10-45 静剣
メイドのネロ・カトラスは、銃剣を手に、ダラリと両腕を垂らす。脱力した動作で、ユラリと頭を振ったかと思った次の瞬間、姿を消していた。リンネが目を丸くして、声を上げる。
「消えた?!」
ネロの姿を見失ったリンネのすぐ後ろで、ガギンッと、鋼がぶつかり合うような音がする。慌てて振り向けば、リンネの後頭部をめがけ、すでにネロが銃剣を振り下ろし終えている姿が目に入った。その刃を、エリーが虚空に張り巡らせた鋼線の束で、ギリギリ受け止めている。
「フヒッ! いつ私の背後に!?」
「ネロさんを相手に、一瞬も油断しないでください、リンネさん。……死にますよ?」
微笑むことをやめた、真顔のエリーからの警告。助けてもらえていなければ、今頃はリンネの頭部は、銃剣でスイカのように割られていたことだろう。目で追えない速さで動く敵だ。真っ向勝負では、対処できない敵であることを、リンネは自覚せざるをえない。恐怖による冷たい汗がジットリと、リンネの全身へ滲む。
銃剣を鋼線で受け止められてすぐに、ネロは背後へ跳躍して後退する。そうしてエリーと距離を置いてから、面倒そうにぼやいた。
「うーんむ。ザコから片付けようかと思ったけど、やっぱ、エリーゼ様を先に殺らないと簡単じゃなさそう」
「面倒を避けるために、近道ばかり考えるのは、貴女の悪いクセですよ、ネロさん。私は貴女よりも格下ですが、私の戦闘スタイルは、貴女の“力場魔術”に対して優位。易々とは抜かれません」
「そうなんだよねえ……」
ネロは面倒そうに溜息を漏らす。
そうしてから、得意な魔術を発動する。
「――――“加速場”」
前動作もなく、ネロの身体がフワリと浮かび上がり、エリーの頭上高くまで到達する。まるで見えない手につまみ上げられ、空へ引っ張り上げられたようにも見えた。そのまま虚空で静止し、エリーを見下ろしてくる。
滞空するネロを見上げ、ジェシカが驚いた顔をする。
「何あれ、空を飛ぶ魔術?!」
「厳密には違います。ネロさんは、魔術によって力場を操ります。“力が働く方向”を制御するんです。今のは、下から上へ向かう力が生じる場を生じさせたのでしょう」
リンネは耳を疑う。
「フヒィ。力の向きを操る魔術……希少魔術です!」
「なるほどね。人間離れした身体能力があるわけじゃなく、自分を撃ち出す“発射台”みたいな力場を生み出して、高速移動を可能にしてるってわけ。リンネの背後まで一瞬で移動したトリックね」
「ええ。メイドなのに、家事全般を面倒くさがるネロさんが、掃除や片付けを簡略化するために編み出した術です。魔術獲得に至った理由は不純ですが、とても強力ですよ」
「ふざけたヤツ……!」
上空のネロがほくそ笑む。
「お喋り終わった~? じゃあ、始めるよ~!」
魔術で新たに生じさせた力場によって、ネロの身体は、投げ出されたように射出される。そうしてエリーをめがけ、彗星のごとく飛来する。対してエリーは、前方へ鋼線の結界を張り巡らせた。考え無しにエリーへ近づけば、鋼線の網でなます斬りになるだろう。ネロはぼやく。
「は~、めんどくさ。だからエリーゼ様とは相性悪いのよねえ」
鋼線の結界の編み目を抜けるべく、ネロは細かい方向転換を繰り返す。そうしながら、エリーへ向かって飛びかかった。肉迫してすぐ、ネロは銃剣の刃をエリーに向かって振り下ろす。鋼線を束ねた棒を形成し、エリーはそれを受け止めた。そのまま互いに、何度も武器をぶつけ合い、火花を散らしながら、エリーとネロは斬り結んだ。
「くっ……!」
頬に浅い裂傷をつくり、エリーは苦悶の声を漏らす。
接近戦は、互角ではなかったのだ。
ネロの方が見るからに手数が多く、エリーは刃を受け止めながら、少しずつ後退を続けていた。一歩下がるごとに、浅い切り傷が増えていく。ジェシカとリンネは雑魚扱いで眼中にないのだろう。目もくれていない。ネロは面倒そうに刃を振るいながら、エリーを追い詰めていた。
恩師の劣勢は、ジェシカを驚かせた。
「ウソでしょ……? あのエリー先生が、防戦だなんて……!」
「ひええ、すごいレベルの戦い!」
戦慄しているリンネへ、ジェシカが言った。
「アタシたちのことは完全に眼中にないみたいね。上等じゃない。見る物見せてやるわ」
「フヒ。ジェシカちゃん、何する気?」
「いつもの作戦でいくわ。アタシが現象理論を構築している間、リンネがアタシを守って」
「いつもの作戦って……まさか“浮遊砲台作戦”?!」
「そのまさかよ。頭上は大抵、敵の死角になってる。そもそも、このフロアの床に大穴を開けなきゃいけない計画だったでしょ? 上から大技を叩き込むわ」
