10-21 英語表記
救急病棟。
事故に遭遇した怪我人や、容態が急変して危険な状態になった病人を、いついかなる時でも受け入れて救命できる病院だ。吐血して倒れたサムは、駆けつけた救急車に搭載されている病人搬送用の転移装置によって転送された。代表の付添人として、ケインとシラヌイが同行することになった。
2人は病棟の廊下で、緊急処置室の前の長椅子に腰掛けていた。赤く点灯している「施術中」のランプが、何事もなく消えてくれることを祈る。ケインは憔悴した表情で、項垂れながら足下を見ていた。サムが倒れたことで、堪えているのが見てわかった。
ケインたちのいる場所から、少し離れた位置。遅れて病院に駆けつけたイリアが、壁に寄りかかって腕を組んでいた。ケインとシラヌイに声をかけることはせず、廊下を仕切っている中扉の窓ごしに、2人の姿を遠巻きに見ていた。
……見れば見るほど、似ていると感じる。
ケインの横顔は、イリアがよく知る少年のそれに、見えて仕方がないのだ。壇上では初対面であったため、まともな会話をすることはできなかったが……。数少ない会話の中で得られた情報によれば、自分が雨宮ケイではないのだと言っていた。どうやら以前に、ジェシカから間違えられたような口ぶりでもあった。
ケインの顔を見つめるイリアの傍へ、近づいてくる足音が聞こえてきた。誰が来たのかなら、すでに察しはついている。イリア本人が呼びつけたのだから、当然だ。
「それで……? 彼は、君のことを知っていた。知り合いだったんだね、ジェシカ」
「……」
振り向きもせずに、やって来たジェシカへ尋ねた。
ジェシカは、気まずそうな表情をしている。
「事情は、さっきAIVで連絡した通りだ。1時間前くらいに、彼の友人が倒れて、ここへ緊急搬送された。君を呼び出したのは、彼等と同じように付き添いをさせたいからじゃない。なぜ“雨宮ケイ”が、クルステル魔導学院で、学生なんかをやっているのか。それを話してもらうためだ」
イリアは腕組みをしたまま、ジェシカを振り向く。困った顔をして俯いている彼女を見ると、苛立ってしまう。自分でも冷静さを欠いてしまっていることを自覚しながらも、畳みかけるように尋ねた。
「ボクが知る雨宮ケイは、今やアルトローゼ王国で最強の戦士だ。彼の守護なくして、アデルたちの安全は保たれない。一時でも王国を離れようものなら、他の企業国がどんな行動をとるか、わかったものじゃないからね。なのにその彼が王国を離れ、ここで呑気に学生生活を送っている。ジェシカ……君は何か知っているのか。この異様な状況は、どういうことなんだ?」
「それは……その……」
煮え切らないジェシカの態度。それに苛立ってしまうのは、雨宮ケイという存在が、いまだにイリアの中で特別であるためなのか。熱くなってしまっている自分が、らしくないと思いながらも、イリアは怒りを吐露した。
「黙ってないで、教えてくれ! ボクは、君たちのために身を挺した! それくらい話してくれても良いだろう!」
「アタシにもわからないのよ!」
泣き出しそうな顔で、ジェシカは懸命にイリアへ応えた。
「アイツの名前は、ケイン・トラヴァース。雨宮ケイにそっくりだけど、ケイじゃない。私が魔術で解析をかけた結果だから、間違いないわ」
「バカな! じゃあ彼は、本当に雨宮くんじゃないのか?! あれは、まるで生き写しだぞ……!」
イリアは耳を疑うような思いだ。
改めて、ケインの方に視線を向ける。
「なら本物の雨宮くんは、今も王国にいるということだよな?」
「……」
「……違うのか?」
これ以上は隠しきれないと、ジェシカは観念した。
たしかに、イリアは帝国の人間になった。だがジェシカにとっては、今もかけがえのない友人であり、アルトローゼ王国からすれば、エヴァノフ企業国での戦いにおいて大恩のある相手なのだ。王国の国家機密を、ジェシカの私的な理由で開示することには抵抗があるが……イリアにも知る権利はあるはずだ。
「たしかにアタシたちは、アンタには返しきれない恩がある。秘密を打ち明けるくらいのことは、最初から、して当然だったかもね。……ごめんなさい、全てを話しておくわ」
