10-17 密告者
四条院アキラ。
アルトローゼ王国の隣国である、四条院企業国の王族である。
現在の淫乱卿である四条院コウスケが亡き後、次世代の企業国王となるべくして育てられた、実子の1人だ。幼少の頃から、一般的な教育機関に通ったことのない“自宅学習生”ではあるが、企業国王専属の特別顧問を招いた、世界最高水準の個人教育を受けてきている。
15歳の時には、四条院騎士団に士官として入団。兄の四条院キョウヤの亡き今は、出世頭の筆頭となり、若くして騎士団長に就任した。たしかに個人戦闘能力の高さについては、人々が認めていることだが……あまりにも経験の少ない若者の起用には、騎士団の誰もが驚いたことだろう。それが親の七光りであることは間違いないが、そのことを攻められる下々はいなかった。
企業国が支配する社会において、アキラはすでに、企業国の最上層に近い地位を得ている。エリート中のエリートコース。そんな人生を歩んでいる、アキラのことを、誰もが羨んでいる。このまま順調に出生し、正式に次期王位を継ぐ者と決まれば。父親や、選ばれた一握りの大貴族たちと同様に、ゆくゆくは“不老処置”を施されて、アキラも永遠に等しい時間を生きる存在になるのだ。企業国王が死ぬ時を待つ、不死の後継者として。
――――そんな要人が、誰にも注目されていないはずがない。
四条院アキラには、アルトローゼ王国騎士団の、24時間の監視がついている。さすがに室内にカメラを置かれるようなことまではされていないが、眠っている間にも、部屋の周囲は歩哨の警備だらけだ。人目を忍んで深夜外出など、自由にできようはずもないのである。
それなのに、エリーゼ・シュバルツからの手紙は、それを“可能”にしてしまう。
監視を兼ねてアキラを警備している王国騎士団。アキラが連れてきた四条院騎士団の護衛たち。顔をつきあわせれば、互いに睨み合い、いがみ合っている間柄だ。つまり2種類の兵士が、互いに縄張りを争うように、1人の警備をしているため、連携ができていない。そこには必然的に、“警備の穴”ができているのだ。エリーはそのことに気付いていたため、そこを利用して外出する方法を書き記している。
夜の21時。アキラの部屋の前の警備が、定時交代をする。時間にしてほんの数十秒の空白。その間であれば騎士がおらず、外出が可能なのだと言う。
「……少し怖くなってきたな」
定刻になり、実際に部屋を出たアキラは呟いた。エリーが書き記した通り、警備の者の姿がなくなっている。このまま渡り廊下まで見つからずに行けば、その先の通路も、定時交代のために警備がいなくなっているらしい。エリーが手を回したのか、通路の監視カメラや警報装置は、軒並み電源を落とされ、無効化されていた。あまりにも簡単に、アキラはアルトローゼ大聖堂の外にまで出られてしまう。
こっそり抜け出すことに成功したのだ。
「久しぶりに、本当の自由時間か」
予期せぬ人物からの、久しぶりの便りに従った結果、アキラはそれを得られた。少し肩の荷が下りたような気さえした。ここ最近は根詰めるようなことが多くて、心が安まらなかったのだ。軽くなった足取りで、アキラは夜の新東京都の街を歩き出す。
「……AIV通信ではなく、今時、手紙で連絡を取ろうとしてきたんだ。たぶん、通信は傍受されることを恐れているってことだよな。ならエリーは今、誰かの監視下にあるのか……?」
状況は不明だった。手紙には用件の子細は書かれておらず、ただ会う方法と、時間だけが記載されていたのだ。わかっていることは、人目を忍んで、秘密裏に会いたいという明白な意図だけである。嫌な予感を抱きながらも、アキラはとにかく、足を早める。
エリーとの待ち合わせの場所は、官庁街を抜けて少し先まで行った、繁華街である。かつての東京都で“赤坂”と呼ばれていた地を再現した場所であり、そこでは高級なレストランや料亭が軒を連ねている。アルトローゼ王国の、政府職員たちの社宅もある場所で、まさに城下町と呼ぶに相応しい雰囲気だ。行き交う人々は大半が政府職員なのだろうか。身なりが良く、エリート然とした顔ぶれが多いように思えた。
「……ここか」
