3-3 無死なる者の末路
黒い影の怪物たちのサイズは、大小、様々だった。大人のような背丈の個体や、子供のような背丈の個体。いろいろと種類が存在する様子である。いずれも、懐中電灯の光を当てられると近づいてこないし、誤って街灯の下に入れば、すぐに慌てて逃げ去って行った。
「なんか……思っていたよりは無害なのね、影人間って」
拍子抜けした様子のサキが、手近な黒影を照らして遊んでいた。
光を当てられると、一目散に暗がりの方へ逃げていく。
「明かりを向ければ、逃げて行くみてえだ。光に弱いってのは、どうやら本当だな」
「もしかして、今まで心霊スポットを探索する時に、明かりを消さなかったから、コイツ等のこと撮れなかったのかしら。というかコイツ等って世界中で目撃されて心霊映像として記録されてるわけだし、間違いなく知覚不可領域の外にもいるのよね」
「そういうのは、はぐれ者とかじゃないですか? こういう知覚不可領域から、誤って外に出てしまった個体かもしれないですよ」
「なるほどね。なーんか、世の中で撮影される、心霊映像のカラクリを垣間見た気分だわ」
特にこれと言った危険に見舞われることはなく。ケイたちは、影人間たちが、たむろする道路の中央を、堂々と通過することができてしまった。
北方向へ少し歩いた先で、急に視界が広く開けてきた。
アスファルトで舗装された、広大な駐車場に行き着いたようだ。その駐車場を隔てた向こう側に、大きな白塗りの建物が見えていた。その建物の入り口と思わしき、自動開閉ドアが複数並んだエントランス前までやって来た。
ケイたちは目の前の建造物を見上げる。4階建てで、巨大倉庫のような景観だ。
サキが見たままを言った。
「これって。つまり“ショッピングモール”よね?」
「おそらく……ここが目的地だと思います。虚数座標を元に計算した座標はこの辺のはずですし、この建物以外には、周囲にめぼしいものがありません」
よく見る有名チェーン店の看板が、エントランスに飾られている。
入り口にはショッピングカートが整然と並び置かれ、買い物カゴが山積みにされていた。
他の店と同様に、店内に明かりが灯っているが、人の姿は皆無の様子である。
エントランス前から店内を覗き見て、イリアも感想を言った。
「こんなところから、シケイダは暗号発信を? 想像とは違った、意外な場所だね」
「シケイダはレジ打ち店員か何かか? 本当に、ここで合ってんのかよ……?」
全員が怪訝な顔をしてしまう。
ふと、ケイが口を開いた。
「提案があります」
いつもの仏頂面のまま、店内を横目にしながら続ける。
「ここから先は屋内です。外にいる時より、隠れる場所は多くなるかもしれませんが、逃げ回れる場所は少なくなります。陳列棚とか、物がたくさんあると、それだけ死角も多くなりますし、どんな怪物が潜んでいるのかもわからない施設の中に、初見のまま入ってウロウロするのは危険だと思います。なら誰か1人が先に入って、一通り偵察してきた方が良い」
「偵察って……誰が行くんだよ?」
「オレが行きます」
口調によどみはなく、ケイは淡々と宣言した。
「不測の事態に陥って、集団で逃げ惑うことになるよりも、オレ1人の状況の方が逃げやすい。オレが先に入って、中の状況を確認してきます。退路の道順を把握できてから、全員で入ることにしましょう。部長や先輩たちは、安全だとわかってから入って来て欲しいです」
「そんなの危なすぎるよ、雨宮くん……!」
思わず、サキはケイの手を掴んで引き留めてしまう。
「あ! ご、ごめん……」
だが、慌てて手を放す。顔が少し赤面していた。
サキの意見に、トウゴが強く同意した。
「吉見の言う通りだぜ。お前1人で行くなんて危なすぎだと思うぜ。せめて俺と一緒に、2人で行くべきなんじゃねえのか。運動神経で言えば、俺はこのメンバーの中でなら良い方だろ」
反対するサキとトウゴに詰め寄られ、ケイは困った顔をしていた。
だが、そんな中でイリアが意見を口にした。
「ボクは雨宮くんの意見に賛成だよ。雨宮くん1人の方が良いと思うね」
「なっ、イリア! お前どういうつもりだよ!」
危険な場所へ、ケイが1人で行くことを容認するイリア。そんな薄情な意見が出ることに、トウゴは驚いた。だがイリアに続いて、申し訳なさそうに、佐渡も言い出した。
