10-18 レインバラード夫人
高度1万メートルの上空。
護衛の戦闘用無人機編隊に囲まれた、1機の飛空艇が飛んでいた。貴族の個人所有船であり、その識別コードは、グレイン企業国の所属である。大型旅客機ほどのサイズがあり、機内には専用のレストランや、娯楽室まで用意されていた。何百人と搭乗させて歓待できる船だというのに、乗せている乗客は、ただ1人。所有者の大貴族だけである。
機内執務室。
外の風景を一望できるエアビューを背景にして、少女は顧客と通話中だった。
美しい金髪のロングヘア。透き通るような碧眼を持つ、美しい少女だ。耳にはピアスをしていて、首には十字架のネックレスをしている。左手の薬指には指輪をしており、身につけているアクセサリは、大貴族としては控えめな、その程度のものだけだった。パンツスーツ姿で足を組んでいると、そのスレンダーなシルエットが、際立って見えていた。
「――――それで、話の続きをお聞かせ願えるかな、“暴食卿”?」
少女は、同じ室内で、向かい席に座っている通話相手へ話しかける。
長い赤髪の女だった。大きな尖った帽子をかぶっており、魔女のような出で立ちだ。顔はベールに覆われていて、よく見えない。だが、スタイルの良いその肉付きと、麗しい美声は、美女であることを予想させた。
少女と同室しているように見えて、実際のところ、彼女の姿はホログラム映像だ。実体ではない。当人は遠く離れた地にいるが、まるで間近で会話をしているように思わされる。
七企業国王の1人、暴食卿。
コーネリア・バフェルトである。
暴食卿は素顔を見せぬまま、厳かに語った。
「……バフェルト企業国は、このアークにおいて、魔術研究の最先端をいっている自負があります。そちらのグレイン企業国にも、クルステル魔導学院のような高度な魔術研究機関はありますが、こちらはそれ以上に高度な研究機関を設置し、魔術を応用した製品の商用化においては、トップランナーと言えるでしょう」
自国に対する認識を説明する暴食卿。
それを聞いた金髪の少女は、不敵に小さく笑んだ。
「承知しているよ。軍事的な視点で見れば、魔術弾のような武器開発や、戦闘用異常存在の開発においては、誰がどう見ても貴国に一日の長がある。世界最大の兵器商であるエレンディア企業国や、ハイテク産業を牛耳っているシエルバーン企業国と異なって、魔術と生物化学の分野に優れているのが、貴国の特色と言えるからね」
悠然とした態度で足を組み直し、少女は続けた。
「しかし昨今の世界情勢では、バフェルト企業国の異常存在開発について、問題視され始めているのは確かだろう?」
「……」
「旧文明が残したモノや、廃棄処分となった白石塔の跡地で生き延びたモノ。そうしたモノたちが自由に繁殖し、今ではアークの各地に“野生の異常存在”が生息している。すでにアークの生態系の一部となっている彼等は、数が増えすぎた。最近では大都市が異常存在の群れに襲われるような事例もあり、その討伐によって、うちの“夫”が名を高めるキッカケにもなったのは、記憶に新しい」
暴食卿は、少女の話を黙って聞いてた。
口を挟まない相手に対して、少女は一方的に語る。
「異常存在は、個体の力量や繁殖能力の高さを考えれば、人間よりも生物学的に勝る存在だ。今は大した知性を持たない木偶の坊だが、万が一にも人間を上回る賢い知性を持った個体が出てきたなら……それこそ、人類文明の存続危機にさえなりえるだろう。そうした危険性を顧みず、やみくもに異常存在に人工知能を埋め込もうとしている貴国の研究は、他国からすれば懸念材料となっていて、不安視されている。ただでさえ、アルトローゼ王国の誕生によって“政府転覆”という事態が現実に起きうることが証明されてしまったご時世なんだ。七企業国王たちは今後、暴走リスクの伴う異常存在には、投資を控えていくと見るね」
「……それは、私の企業国を責めているのかしら?」
「とんでもない。不和のある場所にこそ、武器商人にとっての商機がある」
イリアは皮肉っぽく肩をすくめた。