薄暗い裏路地を進んだ先の、小さなテナント。今は借りている店舗がないらしく、空きビルになっていた。明かりの灯っていない、そのビルの入口は開いている。待ち人がいるとは思えないほどに静かで、気配がない。本当に場所が合っているのか、不安になったものの、アキラは黙って歩み入る。
「…………血のにおいだ」
入ってすぐに、それを嗅ぎ取った。
この場で血が流れたのだ。
時間が経っているのか、今しがたのことなのか、判断はつかない。
だが油断はできないだろう。帯剣した剣の柄に手を伸ばす。
夜目は利く方だ。
明かりの少ない場所でも、周囲の反響や空気の流れで、視覚情報を補完するのには慣れている。暗闇の中、アキラは明かりも点けずに階段を上り、最上階フロアまで辿り着く。何も置かれていない空っぽのフロア。そこへ、窓から周辺のビルの明かりが差し込んできていた。照らし出された中央に、知った顔を見つける。
「エリーゼ……!」
緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。漆黒のブラウスにロングスカートと言った、葬儀服のような格好をしていた。両腕には、鋼線を束ねて収めた腕輪と、分厚い皮のグローブをしている。それは、アキラがよく知る、幼馴染みの武器だ。
「……アキラ様。ずっと、お会いしとうございました」
エリーはその場に腰を落とし、ヘタリ込んでいた。
血の気が薄い顔に、弱々しい笑みを浮かべて、アキラを見てくる。
具合が良くないことは、すぐにわかった。
なぜなら、エリーの右脚。
膝から下が切断されて、無くなっているのだから。
「エリー、その怪我は!」
室内にはもう1人の少女がいる。黒い着物姿の、黒い長髪の少女だ。自分の得物である大振りな日本刀を、すぐ足下に転がしたままにしている。今は懸命に、血まみれとなったエリーの右脚を止血して応急手当をしているところの様子だ。
エリーの従者である少女、ユエ。
今も変わらず仕えていたようだ。
アキラが現れるのを横目に見るなり、緊迫した声色で呼びかけた。
「アキラ様! 申し訳ありませんが、エリーゼ様の手当を手伝ってください!」
「あ……ああ……!」
状況がわからないまま、アキラはエリーの傷口をユエの代わりに両手で押さえる。アキラが押さえていてくれている間に、ユエはバックパックから止血帯を取り出し始めた。慌ただしい雰囲気の中だというのに、エリーは無理にでも微笑んで見せる。
「帝国からお尋ね者として追われている身の私に、単身で会いに来てくださったんですね。……まだ嫌われていないようで、嬉しいです」
「君は僕にとって、かけがえのない友人だ。たとえお尋ね者であったとしても、帝国騎士団に突き出したりするものか。君との友情は、潰えてなどいないさ。それよりも、この状況は……」
痛々しいエリーの脚。その切断面は、何か鋭利なモノで両断されたように見える。剣による怪我だろうか。傷口は滑らかで、肉や皮一枚を残すような、下手な素人の太刀筋ではない。見事なまでの一刀両断に見えた。
出血が酷い。
止血できたとしても、輸血できなければ長くは保たないだろう。
そう判断したアキラは、自身のAIVを起動する。
「こんなところで君を死なせるものか……! とにかく今、病院の手配を――――」
「いいえ、ダメです」
虚空に浮かぶ、ホログラムアイコンを操作しようと伸ばした、アキラの手。エリーはそれを、血濡れた自らの手で掴んで止めた。
「病院に行けば、私がアキラ様と接触したことが、“敵側”に筒抜けとなってしまいます」
「敵側……?」
エリーの言っていることは、追っ手のことだろうか。
アキラは歯噛みしてから応える。
「そんなことを言っていられる容態じゃない! 今すぐ病院に行かなければ死ぬんだぞ! エヴァノフ企業国のクーデターに手を貸した君たちシュバルツ家が、帝国から追われる身であるのは知っているさ! 父上の言いなりの僕だって、四条院企業国内のコネは効くのを知ってるだろ?! それを使って、ここにいるユエだって助けられたじゃないか……!」
アキラは、エリーの手を握って力説した。
「何とかしてみせる! 必ず逃がしてみせるから……病院に搬送させてくれ!」
「いけません。今は“四条院企業国の人間”を、誰も信用してはならないんです」