ジェシカは、イリアがいなくなってからの2年間についてを話し始めた。
「アタシは、この学院に戻ってケイの行方を探しているの。この2年間、ずっとね……」
少しずつひび割れるように、日常が壊れだしたのを感じた。
◇◇◇
施術中のランプが消灯する。
間もなくして、人工呼吸器を点けた状態でベッドに横たわる、痛々しい姿のサムが運び出されてきた。看護師たちに囲まれ、サムは護送されるように、病室へ運ばれていく。ケインやシラヌイは部外者であるため、病室への同行は拒否されてしまった。だが「一命は取り留めた」という医師の言葉に、ようやく安堵することはできた。
サムの両親には、すでに学院の責任者から連絡が行っているらしい。明日にでも、両親が見舞いのために学院島を訪れる予定だと聞いた。容態が落ち着くまでは面会謝絶と聞いているため、こうなってくると、ケインたちがこの場に留まってできることはなくなってきた。すでに夜も遅いため、シラヌイは女子寮へ帰宅し、少し遅れて、ケインも寮へ帰ることにした。
病院の正面ゲートは施錠されていて、この時間にもなると、出入りできるのは裏口だけだ。守衛の横を過ぎて、そこを出てすぐの駐車場に、ケインは見覚えのある人物を発見する。
「……セイラ学科長?」
無人の駐車場の中央に立ち、裏口から姿を見せたケインの姿を、じっと見つめてきている。まるで待ち構えていたような状況だ。何か意図がありそうだと察して、ケインは学科長の下へ歩み寄る。
「来ましたね、ケイン・トラヴァース」
「こんばんは、セイラ学科長」
セイラの方から声をかけてくる。
案の定、何か話があったようだ。
「えっと……どうして学科長がここへ?」
「私がここにいるのは、意外ですか?」
質問に、質問で返されてしまう。
ケインが口を噤むと、セイラは答え始めた。
「当学科の学生が、新入生歓迎パーティーで倒れ、病院へ緊急搬送されたのです。心配して当然です。ご両親からお預かりしている大切なお子さんが、こうして生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。これは予見できたことなのに、彼等から守るべき者を守れなかった。完全に、私の失態です」
学科長の職責について、ケインは詳しいことを知らない。だが学院内で事故が起きて、生徒の命が危うくなったとなれば、普通は責任問題になるだろう。セイラは、総合戦略学科の責任者なのだから、色々と複雑なことになってしまっているのかもしれない。心配して足を運んだと言うのは、変ではないし、むしろ当然のことなのだろう。
だがそれよりも、ケインは学科長の言い方が気にかかった。
「予見できたことって。なんか、その言い方って変です。こんな事態、誰にも予見できるわけがありません。サムが倒れた理由は、オレにはよくわからないですけど……。吐血するなんて尋常じゃない。もしかしたら病気だったとか、食べ物のアレルギー反応なのかな、とは思ってました。そういうのを学科長が知っていたのに、監督できなかったって意味ですか?」
「……」
「それに、彼等から守れなかったっていう言い方だと……まるでサムが、誰かにやられたような感じがします」
セイラは無言だった。
その沈黙は、イヤなことを意味している。
ケインの表情が険しくなっていくのを見て、セイラは語り出した。
「入学式の日以来です。当学院島に“招かれざる客”が侵入した形跡がありました」
「…………招かれざる客?」
「サム・パトリックに“毒を使った”のは、おそらく彼等の仕業です」
「!?」
セイラが打ち明けてきている話が、すぐには理解できない。
サムは、何者かの人為的な犯行によって、毒を盛られた。生徒たちの間でも、そうした噂がすでに出てきていて、ケイン自身も、その可能性をまったく考えていなかったわけではない。だが……さすがにあり得ないと、自分に言い聞かせていたのだ。あんな目立つ場所で、サムを暗殺しようとして、いったい誰に何の得があるのだ。
それでもセイラ学科長は、最悪の予想を肯定している。
信じられない思いだ。