「すいません、トウゴくん。実は、僕も雨宮くんとイリアさんに賛成なんですよ。ここは1つ、雨宮くんに中の様子を確認してきていただくのが良いかと」
「マジかよ、佐渡先生まで?!」
『私も、ケイの意見に賛成です。浦谷との戦いを思い出してください。修羅場において、ケイはこの中の誰よりも、俊敏に対応できるでしょう。それがケイの才能です』
ダメ押しのように、アデルが持論を述べた。
それを聞いたサキとトウゴは、一理あることを認めて、黙ってしまう。
「3対2。決まりですね。そういうわけなんで、オレが偵察に行ってきます。イリアや先輩たちは、ここで待っててください。20分くらいで戻ると思います」
話しがまとまったことを察し、ケイは躊躇った様子もなく、自動ドアをくぐっていった。その態度からは緊張も恐れも感じられず、サキとトウゴから見れば少し異常だった。
よく思い起こせば、雨宮ケイという人物はこれまでにも、要所要所で、何か態度がおかしかった気がする。あまり深く考えないようにしてきたが、今のサキとトウゴは、それらを思い起こさざるをえない。
モールの奥へ姿を消していったケイの背を見送り、トウゴは険しい顔で呟いた。
「あいつ。本当に行っちまいやがったぞ……」
「大丈夫なのかしら……」
心配している2人の様子を傍目に見ていたイリアが、微かに笑っていた。
その小馬鹿にした態度に苛立ち、サキが不快そうに、イリアへ尋ねる。
「なにを笑ってるのよ」
「いや。君たちは、ボクよりも雨宮くんと長い付き合いだって言うのに、意外と雨宮くんのことを知らないんだなと思ってね。それが何だか、おかしくて」
サキに続いて、トウゴも苛立った口調で聞いた。
「そりゃあ、どういう意味だ……?」
険悪になりつつある空気の中、慌てた様子の佐渡が口を挟んだ。
「イリアさん……! その話しは止めてあげてください。雨宮くんはたぶん、お2人に知って欲しくないんだと思います」
「わかっているさ。ただ、殊勝なことだと思っていたんだよ。彼にとって君たちは、数少ない友人であり、数少ない“普通の人生”の一部なんだろう。君たちが本当のことを知ったなら、きっと君たちは、彼の傍から離れていく。彼のような人間にも、まだ恐れることがあったらしい。存外、雨宮くんは人間らしいと思い直していてね」
佐渡とイリアは、ケイについての何かを隠している。
だが、サキとトウゴに、それを教えるつもりはない様子だった。
トウゴは頭にきて、少しケンカ腰の口調で尋ねてしまう。
「いったい、雨宮の“何”を知ってるってんだ……?」
露骨な怒りを向けられても、イリアは涼しい顔のままである。
「怪物が潜む異常な都市。ボクたちは今、そういう場所をうろついているんだよ? この状況で、彼が長く隠し通せるはずがない。なら、すぐにわかるだろうさ。わざわざボクから、説明するまでもない」
「そんな答えで納得できるかよ! 今すぐ教えろって!」
「――――しっ! 静かに!」
本格的なケンカになりかけたところで急遽、佐渡が全員に警告する。
頭に血が上りかけていたトウゴだったが、その警告からは鬼気迫るものを感じた。
冷や水を浴びせられたように、怒りの矛先をおさめざるをえない。
ひどく緊張した様子の佐渡が、無言で隠れるように促してくる。
手近な柱の陰へ、急いで隠れた。
佐渡が目を向ける先に、全員の視線が否応に集まる。
そこには――――“鹿”がいた。
見たこともないほど、巨大な鹿である。自動車よりも一回りほど大きい体躯である。世の中には、体長が3メートルにもなるヘラジカという大鹿がいるらしいが、おそらくそれと同等だろう。大木の枝のように、立派な角を頭から生やしていた。
どうやら、1頭だけで単独行動しているようだ。
暗がりの中に佇んでおり、まだ遠目に見えているだけのため、正確なことはわからない。
雨音の中、アスファルトを踏みしめる重々しい足音が、こちらに近づいてきているようだ。
「あのデカさはヤバい……! 見つかって襲われたら、ひとたまりもねえ……!」
「おそらく、あれは浦谷と同じタイプの怪物ですよ……!」
物陰に隠れながら、鹿を指さす佐渡が断言した。
その意味がわからず、トウゴは眉を捻り、首をかしげた。
「はあ? 同じタイプって……そもそも人型ですらねえじゃんか。なんであの鹿が浦谷と同じなんだ?」
「よく見てください」
ショッピングモールの屋内から漏れ出る光に照らされ、鹿の姿は鮮明になった。
