10-29 カリフォルニア防衛指令
窓の向こう。眼下に見下ろせる、雲海の景色が広がっている。その雲の海から突き出るようにして露出した、白い岩石の大樹が、いくつも遠くに見えていた。成層圏にまで達する巨木の数々は、グレイン企業国が管理している、白石塔だ。その大樹の中には、内世界で「北米」と呼ばれる、下民たちの社会が存在している。
クルステル魔導学院から飛空艇に乗り込み、およそ3時間の旅の最中だった。
窓際の座席に腰掛けながらも、サム・パトリックが見ているのは景色ではない。自身のAIVで再生し、眼前に展開しているホログラム動画だ。大講義室に、総合戦略学科の学生たちを集め、説明会を開いているセイラ学科長の姿が映し出されている。
『――――数日前。すでにメディア報道もされた通り、アデル・アルトローゼ様と、四条院アキラ様のご婚約が、世間へ正式に発表されました』
ホログラム映像のセイラ学科長が、教壇で話しを始めた。
『帝国にとって唯一、“敵対人”の国家であるアルトローゼ王国が、帝国と“和平同盟”を結ぶ。お2人の結婚は、その象徴となる出来事であり、帝国史に残る記念すべき式となるでしょう。会場の地として選ばれたのは、奇しくも、グレイン企業国が管理する白石塔の1つ。北米、カリフォルニア州。結婚式は、今から約3ヵ月後。本年の9月です』
セイラは咳払いをしてから、続ける。
『これに際して、企業国王である“暴怒卿”、アルテミア・グレイン様からの特別なご指示をいただきました。クルステル魔導学院は例年、白石塔内での“現地実習”を行っています。本年は、カリフォルニアを拠点に行うことで決定されました』
「カリフォルニアかあ……」
サムは、独りでぼやいてしまう。
内世界においては最大の覇権国、米国合衆国。そこは連邦制度の国であり、カリフォルニア州は、そんなアメリカを構成する州の1つである。合衆国内では、最も人口の多い州であり、太平洋に面した西海岸の地だ。最大の都市は、有名なロサンゼルス。1度は観光で行ってみたいと、偶然にも、サムが以前から思っていた場所でもある。
映像のセイラは続けた。
『普段、白石塔へ一般人が出入りすることはできませんから、内世界のことについては、映像や情報でしか知らない学院生の皆さんも多いことでしょう。ですが皆さんは将来、帝国騎士団の一員となり、白石塔の管理を任される立場になるかもしれません。ですので毎年、当学院生には、特別に内世界への滞在が許可されています。今年も、約3ヵ月間の現地実習を行う予定です。この実習は必修ですので、卒業のためには必ず受講していただく必要があります』
「そう言われたら、履修しない選択肢なんてないよな」
サムの隣席に腰掛けていたケインが、苦笑いを浮かべて話しかけてきた。いつの間にか、サムの動画を共有表示して見ていた様子である。ケインと同じように、サムも苦笑してしまう。
『実習課題は毎年、異なるモノになっています。しかし先程お話しした通り、今年は暴怒卿から特別に課題を頂戴しています。――――“不穏分子の排除”です』
セイラの視線が、鋭くなった。
『3ヵ月後、カリフォルニア州において要人の結婚式が行われます。式には各国の著名貴族だけではなく、七企業国王までもが、一同に会する予定になっています』
「何度聞いても、スケールの大きな話だ……」
「本当だね。こんなの、かつてないような式典だと思うよ……」
ケインとサムは呻ってしまう。
『それ故に、会場を狙った攻撃を仕掛けようと、不穏分子たちが動き出している可能性は非常に高いと言えるでしょう。結婚式の情報がメディアで報道された後、獣人のテロリストたちや、支配権限の通用しないアルトローゼ王国の過激派。そこから派生した、各企業国に潜伏しているテロ細胞たちの活動が、活発になっていると言う報告があります』
情報が世間に公になったのだから、それを見て、良からぬことを計画する者たちも、もちろん存在するのだろう。実際にセイラは、そうした動向を掴んでいる口ぶりである。
『会場警護を任されているグレイン企業国の騎士団は、無論のこと、警戒を強めています。ですが今は、人手が欲しい状況。警備計画を完璧なものとするために、当学院が協力することになりました。皆さんには、グレイン騎士団の現地指揮をする隊長の指揮下に入っていただき、現地の捜査機関と一緒に、不穏分子が潜入していないかを監視し、あるいは見つけ次第に討伐していただきます。それに際して、白石塔の下民を、支配権限によって従わせることができるように調整された“支配の指輪”を配布します。それを使えば、白石塔内のあらゆる場所に立ち入ることができるでしょう。結婚式が無事に終わるまでの3ヵ月間、現地実習を続けていただきます』
一通りの説明を聞いて、サムは動画を終了させる。
そうして、ケインや自分の指にはめられた、指輪を見下ろす。
「支配の指輪かあ……。自分よりも下位の者に、命令を強制させることができる力、支配権限を行使するための道具だよね。まだ僕は、実家から正式なのをもらえていないけど……まさかそれより先に、学院から貸し出ししてもらえちゃうなんてなあ。初めて使うよ、こんなの」
「何気に、オレもだよ。それで? おさらいは終わった?」
ケインに尋ねられ、サムは溜息を吐く。
「まあね……。説明会の時には、まだ退院できてなかったから。あ、この動画の撮影ありがとうね」
