10-22 戦場カメラマン
兵庫県、形咲町――――。
人口1万人ほどの、小山に囲まれた町である。家々よりも、田畑や山の面積の方が広い。そんな自然豊かな景観が広がっていた。バイクに乗って、いくつかの峠道を越えた先で、トウゴとミズキは、その町へ到着する。麗らかな春の日差しが注ぐ、のどかな緑のど真ん中。道の駅を見つけて、そこに駐輪した。
バイクの後部座席から下りたミズキは、ヘルメットを脱ぐ。髪はボサボサで、疲れてゲッソリした顔をしていた。浴衣姿で着の身着のまま、旅館から逃げ出してきてしまったのである。しかも夜通し道路を走った挙げ句、こうして辿り着いたのは、とんでもなく田舎の町だ。聞きたいことも、言いたい不満も、山ほどある。
「トウゴさん……とりあえず着替えたいです……」
だがまず、降車してからのミズキの第一声は、それだった。ヨレヨレになった浴衣姿。しかも素足でアスファルトの上に立っているミズキを見て、さすがにトウゴも悪びれる。
「慌ただしくて悪かったな、ミズキ……。お前が大人しくしてくれていたおかげで、何とか逃げ切ることができたみてえだ。けど、そのせいで荷物を色々と置き去りにしてきちまったな……」
「良いから! 着替え!」
「うおっ! お、おお! わかった」
恨めしそうに睨んでくるミズキに、トウゴは気圧されて後退る。着替えを渡さなければ、今にも噛みつかれそうな勢いだ。
ここは道の駅。日本全国の国道沿いに、点々と存在しているサービスエリアのような場所だ。広めの駐車場に、売店がいくつか。土産物コーナーを覗けば、シャツくらいは売っているだろう。2人はひとまず、トウゴの手持ち現金で買い物をすることにした。
ミズキの満足がいくような服は揃っていなかったが、それでも何とか、見栄えは保てる程度のシャツとスカート、それに下着を購入することができた。試着コーナーを貸して貰って着替えた後、店に置かれていた鏡を見て、ミズキは険しい顔をしていた。
「いくら選択肢が少ないとは言え、なんか全体的に、野暮ったいコーディネートです……」
「コーディネートとか、文句言うなよ。旅館の貸し出し浴衣姿よりはマシだろ」
「誰に連れてこられて、こうなってると思ってるんですか!」
「うっ……」
ミズキに睨まれ、トウゴは口を閉ざしてしまう。
その後、ミズキの機嫌を取りながら、最寄りの立ち食いそばで腹を満たした。そうした後に、ようたくトウゴたちは活動を再開する。
「それで? そろそろ詳しい事情を説明してくれる約束でしたよね、トウゴさん」
「……」
ここへ来るまでの道中で、ミズキはトウゴから奇妙な話を聞かされていた。謎の指輪を身につけさせられ、それによって、ようやくミズキに詳しいことを話せる条件が整ったのだと言われていた。つまり、トウゴやミズキを追いかけてきている異形の者たちの正体について、教えてもらえるものなのだと思っていた。だが、それを改めて尋ねられたトウゴは、苦い表情をしている。できれば話したくないという態度が、透けて見えていた。
「説明するが……そりゃあ今夜の寝床を見つけられてからにしよう」
「……別に良いですけど。約束をなかったことにするのは無しですよ」
なるべく説明を後回しにしようとするトウゴを、少し不審に思ってしまう。だが今のところ、主導権はトウゴにあるのだ。ミズキは了承するしかない。
2人は再びバイクに跨がり、道の駅を後にする。
『どこへ向かってるんですか?』
ヘルメットのタンデム通信で尋ねてくる後部座席のミズキに、トウゴは応えた。
『相手はどうやら組織だってきてる。俺たちだけじゃ、逃げ回るだけでも大変だ。ここは味方を増やしておくべきだと思ってんだ』
『味方ですか? そう言えば、カールさんや、ユウトさんと連絡が取れない状況だって言ってましたよね。もしかして味方って、お二人と合流できるって意味ですか?」
『……いいや、それは難しそうだな。それとは違う知人が、今日はこの辺で仕事をしてるはずなんだよ』
『フーン。その知り合いの人に会うために、この田舎町へ来たんですか』
『まあな』
喉を裂かれたカールの死亡は、確認できていない。怪物と入れ替わった兄の安否も、わからない。2人とも殺されているかもしれないし、まだ生き延びている可能性もある。どちらも心配ではあるが、今は2人と接触することは、危険でしかないだろう。しばらくはトウゴの単独行動で、敵の追跡をどうにかするしかない。
『あの異常存在ども、どうやって俺たちの居場所を見つけやがったんだ……』