途端、気味の悪い全体像が理解できた。
その生物は、鹿ではなかった。
植物のツタのようなものが複雑に絡まり合って“鹿の形を成している物体”であった。頭から生え出ている角は、折れて先が割れた、無数の道路標識によって構築されている。
「あれ……なに? 動物? 植物……?」
サキの疑問に、佐渡は固い唾を飲み下しながら答えた。
「浦谷の死体を解剖して、いろいろわかったことがあります。彼の骨格は、硬質な植物のツタであり、信じられないことに“複数人から摘出したもの”と思われる、遺伝子が異なった臓器を有していました。おそらく植物が本体であり、その周りを、複数の人間からかき集めた血肉によってコーティングし、人の形を成していただけ。そういう生物に思えました」
イリアが推察を口にした。
「植物が、複数の人間から部品を寄せ集めることで、人の形をしていた生物だったということかな? さしずめ、浦谷は“肉を纏った植物”か」
「ええ。まさに、あの鹿モドキも同じでしょう。浦谷とは違って、身体に取り込んでいるのは有機物だけでなく、金属などの無機物も含まれるようですが……ただ鹿の形をしているだけの“植物”です」
「興味深い。植物の怪物というわけか……」
佐渡に倣い、トウゴたちは息を殺し、物陰に隠れ続けた。
そうして、どれくらい経ったのかわからない。
やがて鹿は、トウゴたちの近くを通りすぎ、道路の向こうへ姿を消して行った。
重々しい足音も、遠く離れて聞こえなくなる。
ようやく緊張から解放され、それぞれが安堵の息を漏らした。
「どうやら、やりすごせたか。マジで危なかったな」
「あんなのに襲われた、絶対に死んでたわよ……」
危機が去ったことを確信し、思わずお互いに笑みがこぼれてしまう。
佐渡が一同を見渡し、気を取り直して言った。
「いやー危なかったですねえ。それじゃあ油断せずに、ここからも――――」
佐渡の言葉が、小骨が折れるような、パキっという音と共に途絶える。
脈絡なく、佐渡の頭が後ろへ強く弾かれたかと思うと、次の瞬間、佐渡の頭は、首の皮だけで胴と繋がった状態で、背中の方へブラリとぶら下がる。
「…………え?」
仰向けに倒れていく佐渡の姿が、まるでスローモーションのように見えた。
雨に濡れた黒いアスファルトの上へ、佐渡の身体は大の字に倒れる。
呆然とするトウゴたちの前で、佐渡はつまり、首の骨を折られて殺されたのだ
「きゃあああああああああああああ!」
サキの悲鳴が、雨音の中に響く。
瞬く間に何者かが攻撃を仕掛けてきて、それによって佐渡が死んだ。
そうとしか言い様がない。
「あそこ、見ろ! 誰かいるぞ!」
トウゴが指さす先は、駐車場の中央である。
黒いタキシードを着込んでいる。細身であり、長身の男だ。
よく見れば、異様なまでに背が高い。2メートル以上の、スラリとしたスタイルである。
その顔は、目深にかぶったシルクハットによって隠されていた。
いつからそこに立っていたのか。
あるいは鹿に気をとられ、接近されていることに気付かなかっただけか。
「あれも植物の怪物なの?!」
「あいつがやったのか?! あんな遠くから、どうやって……!?」
イリアが、首の折れた佐渡の状態を確認していた。
「佐渡先生は、まだ生きている!」
「はあ?!」
言われて見れば、佐渡は“無死の赤花”入りのランタンを腰に提げていた。その効力のおかげだろう。本来なら首を折られて即死だったはずだが、まだ死には至っていない様子だ。だが意識があるわけではないらしく、ただグルグルと不気味に、焦点の定まらない目玉を回し続けている。
呼吸もできず。喋ることもできず。目尻からは涙が流れている。
死ぬほど苦しいのだろう。痛いのだろう。
生殺し同然だ。
「こんなの酷すぎる……!」
無死の赤花を持っていれば死なない。心のどこかで、そのことに安心していた。
だがこれでは、死なないのではなく、死ねないだけではないか。
佐渡の残酷すぎる状態を見て、トウゴたちは、完全に血の気が失せる。
無情にも、雨足は強くなっていく。
唐突に現れたタキシードの怪人は、何も語らず、ただゆっくりと歩み寄ってきた。
その場の全員に、確実なる死を与えるために。
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