訝しんでいる暴食卿に告げる。
「我がレインバラード家としては、貴国から戦闘用異常存在を1万体ほど“買い取らせていただこう”と考えている」
「……!?」
「異常存在の市場価値は下がる見込みだ。貴国としては今のうちに在庫を放出したいし、当家はそれを格安で買い取りたい。お互いに悪くない話だと思うが?」
予想外の話運びに、暴食卿は感心する。
「……そちらは、異常存在の市場価値が下がると見ているのに、今のうちに異常存在を買い占めておきたいということかしら。それはまた、どういう思惑があってのこと?」
「ボクはエヴァノフ企業国と反乱軍の内戦を、この目で見てきた。そこから学んだのさ。今後もし、ああした万が一の有事が起きれば、人的被害を出さずに敵を制圧できる、戦闘用異常存在の市場需要は高まるはずだ。その時に備えて、レインバラード家は投資することを決定したのさ。先行投資ってヤツだよ」
「……不思議な物言いだこと。まるで近く、そうした戦いが起きると予測でもしているみたい」
「起きないと考えている、悠長な七企業国王はいないと思っているけど?」
「……」
「エヴァノフ企業国が倒れ、アルトローゼ王国ができて2年が過ぎた。その間、社会が不穏でなかったことなどあったかな? 真王は企業国同士の戦い、強いて言えば人間同士の戦いを禁じているんだったね。このアークに帝国しか存在していなかった時代は、そのルールは成立しただろうさ。けれど今は事情が違う。帝国に“対抗できる国”が登場し、それによって勢いづいた獣人族のテロリストが、各地で勢力を拡大している。おまけにどういうわけか、各地で野生の異常存在たちまで凶暴化してきているじゃないか。ボクには今の世界が、全体的に“混迷へ向かっている”ように思えるね。不穏な雰囲気が立ちこめているよ」
「企業国と企業国。人同士の争いさえ起こり得ると?」
「どうかな。現実に、人々の支配権限を無力化できる、アデル・アルトローゼのような存在が出てきた。彼女自身は、帝国と事を構えるつもりはなさそうだが、彼女に類似した存在が、今後も現れないとは限らないだろう。それを考えれば、人間同士の争いが起きる可能性はゼロと言えない」
金髪の少女の持論を聞き終え、暴食卿は嘆息を漏らす。
少しの間、口を閉ざして考え込んでいる様子だった。
やがて、呆れた口調で応えた。
「白石塔の内外で、戦争を生業にして富を築いてきた、エレンディア家の出身である貴女から言われると、幾ばくかの説得力がありますね」
「……今は、エレンディアの名を名乗ってはいないよ」
「失礼だったかしら? イリアクラウス・レインバラード。かの勇者の妻は“切れ者”だと聞いていました。あながち間違いでもないようですね。こうして話をしてみて、それがよくわかりました。貴女に先見の明があるのかはともかくとして……良いでしょう、商談は成立です」
金髪の少女、イリアは苦笑を浮かべる。
「七企業国王の1人である、コーネリア・バフェルト様から、お褒めに預かり光栄と言うべきかな。取引の快諾を感謝だ。契約書は、こちらの秘書から送らせてもらうとしよう」
その後も、契約に関して、いくつかの確認事項を話し合う。
ふと、暴食卿はイリアへ尋ねた。
「レインバラード家は、グレイン企業国専属の兵器商という趣きが強い印象でした。しかし貴女が嫁いでからというもの、各企業国へ積極的な営業活動を行っているようですね。夫の勇者殿は同席せず、1人で全ての商談を取りまとめているのかしら?」
世間話のつもりなのだろうか。
プライベートに半分足を踏み入れたような質問だが、イリアはイヤな顔をせずに答える。
「旦那の方は、こういう営業が苦手らしくてね。本来なら次期当主である彼の仕事が、妻のボクに押しつけられているような状況さ。まあ、代わりにレインバラード領の“統治”の方を頑張ってくれているよ。外交をボクが。内政を夫が。適材適所かな。そんな棲み分けさ」
「夫婦で息の合っていることで。レインバラード家の外交方針が変わったのは、てっきり、貴女のお父上である“エレンディア卿の指示”なのかと勘ぐってしまいました」
