!」
イリアたちの悲鳴で、居所を割り出しのだ。
自分を観察しているであろう獲物たちに、あえて顔を見せることで、声を上げさせた。
そして瞬間移動で、一瞬にして近くまで転移してきたのである。
――――賢い!
ここへ来るまでに見かけた、影人間などよりも遙かに知能が高く。そして恐ろしいまでに危険な“異能”を持った相手だ。
「やべえ! もう近くに来てやがるぞ!」
「逃げなきゃ!」
先ほど感じた激痛を恐れ、イリアは怪物紳士の顔を見ることに躊躇ってしまった。だが、相手の行動を見て対処するためには、様子を見ないわけにはいかない。思い切って自身の顔を持ち上げてみる。すると怪物紳士は、またシルクハットをかぶって顔を隠してくれている様子だった。
「……クク。実に面白い。冒険とはこうでなければ……!」
命の危険にさらされている最中でも、イリアは不敵な笑みを浮かべて呟いた。
ほんの数瞬だけ。イリアは怪物の様子を見ることを躊躇った。
その隙が致命的な状況を生み出してしまった。怪物紳士は、すでに攻撃行動に入っていた。
避けられない。
「なるほど、それで佐渡先生を殺したのか」
近くで対峙するまで、目視できなかった。
怪物紳士の背中からは、無数の“透明な触手”が生え出ている。
まるで水のような透明度であり、天井近くまで、それらが長く伸びていた。おそらく伸縮自在なのだろう。ある程度の長さまで伸びたところで、全ての触手の鋭い先端が、一斉にイリアへ向けられていた。
確信する。イリアの身体を、刺し貫くつもりだ。
「――――――――しゃがめ、イリア」
「!」
頭上から声が聞こえた。
割り込んできた少年の声に従い、咄嗟にイリアは、その場で身をかがめる。
次の瞬間、吹き抜けになった3階通路から、飛び降りてくる1人の少年がいた。イリアの傍へ着地すると同時に、イリア向かって飛来してきた槍のような触手の数本を、手にした騎士剣で切り伏せる。
「雨宮くん!?」
「部長と先輩! 柱の陰に隠れて!」
窮地に飛び込んできた少年、雨宮ケイは、警告するなりイリアを抱きしめ、その場に伏せる。怪物紳士の足下には――――すでにケイが投げ終えていた“手榴弾”が転がっている。
炸裂音。
爆発の炎熱と共に、周囲の空気が震える。建物も僅かに振動し、最寄りのアパレルショップに飾られていたマネキンたちは、吹き飛ばされてバラバラになる。
怪物紳士は爆発の寸前に瞬間移動して逃れ、すでにその場を離れていた。
瞬く間に、1階フロアの生鮮食品コーナーへ移動している。
倒すことはできなかったが、後退させ、距離を取ることには成功した。
それはケイの作戦通りである。
自らを抱きしめているケイに対し、イリアは咳払いをする。
「遅かったじゃないか、雨宮くん」
「銃声が聞こえてから、すぐに戻ってきたつもりだ。これでも早い方だぞ」
「どうでも良いさ。ボクの虜になってるわけじゃないなら、そろそろ放してくれるかな」
ケイはその場で立ち上がり、イリアが起きるのに手を貸してやった。
そうして、自身が切り落とした、怪物紳士の触手を見下ろして考え込む。
「雨宮、お前すげえな! 上の階から飛び降りてきて、あの怪物を追い返せたぞ!」
「油断しないで! アイツ、まだこっち見てるわ! 今のうちに逃げましょう!」
「いえ。待ってください」
即時の撤退を提案するサキとトウゴへ、ケイは奇妙な話しを始めた。
「今まで、いろんなホラー映画とか見てきて、ずっと不思議に思ってることがあるんですよ。未知のモンスターに遭遇した時の人間って、みんな逃げ惑うだけで、どうして誰1人として“戦う”ことを選ばないのかって」
「……雨宮、お前なんの話ししてんだよ、急に?」
「この触手を見てください。切れましたよね? しかもアイツ、手榴弾の爆発に巻き込まれないように逃げました。つまり、物理的な攻撃が有効だってことです」
そう論じるケイの顔を見て、思わずトウゴは背筋が凍る。
自身の知る後輩とは、別人に思える雰囲気である。
冷たく仄暗い目。階下の怪物紳士を、じっと見つめている。
この状況には似つかわしくない――――狂喜の笑みを浮かべながら。
「あいつは、自分が人間よりも強くて優位な存在だと信じ込んでいる。だから、ああしてオレたちをすぐに殺しに来ない。オレたちのことを観察して、出方を窺いながら、嬲っているんです。教えてやりましょうよ。逃げる人間ばかりじゃない。たまには――“殺しにくるヤツもいる”ってね」
トウゴへ言い捨てるようにして、ケイは2階通路から、吹き抜けの1階フロアへ飛び降りていく。寝具コーナーのベッドの上へ着地して、怪物紳士へ歩み寄っていった。
「マジか! 正気かよ!」
「やめて無茶よ! 雨宮くん!」
制止の声に振り向くことすらせず、ケイは怪物紳士へ向かって駆け出していた。
正面から向かってくるケイを迎撃するべく、怪物紳士は背中の触手を尖らせて、ケイへ向かって一斉に放出した。どうやら触手は伸縮自在なだけでなく、銃弾のように撃ち出すこともできるようだった。