「あなたと同様に、私も信じたくない思いです。ただ、現実は現実。いずれかの企業国の手の者か、獣人のテロ組織か。今のところ正体は不明。目的も人数も不明です。ただ、これまでに発見されている証拠から、わかっていることはいくつかあります。彼等は複数人で、この島に泳いで上陸してきた。お互いに使っている言語は“英語”であるということです」
「英語……?」
「白石塔の内世界で使われている、地方言語の1つです」
セイラは星空を見上げ、話を続けた。
「帝国人は、生まれつき“翻訳”の拡張機能が、脳にインストールされる遺伝子構造をしていますから。普段はお互いが使っている言語について、着目する機会は少ないでしょう。ですが拡張機能が世の中に浸透する以前の太古の時代、言語とは、それを話す者の素性や出身を指し示すものでもありました。内世界においては現在もそうです。幸い、当学院には、そうした言語研究の権威がいましたので、鑑定していただきました。結果、それがわかったのです」
「鑑定したって、何をですか?」
「彼等が海岸線に放棄したと見られる“潜水装備”の一部です。軍用の装備には、所属している軍隊名が刻印されているものですが、彼等の装備は、所属を隠すための刻印が削り取られていました。それを復元魔術の使い手に直させたところ、元は、合衆国海軍の刻印がされていたことがわかりました。内世界に存在する軍隊です。しかも使っている装備が、かなり低い技術水準でした。彼等が通信に使っていたのは、軍用AIVなどではなく、ラジオ形式のハンディタイプ無線機でした」
「内世界の軍隊……それに、旧式な装備品ですか」
「ええ。そして今夜、サムに使われた“毒”もまた、内世界のものです」
「サムに毒を使ったって、どうやってですか?!」
「新入生歓迎パーティーで、生徒たちの注目は、壇上のあなたへ向けられていました。その一瞬の隙を使い、犯人は行動に出ました。サムの背後から近づき、注射針のようなものを上腕に打ち込んだのです。サムの身体には、その注射痕が残されていました」
その事実を聞かされたケインは、愕然とする思いだった。
「注射痕……。じゃあ、食べ物に毒を混ぜた、無差別攻撃とかじゃなくて……明確に“サムを狙った”犯行だったってことですか」
「その通りです。そして、犯行に使われた毒は白石塔の中にしか生息しない、ゼアパデルタミンという強い毒性を持った植物のものです。アークの闇流通で、手に入れられないわけではありませんが……あまり、帝国人が暗殺に使うような種類ではありません」
セイラは真顔で、ケインに告げた。
「他にも証拠はあります。それらを加味して、おそらく今回、サムを“暗殺”しようとしたのは、島に潜伏している者たちの仕業と考えています。あの時、パーティー会場にいた誰もが容疑者であって、彼等は今も“生徒たちに混じっている”可能性が高いと見ています」
とんでもないセイラの見解を聞いて、ケインは心底から驚いてしまう。
「そんな……。白石塔の世界の言語を使う連中。つまり白石塔出身のテロリストみたいな奴等が、生徒のフリをして潜んでいるって言うんですか?」
「今のところは、状況証拠にすぎません。そう見せかけているだけかもしれませんが、可能性は高いでしょう。いずれにせよ、潜伏している者たちは、放置しておいて良い無害な存在ではなく、人を殺傷しようとする危険な集団であることが確定しました。今夜、彼等がサムを狙った理由も、これから突き止めます。目的は不明ですが、このようなことを2度とさせてはなりません」
ケインは恐る恐る尋ねた。
「……どうして、こんな話をオレにするんですか?」
「先程も言った通り、犯人たちは生徒の中に混じっている可能性があります。そんな中、あなたにだけは、サムが襲われた時に壇上にいたという、完璧なアリバイがあります。つまり、あなたは味方と考えて良い」
セイラの眼差しは、見たことがないくらいに鋭く尖っていた。あまり感情を表に出すタイプではないのだろうが、サムのことについては怒り浸透の様子だった。生徒のことを大切に思っているらしい。
「捜査に協力してください。これから、犯人狩りを始めます」
セイラは、ケインに助力を求めた。