「……」
「これは、個人的な質問が過ぎたかしら」
悪びれた様子はない。わざとらしく、暴食卿は探りを入れにきている。だが、イリアのポーカーフェイスは崩れない。それが面白くなかったのか、暴食卿は再び嘆息する。
「この商談の後は、休暇を取られるそうですね」
「ああ。ちょっと、昔の旧友の顔でも見たくなってね」
「そうですか。それでは、良い休暇を」
暴食卿との通信は途絶え、そのホログラムの姿は掻き消えた。
◇◇◇
すでに時刻は昼過ぎになっていた。
明かりを消して暗くした自室で、ジェシカは不機嫌そうに目覚める。寝起きは誰しもツライものだろう。低血圧であるジェシカにとって、それは人一倍だ。今日は土日ということもあって、目覚ましもかけず、好きなだけ寝た。それなのに、まだ眠い。
「ふぁ~~……」
下着姿。ボサボサの頭のままで背伸びをし、ジェシカは大きなアクビをした。いつまでも眠りこけて、貴重な休日を、寝たまま終わらせるのはもったいない。すでに半日以上は寝過ごしてしまったが、せめて残りの半日は有意義なものにしようと、ジェシカはノソノソとベッドから這い出る。
シャワーを浴びて、歯を磨く。
髪の毛を適当にセットしてから、改めて、散らかった自室を見渡した。
「……今日は部屋の片付けをする予定だったけど……」
面倒くさい。
死ぬほどに面倒くさい。
やる気が失せていく。
「まあ、エマが帰ってきたらやってくれるわよね……それより、白石塔内で放送してる新作のロボットアニメを手に入れたことだし、せっかくだから今日はそれを見ようかしら!」
以前にケイに連れられ、東京で魔法少女のアニメを見せてもらったことがある。あれ以来、ジェシカとエマは、姉妹そろってアニメファンになってしまったのだ。怪しい流通ルートで、アニメを輸入しては視聴するのが、ちょっとした趣味になってしまっている。
ようするに、完全にアニオタ化してしまった。
白石塔で手に入れたプレイヤーを引っ張り出して、そこにブルーレイディスクをセットする。せっかくの休日を部屋に引きこもって過ごすことになることなど構わなかった。機器を操作しながら、ジェシカは上機嫌で目を輝かせていた。
……ピンポーン。
ジェシカの部屋の呼び鈴が鳴った。
リモコンで再生開始のボタンを押そうとした直前のタイミングである。
間の悪い来訪者に、ジェシカは苛立った。
「ったく。この良いところで、いったい誰だってのよ!」
バタバタと小走りで、ジェシカは玄関口に出る。
扉を開けると、そこに立っていたのは1人の女性だった。
金髪のロングヘア。青い瞳の、パンツスーツ姿の女性である。中性的だった昔とは違い、髪を伸ばして、女性っぽい身だしなみにイメージチェンジしたようだ。傍らには大きなスーツケースを置いている。
「やあ」
「…………???」
にこやかに微笑みかけてくる女性。
その人物を知らないわけではなかった。
ただ、なぜこの場に突然、現れているのかだけが理解できない。
ジェシカの思考はバグり始める。
「え……はい……? イリア……?!」
ようやくひねり出した名前。
イリアはニコニコと微笑み続けて立っている。
ジェシカは狼狽し、脂汗をかきながらたじろぐ。
「ななな、なんでいきなり現れて挨拶なんかしてんのよ!?」
「半年前くらいに連絡していたはずだが? 春頃には休暇が取れそうだから、遊びに行く予定だと」
「春頃に行くって……あんなの、行けたら行くくらいの適当な連絡じゃない! 具体的に、いつかなんて決まってなかったでしょ!? いきなり今日になって来るなんて、ぜんぜん知らなかったわよ!」
「なら今、聞いただろう? こっちには義弟もいるし、うちの別荘もいくつかある。そこを拠点に、今日から2か月ほど、この南部地域へ滞在させてもらうことにしたから、よろしく頼むよ」
「はあああああ?!」
ジェシカは目玉を剥いて、悲鳴のように声を上げた。
次話の更新は月曜日を予定しています。