いまだに、旅館にいたトウゴたちが襲撃された原因がつかめていない。手持ちのスマホは処分していたはずであり、衣類やバイクに追跡装置の類いはつけられていない。追跡を巻く手順なら、カールからイヤというほどに叩き込まれているのだ。下手をした憶えもない。相手が組織だった敵とは言え、捜査機関ではないのだ。公道の監視カメラや、衛生を使った追跡ができるならともかく、そんなことまで、ただの半グレ組織にできるわけがないはずだ。
『……いや、待てよ』
だがそこまで考えてから、トウゴは冷や汗をかく。
『逆に考えろ。もしかして……捜査機関も関わってるのか?』
交差点の赤信号で停車する。
その信号付近に設置された監視カメラの1つを見上げ、トウゴは不穏な予測を口にした。
◇◇◇
道の駅を後にしてから、バイクは林道を走る。一応はアスファルトで舗装された道路だったが、砂利や木の枝が落ちていて、路面状況は悪かった。バイクの車体が上下に揺すられるたびに、後部座席のミズキが悲鳴を漏らしているのが聞こえた。
そうして山の奥まった場所まで来て、トウゴは小川の横の川岸にバイクを駐める。休日であれば、家族連れがバーベキューを楽しんでいそうな川辺である。そこには先客が何名かきているのが見えた。
「あれって……テレビ撮影ですかね」
降車してヘルメットを脱ぎながら、ミズキが言った。
近隣住民らしき老夫が岩の上に座っていて、その周囲を取り囲むように、テレビカメラを担いだ男と、照明機材を持った男。集音器を傾けている女性がいた。レポーター役は若い少女らしく、マイクを片手に老夫に何やら話しかけている様子だった。
「こんな山奥で、テレビ撮影ですか。いったい何の番組な…………え?!」
レポーター役の少女の姿を見るなり、ミズキは目を瞬かせている。
驚き唖然としている様子だった。
「ウソ……あれって、蔵田ヒナちゃん!?」
途端に顔を輝かせて喜んでいるミズキに、トウゴは首を傾げながら尋ねた。
「誰だ、そりゃ?」
「ええええ!? トウゴさん知らないんですか?!」
知らない男がいることに、ミズキはさらなる驚愕を覚える。
「最近、テレビCMとか、ニューチューブのネット広告に出まくってるアイドルじゃないですか! 元々、ネットの歌ってみた動画を投稿してた子で、すんごい歌唱力なんですよ! デビューアルバムのノースリーブなんて、私は何度も聞きましたよ! それでブレイクして、今は絶賛売り出し中の、期待の新人さんですよ! 大ファンです!」
「そ、そうなのか。最近のアイドルとか歌手って、よく知らねえんだが」
「何をおじいさんみたいなこと言ってるんですか! トウゴさん、私と2つくらいしか歳違いませんよね! 世の中のトレンドに疎すぎません!?」
「意外と辛辣なこと言うよな、お前って……」
「わー! どーしよ! ヒナちゃんがいるのに私、こんなクソださシャツとスカート着てる! 死にたくなってくるわ! というかなんでヒナちゃんが、この山奥の川辺でおじいさんと会話を!? もしかしてトウゴさんの知人って、ヒナちゃんだったりするんですかサイン欲しいんですけどよろしくお願いできますか!」
「落ち着けって、ミズキ。文節を区切らないで話すなよ……」
鼻息を荒くして、捲し立ててくるミズキ。さっきまで機嫌が悪そうだったのが治って、トウゴとしては、そのことには助かったと感じていた。だがミズキの質問には、残念ながら首を振る。
「いいや。あのヒナって子は、お目当ての人物じゃねえよ」
「そうですよね。知らなさそうな感じで話してましたもんね」
「察しが付いてるなら聞くんじゃねえよ……!」
トウゴは嘆息を漏らして続ける。
「知らない村人をつかまえて、その人の家、つまりは田舎に泊めてもらおうっていう企画の番組撮影をしてるって聞いてたんだ。この辺で撮影をやってるって言うから、足を運んだんだよ」
トウゴたちが話をしていると、それに気付いたらしいカメラマンの男が、撮影を中断する。どうやら休憩に入ったらしい。スタッフたちは機材をその場に置いて、水筒に入れたドリンクを飲み始めている。
カメラマンの男だけ、手を振りながら歩み寄ってくる。ボサボサの髪。釣り人のようなジャケットを着ている、ひげ面の男だ。近寄ってくるにつれて、がたいが良くて、身長が高いことがわかってくる。トウゴは手を振り替えしながら、ミズキに言った。
「俺は、あのカメラマンに用事がある。話をしている間、お前は、あのヒナとかいうアイドル? 歌手か? と話してきたらどうだ」
「え! 良いんですか!?」
「いや、確認しながらダッシュしてんなよ……」
トウゴの返事を聞かぬ間に、すでにミズキは、ヒナの方へ走って行った。その背を見送っていると、カメラマンの男が声をかけてくる。
「やあ。久しぶりだね、トウゴくん」
「お久しぶりッス。篠川さん」