言うなり、ジェシカは集中し始めた。複雑な現象理論を脳内で構築し始めると、青白い光の文字が、ジェシカの周囲を取り囲むように生じては、消えていく。意見を聞く間もなく、作戦を開始しているジェシカに戸惑うものの、やむをえないと、リンネは覚悟を決める。
「もぉ~!」
重力魔術を使って、ジェシカの身体を宙へ浮かせた。そのまま頭上高くまでジェシカの身体を持ち上げると、ジェシカは、斬り結ぶエリーとネロを見下ろす位置についた。
程なくして、現象理論構築が完了する。
ジェシカは目を見開き、両手を眼下のネロへ向けて突き出した。
傷つけられた妹を想う気持ちで、涙がこぼれる。
「地獄へ落ちろ、クソ女!! ――――灼熱彗星!!」
憎しみのこもった、ジェシカの荒げた叫び。虚空に大きな魔法円が出現する。そこから隕石のような大火球が飛び出し、直下のネロめがけて落下していく。ジェシカの動きに気が付いていたエリーは、すかさずネロを蹴りつけて距離を空け、そのまま大きく後退した。
エリーの得意な交戦距離は、中距離だ。近距離戦を不利と見て、間合いを取りたいだけだろうと、ネロは考えた。だが、それにしては過剰なまでに後退するエリー。怪訝に思ったのも束の間、凄まじい照度の光が頭上に現れ、驚いたネロは頭上のジェシカに気が付いた。
「……は?」
あまりにも巨大な火球が、空から自分めがけて降ってきていた。慌てたネロは魔術で力場を発生させる。エリーとは反対方向へ向けて、全速力で後退し、火球の弾道から逃げ出した。
間一髪でネロは、ジェシカの魔術の直撃を免れる。火球は着弾した地面を瞬時に溶解させ、そのまま床を貫いて、大穴を開けた。火球に焼き切られた床の建材が剥き出しとなって、むせかえるような熱気を周囲へ放つ。床穴は完全に地面を貫通しており、その向こうには、青空が見えた。上下が逆さまになって建っている館であるため、床穴から陽光が差し込んでくる。
大穴を覗き込んで、エリーがほくそ笑んだ。
「予定通り。ジェシカの魔術で“最短の脱出路”を造り出すことができましたね」
「あっはは……! 何、今の……?」
さすがのネロも動揺を隠せず、引き攣った笑いを浮かべて、上空のジェシカを見上げた。
「今のはさすがに驚いたよ、小っこいの。まさか、こんなにぶっ飛んだ威力の魔術を放てる人間が、このアークにいたなんてねえ」
「アタシは人間なんかじゃない。魔人よ」
ネロは、アクビをする。
「フーン。まあ、なんでも良いけど。とりあえず、エリーゼ様が頼るだけあって、ただのザコってわけじゃなさそう。魔術の威力は脅威マックスってとこー? あんまり甘く見ると、あたしでもヤバいかもかー」
頭上に浮かぶジェシカを睨み上げ、ネロは皮肉げな笑みを浮かべる。
「で? 見たところ、身体能力は一般人と変わらないでしょ? ――――これ避けられんの?」
銃剣の引き金に手をかける。撃鉄が動き、マスケット銃の弾が発射された。滞空中のジェシカには、それを避ける自由などない。ましてやネロの指摘通り、ジェシカに銃弾を避ける身体能力などないのだ。必殺の1発である。
「リンネ!」
「わかってるよ!」
リンネは、さらなる重力魔術を発動させる。
直後、ネロの周辺一帯の重力が重くなった。
急激に重くなった自分の身体に、ネロは驚いた。
「がっ……! 身体がおもっ! これってまさか、重力を操る魔術?!」
同時に、ジェシカへ飛来する銃弾の速度が低下する。遅くなって威力が落ちた銃弾を難なくかわし、ジェシカは悠然と地面へ着地した。そうして、すでに構築を終えていた“次弾”の現象理論を解放する。
「今度は外さない! 妹を傷つけたこと、後悔させてやる!」
ジェシカは両手をネロに掲げ、喉が傷つくほどに声を荒げて叫ぶ。
「――――灼熱彗星!!」
再び灼熱の火球が出現し、ネロをめがけて放たれる。先程とは違い、リンネの魔術による足止めを受けている状況だ。今からネロが回避行動をとっても、完全に避けることは不可能なタイミングである。かすりでもすれば致命傷となる威力の魔術だ。
覚悟を決めたのか、ネロはその場から逃げ出そうとしない。迫り来る火球に向けて銃剣の切っ先を突き出し、真正面から受け止めようとしている様子だ。しかし、受け止められるような魔術ではない。火球は容赦なくネロの姿を呑み込み、火中へかき消し、間もなく爆裂四散する。燃えさかる炎の破片を周囲へ散らしながら、火球はネロへ直撃した。
「やった……!」
たしかな手応えがあった。勝利を確信したジェシカは、思わず拳を握り、不穏な笑みを浮かべた。ジェシカとエリーは、リンネの傍へ再集結し、燃えさかる景色の中に敵の姿がないかを確認する。念のためにそうしてはいるが、果たして、そうすることに意味があるのか。おそらくネロは、塵一つ残さず蒸発したはずである。姿が見つからなければ、勝利と考えて良いはずだろう。
