10-28 敵性貴族
四条院家の自室へ帰ってくるのは、久しぶりである。
護衛に連れて来られ、部屋の扉を閉めると、ようやく1人になれた。
父親との会話を終えたアキラは、何事も起きなかったことに安堵する。急に呼び出されたこともあり、タイミングからして、てっきりエリーとの密会が知られたのだとばかり思っていた。帝国の指名手配犯と会うこと自体がマズいのだが、エリーの話では、そうしたことが周囲に知られれば、アキラの命が危うくなるのだと警告されている。いったいどういう状況なのか、いまだに詳細はわからないが……。ともかく、よくない事態に巻き込まれているのは間違いないのだ。しばらくは隠密行動を続けるしかない。
「しかし……。まさか僕が、父上から、四条院家の未来を託されることになるなんて」
意外。
むしろ、奇妙にさえ感じられた。
淫乱卿、四条院コウスケにとって、自分の子供など玩具も同然だ。無節操に女を孕ませ、無計画に生ませ、適当に育てては、気分次第で殺す。実子であるアキラやキョウヤのことを、表向きには“自分の後継者”だのと言ってはきたが、そんなのは口先だけだと思っていた。
なぜなら、アキラが次の企業国王になるためには、今の企業国王が空位にならなければならない。自分本位の淫乱卿が、存命中に、アキラへその座を譲り渡すとは思えないのだ。それなのに、最近は王位継承の話ばかりをしてくる。本気で、自分の後任のことを考え出しているような態度だ。
「まさか……父上の不老処置にも問題が生じて、先が長くないのか……?」
その可能性が、脳裏をよぎった。
先代の淫乱卿は、不老処置の失敗によって、老いの進行が進み、生きることをやめたのだと、さっき聞かされたばかりだ。その失敗の理由が、遺伝的な要因なのだと仮定すれば、もしかしたら実子の四条院コウスケにも、同じ問題が生じている可能性がある。
老い先が長くないとわかったから、死ぬつもりなのか。
そうだとしたら、アキラは喜ばしい反面。
少し寂しい思いもあった。
「……恐ろしい怪物のような男とは言え、たった1人の父上なのだ。その死を喜ぶことは……」
間違っている。
そう感じた。
結局、父親の真意がどこにあるのかは見当もつかないが、自分の後任のことを真面目に考えている様子であるのは間違いないだろう。アキラは複雑な思いであったが……今はなすべきことをなそうと、頭を切り替える。
今日の予定は他にない。
あとは転移門を経由して、アルトローゼ王国へ戻るだけだ。
愛しい妻と、今日は食事の約束をしている。
それを楽しみにしていた。
だが、その前に連絡するべき相手がいた。
アキラはAIVでホログラムのメニュー画面を表示させる。
王族用の秘匿回線アプリを使用し、通話を追跡されないように設定した。
そうして通話コールを開始する。
程なくして通話口に出た相手の姿が、ホログラム表示でアキラの前に現れる。白衣を羽織った、獣耳の少女だ。目の周りに隈を作った眠そうな顔で、恨めしそうにアキラの顔を覗き見てくる。
「お忙しいところ、呼び出してすまない。ドクター・ステラ」
獣人の医者、ステラは苛立った口調で応えた。
『まったく。出産して間もない女を捉まえて、死にかけの女の治療を求めるとは。非常識にも程があるぞ、四条院アキラ』
腰に手を当てて、皮肉してくる。
アキラは苦笑して詫びた。
「……倫理なき医師団。金さえ積めば、たとえ患者が、悪の独裁者だろうと、悪魔だろうと、差別することなく治療する。指名手配されてるエリーゼを秘密裏に助けてくれるとしたら、君たちしか思いつかなかったんだ。連絡して紹介された最寄りの医者が、まさか産後間もない君だとは思ってなかったんだよ。しかも獣人の医者だとは……」
『おい。獣人だと何か問題があんのかよ?』
ステラの背後で、椅子に腰掛けている男の獣人が、睨んでくる。漆黒の毛並みの、アルトローゼの豪将、ジェイド・サーティーンである。アキラは自分の失言を引っ込める。
「……失礼。悪い意味ではなかった」
『フン』