透明度の高いそれは、まるで見えない弾丸である。
だがケイは、攻撃の前動作と気配を、敏感に察知していた。触手の弾丸が飛来してくる直前に進路を変え、傍にあった商品陳列棚の後ろへ転がり込む。触手の弾丸は、数瞬前までケイがいた虚空を貫くのみだ。
次弾がすぐに飛んでこないことから、ケイは気付く。
「視覚で、オレのことを追っているな?」
怪物紳士からは、陳列棚の陰にいるケイの姿が見えないようだ。
だから触手の弾丸を闇雲に撃ち込んでこない。当たらないかも知れないからだ
つまり相手の索敵方法は、視覚検知。
周囲には陳列棚が無数に存在し、怪物から死角となる場所が多い。
ケイは、自身の姿を隠す遮蔽物として棚を利用し、遠回りをしながら、着実に怪物と自身の距離を詰めた。
ケイが姿を隠したことを気取ると、怪物紳士は当てずっぽうで触手の銃弾を連射してきた。いずれも陳列棚をたやすく貫通し、いくつかはケイの傍を掠めて飛来してくる。ケイのおおよその位置は把握されてるようだ。おそらくは、足音と気配を探知されているのだ。
ケイは、途中で見かけた調味料コーナーへ向かって、手榴弾を投擲した。
爆発と共に、調味料コーナーにあった小麦粉などの粉末系製品が吹き飛び、白い濃霧を生じさせる。その霧は怪物紳士の周囲へ広がり、途端に視界が悪くなる。
目眩まし。
その隙にケイが攻撃を仕掛けてくる作戦なのだと、怪物紳士は予測する。
愚策だ。ケイは自身が発生させた霧によって、自身の視界も奪われているのだから。
怪物紳士は瞬間移動で、即座に霧の渦中を抜け出そうと考える。霧を構成している主成分は、小麦粉など。粒子が重たいため、高いところから低いところへ落ちていく物質だ。つまり高所なら、すぐに視界が晴れる。なら、移動先として好ましいのは高所。そして、動きの素早いケイを仕留めるなら、間合いが広く離れすぎない場所が良い。
怪物紳士は、最も最寄りの、最も高い位置へ移動する。そこはスーパーマーケットエリアの中央。マスコットキャラクター像の、頭の上だ。高所であるため霧に覆われておらず、周囲がよく見渡せた。
どうやら、すでに霧は晴れてきている。ごく短時間の目眩し効果にしかならなかったようだ。その僅かな隙をつけなかったケイの作戦は、失敗したのだろう。
そう思った怪物紳士は――――背中から、散弾銃の銃口を押し当てられる。
「そうさ。知能があるなら、ここへ来ることを選ぶよな?」
「!」
トリガーを引くと、ストックを通じて、ケイの肩へ重たい反動衝撃が走る。
銃口から吐き出された散弾は、容赦なく怪物紳士の胸部をぶち抜いた。
怪物の赤い血しぶきと肉片が、虚空に向かって飛び散る。
2階から攻防を眺めていたサキとトウゴは、信じられないものを見ている気分だった。
「うそ…………まともに戦えてるの? ……あれと?」
「しかも優位じゃねえか……!」
怪物紳士は悲鳴のように咆吼を上げている。
まるで、その絶叫を楽しんでいるように、イリアが妖しく微笑んで語り出した。
「――――あるところに、男の子がいた。彼の知能指数は168。誰もが将来を有望視する天才だった。けれど少年には1つ、致命的な欠点があった。それは“家族想い”だったという点さ」
怪物紳士は苦痛に耐えかねて、マスコット像の上から転げ落ちる。長距離の瞬間移動ができないくらいにダメージを受けたのか、短距離の転移を断続的に繰り返して逃げ始めた。
「彼の家は貧しくてね。懸命に働く父親と、片足が不自由な姉のため、自らの、将来を犠牲にする選択を繰り返していた。結果として、彼の才能が世間に知られる機会は失われたけれど、彼はそれに後悔したことなんてないそうだ。なにを引き換えにしても、家族のことが大切だったから」
ケイは散弾銃の弾をリロードしながら、逃げていく怪物紳士の背を目で追っていた。
「ある日、そんな彼の家に怪物が訪れた。怪物は少年の目の前で、彼の家族を無残に殺した。それから少年は、怪物への憎悪と復讐心にかられる日々を送った。やがて程なくして、狂気の道へと至ったんだ。一心不乱に、ただ“怪物の殺し方”を研究し始めたらしい」
ケイは再び、狂喜の笑みを浮かべる。
「希代の天才は、独自に、幾度となく試行と実験を繰り返してきた。オカルト部の活動と称して、暗がりに潜む怪物たちの居所を探し出し、そして見つけては密かに殺す。天才が、その才能の全てを“怪物狩り”に捧げたなら、果たしてどうなると思う? 彼はただの人間でありながら、人間よりも強力で超常なる存在を仕留め続けてきた。そうしていくうちに、彼もいつしか“怪物”になっていたんだよ」
狩る者と、狩られる者。
その立場は、もはや完全に逆転していた。
ケイは、逃げていく怪物の背を追跡する。
「ご覧よ。あれが――――“怪物たちにとっての怪物”。雨宮ケイだ」
愕然と戦況を凝視し続けるサキとトウゴへ、イリアは真実を告げた。