だがすぐに、目を疑うような光景を目の当たりにする。
火球の爆心地に――――無傷のネロが立っていたのだ。
銃剣を肩に担いだ格好で、かったるそうにアクビをしている。無傷とは言っても、着ていたメイド服の端々が黒く煤けて破けているが、本人にダメージなど見受けられない。凄まじい火力を真正面からぶつけられたのに、まるで何事もなかったような、余裕の態度である。ジェシカもリンネも、愕然としてしまう。
「フヒ……どうしてあの人、生きていられるの……!?」
「信じられない!? 今のは、直撃だったはずでしょ!」
「いいえ、直撃していません。あれは“静剣”という技術です」
エリーは冷や汗交じりで、苦笑しながら説明する。
「静剣とは、静かなる剣。制する剣であり、征する剣。シュバルツ流の奥義で、マナの流れを、受け流す技です。理屈は簡単ですが、実践できる者など、この世界に指で数えられるほどしか存在しませんよ。ましてや、ジェシカの魔術ほどの威力を受け流すとなれば、神業です」
「静剣……!」
「それが、第2階梯の実力ってわけ……!」
魔術とは、現象理論に従って発動する、マナの異常現象。つまりは“マナの流れ”と呼んで差し支えのない現象なのだ。それを御して受け流す芸当ができる人間がいるなどと、誰が考えるだろう。
非常識。
そうとしか言い様がない。
相手にしている敵が、超人じみた存在であることを理解し、ジェシカとリンネは青ざめる。静剣の使い手であるネロには、魔術が効かない。そう言うことができるのではないか。だとすれば、魔術しか戦う術を持たないジェシカたちからすれば、絶望的である。
怯みかけているジェシカへ、エリーは穏やかに微笑みかけた。
「相手がどんなに強くても、この世に存在している以上は、殺害可能です。そのことは、これまでにケイ様が何度となく証明してくださったことでしょう?」
「……!」
「こんな時、ケイ様ならきっと諦めませんよ。必ず勝利への糸口を見つけ出すことでしょう」
エリーの言葉で、ジェシカの瞳には勇気が宿る。少なくともジェシカの士気を取り戻せたことを察し、エリーは鋭い眼差しを、再びネロへ向けながら告げる。
「静剣を使わせる暇を与えず、そこへジェシカの魔術が当たれば、ネロとて無事では済みません。なんとか私が隙を作りますから、そこへ遠慮無く、魔術を撃ち込んでください」
「そんなことしたら、エリー先生も巻き添えになるかもしれないわよ」
「構いません。相手の方が強いのです。教えたでしょう? 守っていたら殺されます」
「……了解。なんとか避けてくださいね」
「お任せください」
言うなりエリーは駆け出し、再びネロとの接近戦を繰り広げ始めた。今度はリンネも、遠方から重力魔術で援護する。ネロの足回りの重力を重たくし、その動きを遅延させようと必死である。エリーとリンネの連携で気を引きつつ、その間にジェシカが、次なる大砲の魔術を準備した。
「は~~、うざ。個々人は大した実力じゃないくせに、連携がよくできてるじゃん」
自分たちの勝ちを信じているエリーたちの目を見る。
ネロは、それに心底からウンザリしてぼやいた。
「あんたらさー。……その程度で、本気であたしに勝てるとでも思ってるわけ?」
「……!」
エリーは気付き、敵の間合いへ踏み込む足を止める。
それ以上の攻撃行動が危険だと判断したのである。
――――周囲の景色が歪んで見えるのだ。
凸レンズを通じて、光が屈折しているような。空間が歪んでいるように見える場所が、エリーの周辺、あちこちに生じていた。
エリーは、その現象について知っている。肉眼では見えない何かが、虚空に配置されており、それによって、景色が歪んで見えているのだ。前回、ネロと戦った時には、その技を初見で受けてしまったため、敗北を喫したのである。
「これは……“残撃”ですか」
「エリーゼ様が見るのは2回目だったね。なら、すぐに引っかからないのも仕方ないかー」
「……刃を振るった場所に、しばらく“斬撃を残す”という技。ネロさんの力場魔術を応用し、遅効性ベクトルによって、質量を持った刃の残像を生じさせる技でしたね。触れれば斬られる、空間配置の罠のようなものです」
「あたしはすでに攻撃を終えていて、あちこちにそれを“置いてきた”ようなもの。ウッカリと触れれば、容赦なく身体がバラバラに切断されるよ~。前回みたいに片脚だけで済めば良いけど。せいぜい気をつけて」
次話の更新は月曜日を予定しています。