腕組みをして、ジェイドは不貞腐れた態度を取っていた。機嫌が悪そうな自分の夫と、アキラのやり取りを見ていて、ステラは疲れたように嘆息を漏らす。
『まあ。何だろうが構わんさ。正直なところ、ここ最近は子供の夜泣きの対応と、授乳を繰り返す生活ルーチンで、頭がおかしくなりそうだった。しばらくザナたちが世話をしてくれているし、気分転換に、逃亡犯の面倒を見るのも悪くない。それに、どんな状況だろうと、医師団のルールに従わなければ、除名されてしまう。医師団の有する知識や設備は凄まじい。その恩恵を享受できなくなるのは、損だからな』
「助けてもらって、感謝している。指名手配されているエリーゼを、秘密で診てくれるとしたら、君たちの医師団しか、心当たりがなかったんだ。再生治療器まで使わせてもらって、ありがたい限りだ」
『勘違いすんじゃねえぞ。俺たちは、テメエを手助けしてるわけじゃねえからな』
ジェイドが忠告してくる。
『四条院家のテメエに協力するなんて、本来なら死んでもゴメンだってんだ。だがな。お前が連れてきた死にかけの女。エリーゼ・シュバルツの方には、俺たちはデカい借りがある』
「……」
『アデルたちが暗愁卿を倒した後、駆けつけた勇者たちを撃退するのに一役買ってくれたんだ。あの女がいなかったら今頃、アデルたちは勇者たちに殺されていただろうよ。そうすりゃあ、この王国も存在しなかった。……俺のダチも、助けてもらったみてえだしな』
アキラへ悪態をつくジェイドに、腹を立てていたのはステラの方だった。
『おい、ジェイド。さっきから偉そうだな』
『!?』
『治療してるのは私であって、お前はそこで見学してるだけだろう。そこで悪態をついてるだけで暇なんだったら、私の代わりに、赤ちゃんへ授乳してこい』
『はあ?! 男の俺が、そんなのできるかよ!』
『出産も授乳もできんとは。役立たずの脳筋め。なんで私の仕事場に、お前が首を突っ込んでくるんだ』
『そ、そりゃあ! 夫婦間で隠し事をしないって約束したろ! だからお前が、四条院の依頼を受けることを、事前に話してくれて、嬉しかったっつーか……同時に心配でよお……!』
『だから見学して、四条院をなじるだけなのか。大したナイト様だな、お前は』
『う、うぐぐ……!』
ステラの前で、タジタジになっているジェイドを見て、ひとまず尻に敷かれているのであろうことは、すぐにわかった。アキラは苦笑する。
落ち込んでしまった様子のジェイドを尻目に、ステラはアキラへ言った。
『さて。旦那が横やりを入れて、話しをこじらせて悪かったな。それはそうと、頼まれていた件についてのことだ。たしか、諸事情で四条院家の情報網を使えないという話だったな。トラヴァース家とやらについて、こっちで軽く調べてみたぞ。まあ、調べたのは王国の機密アクセス権を持っている、騎士団要人の、私の旦那なんだがな』
『フン。テメエの要望通り、リーゼやレイヴンたちに気付かれないよう、コッソリと調べてきてやったよ』
ステラに話を振られたジェイドは、水を得た魚のように、得意気な顔をする。アキラに苛立ちながらも、ステラに頼られて嬉しそうである。アキラは真顔で尋ねた。
「それで。早速なにか、わかったのかい?」
『幸いにも、エヴァノフ企業国が残したデータベースの中に、色々と情報が見つかった。妙な話だが、“敵性貴族”という分別で登録されてやがったぞ』
思いもしない単語を耳にして、アキラは目を細める。
「え? 敵性……? それは、どういう意味だ」
『文字通りだろ。エヴァノフ企業国にとって敵性の存在として、警戒されていたってこった。その素性は、隣国のグレイン企業国所属の貴族。当主はハイネル・トラヴァースだそうだぜ。北方、ヘリカルド山脈の一帯を統治している田舎領主。表向きは、だがよ』
「表向き……?」
『つまり“裏の顔”がありやがるわけだ。どうやらエヴァノフ企業国は、トラヴァース家を“諜報員養成所”だと推察して、監視していたらしい』
あまりにも予想外な話を聞かされて、アキラは閉口してしまう。