「……?」
「それはアルトローゼ王国の人間も同じです。たとえ相手が、アデル様であろうとも……今夜のこの密会の話を、してはなりません。今の貴方の周りは敵だらけ。私はそれをお伝えするために、貴方を呼び出したのです」
「何を言っている……それはいったい、どういう意味なんだ! 君が言っている“敵側”というもののことなのか?!」
エリーの意識は、すでに朦朧としているようだ。血を失っているのだから当然だろう。そんな苦境にありながらも、アキラに心配をかけないよう、必死に配慮している。苦痛を噛み殺した無理な笑顔と、震えた唇で、言葉を紡いだ。
「誰しもが思惑を持ち、誰しもがウソをついて、貴方に近づいています。このまま放置しておけば、アキラ様のお命が危ぶまれます。ですからアキラ様が、今夜この場で私に会って、真相を知ったのだと気付かれれば……敵側は手段を選ばなくなるでしょう。そうなってしまうくらいなら、私の身など、どうなっても構いません」
「……君は何を知っている……?」
ユエのAIVに、警告表示が現れる。
すると、ユエは青ざめた顔で警告してくる。
「ビル周辺に撒いておいた資格情報センサーに反応! エリーゼ様、追っ手です!」
資格情報センサー。
アークの市民であれば、誰でも体内に資格情報を埋め込んでいる。その人間が有する職業技能や専門技能を証明するもので、実体は量子暗号化された原子回路だ。特定の資格情報や個人情報を有する者に反応するセンサーであり、これを利用して“特定の人間にだけ反応する爆弾”などを使った暗殺事件も、過去にあった。あまり合法とは呼べない道具だが、どういう入手経路か、ユエはそれを持っていたらしい。
アキラは窓枠に駆け寄ると、顔が見られないよう、物陰に隠れながら下方を見下ろす。見えたのは、ボディアーマを着込んで完全武装した重騎士たちだ。ビルの入口を固めようとしているところらしく、間もなく突入してくるであろうことは間違いなかった。
「あれは、アルトローゼ王国騎士団か! しかも、騎士団長のレイヴンと、弓使いの機人まで……!」
見慣れた無精髭の男が、陣頭指揮をしている様子である。
しかもその隣には、フードを目深にかぶった、凄腕の弓使いだ。
「君の追っ手と言うのは、あの二人なのか?」
「……」
「エリー……?」
「……」
アキラはエリーに尋ねるが、返事がない。
その変化に気づき、アキラは慌ててエリーの元へ戻った。
「エリー! おい、しっかりしろ!」
仰向けに倒れているエリーを抱き起こす。その肩を軽く揺らして、声をかけた。だが反応がない。どうやら意識を失っている。呼吸と瞳孔反応を確認した。
「まだ生きている……だがこのままでは……!」
この窮地をどう脱するのか。
思考を巡らせようとしているアキラに、日本刀を拾い上げたユエが告げた。
「アキラ様。屋上から隣接するビル伝いに、遠くまで逃げられます。私がオトリになりますから、エリーゼ様を連れてお逃げください」
「本気で言っているのか、ユエ? 下にいる奴等は、この王国で最強レベルの使い手たちだ。しかもここは首都。派手に暴れれば、他の上級魔導兵たちが集まってくるのが、目に見えているぞ……!」
「それでも構いません。お二人が逃げられるのであれば」
ユエは、身に余る大きな日本刀を抱きしめ、アキラへ微笑みかけた。
「お二人に拾っていただいた命です。今この時の私の生など、本来なら存在しないものでした。ならばこの命、せめてお二人のために、役立たせてください。私が時を稼ぎます」
もはやアキラの意見など聞かず、ユエはフロアを飛び出して行こうとする。
「エリーゼ様のことを頼みます、アキラ様」
「ユエ!」
「……“トラヴァース家”を調べてください」
「?」
階段を駆け下りていく音が聞こえた。間もなくして階下の方から、「いたぞ、あそこだ!」と、王国騎士たちが声を掛け合う声も聞こえてくる。発砲音と、剣戟の音。騒々しくなった下層階の様子に、アキラは険しい顔をしてしまう。
「拾った命だからこそ、勝手に死んだら許さないぞ、ユエ……!」
アキラはエリーを抱きかかえ、屋上を目指す。
久しぶりに出会った幼馴染みの身体は軽く、とても華奢で、弱々しく思えた。