トウゴは愛想笑いを浮かべ、カメラマンの男、篠川に返事をする。篠川は人当たりが良い。話し方や態度が爽やかで、暑苦しいひげ面でなければ、見るからに好青年と呼べる人物だろう。だがトウゴの知り合いである以上、当然のことながら“裏の顔”を持っている。
「いきなり連絡をもらって、驚いたよ。それで、僕に頼みたいことがあるんだって?」
トウゴは、懐からアンプル剤を取り出した。
救済兵器と呼ばれている謎のそれを、篠川に手渡す。
「これは? ……薬品か何かな?」
「本当はカールに頼む予定だったんだが、渡しそびれた。カールの代わりに、そいつの解析を頼みたい」
「解析を頼むって……トウゴくんね。僕はただのカメラマンなんだが、そこのところ、わかって言ってる? こういう得体の知れない薬品の成分を調べたりするのは、専門外だよ」
篠川は苦笑して見せる。
だがトウゴは、肩をすくめて言った。
「専門外なのは、わかってるよ。別に、大阪キー局で働いている、しがないカメラマンに、薬品の成分調査を依頼してるわけじゃねえ。“元戦場カメラマン”で、裏社会とのコネクションがある“紹介屋”、篠川スグルに頼んでるんだ。アンタのツテなら、こういう薬品を分析できる知り合いくらい、いるんじゃねえのか?」
「…………まあ、たしかに思い当たらないことはないよ」
篠川は受け取ったアンプルを手にしたまま、怪訝そうに尋ねてきた。
「けど、わからないな。トウゴくんが僕のところへ来る時は、いつもカスパールさんの使いとして、だったろ? なのに今回、カスパールさんからは何の事前連絡も受けていない。しかもカスパールさんに頼む予定だった仕事を、僕に任せようとしているんだろう? 頼めなくなった理由が、何かあるのかい?」
「今はちょっと、カールに問題があって……この件を頼めなくなったんだ」
この件に首を突っ込んだせいで、カールが殺されたかもしれない。そんなことを言えば、危険な仕事だと思われて、断られてしまうかもしれないだろう。篠川には悪いが、詳しい事情は話さない方が良いだろうと考えた。
今はとにかく、このアンプルの正体を突き止めることが先決なのだ。異常存在たちがトウゴとミズキを付け狙っている理由も、おそらく、そこにあるように思えてならないからだ。自分たちがどれほど危険な代物を持ち歩いているのか。それを知っておく必要がある。
「……その態度。詳しい事情は話せないってことかい。しかも、カスパールさんには秘密で調べて欲しいってことかな」
口を閉ざして、申し訳なさそうな顔をするトウゴ。
それを見ていた篠川は、ヤレヤレと、頭を掻いて言った。
「……そんな顔するなって。放っておけなくなるだろ? わかった、わかった。成分分析くらいなら別に危険もないだろうし、カールさんには内緒で引き受けてあげるよ。それに、仕事をする上で詳しい事情を知らない方が良いって言うのは、この業界じゃ常識だしね」
「ありがとう。助かるよ」
「ただし、依頼料はちゃんと貰うからね。僕たちの仕事は、そこのところはシビアじゃないと」
「わかってる」
篠川がアンプルを懐に入れたのを見て、正式に仕事を受けてもらえたのだと察した。そうしてからトウゴは、篠川に尋ねた。
「それで? 解析を依頼したら、どれくらいで結果がわかるもんなんだ?」
「さあねえ。僕はカメラマンなんだ。化学の専門家なんかじゃない。しかも関西の解決屋さんからの頼みなんだ。このアンプルは“アークの代物”なんじゃないかな?」
篠川は、トウゴと同じで知覚制限から解放されている人間だ。過去にどういういきさつがあって、そうしたことになったのかを、トウゴは聞いたことがない。だが、カールに拡張機能をもらい、そのことを恩に感じてるのだということだけ知っている。白石塔や、その外に広がる、アークの世界のことも知っている。数少ない“事情通の仲間”である。
気兼ねなく、トウゴは認めた。
「そうだ」
「やっぱりね。ならそれなりに時間がかかるのは、覚悟した方が良い。正確なことは、これから頼む人に確認してみないと、何とも言えないけど」
篠川の背後で、腰を下ろしていたテレビスタッフたちが、立ち上がるのが見えた。どうやら休憩時間が終わったらしい。同僚たちに声をかけらた篠川は、笑顔で手を振って応える。そうしながら、トウゴに告げた。
「それにしても、運が良いね。この薬品を調べられそうな知り合いは、実はちょうど、この町にいるんだよ。しかも、僕と同じで“事情通”だ」
「と言うと?」
「これはどんな会社もそうなんだけど、危ない研究開発をする実験施設って、都会のど真ん中には建てられない法律や諸事情があるんだ。けど、こういう田舎には、そうしたものがチラホラ建ってる。トウゴくんは、薬品会社の“月埜化成研究所”って、聞いたことあるかな?」