『ヘリカルド山脈は、隣国のローシルト企業国との国境になってんだろ。国境ってのは、密入国者が多かれ少なかれ、やって来るもんだ。そういう連中は大抵、住所もねえ、市民権もねえような“最初からいないも同然の人間”が多い。そこから何人か失踪しても、誰も気付かないし、騒ぎにもならない。ど田舎だし人目も少ないだろうから、誘拐するなら、し放題ってこったな』
「……トラヴァ-ス家は密入国者を誘拐して、スパイに育てている一族だと?」
『情報によれば、らしいな。当主のハイネル・トラヴァースは、元帝国騎士で、先代企業国王の側近を務めたこともある有力者だって話しだ。若くして引退してるようだが、実績からして、辺境の田舎領主に収まるような器じゃねえよ。実際のところは今も現役で、グレイン企業国の密命を受けてスパイを養成してて、他企業国に送り込んでは、諜報活動をやらせてるんじゃねえかと疑われてるみてえだ。まあ、決定的な証拠を掴んでるわけじゃねえ。人口推移と、国境失踪者の情報を照らし合わせた結果の“疑惑”に止まってるけどよ』
「スパイ養成だなんて……いったい何の目的で」
『そりゃあ、あれだ。グレイン企業国は農林水産、ようするに軽工業が基幹産業だ。帝国人たちの衣食住の半分を支えていると言って過言じゃねえから、国力として弱っちいわけじゃねえ。だが、テクノロジーや魔術、資源などについては、他企業国に“依存”するしかねえ国でもある。他からモノを買うときの交渉で有利になるために、“相手の弱み”を調べ上げんのは、処世術なんじゃねえのか? 実際、グレイン企業国の諜報活動と思われる小規模戦闘や、暗殺なんてのも、アークの各地で起きてるしな』
「バカな! そんなことをすれば、今頃は人類不滅契約違反で大事になってるだろう! この平和な帝国の世に、他国に潜入させるスパイなんてものの必要性など、皆無だろう! 帝国では人間同士の争いなど起きたことがないんだぞ、デタラメを言うな!」
真王が人類と交わした契約。
企業国同士、しいては人類同士の争いを禁じる条文がある。
それはこれまで、ずっと帝国が遵守してきた絶対の原則だ。
思わず感情に任せて否定してしまったアキラ。だがそれを見るステラとジェイドの表情は、反感ではなく、呆れ顔だった。驚いたように、ステラはアキラへ尋ねてきた。
『おいおい。まさかとは思うが……企業国同士の“対立構造”を知らんのか?』
「……対立構造?」
『かぁ~~。テメエは頭のおめでてえ、温室育ちの王子様かよ。世間知らずにも程があらあ。こんなんと、どうしてアデルはくっつこうなんて思ったんだか』
「……なんだと!」
苛立つアキラを、ジェイドは小馬鹿にしたように、鼻で笑う。
そうして語り始めた。
『良いか? 真王は人類不滅契約によって、企業国同士の争いを禁じた。だから1万年間、帝国内に戦争が起きてねえってのが、帝国人の言い分だったよなあ? 帝国の一般市民ってのは、だいたいの連中が本気でそう思い込んでやがる。まさかそれが、帝国騎士団長まで務めてる、四条院家のお坊ちゃんまで同様だったとは。呆れちまうってんだよ。世間のことは何も知らねえ、脳天気ときてやがんな』
「……何が言いたい」
『争いが起きてねえって言い分はなあ。企業国同士が表立って、デカい戦争をやってねえってだけだ。大勢が命のやり取りをするような争いがねえだけで、企業国同士の“権益を巡った争い”なんてのは、アークのあちこちで、普通に起きてやがることなんだよ』
「……権益を巡った争いだって?」
『たしかに。テメエ等、企業国王の一家ともなれば、世界の富を極めたような連中だ。金に困るってことがねえから、そういう小額を巡った小競り合いには、無頓着なのかもな。だがな。小金持ちの貴族連中や、テメエ等が下々と見下す市民連中は、いつだって金が欲しくて飢えてやがる』
ジェイドは溜息を吐き出してから、面倒そうに頭を掻く。
何も知らないアキラへ、教えてやった。