「セイラ学科長の許可を得てたから。後からサムにも見せてやれってさ」
「……」
サムは、動画を見始めた時から浮かない顔をしている。もっと言えば、この飛空艇に乗り込む時から、ずっとだ。その理由なら、ケインには察しがついている。
「……本当に、これで良かったのか、サム?」
ケインに尋ねられていることの意味が、わかっているのだろう。
サムは苦々しい表情をしていた。
「どうしてサムの命が狙われたのか、まだわからないし。犯人が誰なのかもわかってないんだぞ。しかも学科長の予想じゃ、この総合戦略学科の生徒に紛れているかもしれないって話だ」
言いながら、ケインは周囲の座席を見渡した。
女子生徒たちに囲まれて談笑しているアルや、取り巻きの前で偉そうにしているアーサー。いつもの同学年の顔ぶれが、見受けられた。しかも今年の現地実習は上級生も参加するらしく、別の飛空艇に乗って、同じ目的地へ移動中なのだ。つまり先日の新入生歓迎パーティーに集まっていた、容疑者たちが勢揃いの状況だ。
「こうやって学院の授業に参加してたら、サムは、また危険な目に遭うかもしれないだろ?」
「でも必修の授業なんだから、仕方ないさ」
「……状況が状況なんだ。学科長に相談したら、単位の話だって、何か優遇してもらえたかも」
仮定の話をするケインに向かって、サムは苦し紛れに微笑んで言った。
「セイラ学科長から、僕は食中毒で倒れたんだって、両親へ説明してもらったよ。僕が誰かに毒殺されかけたなんて話をしたら即刻、学院を中退させられて、実家へ連れ戻されるかもしれないだろ? せっかく合格した難関校なのに……自分から辞めちゃうなんてバカみたいだ。学院に残って問題を解決するためには……確実に犯人じゃないってわかってる、ケインと協力するしかないよ」
「……」
「それにたぶん学科長は、僕をオトリにして、犯人を誘い出すことも考えてるんじゃないかな。班分けで僕とケインを組ませたり、上級生もこの実習に参加させたりしてるし」
サムの予想は、おそらく正しいと思った。
一応、実習に参加したいというサムの希望を汲んでの判断なのだろうが、セイラ学科長は、サムに危険があることを承知の上で、参加を許可したはずなのだ。そうした意図は、犯人たちの目の前に獲物をチラつかせれば、また何か動きを見せるのではないかという思惑があってのことだろう。実際にセイラ学科長は、今回の実習では、サムの周辺を“監視する”のだと言っていた。味方であると認識されているケインには、セイラはある程度、手の内を明かしてくれているのだ。
「たぶんそうだろうな。けど、犯人だってサムが監視されていることは承知してるだろう。下手には手を出してこないと思う」
「……正直、今は周りの誰も信用できない。僕が生き残るためにも、頼りにしてるよ、ケイン」
縋るような目で見られ、ケインは険しい顔で応えた。
「……ああ。もちろんだ」
「ハハ。冴えない田舎貴族の僕なんかが、どうして命を狙われるようなことになってるのか、見当もつかないけどさ。こんな僕に味方をしてくれるのは、ケインだけだね……」
「そんなことないさ」
「そんなことあるよ。試験会場へ向かう列車で、君と出会えて、本当に良かった。ありがとう」
サムは寂しげに微笑みながらも、ケインに感謝の言葉を告げる。それを聞きながら、ケインは何としてもサムを守らなければならないのだと、自分へ言い聞かせた。これまで友人だと思ってきた同学年の仲間たちを、仲間と思えない心境なのだろう。そんな不安な思いで実習に参加しているサムの気持ちを考えると、ケインは辛かった。
やがて飛空艇は、目的地へ到達する。
巨大な岩石の白樹、カリフォルニア白石塔。近づけば巨大な白い壁にしか見えない、壮大な規模の建造物である。白石塔を造りだしたのは真王であると聞いているが、1万年も前の技術で、いったいどうやって建造したのか。容易には想像もできない。
白石塔の壁面に蜂の巣状の穴が空いている部分が見えてきた。そこは飛空艇の離発着に使われている空港である。飛空艇は穴の1つに進入すると、トンネル内に設けられた滑走路のような場所へ着陸する。生徒たちは艇内のアナウンスに従い、下船の準備を始めた。
列に並んで、順番に船を下りていく生徒たち。
ケインとサムは、最後尾だった。
「――――やあ、ケイン・トラヴァース。それに、サム・パトリックだったか」
「……?」
空港の入管ゲートへ向かって行く、生徒たちの列について行こうとしたケインとサムだったが、いきなり呼び止められて、足を止める。予期せず声をかけてきたのは、見たことの少女だ。
美しい金髪のロングヘア。透き通るような碧眼を持つ、美しい少女だ。耳にはピアスをしていて、首には十字架のネックレスをしている。左手の薬指には指輪をしており、身につけているアクセサリは、大貴族としては控えめな、その程度のものだけだった。スレンダーなシルエットが際立つ、パンツスーツ姿だった。
その少女には、見覚えがあった。
「ええ?! 新歓パーティーでケインとキスしようとしてた、レインバラード夫人!?」
「イリアクラウスさん……?」
待ち構えていた少女、イリアは、不敵に笑んで見せる。
「すでにセイラ学科長の了承は得ている。君たちには、しばらくボクの“護衛”を頼むつもりだ」
以前に出会った時とは異なる、良からぬ気配を湛えて、イリアは告げた。