『たとえば、ハイテク科学産業を基幹にしているシエルバーン企業国と、魔術産業を基幹にするバフェルト企業国は、対立している。仮に獣人たちとの戦争を予定している都市があれば、そこへ無人機を売りたいシエルバーンと、生物兵器である異常存在を売りたいバフェルトでは、客の取り合いになっちまうだろう? そこで1つの小競り合いが発生だ。政略、暗殺、小規模な内紛。ルール無用で何でもありだ。人間同士の争いが無いなんてのは大嘘だ。実際のところは“細かいの”がたくさんあるんだよ』
「……知らなかった……」
『人間ってのは、どいつもこいつも、金、金、金だ。自分の利益を最大限にするために、いつでもどこでも、平気で殺し合ってやがる。企業国同士ってのは仲が悪いし、基本的に対立してんだ。それでも、大がかりな戦闘さえやらなきゃ、ノーカウントってか? 小規模な戦闘は、帝国の言う“企業国同士の争い”にゃ入らねえらしいな。都合が良い解釈なこったぜ』
企業国同士で争いが起きても、それが小規模な争いであれば、帝国は目を瞑って、なかったことにしている。つまりジェイドは、そう言っている。アキラの知らないところで、そうしたことは日常茶飯事で、人間同士はこれまで、ずっと殺し合い、騙し合いを続けているのだと言われているのだ。上澄みの社会事情しか知らなかったアキラにとっては、信じられない話である。
「そんなことが……今まで僕の知らないところで、実際に起きていたのか……?」
『世界が綺麗じゃなくて、残念だったな。言っとくが、シエルバーンと、バフェルトだけじゃねえからな。武器商人のエレンディア企業国は、武器を売るためにどんな小競り合いでも、わざとなるべくデカい戦いにしようと、裏工作しに顔を出しやがる。金融成金のローシルト企業国は情報通で、各地で起きるそうした政略や殺しの情報を掴んで、投資の材料にして儲けてやがる。みんな仲良しこよしを装いながら、背中では銃を突きつけ合ってるようなもんだ』
「……」
アキラは言葉を失ってしまう。
本当に、そうした汚い社会の裏事情とは無縁に生きてきたのだろうか。ジェイドの説明に、少なくないショックを受けている様子だった。アキラを小馬鹿にしたジェイドだったが、その態度を見ていると、なんだか妙に罪悪感が芽生えてしまう。
『ま、まあ。その辺は、テメエが連れてきたエリーゼ・シュバルツが詳しいだろうよ。意識が戻ったら、細かい話も聞いてみりゃいい』
「エリーに? なぜだ」
『おい……まさか。幼馴染みのくせに、それも知らねえのかよ? 本当におめでてえな、テメエは。その女は、グレイン企業国の元御三家、シュバルツ家の諜報担当だったろ?』
ジェイドは、私見を口にした。
『ならたぶん、トラヴァース家は、シュバルツ家の“子飼い”ってことになる。ユエとか言う女がトラヴァースを調べろって言ったのは、シュバルツ家と何か関係があるってこったろ』
「……エリーは、広報担当だったはずだ。諜報活動なんて……。いいや、僕の知らないところで、そうしたことをやってきたのか?」
アキラは、苦々しく表情を歪めた。
「僕はなんてバカだ。世間のことだけじゃない。幼馴染みのことさえ、こんなに何も知らないなんて……」
『……』
気落ちした様子のアキラ。
ジェイドとステラは、かける言葉を失ってしまった。
エリーの意識が戻ったら、また連絡することを約束し、通話は途絶える。
2人きりになって、ステラはジェイドへ言った。
「悪名高い四条院家の一人息子だが……父親とは違って、案外、善良なヤツなのかもしれないな」
「どうだか。人は見かけによらねえからよ。まだわかんねえだろ」
素直ではない夫の言い分だが、一理ある。
人柄を判断するには、まだ早いだろう。
だがステラは、複雑な気分になって、頭を掻いて言った。
「急に結婚を決めた、アデルの心変わりといい。それを騒ぎ立てない、リーゼやレイヴンといい。最近の王宮周辺は、なんだか違和感だらけだ」
「ああ。俺たちの知らねえ間に、首都で何かが始まってやがる。そんな気がしてならねえよ。ちょうど良い、あの無垢な四条院のお坊ちゃんを利用して、少し探ってやるとするぜ」
夫婦は黙って、互いに顔を見合わせた。
ストック話数が少なくなってきたため、しばらく書き溜め休載をします。
連載再開は5/26(木)になる予定です。